20211231

時間の矢・時間の環はあった

 今住んでいる住宅に引っ越す時、私は膨大な量の本を処分した。持っていた本の2/3は売っただろうか?図書館にある本は全て売るを基本路線として、売った本はノートに纏めて整理した。今、そのノートを見ていると、私は何と魅力的な本を持っていたのだろうという感慨が押し寄せてくる。

だが、見ていて気が付いた。スティーヴン・ジェイ・グールドの名前がノートには見当らないのだ。

彼の本は殆どを持っていた。どうせ図書館に在庫があるに違いないと見越して、彼のエッセイ、学術書を売りまくった。敢えてノートには記さなかったのだ。

不安になって検索してみた。予想通りスティーヴン・ジェイ・グールドの本は殆ど図書館にある事が確かめられた。

だが、『時間の矢・時間の環』と『個体発生と系統発生』は県立にも市立にも在庫がない。少し焦った。

『個体発生と系統発生』は賞味期限切れであるという噂を耳にした事がある。だからこれはパスしても構わない。だが、『時間の矢・時間の環』はもう一度再読したい。

調べてみるとamazonにも在庫がなく、古書店で高値で取引されている事が分かった。大問題である。今、私には金銭的な余裕は全くない。とても手が出ない。

それとも思い切って買ってしまうか?

かなり悩んだ。

だが、本を売る時、入念に図書館の検索はした記憶がある。万が一と言う事もある。

意を決して、探してみる事にした。以前の1/3になったとは言え、それでも持っている本は余りに多い。

本棚には前後2段に本が入れられている。表面に出ているのは新書か文庫本が多い。単行本はその後ろにある。

片端から表面の本をどかしてみて、裏側の単行本をチェックしてみた。

何と!あるではないか!


自分で自分を褒めたくなった。スティーヴン・ジェイ・グールドの『時間の矢・時間の環─地質学的時間をめぐる神話と隠喩』は2段に積んである文庫本の後ろで、ひっそりとその出番を待っていた。私は奇跡的にこの本を売らずにとっておいたのだ。

踊り出したい気分に包まれた。双極性障害の影響で、鬱々と過ごしている事が多い私には、滅多にない事だ。

自然淘汰による変化を基本に据える進化論にとって、膨大な地質学的時間は重要な鍵を握る概念だ。その時間をテーマに思考を重ねた本書は、スティーヴン・ジェイ・グールドの著作の中でも、重要な著作だと言えるだろう。

これで今読んでいる『進化理論の構造』との格闘に専念できる。思う存分もがき苦しもう。

20211230

Clubhouseその後

殆ど行かなくなった。

僅かに笹沼弘志さんが時々開いてくれる法学の議論を聞きに行くだけで、全くと言って良い程発言はしていない。

この夏、女房殿のみゆきさんが定年退職を迎えた。全く仕事をしなくなった訳ではないが、在宅時間は桁外れに増えた。その影響が大きい。同じ部屋にふたりでいると、おいそれと音声SNSをするのに気が引ける。やはり発言を聞かれたくないのだ。

Clubhouseで発言しているうちに、実生活と微妙に異なるClubhouse人格が作られてしまった。見栄を張っている訳ではないが、物事にはモノの弾みと言うものがある。

その違いを指摘されると、どうにも気恥ずかしい。

音声SNSで見知らぬ人たちと話し合うより、まずは身近なみゆきさんとコミュニケーションを計りたい。

だが、それだけがClubhouseに行かなくなった理由ではない。

空いている時間は読書に充てたい。その意識が強い。図書館から月に10冊本を借りて、それを読み切る事にしている。

私は本を読むのが遅いほうだ。なので月に10冊の本を読破するだけでも、かなりの努力を必要とする。それだけで精一杯なのだ。

SpotifyをPremiumに引き上げたのも大きい。主に古楽を聴いている。耳はそちらに使いたい。

それに、Clubhouseで立ち上げられるroomに、さほど魅力を感じなくなった事も、大きく影響している。

雑談が多い。元々雑談を楽しめる方ではない。喋る事がどうにも苦手だ。なので発言は常に力一杯頑張る事になる。小一時間音声SNSで発言していると、それだけで疲れ果ててしまう。おわっった後は少しの間、何も手に付かなくなる。時のコストパフォーマンスが私にはかなり低いものになってしまうのだ。

体力・気力をフル回転して、得るものはそれ程多く無い。そうなるとどうしても音声SNSに食指が動かなるなる。

音声SNSは、そこを自分の居場所と認識出来る人が入り浸る。私はそうした態度に違和感を覚える。聞いているうちにどうしようもなく白けてしまうのだ。

またClubhouseの特徴として、若い人が圧倒的に多く、相手を否定する事を、強く嫌う傾向がある。私はこれにどうしても馴染めない。還暦を過ぎた私には、Clubhouseは似合わないのだ。

巧く行っている時には、Clubhouseにようやく見つけた自分に合ったSNSという感覚を抱いた事もあった。だがその時期はもう遠く去ってしまったようだ。

自分ひとりの時間がまた持てるようになったら、Clubhouseにもまた戻る事があるかも知れない。だが、今はその時ではない。

私とSNSの相性はそれ程良いものではない。

20211224

ヴィネガー・ガール

よもや読み切れるとは思っていなかった。

図書館から今回の本を借りていられるのも今日までだ。アン・タイラーの『ヴィネガー・ガール』はかなり厚い。これより薄い本でもっと手間取っていた。読み切れなくても読める範囲まで読んでみようと思い、あまり急ぐ事なく読んでいた。

薄い本は論文だった。小説なのでそれより遥かに読み易い。だがこれなら今日中に読めるのではないかと思い始めたのは第10章を過ぎた辺りからだった。


解説の北村紗衣さんによると、この本の原作であるシェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』はシェイクスピアの数ある作品の中で、最も問題のある作品だと言う。確かに若書きで、かつ差別的だ。Washingtonpostのインタビュー記事Anne Tyler loathes Shakespeare. So she decided to rewrite one of his plays.によると、作者アン・タイラーはシェイクスピアが嫌いで、特に『じゃじゃ馬ならし』は別格で大嫌いだと言う。それ程嫌いならば、書き直してしまえというのが、この本が書かれた動機らしい。

成る程、重要な場面で僅かに痕跡は残されているものの、本書にシェイクスピアの原作の片鱗もない。作者も編集者もいい度胸をしている。よくぞここ迄壊し切ったものだ。

舞台はボルティモア、ヒロインのケイトは大学をドロップアウトしてプリスクールで働いており、ぶすっとして感じの良くない女性だが、原作のキャタリーナに比べるとぶっ飛んだところは少なく、スティーヴン・ジェイ・グールドを好む、ユーモアセンスのある、実にまともな市民だ。むしろ研究者である父親のルイスの方が相当な変人だ。奇妙な習慣を二人の娘に押し付けており、さらに日常生活はケイトに頼りっ切りで全く自立出来ておらず、極めて問題のある親だ。

原作に出て来る強制結婚は、外国籍である優秀な研究者ピョートルのヴィザを獲得すべく、雇い主であるルイスがケイトに偽装結婚を勧めるという現代的な展開に変わっている。ケイトは最初、猛烈な拒否反応を示すが、流される様なかたちで協力することになってしまう。

ピョートルとの不本意な出会いを通して、どういう訳だか解放されて行ってしまうケイトの姿をユーモアを交えて描いたロマンチックコメディになっている。

集英社の「語りなおしシェイクスピア」シリーズでは、これまでに、マーガレット・アトウッドの『獄中シェイクスピア劇団』と、エドワード・セント・オービンの『ダンパー メディア王の悲劇』が刊行されている。両作とも非常にシェイクスピアに詳しい作家が、たくさんシェイクスピアネタを盛り込んだ、割と濃いめの作品だ。一方『ヴィネガー・ガール』はこの二作に比べるとシェイクスピアを知らなくても楽しめるところが多く、むしろシェイクスピアが嫌い、『じゃじゃ馬ならし』が嫌い、といった人こそ気軽に楽しめる小説になっている。『ヴィネガー・ガール』が面白かったという方には、原作の戯曲を呼んで下さいとは言わない。本作と同じく『じゃじゃ馬ならし』が原作の映画『ヒース・レジャーの恋のから騒ぎ』やバーナード・ショーの『ピグマリオン』を手に取って見て頂きたい。どちらも本作の良い友達と言える作品だと思う。

20211221

ライティングの哲学

 読み始めの頃、この本のどこが哲学なのだろう?と思った。

書けない悩みを寄ってたかって吐露し合っている。それだけの内容で、深みに欠けると感じたからだ。だが、その悩みの吐露の中で紹介される様々な文筆用ソフトは役に立った。この文章もあらかじめWordflowyで概要を組み立ててから書かれている。


なぜその様に苦しみながら書くのだろう?と訝しく思えてくるほど苦しんでいる。職業にするほどなのだから、元は文章を書くのが好きだったのだろう。それがいつの頃からか苦行に変化する。それは文章を書く事を仕事にしたからだろうか?それとも別の理由があるのだろうか?

総じて、ものを作ることは、本質的には楽しい事だ。だが、楽しいだけの作業ではない事はよく理解出来る。より良いものを作り出したい。その思いが楽しい作業を苦行に変えるのだ。

子どもは喜んで、夢中になって絵を描く。だが、それを才能と勘違いした親が教室に通わせて、先生の指導の下に絵を描く様になると、純粋な喜びは失われる。絵を描く事を辞めてしまう子どもも多い。

それと同じ様に、自分の思いのまま書いていた文章が、読者のため、お金のためとなり、思うように書けなくなる瞬間がある。そこをどう突破するかが才能の分れ道なのだろうが、大抵の執筆者は書く事が苦しくなる。

この本はtwitterの書き込みをきっかけとして、4人の執筆者が集まり、書けない悩みを打ち明け合った「座談会その1」、それから2年が経過したのちに変化した執筆術を書き下ろした「執筆実践」、書き下ろされた原稿を読み合い熱論した「座談会その2」の全3部で構成されている。

挫折と苦しみ、断念、制約と諦め、悲惨な言葉が飛び交う。

この本に深みが出て来るのは「執筆実践」の辺りからだ。

互いに悩みを吐露し合う事で、悩み自体が相対化されるのか、執筆者はそれぞれ、別の仕方で次の次元に進んでいる。

だからだろうか。「座談会その2」は「快方と解放への執筆論」と題されている。執筆から離れるべきだという提案もなされる。執筆の執は我執の執だという名言付きでだ。

書くのであれば良い文章を書きたい。そうした執着が書く苦しみを産む。そうではなく、以前の書く楽しみを復活させたいのであれば、妙なプロ意識やエリート意識は捨て、執着から解放された場で文章を組み立てて行くべきなのだ。なんと言っても書かれなければそれは文章ではない。

「あとがき」で執筆者のひとり千葉雅也が書いているが、この本は、なかなか不思議な他に例がない本になっている。

ものをつくることの全てがここにあると言っても過言ではないと思う。これも同じ悩みを持つ者同士が寄ってたかって語り合った成果と言えるのではないだろうか?

ちゃんとしなければという強迫観念からの解放、生産的な意味でだらしなくなることを目指す

そうした境地に4人の執筆者は到達したのだと思う。

彼らは知らずして互いが互いに対して患者でありセラピストであるようなオープンダイヤローグを実践したのだと密かに思っている。

20211217

仲直りの理

 仲直りの理(ことわり)と言っても、仲直りのハウツー本ではない。では何が書いてあるのかと言うと、本書の結論は「はじめに」で簡潔にまとめられている。結論だけを知りたいのであれば「はじめに」だけを読めば足りる。それは

私たちの祖先でいざこざの後にすぐ仲直りできる者と、そうでない者がいたら、仲直りできる者の方が適応的だったので、私たちは仲直りする心の働きをもっている

と言う事だ。私たちは進化の途上で、仲直りする心の働きを獲得したと言う事だろう。


本書はこの結論を様々な実験結果やメタ分析を通して、実証して行く事を目的としている。結論は至って簡単。だがその実証はなかなかにして困難だ。本書を理解して行くのに、私はかなりの時間を必要とした。

それは本書が囚人のジレンマを始めとするゲーム理論や、様々な図表数式をふんだんに用いて書かれている為であり、学生時代から理系の教養を身につけておいて本当に良かったと、しみじみと感じさせられた。

進化とあるので、本書は最初にヒト以外の生き物の仲直りの実例を紹介する所から始まっている。その対象は霊長類は勿論の事、鳥類や魚類にも及んでいる。

この様に様々な生き物に仲直りの実例がある事から、筆者は仲直りの心の動きは収斂進化であると意味付けている。

心の働きも進化するのだ。

心の働きと言ってもそれは、煎じ詰めれば脳機能の事であり、そう考えれば進化して当然なのだが、改めてその事を指摘されると、私には少々意外な気がした。

その上で筆者は価値ある関係仮説や不確実性低減仮説など、様々な仮説を用いて仲直りの機能とメカニズムを説明して行く。

と言っても本書は各章末にまとめが付いており、更に本文で触れられた概念や理論を簡潔にまとめた8つのコラムから成り立っており、丁寧に読んでゆけば理解できる様に書かれている。

全ての場合に仲直りする事は報われる訳ではないが、大極的に見れば、赦しは理に叶っており、お人好しに見られるかもしれないが、赦す事は適応的である事が実証されているのは、何となく救われる思いだった。

この様に書くと仲直りは簡単な事に思えてくるが、それをいざ実行に移そうとすると、現実的にはかなり困難を伴う行動だ。だがそれ故に、常に赦しの姿勢を保っていようと言う気にさせてくれた。

本書を読む事は、充分に価値がある。

20211212

あまりに人間的なウイルス

勇んで図書館から借りて来たが、私はこの本をすぐには手に取らなかった。ジャン=リュック・ナンシーと言えば脱構築だ。私は恐れを抱いていたのだ。本気で格闘する気持ちでなければ、ジャン=リュック・ナンシーはおいそれと読解出来るものではない。その気分が高まるのを、じっと待ち続けていた。

けれどなかなか気持ちが上がって来ない。このままでは本棚に置いたは良いが、すぐにやって来る図書館の借り出し期限が切れてしまうのではないか?それも勿体無い。意を決して、本書ジャン=リュック・ナンシー『あまりに人間的なウイルス─COVID-19の哲学』に手を伸ばした。


読み始めて驚いた。何と!すらすら読めるではないか。どうやら脱構築の手法は用いていないようだ。若干拍子抜けもした。

調子付いてどしどし読み進めていた私は、ふと疑問を感じた。COVID-19のウイルスのどこが人間的なのだろうか?

その時はその答えが見つからなかった。私は分からずに読み進めていたのだ。

慌てて本書を再読する事にした。

改めて読んでみると、本書には、独特の難解さが充満している事が分かった。普通の文章で書かれている。だが、その意味する所を読解するのは、かなりの忍耐力が要る。例えば

他の多くの地域と比べてヨーロッパでは、躊躇、懐疑、かつての意味での強い精神が重きをなしているとも言いたくなるだろう。これは、推論する理性、自由思想家(リベルタン)の理性、絶対自由主義(リベルタール)の理性の遺産である。

とは、一体どういう意味なのだろうか?

注釈には

「強い精神(espit fort)」とは、現在では先入見や偏見から独立した判断を下す人のことを指すが、かつては「自由思想家」や「無信仰者」を指した。

とある。

フランス語には、意味が沢山あって難しい。

どうやら、「あまりに人間的な」とは、ニーチェの哲学が下敷きになっているらしい事は理解出来た。だが、そもそも私はニーチェも十分には理解していない。

私にはこの本を読むのに必要な、基礎的な学力に難があるようだ。

だが、今更それを言っていても仕方がないだろう。私は私の出来る範囲で理解してゆくしかない。そう覚悟を決めて、先に進む事が出来た。

要はCOVID-19を哲学的に述べるとどうなるかという問題圏と、今後COVID-19とどのように折り合って行けば良いのかという問題圏の要諦に「あまりに人間的な」ウイルスであるという質が重要になってくるという事なのだろう。

Kindleを開くと引用されていた『現代思想』2020.5月号があった。これも読んで理解を深めてゆこうと手ぐすね引いている。ここにはジョルジョ・アガンベンの論考もある。

いやはや。やはりジャン=リュック・ナンシーは一筋縄では行かない、手強い論客だ。

20211209

学術出版の来た道

超お勧め本。特に研究者には必読書と言えるだろう。勿論それ以外の方々にも勧めたい。


学生時代、学術出版には本当にお世話になった。特に学術論文の入手には、学術出版は欠かせない存在だった。

けれど、最近その学術出版に関して、妙な噂を耳にする事が多くなった。

本書は学術出版社と学術誌の辿ってきた歴史を見渡しつつ、現在のアカデミアの状況がなぜこうなってしまったのかが冷静に記述されている。

第4章までは学術書・学術論文の出版史が中心だが、第5章以降が出色だ。学術出版社の経営・学術誌ビジネスの変遷。オープンアクセスの光と影。インパクトファクターの功罪。学術誌包括契約(ビッグディール)。OAメガジャーナルなどの主要な問題点が網羅的に列挙されている。

こうして概要を眺めてみると、自分がいかに良い時代に研究生活をしていたのかがよく分かる。同時に私の生きた時代が、既に歴史になりつつあるのを感じて、一抹の寂しさを味わった。

長くは書きたくない。私は私の来し方を振り返りつつ、学術出版の現状をほろ苦く、しみじみと味わいっていたい。

20211207

自分の〈ことば〉をつくる

題名や媒体(ディスカバー携書だ)から想像していたより、遥かにハードで深い内容を持った本だった。


まえがきに

自分の〈ことば〉をつくるためには、自分の中にあることば(考えていること)をどのようにして自覚するかということと、そのことばをどのようにして他者に伝えることば(表現)にするかの二つがポイントとなります。

とある。この本に書かれていることは、これに尽きるだろう。だがこれだけでは何の事なのかさっぱり分からない。この本には以下この文章の意味するところが、微に入り細に入り説明されている。

初めの方でオリジナリティということが強調されている。何故かと言えば「考えること」(思考)と「表すこと」(表現)の両方がその人固有のものであり、それはその人にしかできないものであるからだ。本書の副題にある通り、「あなたにしか語れないことを表現する技術」が語られているのだ。そしてオリジナリティとは他者との関係の中に立ち現れてくるものであることが強調される。

オリジナリティは、はじめから「私」の中にはっきりと見えるかたちで存在するものではなく、他者とのやりとりのプロセスの中で少しずつ姿を見せ始め、自分と環境の間に浮遊する者として把握される

そしてこのオリジナリティがその人固有のテーマをつくると言う。

意外な事だったのはここで筆者が文章を「自分の好きなように書いて良い」と主張する事だ。

子どもの頃はそれで良かった。だが、その後高校、大学と進むにつれ、文章は好きなように書いていては駄目だと指導される事が多くなった。特にレポート、論文でそうした指導がなされる事が多かった。

だが筆者はその人固有のテーマはその人の「好き」から始まると言う。

この主張は私にとって大きな驚きだった。

ここで考えねばならないのは、筆者はオリジナリティというものが他者との関係の中にあると主張している事だ。

好きなように書くべきだという主張も、子どもの作文のように書けと言う意味ではあるまい。むしろ、問題意識を限りなく自分に近付け、どうしてその関心を抱くに至ったかの「なぜ」を明確化して行く事が、自分のテーマに辿り着く唯一の道であると言っているのだと解釈すべきなのだろう。

言い換えれば、文章を書くと言う行為は、そのものがコミュニケーションであり、相手と自分の主体性をきちんと確立した上で行わなければならない事であると言う事なのだろう。

今まで文章を書くに当たって、私は誰に向かって書いているのかを自覚せず、漫然とやり過ごしていた。それはもはやコミュニケーションの名に価しない。つまり問題は文章をコミュニケーションとして、表現によって他者を説得出来るかを自覚しながら書かねばならないと言う事になる。

言ってみれば従来の私の文章はヴィゴツキーの言う内言の連続であり、他者に伝えるべき外言になっていなかったのだ。

著者の言う様に表現は社会にアクセスするための切り口だろう。

本書を読む事によって、私は目から鱗が落ちる思いを何度も味わった。これから先、私は多少なりとも相手を意識して文章を編む事が出来る様になるだろうか?

20211204

噴火した!

画像がアップロード出来なくなってしまった。これは大変痛い。治るまで、ココログ『夏の行方』にも同じ文章を上げる事にする。今回の記事はココログ「噴火した!」に上げた。こちらには画像がある。

翌日5日確認したところ、画像のアップロードが出来る様になっていた。助かった。これらの顛末は記録の為残しておく事にした。

 荒巻重雄『噴火した!─火山の現場で考えたこと』。

キビキビとした、若々しい文章が並ぶ。とても91歳が書いたとは思えない。著者荒巻重雄さんは、「火砕流」という言葉の生みの親として知られている。60年以上に渡って、常に火山噴火の現場の最前線に居たという印象がある。本書はそうした荒牧さんが自らの火山人生を振り返って記した回顧録だ。記念碑的な著作だと言って良いだろう。


驚くのは遠い昔の話でも、その記憶が鮮明で正確な事だ。常に考えながら行動していたのだろう。

火山を研究するきっかけを問われると、特にきっかけはないと答えるらしい。中学・高校と気象クラブに入れ込んでいて、漠然と気象の方向に進むことを考えていたが、これからの気象学は観天望気ではなく数学と物理をみっちりやるつもりでなければならないと言われ、山歩きが好きなこともあって、東京大学の理学部地質学科を選んだと言う。

進路指導の教諭は適切な指導をしたと言えるだろう。

学部生だった1950〜51年に伊豆大島で噴火があった。荒牧さんも級友と共に現地に赴いた。そこで火山の魅力と恐ろしさを実感する。この時の体験が、荒牧さんが火山を研究するに至る大きなインパクトになったようだ。

だが、荒牧さんは自らの火山学の「ことはじめ」は大学院の時に行った浅間山の研究にあると言う。指導教官に勧められ、二つ返事で飛びついたらしい。当時、浅間山のデータは、圧倒的に足りていなかった。

その後久野久教授に勧められ、フルブライト留学生としてアメリカに渡り、実験岩石がくや巨大カルデラと出会う。

まだ日本では敗戦後の混乱が続き、国民の食生活も満足に行き届いていなかった頃だ。荒牧さんはペンシルバニア州立大学に籍を置き、世界最先端の研究に勤しむ。

その後ヨーロッパを巡り、世界の見聞を深める。

本書に納められた回顧録はどれも面白いが、第13章の伊豆大島1986年噴火と第14章の雲仙・普賢岳1991年噴火がとりわけ興味深かった。

荒牧さんにとっても、印象深い噴火だったと見えて、どちらも比較的長い記述になっている。

私にとっても痛恨の出来事だった雲仙普賢岳の1991年6月3日の火砕流による死傷者を出した被害は、荒牧さんにとっても悔いの残る出来事だったらしく、被害に遭われて生還した人たちの証言を生で引いて、詳細な記録を残している。

このように火山は非常に危険な存在でもあるが、同時にまた非常に魅力的な現象でもある。本書はその噴火の現場に身を置き続けた一火山学者の貴重な記録になっている。荒牧さんが語る火山は、どれも当事者でなければ書けない迫力に満ちている。

20211130

フェミニズムに出会って長生きしたくなった

 いきなり著者アルテイシアさん独特の言語感覚が炸裂する。

著者は自分をJJと呼ぶ。熟女の略だ。女子高生をJKと称するのなら、熟女をJJと呼んでも構わないだろう。だが、著者はそうした断り書きなしに、当然のように熟女をJJと略す。

他にも膝パーカッション(激しく同意の意)、エシディシ泣き(号泣)など、説明など不要だろうとばかりに、自由奔放な造語が飛び交う。


だが、言っている事に踏み外しはない。フェミニズムの粋を見事に捉え、強烈に自己主張する。読んでいて爽快な気分にさせてくれる。

20代でフェミニズムに出会い、怒るべき時には怒っていいのだと言う事に気づいたと言う。それまでは全てを自分のせいにして、肩身の狭い生き方をしていたらしい。

独親に育てられたと自己紹介している。それ故に、いつ死んでも構わないと、半分自暴自棄にもなっていたようだ。だがフェミニズムに出会い、愉快にJJライフを送るようになった。こうなれば生を楽しむしかない。長生きしたいと思うようになったのだ。

世間ではフェミニストというと、怖いおばさんの事だと思われているらしい。けれど、実際のフェミニストに触れてみると、自分は自分であって良いのだと気付いた女たちだと言う事に気付く。それだけの事なのだが、世間のフェミニストに対する風当たりは強い。女は黙って男の言うがままにしていれば良いのだという差別意識が、日本では未だに大手を振っているのだ。

なので勢い、女たちは怒る。怒ると余計風当たりが強くなる。男たちもじっくりと怒る女たちの言い分を聞いてみた方が良い。その方が両者のためになる。男たちも余計な男らしさの呪縛から解放された方が自由に生きることが出来るだろう。

この本を読んで、最も為になった事は、男にも出来る事があるという事に気付かせてくれた事だ。セクハラ・パワハラ(アルテイシアさんはこれをセパ両リーグと呼ぶ)に遭っている女がいたら、それをしている男にそれはセパ両リーグだと、さりげなく忠告してやれば良いのだ。

いじめをしている者にそれを傍観せず、いじめをやめるように言ってやる事と同じだ。子どもたちに勧める事を、大人もやれば良いのだ。それをactivebystanderと呼ぶらしい。

言うは易く行うは難い。いざとなったら自分にそれが出来るかどうか自信が今ひとつない。だが、心掛けることは出来る。男はどう生きて行けば良いのだろうかと、ただ悩んでいるだけより、余程いい。

著者アルテイシアさんの自由な言葉と生き方は、必ずやフェミニズムの裾野を広げる事だろう。無論、その裾野には男も含まれている。

20211125

災害特派員

 先日採り上げた『南三陸日記』と同じ、三浦英之記者による本。『南三陸日記』とは合わせ鏡のような内容になっている。

『南三陸日記』はジャーナリストとしての三浦英之の仕事であったのに対し、この『災害特派員』は三浦英之の個人的な手記である。


三浦英之には答える事が出来なかった問いがあった。

東京からバスで現地を訪れた小学生たちに

「どうしてこんなに多くの人が死んだのですか」と問われていたのだ。

この本は、その答えられなかった問いに対する答えとして存在している。

三浦英之は答える。

原因の一つはたぶん、メディアにあるのだと思う。

そして畳み掛けるように言う。

人を殺すのは「災害」ではない。いつだって「忘却」なのだ。

この姿勢が、彼がジャーナリストとして災害現場で深く刻まれた教訓になっているのだろう。

記者は、仕事を通じて、多くの人々と出逢って行く。ライバルであり、友人でもあるジャーナリストたち。尊敬出来る先輩。取材に応じてくれた現地の人々。そして記者はそれらの人々との出逢いを、逐一大切なものとして、抱き締めて行く。

手記はどこまでも記者の誠実さに貫かれている。だから読んでいて、思わず引き込まれるような迫力を感じざるを得ない。

この本を読み終えて、私はBlu-rayに録画しておいた、3.11以後のビデオを見返してみた。当時の記憶がまざまざと蘇って来た。同時に、当時この映像を見た時は、それを記録したジャーナリストの存在を気に留める事なく見ていた事に気が付いた。

どの映像、どの記事にも、それを伝えようとしたジャーナリストが居た。その存在は、ともすると表に現れる事なく終わってしまう。だが我々はそうしたジャーナリストの努力の上に、災害や戦争の記録を鑑賞する事が出来ているのだ。

そうした取材の現場では、ジャーナリストたちが命を落としたり、精神的に病んだりもしている。

私たちは安全な茶の間で、それらの仕事を鑑賞する。

思わず、いたたまれなくなって目を落とす。それではいけないと、再び前を向く。

この本は、取材現場に自らの前存在を賭けて臨んだ一ジャーナリストの貴重な記録だ。

20211123

南三陸日記

 2011年6月から2012年3月までの間に、朝日新聞全国版で、毎週火曜日に連載された記事をもとに書かれた本。1枚の写真と2ページの文章が交互に配置されている。

長らく東日本大震災からは、身を遠ざけて来た。何よりもショックが大きかったし、被害の規模の事を考えると、安易に触れることが憚られる気持ちもあった。

10年以上経った。もう禁を解いてもよかろうと、本書『南三陸日記』を図書館から借りて来た。


読んでいて、10年以上昔の記憶が、ありありと蘇って来るのには参った。まだ充分に傷は癒えていなかったようだ。

矛盾するようだが、東日本大震災を、直視できない自分もいる。心のどこかで、現実とは別の、東日本大震災がなかった10年があったような気もするのだ。逃避だろう。

南三陸町の事は、はっきりと記憶している。大震災の直後、大きな火災が発生した南三陸町の映像がTVに映されたからだ。

ジャーナリストというのは、つくづく因果な生業だと思う。

離れていても、大震災のショックは大きかった。三浦英之記者は敢えて南三陸町に居を構えて、そこから変わりゆく被災地の風景を、週1回報告する企画を実行する。

その精神的な負担は、いかばかりのものだっただろう。

画面一杯の瓦礫が広がっている写真から本書は始まる。

そうだった。あの当時、被災地はどこもこのような風景が広がっていたのだ。

大震災のちょうどその日に、婚姻届を提出しようとしていた夫婦もいる。夫は津波で亡くなってる。それでも結婚という形を続けようとしてる。二人の間に子どもが出来ていたからだ。

大震災が起きた、ちょうどその時間に産まれた子どももいる。

記者は丁寧に被災者と向き合い、報告を続けて行く。

本書は序章から始まり、序章で終わる。この報告は終わる事がない。ここから全てが始まっているのだ。

読み終わってからしばらくの間、私は何も出来ずにいた。頭の中では、報告の余韻が鳴り響いていた。並の迫力ではない。

三浦英之記者は良い仕事をした。私もそれに負けないように生きなければならない。

本書『南三陸日記』は私の記憶に深く刻まれる本になるだろう。

私も東日本大震災から旅立たねばならない。

20211120

時を刻む湖

日本国内より、海外の方が有名な場所がある。この若狭湾に臨む水月湖もそうした場所のひとつだろう。水月湖の湖底に堆積している地層は、世界の地質時代の標準時計として用いられているのだ。世界に誇るべき湖と言えるだろう。


本書には、その水月湖の堆積物の研究に携わって来た研究者自身の手によって、二十数年に渡る研究の一部始終がドラマチックに描かれている。

水月湖の湖底をサンプリングすると、縞模様の堆積物を得る事ができる。これは明暗色からなる地層が、1年に1枚ずつ堆積して出来た地層だ。その地層=年縞を数え、調べることによって、過去の地質時代の環境を年単位で知る事が出来る。一言で言ってしまえばそう言う事になる。だが、それを実行する事は、それ程安易な作業ではない。その事が本書を読む事によって理解出来る。

何しろ連続的なサンプルを得る事自体が難しい事なのだ。

ボーリングを行っても、そのサンプルにはどうしても欠落が出る。研究者たちは、複数のボーリングデータを対比する事によって、その欠落を補った。

対比はどうやって行うのか?堆積物の顔付きを、丹念に比較して、同定して行くしかない。これは言葉で言うと簡単だが、それ程安易に出来る事ではない。

しかもその地層の枚数が半端ではない。研究者たちはそうした地道な、そして難しい作業を7万枚の地層に対して行った。これを快挙と呼ばずして何と言ったら良いのだろうか?

7万年の連続したデータが得られるのだ。そしてその誤差30年前後。通常この程度の年数のデータには数千年の誤差が付き纏う。それを考えると、水月湖で行われた研究の誤差は、極めて正確なデータである事が分かる。

未知の出土品がいつの時代によるものかを知る手段のひとつが放射性炭素年代測定である。これは生物の体に含まれ、時間の経過と共に一定のペースで量が減少する放射性炭素の残量を測定し、年代を逆算して行く手法だ。

しかし、この放射性炭素年代測定法では時代によって数百年から数千年のズレがあるのが悩みだった。生物の体に含まれる放射性炭素は、元は大気中の放射性炭素を取り込んだものなのだが、時代によって待機中に含まれる放射性炭素(炭素14)の量にバラつきがある為、全く同じ生物でも時代によって体に含まれる放射性炭素の量が異なるからだ。

このズレを補正する為には、年代ごとの正確な放射性炭素の量がきっちりと整った「ものさし」が必要になる。

この「ものさし」となるのが年縞なのだ。

新しい科学の誕生期には、少なくとも3人ほどの、同じ発想を持つ研究者がいるものだ。

水月湖の研究者にもそうしたライバルがいた。ベネズエラのカリアコ海盆を研究していたコンラッド・ヒューエンがそのライバルだった。

水月湖とカリアコ海盆とでは、どちらに軍配が上がるのか?

当初、カリアコ海盆から得られた気候変動のデータによって、カリアコ海盆の研究の方が優れているという評価が与えられた。水月湖のチームは深い挫折を味わったのだ。

しかしチームはそこで諦めなかった。

1mmの欠落もなく年縞を数え、1200枚の葉を拾い上げ、丹念な研究を積み重ねる事によって、初期の不利を克服して行く。

そうして水月湖の年縞が考古学や地質学における「世界標準のものさし」として、君臨するに至る過程は、まさにドラマチックと言うしかない。

是非本書を手に取り、そして水月湖畔にある年縞博物館を訪れて欲しい。必ず深い感動を味わう事が出来るだろう。それは約束しても良い。

20211118

自然を名づける

椅子に坐っていると、部屋の窓からは銀杏の樹が2本見える。私はそれが銀杏という名である事を知っている。更に、その学名がGinkgo bilobaである事も、先程知った。

もし、名を知らない植物なり動物なりが見えたら、私はその名を知りたいと思うだろう。

人は、本能的に生物の分類をしようとする。この本『自然を名づける─なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』の著者はその直感を環世界センスと呼んだ。


環世界とはドイツの生物学者であり哲学者でもあったユクスキュルの唱えた概念で、全ての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、全ての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界であるというものだ。著者は言う

自然の秩序に対する類型的な見方をもたらしているのは、この環世界センスだということに私は気づいたのである。ハーバード大学の生物学者E.O.ウィルソンが提唱した「生命愛(バイオフィリア)」が生物に惹かれる理由だとしたら、おそらく「環世界センス」が─その特殊性、強さ、弱さ、その他あらゆる特徴を含めて─、人間が自然界に秩序を見出す理由なのだろう。

しかし科学としての分類学の歴史は別の意味を持つことになる。すなわち分類学の歴史は、その誕生から今日に至る迄、人間の環世界センスとの200年に及ぶ戦いの歴史だったのだ。

その実例として著者は第1章で「科学者は魚類という群の実在性を否定する」という挑戦状をいきなり叩き付ける。著者はこの一見奇妙に見える問いに、本書を書くことによって答えようと努める。

始まりはカール・リンネである。若き天才的な植物学者として人生のスタートを切ったリンネは、二名法を編み出し、リンネ階層分類と呼ばれる分類体系を定めた。1735年、28歳のリンネは『自然の体系』を刊行した。僅か14ページのこの「聖書」から、分類学は産声を上げたのだ。この時代の分類学は、自然の秩序を五感で捉え、視覚化する作業に他ならなかった。分類学は環世界センスを用いて行うものだった。

次の主役はチャールズ・ダーウィンである。リンネから100年後、ダーウィンはフジツボの研究に取り掛かる。悪戦苦闘すること8年、馬車に乗っていたダーウィンにひらめきが訪れる。リンネの秩序は、進化の樹の単なる影に過ぎない。こうして分類学は、全生物の系統(進化上の繋がり)を学ぶ科学になったのだ。

ダーウィンの後、進化分類学者、数量分類学者(直感的な観察よりコンピュータを用いて、形質データを定量化して計算し、樹形図を作成する)、そして分子分類学者が次々と登場する。その内部で、統合主義者と細分主義者の対立もあった。

分子分類学者カール・ウーズはRNAの分析によって、リンネの界(動物界や植物界などの最上の階層)の上に「細菌」「古細菌」「真核生物」という3つのドメインを発見してしまったのである。

分類学の(現時点における)最終的な革命は、ヴィリ・ヘニックというドイツの昆虫学者によって果たされた。ヘニックは「共有された進化的派生形質」のみを手掛かりにして、近縁生物群を構築しようとした。ここに分岐学者が誕生したのである。つまり「子孫全てを含む分類群にだけ名前を付ければいい」。樹形図は生命史のみを反映する。こうして魚類が消え去った。ダーウィン進化論の必然的な帰結はヘニックによって完成されたのだ。

分類学と環世界センスとは、真っ向から対立するものとなった。

生物の研究は捕虫網を携えて野山を歩くアマチュア学者の時代は終わり、生物の研究は、助成金を得たハイテクの実験室で行われるようになった。生物学は、莫大な資金と大量の人材に支えられる巨大科学になったのだ。

しかし著者は環世界センスを安易に捨て去らない。人間は環世界センスから逃れることは出来ない。それは脳の問題でもあるからだ。そうであるならば、直感と科学とは共存出来るはずである。二者択一の問題ではないのだ。

著者の結論は、シンプルで深いメッセージ性を有している。

生物界は死の淵に立たされている。人間のせいで種が絶滅していく速さは100倍から1000倍になった。しかしまだ手遅れではない。私たちの環世界センスを蘇らせ、それを自由に発現させることによって、私たちは、生き物の世界に近づく一歩を踏み出すことができる。

自然を名づけることは、自然に近づくことなのだ。そして世界の生き物の多様性を救うことは、学者だけの仕事ではないのだ。

20211109

嘘と政治

 2016年、オックスフォード辞典は「ワード・オブ・ザ・イヤー」として「ポスト真実(トゥルース)」を選んだ。これは「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があるような状況」を指すと定義されている。

真実より嘘の方が力を持っているというのである。

この背景にはEU離脱(プレクジェット)が決定された英国の国民投票と、ドナルド・トランプが当選した米国の大統領選挙がある。

英国独立党およびトランプ陣営は、多くの「嘘」と差別的発言を含む扇動的な演説を繰り返した。それは投票以前から多くのメディアによって指摘されていたが、勝利したのは「嘘」をついていた側だった。

この事は世界中に大きな衝撃を与えた。


何が起きているのだろうか?

著者はそれを解明するにあたって、ハンナ・アーレントの「政治における嘘」論を手掛かりに論考を進める。

アーレントは「政治における嘘」がそれ自体悪であるとは考えない。政治には一定の「嘘」や「機密」が付き物であり、完全にクリーンで「誠実」な政治などというものはあり得ないというのだ。

ただし、アーレントは警鐘を慣らしている。

現代的な「政治的における嘘」には、伝統的な「政治における嘘」にはなかった危険な側面があるというのだ。

伝統的な嘘と現代の嘘との違いは、隠蔽することと破壊することの違いにほぼ等しい

伝統的な嘘は為政者が真実を隠蔽するというかたちで行われるものであって、その嘘は「敵に向けられており、敵のみを欺こうと意図していた」。それに対し現代的な嘘は、それが敵に向けられるのではなく、自国民及び自分自身に向けられるという点にある。

言い換えると、嘘を語るものが成功すればするほど、それだけ彼は自分自身の作り話の犠牲になるように思われる。(…)自らも欺かれている場合のみ、真実に似たものが作り出されるのである。

アーレントが言うところの「大衆」は、複雑性や偶然性をはらむ現実よりも、首尾一貫した虚構を愛する。

実際、ネット右翼や歴史修正主義者の語る世界観は、驚くほど「首尾一貫」している。彼らにとって不都合な事実はすべて消去され、都合の良い事実が次々と捏造される。

マルクス主義を始めとする左翼はどうだったか?やはり驚くほど「首尾一貫」していたではないか。

そしてアーレントによれば、このように事実と虚構の区別が取り払われた社会状況においてこそ、全体主義が出現しやすい土壌が整えられる。

「政治的に優位に立つために嘘をつくのは大昔からあること」だが「変わったのは、かつて政治家はそれがバレるのを恐れていたこと」である。「ところが、政治家はついに気付いてしまった。ひたすら同じことを繰り返していけば、それが真実であろうとなかろうと、大衆は信じるようになるのだ、と。そして民主政治においては、多数者の信じることの方が事実よりはるかに重要だ。そのため多くの政治家は、真実を語るふりをすることすらやめてしまった。(ヒース2014)

例えその嘘がバレても全く恥入った態度を見せないこと、これが「現代的な嘘つき」の特徴である。

インターネットメディアの登場がそれに拍車をかける。SNSが政治的にも大きな影響力を持つようになった現代においては、正確な事実検証に基づく実直な政治的言明よりも、事実の正確性を犠牲にしてでも人々の感情を揺さぶる扇動的な政治的主張の方が、多くの注目を集める。

しかしアーレントは決してポスト真実主義者ではない。「真理と政治」の末尾で彼女は

真理はわれわれが立つ大地であり、われわれの上に広がる天空である

と宣言している。

ところがアーレントは驚くべきことに「活動」と「嘘」を親和的に論じてもいる。「嘘をつく能力」と「活動する能力」には密接な関連があり、両者は想像力という共通の源泉を持っている。そして「嘘をつくこと」は時に新たな「始まり」をもたらすことに繋がりうると主張しているのだ。

おそらくここで言われている「嘘をつく能力」とは、一般的に言えば、現実と異なる世界=虚構(フィクション)を構想する力と近いものであろう。

「活動」によってなにか新しいことを始めるためには「以前からあったものが取り除かれるか、壊されなければなら」ず、「さまざまな事物が今現にあるのとは異なるものであるかもしれないことを想像すること」が出来なければならない。現在とは異なる「別の世界」を想像(構想)し、それに向けて世界を変えていかなければならない。「嘘をつく能力」と「活動する能力」が相互に関連し、「想像力」と言う共通の源泉を持っているとアーレントが述べるのはそのような意味においてである。


2020年1月28日の衆議院予算委員会で、「桜を見る会」問題に関する質疑応答において、安倍首相(当時)が「募って入るが、募集はしていない」と答弁したことが物議を醸した。この発言の真の問題は、それが首相の愚かさを示していることよりも、むしろこうした矛盾した無意味な発言がなされることによって、言葉の機能それ自体が麻痺させられる効果を持ってしまうことの方にある。

首相及び閣僚が不誠実な答弁を繰り返すことによって作り上げて来たのは、言葉による議論そのものがほとんど意味を失ってしまうと言う状態だった。

アーレントが「活動」において「複数性」と「自発性」を重視する背景には、彼女が全力で批判した全体主義が、まさにこの「複数性」と「自発性」を廃棄し、それを「同一性」と「必然性」に置き替えようとする運動だったと言う事情がある。

「暴力は言論の終わるところに始まる」のであり、言論の能力を奪うことは「洗脳」にもつながっていきやすい。


ここ数十年のインターネットの普及とともに知られるようになった「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」と呼ばれる現象がある。

「エコーチェンバー現象」とは、近しい意見を持つ者同士がSNSなどで同質的なコミュニケーションを繰り返すことによって、特定の信念が増幅、または強化される現象を指す。

「フィルターバブル現象」とは、ウェブサイトのフィルター機能によって、各ユーザがまるで「泡(バブル)」に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなる現象を指す

こうしたエコーチェンバー現象やフィルターバブル現象によって、人々の間で「分断化」及び「分極化」が進んでいるという警告を発しているのがキャス・サンスティーンである。サンスティーンは考えや思想を同じくする人々がインターネット上で強力に結び付いた結果、異なる意見を一切排除した、閉鎖的で過激なコミュニティを形成する現象を「サイバーカスケード(集団極性化)と呼んでいる。

こうした苦境と対峙するにあたってサンスティーンが着目しているのは、公共空間(パブリック・フォーラム)の役割である。

公共空間は

(1)演説者がさまざまな人々に接近する機会を提供する

(2)批判対象となる人々や機関への接近を可能にする

(3)多様な人々が多様な意見に広く触れる可能性を高める

と言う意味を有している。

例えば、親トランプ派の人々の間ではトランプ政権に肯定的な情報とトランプ批判者に否定的な情報ばかりが入ってくる。反トランプ派の人々の間ではそれと正反対の事が起こる。それによって両者の間の心理的な距離はますます広がってしまう。まともな議論が出来なくなる。アーレント流に言えば「共通世界」が成立し得ないために「活動」もまた成り立たないのだ。

これに対して、公共空間は物理的に多くの人々に共有される空間であるために、好むと好まざるとにかかわらず、多様な意見や価値観を持つ人々と偶然的に出会うことを可能にする。

現代人の間で共通世界が失われてゆく現象を、アーレントは「世界疎外world alienation」と呼び、それが近代という時代を象徴する現象なのだと彼女は考えていた。

インターネット、その中でも特に発展を見せるSNSは、まさに「社会的なもの」の極致である。そこでは公的領域と私的領域の区別がなくなり、物の実在性(リアリティ)がなくなり、あらゆるものが極めて流動的かつ画一的になる。一見多様な意見や活発な議論が飛び交っているかのように見えるが、そのほとんどは記憶されず、数週間も経てば跡形もなくなく消えてしまう。ただ日々タイムラインが流れてゆくだけである。こうした「社会的なもの」の拡張が「共通世界の喪失」を後押ししているのだ。

人々が同一の対象に関わり、それを複数の視点から見ているという感覚を共有できる時にだけ、我々は世界に対するリアリティを感じる事ができる。

現代人はひとつの真理をめぐって異なる解釈を闘い合わせているのではない。むしろ現代人はそれぞれの政治的立場によって別々の世界を生きており、その別々の世界同士が争い合っているのだ。

アーレントにとって公共的な政治とは、我々が「世界」を共有した上で、その「世界」について複数の視点から語り合うことを意味した。ここには、同じ世界を共有すること(共通性)とそれをめぐる多様な意見を交換すること(複数性)と言う二つの要素が含まれている。

こうした状況を打破するためには、まず議論の土台となる「共通世界」の再構築が必要なのではないか、その際に物質的な「公共物」の役割が重要になってくるのではないか。そう著者は提案する。

また著者はアーレントが重視する「活動」の他に、「仕事」を再評価する必要があると提案する。

「仕事」によって創り出された「世界」はそれが「語り合いの対象」となった場合にのみ「人間的」なものとなるのであり、そうでなければ「非人間的」なものにとどまるとアーレントは「暗い時代の人間性」の中で述べている。

意見の異なる者同士、とりわけ政治的主張の異なる者同士で対話するのは決して容易なことではないだろう。複数性の重視と言えば聞こえは良いが、実際にそれを実践するのは大変なことである。

それでもなお、意見の異なる者の間での対話の場を創ろうとする努力は重要である。その際、ソクラテスがそうしたように、対話の術に優れた者が人々の間を繋ぐ〈媒介者〉となって、人間関係の網の目を紡ぎ出し、非物質的な「介在物in-between」を創り出す事が一つの契機となるのかもしれない。

本書を通読して私はようやく目の前で起こっている物事がどのような意味を持つ物事なのかを知ることが出来た。そして、その隘路から抜け出すにはどうしたら良いのかも、薄らと感じ取る事が出来たように思える。充実した読書体験になった。

20211104

ぜんぶ運命だったんかい

なぜこんなに苦しいのだろう?

読み始めに降りて来た感想はそうしたものだった。

そこには念願の広告会社に入社し、溌剌と働く充実した成功物語が語られている。だが、なぜかその一挙手一投足が苦しいものに感じられてならないのだ。


小さい頃から努力だけは得意だったと著者は言う。

受験・部活・就活も努力すれば、目標以上の結果を出して両親や先生の期待に応えてきました。

そんな著者にとって、名の通った広告会社への就職とそこでの成功は、疑いもなく、得意な努力の成果であり、ステイタスである筈。どんなに有頂天になっても許されるし、その資格があると思うのだが、著者はそこでも頑張ってしまい、謙る。

どうして努力する事が出来ないのだろう?それが私の最大の悩みだった。ここぞと言う時に頑張れない。なのでちっとも成果は出せないし、ステイタスも上がらない。

そんな私から見ると笛美さんは疑いもない成功者であり、憧れだ。だが読み進めてゆくうちに

仕事が充実していくにつれ、プライベートはどんどん空白になっていきました。

などの記述が目に留まるようになった。

上には上がある。一旦成功の階段を登り始めた者は余程の事がなければその階段から降りる事は許されず、更に上の段階、さらに上を要求され続けるもののようだ。本を読んでいる時、頻繁に出会うこのような「成功者の悩み」にまた付き合わされるのかと、一瞬少しうんざりした。

しかし、その後に語られる結婚にまつわる著者の「努力」の記述辺りから、単なる「持てる者の悩み」では語り切れない色彩を帯びて来る。

男の30代は働き盛りと言われる。それに対し、女の30代は産業廃棄物とすら言われる。そうした現実がある。女は何よりも子どもを産んでナンボの評価基準がガンとして世の中に居座っているのだ。著者は働きに働き、その上結婚でも努力を重ねようとする。28歳で30万円を支払って結婚相談所に登録したのだ。そして、「農家の嫁」になる覚悟まで固める。

子どもが出来ないかも知れない。その不安は、ついに子どもを持つことのなかった私にも他人事でなく、よく分かる。進化論の本などを読んでいると、科学的事実であるかのように、生物はより良い子孫を残す事に意味があると書いてある。私たちは子どもの頃から結婚し、子孫を残せというプレッシャーの下に育てられている。女だったらどうだろうか?そのプレッシャーは、男の私には想像もできない程大きなものだろう。30過ぎたら卵子は老化するなどと言う、怪しげな「科学的事実」もそれに拍車をかける。

やがて著者は「生きていてごめんなさい」という声なき声を聞くようになる。

やばい!かなりやばい!!

そうした著者が選んだ道は、F国への長期滞在だった。

この選択は正解だったと思う。本の内容もこの辺りから、煽られ、追い詰められ続けるような記述が緩み、楽なものに変化して行く。

F国は日本よりはるかに男女平等に近いと言われる国だった。ここで著者は重大な出逢いを経験する。フェミニズムとの出逢いである。

まず著者はF国の、日本とは余に異なる暮らしぶりに出逢い驚く。F国の暮らしは日本に比べ、遥かに人間らしいのだ。そしてジェンダーに敏感なのは女性だけではなく、男性もであることに気付く。

著者にとって、フェミニストやフェミニズムといったものは、世にも恐ろしいイメージで、それこそ結婚出来ない怖い女の代名詞といったものだった。けれど実際に出会うフェミニストたちは怖いイメージはなく、どこにでもいるただの女の人なのだ。そして、むしろ著者の肩を持とうとしてくれている事に気付く。

そして理解する。

バブルが崩壊し、夫だけの収入では家計が苦しくなったことで、既婚女性も働きに出るようになった。けれど夫が稼いでくれることを前提に、非正規女性の賃金は低く抑えられたままだった。リーマンショック(2008年)の影響で、既婚女性から未婚女性まで非正規が拡大した上、派遣法改正(2015年)では、非正規で働く人たちの雇用が3年と決められ、女性の雇用は更に不安定になった。リスクを負うのは女性だけではなく、男性も総合職の働き方によって過労による自殺や家庭崩壊などの深刻なリスクを抱えている。「男は外で働き、女は家庭を守る」という性別役割分担は、男性にも女性にも大きな負担を与えながら、時代が変わってもずっと温存されて来たのだ。

著者の陥っていた苦悩は、個人的な選択や努力の結果ではなく、世の中の政治・経済の要請によって造られたものだったのだ。

著者は叫ぶ

…ぜんぶ運命だったんかい。

著者の運命は社会の構造の上に敷かれたものだったのだ。

著者の気付きの刃は、男性に向けられもする。

ああ、「普通の日本人男性」よ…。

のび太のお風呂のぞきシーンを見て育ち、ラッキースケベを描いた少年漫画を読み、ナンパ術をモテの教科書にし、AVや違法にアップされたポルノ動画でセックスを学んで、HENTAIを世界に誇れる日本のカルチャーとして喝采している男性。それが私の友達や同僚や上司、そして未来の恋人や夫なのだろうか?

世界でも有数の男女格差の国で、政治も経済でもおじさんが支配しているこの社会で、男性は本当に幸せなんだろうか?

その頃から本書には同じ言葉が繰り返し現れるようになる

「見える」と「気付く」はこんなに違うのか。

著者はフェミニズムからの気付きを通して社会を見詰め、より「見える」ようになったのだろう。

けれど、著者は「普通の人」としての感性を完全に捨て去った訳ではない。安倍首相を校長先生のように優しいおじさんと見、twitterで安倍やめろ!と書いた後、激しく後悔する感性はずっと持ち続けたようだ。

そして著者に大きな転機が訪れる。twitterのハッシュタグで#検察庁法改正案に抗議しますと打ったところ、それがバズってしまい、僅か3日間弱で470万ツイートにまで膨れ上がったのだ。それはやがて新聞の一面を飾り、「#検察庁法改正案に抗議します」国会前デモが写真付きで採りあげられるようになる。著者は自分でも予想しないうちに賛成派、反対派の両方から注目される存在になったのだ。このハッシュタグは2020年のTwitterトレンド大賞の2位を獲得するまでになる。

たった一人の普通のお嬢さんが発したハッシュタグは、国会で検察庁法改正案の審議を止めるまでの影響力を持った。

私は心秘かに思うのだ。

著者は普通の人の感性を持ってはいるが、疑いもなくひとりのエリートで、#検察庁法改正案に抗議しますのハッシュタグは、狙ったものではないが、疑いもなくひとつの成功物語となったのではないか?

もっと言えば、ハッシュタグの成功がなかったらこの本は書かれたのだろうか?

私としては、ハッシュタグがなくても、著者がフェミニズムに目覚め、社会の歪みに気付くことそれだけでも、充分価値のある本になったと思う。

むしろハッシュタグ事件は、ひとつの成功物語から別の成功物語へジャンプしただけのものになってしまったのではないか?

とは言え、著者のもうひとつの成功には心からおめでとうを言わせてもらいたい。ただ、どうしようもなく寂しいのだ。

20211101

批評の教室

贅沢な時間を過ごすことが出来た。

本書は批評をするにあたって必要な心構えからテクニックまで、筆者が心掛けていることを、惜しげもなく開陳している。それを思う存分味わう事ができるのだ。こんな贅沢は普通許されるものではない。


最初にチョウのように舞い、ハチのように刺すというモハメド・アリの決め台詞の引用から始まる。これは本書の副題にも、チョウのように読み、ハチのように書くと若干の変更を伴って使われている。本来の台詞は

I’m gonna float like a butterfly, and sting like a bee.

と言うものでソニー・リストンとの対戦の時に初めて披露されたものらしい。

筆者はこの一節は芸術作品に触れる時の心構えとして当てはまると言う。批評というと、ひとつのテクストに根が生えたように沈み込み、真面目に取り組んで…というイメージがあるようだが、筆者のイメージでは、ある作品に触れたらその作品に関連するいろんなものに飛び移って背景を調べたり、比較することにより、作品自体について深く知ることができると言うのだ。

軽いフットワークで作品の背景を理解したら、次は鋭く突っ込まないとならない。作品を批評しながら楽しむためには何か一箇所、突っ込むポイントを決めてそこを刺すのがやり易い方法だと言う。

これだけでも、私の本の読み方を根底から覆す、重要なサジェスチョンだった。

以後、各節にひとつずつ気の利いたエピグラフを引きながら、批評の教室が展開されて行く。

筆者は、芸術作品の鑑賞というのはストーキングが許され、むしろ評価される唯一の場だと言う。なぜなら芸術作品というのは現実の世界とは異なり、あらかじめ受けてによって探索され、理解されるためのものとして作られているからだ。

第一章の精読するを読んで、私はある程度精読には自信があったのだが、それが入門のレベルにも届いていない事をじっくりと味わわされた。

批評家は探偵で、テクストは犯罪現場だと言う。探偵は虫眼鏡などを使って、犯行現場の細かいところまでチェックして、複数の手がかりを有機的に結び付けて他の人が見逃していた事実を発見するのだ。シャーロック・ホームズ並みの観察眼と注意力が必要だ。

作品を精読したら次にする事は分析だ。

著者は批評理論とは、作品の読み解きと言うゲームの勝ち方を探す戦略の理論だと言う。作品をゲームと考え、ゴールはそれを面白く分析する事なのだ。

そして、そのゲームのために行うべき幾つかの作業を示唆する。それは

・タイムラインに起こしてみる。

・とりあえず図に描いてみる。

・価値づけする。

といったものだ。

私は今まで漫然と本に目を通しているだけで、精読も分析もして来なかったのだと言う事実を、思う存分思い知らされた。

例えば『トップガン』と『アナと雪の女王』は似ても似つかない話に見えるが、要素に分解して骨子だけを取り出すと、前者の主人公であるマーヴェリックことピートと、後者のヒロインのひとりであるエルサが経験する物語は結構似ていると言う。

このようなことは考えても見なかった。

続いて評論を書くに当たって、必要な事柄が述べられる。

筆者は、批評を書けるようになりたいのであれば、自由にのびのび考えて書いてはならないと指摘する。何の訓練もせずに文を書いたり、絵を描いたりすると、今まで自分が身につけた思考の型から抜け出せない割に技術が伴っていないので、他の人と似たり寄ったりの凡庸なものができてしまうのが普通だからだ。

そして、批評を書く時の覚悟として大事なのは、人に好かれたいという気持ちを捨てることだと言う。批評というのは作品を褒めることではなく、批判的に分析することだからだ。良いところはなぜ良いのか考え、問題があればそれを直視してなぜダメなのかを考えるのが批評であり、それを通して作品の価値や問題点が明らかになる。

本書を読んでみて、私としては、参考になったと言うより、打ちのめされたと言った方が的確なところだと思う。

何よりも、本書で採り上げられている作品で、映画やアニメは私は観たこともないものがかなりあった。これでは本書を理解し尽くすことすら出来はしない。

自分が今まで書いて来た書評がなぜダメだったかが、ここには書いてある。この書評も、プロの目からすれば、全く批判的ではなく、不合格と言われてしまうだろう。

20211029

鳥類のデザイン

美しい本である。本書は「鳥類の総論」と「鳥類の各論」の2部構成となっており、それぞれに、見事なスケッチと生態、機能、そして進化に関するよく纏まった記載とが書かれている。


スケッチは主に、鉛筆で描かれた、単色のもので占められている。目の記載をしてあるページの扉はカラーで描かれているが、それも金泥と瑠璃色で描かれたスケッチに抑えられており、総天然色ではない。増して羽毛で飾られた鳥の絵は1枚もない。それでもこの本を読み進めている間に、何度もそれらのスケッチに見入ってしまったほど、美しいのだ。

もし、空を飛べるとしたら、どう生きるか?その答えは、鳥たちの嘴や足の形、翼の曲線に表れている。

飛ぶことは、鳥類のボディプランに厳しい制約を課している。羽ばたきの負荷に耐えうる堅牢な胴体。その可動性の小ささを補う長く柔軟な首。後肢のみで立つための姿勢。基本的なデザインは驚くほど一貫している。

しかし、その一方で、飛行能力によって驚くほど多様なライフスタイルへの可能性が開かれ、そして、それぞれの生態に応じた、1万種ものデザインが生まれた。

例えば森林での機動性を重視する者、長時間の飛翔やホバリングを得意とする者、暗視能力や聴力を磨いて夜間に行動する者など、鳥類は世界中のニッチに進出している。そして中には飛行能力を捨てた者もいる。

著者は 25年をかけて鳥の死骸を集め、骨格にし、ポーズを取らせてその機能美を見事に描き出した。

本書は、羽の下に隠された驚くべき進化の多様性を、拓跋したイラストと写実的な解説文で示している。

著者は最初の謝辞で、

この本の製作過程では、1羽の鳥も傷つけたり殺したりしていないことを述べておきたい。

と書いている。

著者がこの美しい本に対し、最も自慢したいのは、むしろそこにあるのではないかと感じさせられた。

20211025

生きるためのフェミニズム

実直な研究者なのだろう。その人柄が文章から溢れ出ている。

著者は言う。

私たちはみな、資本主義という恒常的な災害の被災者である。

資本主義は、単なる経済体制だけではなく、一つの災害なのだ。


副題にあるパンとバラは1912年ローレンスで行われた移民労働者による大規模ストライキ「パンとバラのストライキ」から採られている。なぜそのように呼ばれるようになったかについては諸説あるようだが、ストライキに参加していた女性が掲げていたプラカードのメッセージ「パンをよこせ、バラもよこせ!(We want bread and roses, too!)に由来すると言われる事が多い。パンは生きて行くために必要な「生活の糧」を指し、バラは「尊厳」を指している。言葉も通じない中、過酷な労働条件で働かされていた移民労働者にとっては、単に「食っていける」ことだけではなく、「尊厳」を損なわずに働き、生きることもまた、重要な要求だったのだ。

このストライキの模様は、常に労働者や移民の暮しに光を当てて作品作りをしてきた画家、Ralph Fasanellaによっても描かれている。


そこには、ストライカーたちを取り締まるために整列している警官や民兵が退屈な単色で描かれている。対照的に抗議のために広場に出てきた労働者は、今にも歌い、踊り出しそうなほど活き活きとカラフルに描かれており、様々な出自をもつ移民労働者たちの交差が美しく表現されている。

本書はIパンとバラのフェミニズム、II個人的なことは政治的なこと、IIIジェントリフィケーションと交差性の3部に大きく分けられており、それぞれが短い章立てで構成されているため、とても読み易い作りになっている。

どの文章も生きて行くために重要な概念が、幾つも言語化されており、読み応えがあるが、著者の本領が発揮されているのはII部とIII部だろう。そこからは、著者の息遣いが直接伝わってくるような迫力が感じられる。

I部ではCOVID-19のパンデミックに触れている。

著者はこのパンデミックを

この数十年の間、やはり世界中に蔓延してきたネオリベラリズムの滑稽さ・くだらなさ/欺瞞(ブルシット)であった。

と総括する。

パンデミックと見做される水準に到達するほどに感染が拡大し、多くの国が医療崩壊の危機を迎え、2021年6月末時点で400万人近くの死者を生んでしまったのもまた、ネオリベラルな資本主義がこの数十年の間に医療やケア、公衆衛生(コモンズ)の仕組みを破壊し、切り詰めて来たことの帰結である。私たちが実際に直面している「危機」はCOVID-19によるものというよりは、元来グローバル資本主義ないしネオリベラリズムという災厄によるものである。

紙が好きだ。それを束ねた本はもっと。

という筆者は、16歳になって一人暮らしを始めた横浜で、ニーチェと路上生活者とに出会う。それが著者の人生を決定付けた。

彼ら(路上生活者)には何もなかった、まともなシゴトもカネも安らげる家もあらゆるものを奪われて(あるいは、ときに自ら捨てて)路上を生きている。しかしそれは「失うものが何もない」という無産者固有の「強さ」を生み出してもいた。今思えば、私が路上に通い続けていたのは、そうした「強さ」に魅かれていたからだと思う。

しかし、大学院で「ホームレス調査」に参加し、ホームレスへの聞き取り/インタビューを通して彼らの生活実態や福祉制度との関わり等を明らかにしようとする。著者自身もいつくかの聞き取りを行なった。けれども、調査の報告書で筆者が執筆を担当したのはそこで聞き取った「ホームレス」の「声」の「分析」ではなく、地域に暮らす「市民」から行政に寄せられた「ホームレス」に関する「声」の分析だった。ある「市民」の「声」が、「ホームレス」は「市民」なのか?という問いに対する端的な答えを与えてくれていた。─「ホームレスのせいで市民は危険に晒されている」。この「声」から読み取れることは二つある。一つはホームレスは市民ではないということ。そしてもう一つは、ホームレスは単に市民でないばかりでなく、市民を「危険に晒す」ような敵対的な存在、すなわち「脅威」として認識されているということである。

筆者にとって、聞き取った「声」を基に論文を書くということの困難は、なによりもまず、筆者自身が路上に「通って」いただけで、そこに暮らしていた訳ではない、という事実に由来する。

筆者はそんな人間が路上で暮らす人たちに「ついて」書くこと等できるわけがないと述懐する。

研究者は、いかにももっともらしい「調査」を通して、ただ自分が聞きたい「声」を「聞く」のみである。そうして、「調査」を立ち上げカネ(研究費)をとり、それを自分たちの「業績」にしていくという行為が、彼らの存在と、その「声」を「業績」のために消費しているようで、あさましく感じられたという。

筆者にとって、彼らについて「書く」ということは、筆者と路上の友人との間に「書く」者と「書かれる」者との非対称性をはっきりと生じさせるだけでなく、彼らを物理的に「殴る」ことと同等の暴力であり、とても受け入れられなかった。

筆者はIII部でジェントリフィケーションに言及する。

ジェントリフィケーションとは1964年にイギリスの社会学者ルース・グラスが編み出した概念で、資本の「再開発」によって都市の貧困地域の地価が高騰し、その結果貧困層が都市を追われるという現象を指す。ジェントリフィケーションとは、決して階級的にニュートラルな再編過程ではない。それはむしろ、階級的対立を背景に労働者階級の文化・生活・地理を、ミドルクラスのそれに置き換えようとする暴力なのだ。

要するに「開発」とは、その始まりからあまりにも家父長的なのだ。

本書を読み終えて、私は筆者の誠実な言葉たちに対し、どう応えていったら良いのかが分からず、深い悩みに突入してしまった。今の私の生き方は、あまりに不誠実ではないのか?いや、不誠実そのものだろう。そこから抜け出すにはどうしたら良いのか?またはそこに開き直って居座り続けるのか?そのどちらも選び取れない自分の無力さに、しばらく打ち沈んでいた。

本書は筆者堅田香緒里の初めての単著だという。この本との出会いは強烈な印象を私に残して行った。この筆者にしばらく注目して、孤独な対話を続けたいと、今思っている。

20211018

妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ

縄文時代に遡って想いを馳せるまでもなく、歴史的に妊娠・出産は宗教や呪術と密接に結び付けられて来た。というよりむしろ両者は歴史的に不可分な関係にあったと言える。ただし両者の関係のありようは徐々に変化し、近代化と共に、妊娠・出産は宗教や呪術から独立してきたと筆者は言う。


伝統的共同体においてその結びつきは必ずしも肯定的な意味を持ったものではなく、現代の感覚からするとむしろ否定的な意味を付与されることが多かった。

社会学者の波平恵美子は寺社の儀礼から女性が排除される事例や、神聖な空間に女性が立ち入ることがタブーとされた事例に着目し、それは妊娠・出産や月経がケガレと看做されていた為だと論じている。

だが近代に入ると妊娠・出産する女性の身体性に対する見方に変化が現れるようになる。特に月経の社会的位置付けが大きく変容した。その理由として生理用品の変化が挙げられる。

看護学者である小野清美は月経をめぐって現れた変化として、明治期にゴム製の生理用品が登場、普及したことに着目して、月経が個人で処理できるようになった生活の変化について言及している。

こうして妊娠・出産する女性の身体は、伝統的共同体に管理されるものから、個人で決定、管理したり、病院のような専門機関に管理されるものへと、徐々に移行していった。

この変化は妊娠・出産する女性の身体性が宗教から分離し、独立する過程でもあったと言い換える事ができるだろう。

また、妊娠・出産を女性個人のものとした流れにおいて、フェミニズムの影響を見落とすことはできない。特に「産む、産まないは女が決める」というスローガンを掲げた運動は、そのひとつであると言えるだろう。日本でのピル解禁をめぐる論争や、中絶を含む妊娠・出産の選択をめぐる論争も、女性の妊娠・出産やその身体性に対して大きな影響を及ぼした。

特に1994年にカイロで開催された国際人口開発会議で「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」が採択されたことは大きな出来事であった。なぜならこの宣言は、生殖に関する女性の健康と権利を重視するもので、妊娠・出産は女性が決めるものだという主張が盛り込まれていたからである。

1970年代以後に日本社会に出現したスピリチュアリティは、個人主義を重視しながらも、新たな形で宗教や宗教的なものをめぐるある程度まとまった世界観を提示してきた。「スピリチュアル市場」は、そのスピリチュアリティが、消費化や情報化が進む中で「市場」として形成されたものを指す。

ただし、妊娠・出産は「スピリチュアル市場」のなかで初めて宗教的なものと親和性を持ったのではなく、伝統社会では密接に関係していた。それが近代化とともに分離することで、女性が個人的に決定したり管理したりするものへと変化していった。

この社会は、妊娠・出産を経て子どもを持つことに伴う負担を女性だけに課し、常に決断と絶え間のない努力を女性だけに要求してくる。さまざまな困難を経て子どもを産んだとしても、子どもが健やかに成長し、豊かな未来が開けるという確かな展望を持つことができるわけではない。

こうした社会に子どもを産み出すという決断が、困難であればこそ、妊娠・出産が素晴らしい体験であることを願う女性たちの思いに、一層切実なものがあることは想像に難くない。スピリチュアリティはそんな女性たちの、妊娠・出産に対して、特別な価値や意味を付与するものとして現出したのではないだろうか。妊娠・出産が科学を基盤とする医療の管理下で行われる現代でありながら、スピリチュアリティと結び付けられる事情がここにある。

筆者は妊娠・出産のスピリチュアリティに関わるコンテンツについて「子宮系」と「胎内記憶」そして「自然なお産」という三つのトピックに分けて分析している。

「子宮系」は大きく「努力型」と「開運型」に分けられるという。最も多いのは、「努力型」だが、その特徴として運動やマッサージを行ったり、食生活を変えるなどの努力によって子宮の状態を改善することで女性としての美しさや健康を獲得することの価値が強調されている。「開運型」は子宮のありようの重要性を強調しながらも、妊娠・出産を経て母親となることを理想として掲げていない。むしろ、子どもを産んだとしても、母親として生きることからの圧力から自身を解放することが重視されている。

「胎内記憶」とは、生まれる前から子どもが持つとされる記憶のことで、母親の胎内にいた頃だけでなく、子ども自身が「かみさま」と相談して母親を選んだ記憶や、神秘的な体験をした記憶を語り出すというものである。

「胎内記憶」は全く新しいコンテンツというわけではない。2000年代に入って「胎内記憶」が広がる以前から、胎教との関わりで「胎内記憶」は取り沙汰されてきた

胎教とはまだ子どもが母親の胎内にいるうちから働きかけて、その成長を促すという教育ないし養生法のことを指す。胎児のうちから教育的に働きかければ、胎児の知能を高め、倫理や道徳、人間性を育むのに有効だと考えられている。

さらに注目したいのは、「胎内記憶」を信ずる姿勢は、次に述べる「自然なお産」の重要性を強調する姿勢と結びついていることだ。

「自然なお産」を重視する言説は、産科医療の領域で既に1970年代から見られたことである。なぜなら「自然なお産」はニューエイジ運動・文化とフェミニズムとが交差した地点において盛んになったからである。

ニューエイジ運動・文化の領域からは、妊娠・出産への医療の介入に対する反発が生じて「自然なお産」が興隆するようになった。フェミニズムが関係しているのは「自然なお産」が男性中心の医療体制において妊娠・出産が組み立てられてきたことに対する異議申し立てでもあったことと関連している。それが日本の産科医療にも影響を及ぼすようになった。

単純に考えれば、妊娠・出産とスピリチュアリティの親和性が高くなるの連れて、世俗化を促すフェミニズムがそこから排除されるのは自明だと言えるかも知れない。しかし、なぜ、そしてどのようにフェミニズムとの距離化が促されて来たのかについては、一度立ち止まって精査しておく必要があるのではないだろうか?なぜならフェミニズムとスピリチュアリティは必ずしも相反する関係にあるわけではなく、実際欧米では両者が融合している場合もあるからである。

世界的にも、また日本においても、女性の身体についての権利を主張し、尊重する道を切り開いたのは間違いなくフェミニズムの功績である。にもかかわらず、日本社会では妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティからフェミニズムが切り捨てられたのはなぜだろうか?

また著者は「スピリチュアル市場」における妊娠・出産のコンテンツには、男性の存在感が希薄であると指摘する。そのことは家庭を維持していく上で重要なパートナーであるはずの男性に対する期待の薄さを示唆するものである。「家庭」が家父長制の復古ではなく、女性が〈母〉としての役割を全うするための枠組みとして示されているのはそのためである。男性は女性が〈母〉として生きる「家庭」を構築する上で役立つ限りで期待されるに過ぎない。

この事実は自らが蒔いた種によるものとは言え、やはり寂しいものを感じた。

20211016

「人権」がわからない政治家たち

至る所で意見の不一致を見た。世間の評判通り、右派の論客と見て間違いはないだろう。

だが、安倍主導の憲法改悪には、正面から反対の立場を取っている。右派からも弾劾される安倍及びその継承者とは、いかなる権力だったのか(であるのか)がよく分かる。


はじめににある通り、本書は体系立てて論考を重ねたものではなく、『日刊ゲンダイ』に自由に書いたコラムをまとめて加筆したものだ。その分、筆者の考えが前面に出ていると言えるだろう。

私の思いは、野党の支持者だけでなく、真の「保守」を自認する人にこそ問題に気づいてほしいということである。

とあるように、筆者と立場を同じくする保守派に宛てた本なのだろう。

筆者は自民党の改憲論を無知と矛盾の産物であるとし、基本的人権と国民主権を破壊する政治であると批判している。この批判には全面的に賛同する。

一部の自民党議員の中には、大日本帝国憲法を以て理想とする勢力があるが、自民党が掲げる「憲法改正案」などを読むと、その勢力の影響が隠し難く現れていると感じる。

筆者はまた、憲法は身近な存在であり、憲法問題はわれわれの日常生活のどこにでもあると論じる。例えば大相撲は女人禁制であるが、これは憲法14条で「すべての国民は法の下に平等で性別により社会的関係において差別されない」と規定している事から、憲法違反であり、無効な習慣であると主張する。

特に日本相撲協会が「公益財団法人」である点を重視し、相撲協会は国家権力機関に準ずる法的存在である。だから憲法の明文に違反する習慣律を保持して、女人禁制を保っていることはウヤムヤにして済まされる問題ではないとする。

ここ数年起きた、様々な事件に関して、筆者は憲法を軸に、持論を述べている。そして、現在の自民党政権は保守でもないと切って捨てる。

それに対し、野党勢力や国民はどうすればいいのか。それに対しても答えを準備している。それは共産党を含め、全野党が結束して政権交代を実現することであるというものだ。

この提言は今まさに実現しようとしているように思える。

更に筆者は憲法の「改悪」をさせないためにと名打って、主権者として知っておくべき19の憲法の基礎知識を開陳している。

右派としての立場は崩していないが、筆者は一昔前より、言っている事がかなりまともになってきたと感じる。それだけ現在の自民党政権が危険なものだという事を、それは物語っているのだろう。

20211013

環状島へようこそ

 トラウマのアナロジーである環状島モデルの発案者宮地尚子さんが7人の社会的発言者を相手に対話し、環状島モデルの深化を目指した意欲作。対話者は映画監督の坂上香さんを除き、ほぼ全員が臨床家となったのは、この目的から必然的な結果だったのだろう。

専門家同士の対話なので、話の内容はどうしても専門用語が飛び交う難しいものになった。特に略語で話されている時には、初出のページまでいちいち戻って何の略語だったかを確認せねばならず、かなり我慢が必要だった。

だが、それぞれの対話はかなり充実したものになっていると思う。


宮地尚子さんが提唱した環状島に、それぞれの専門と実践から肉付けを行い、モデルがどんどん育ってゆくのが手に取るように感じられた。

環状島は、大海原の中にある孤島である。島はドーナツ状の形をしていて真ん中に〈内海〉がある。〈内海〉の中心がトラウマを受けるきっかけとなる出来事の〈ゼロ地点〉である。〈内海〉から島に上がるところには〈波打ち際〉があり、水と陸との境界をなす。その先の〈内斜面〉を登ると〈尾根〉があり、〈尾根〉を超えると〈外斜面〉を下って〈外海〉へとひらけてゆく。被傷者は、〈ゼロ地点〉付近にいる時は、もっと悲惨な例があると考えてしまい、悲鳴すらあげられない。だが、〈ゼロ地点〉から少し遠ざかると次第に悲鳴をあげられるようになってゆく。そして〈外斜面〉に辿り着くと被傷者は支援者と出会う事も出来る様になり(支援者は〈内斜面〉には入る事が出来ない)、次第にトラウマから解放されてゆく。

環状島の環境は一定ではない。影響を与えるのは、トラウマ反応や症状としての〈重力〉、対人関係の混乱や葛藤としての〈風〉、トラウマに対する社会の無理解を示す〈水位〉の三つである。

それぞれの具体例を挙げているが、その中で編者が、支援・被支援は、しばしば支配・非支配の関係に近づいてしまい、強い〈風〉を巻き起こしやすい。としている箇所が印象的だった。

対話はどれも深く、実りの多いものになっているが、その中でも、境界性パーソナリティ障害(対話ではボーダーと略して語られている)をテーマとした林直樹さんとの対話。そして映画『プリズン・サークル』を観た事もあって、坂上香さんとの対話が興味深かった。

坂上香さんは、監獄をテーマとした映画を観たある女性に「なんかうちの子どもの学校を見てるみたいです」と言われた事が記憶に残っていると言う。聞くと最近「黙食」というのがあって、昼食の時に最初の5分だか10分は、みんなきちんと大人しくした状態で、黙って食べる。その後は喋ってもいいのだけれど、最後の数分はまた急がなければならない。一人でも姿勢が悪かったりする子がいる班は、いつまでも食べる事が出来なくて、時間がなくなっていくから、お代わりが出来ない。そうした例が広まっているようだ。他にも「無言清掃」というものもある。もっとひどくなると「無音清掃」となる。それに比べたら刑務所の方が緩いのかも知れない。と語っていた。

本の内容とは若干離れるが、読み終わって、私がこの手の心理学本に、少し距離を置いていた事に気付いてハッとした。昔はトラウマとなると完全に我が事として、もっとがむしゃらに、没入するようにして読んでいた。

それだけ、私自身の症状が恢復して来たのだろうか?とも感じる出来事だった。

20211009

条件なき平等

 読んでいる途中、そして読み終わってからも、何度か微妙な気分に陥った。

世界経済フォーラムが今年3月に発表したジェンダーギャップ指数では、日本は153カ国中121位だった。これは先進国の中で最低レベルにある。

翻って著者セナックのフランスは16位。

圧倒的な差がある。

だが、この本におけるセナックの意図は、フランスが平等の国であるというのは神話に過ぎないことを、共和国のスローガン「自由・平等・博愛」の再検討を軸に論証するところにある。


セナックの目指すところのものがあまりに高く、彼我の差に改めて愕然とさせられてしまうのだ。

本を開いて、冒頭のエピグラムから驚いてしまった。ヴォルテールと言えば、自由を信奉し『カンディード』などで奴隷制を告発した思想家だと思い込んでいたので、「こうした取引はわれわれの優位性を示している。主人に仕える者は、主人をもつために生まれついているのだ」と言った、あたかも奴隷制を容認し、黒人を差別するような文章を書いたとは、俄に信じられなかったからだ。またフランスの有名文化人らしいラファエル・エントヴェンとか、歌手のメネル・イブティセム、オレルサンなど、日本では余り知られていなかった名前が出てくるかと思えば、ジャン・ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ピエール・ブルデュー、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ロラン・バルトなど現代の有名な思想家は勿論、『21世紀の資本』のトマ・ピケティまで引用されている。流行作家のミシェル・ウェルベックも登場する。ジョン・ロールズやナンシー・フレイザーなどフランス以外の欧米の学者の名前も並んでいる。

情報量が多過ぎて、浅学な私には消化し切れないのではないかと危惧した。

セナックはフラテルニテ(友愛)という言葉を問題にする。それはフラテルニテが含意しているのは「兄弟たち」の友愛であって、そこからは「兄弟ではない者たち」─女性だけでなく、女性・男性のどちらにも区別されない人たちや、白人ではない「人種化された人たち」─が排除されているからだ。

セナックは「社会的マイノリティ」に対する差別という観点から「人は潜在的に差別の原因となりうる複数のアイデンティティの交差点(インターセクション)に存在している」事、即ち性別、人種、そして社会階級といった社会関係に照らして、差別の基準がどのように関連し合っているかを考察している。

本書を読むとフランスもまだ、全然平等でない国のように思えてくる。何故か?それは平等に関するセナックの第二の問い「どんな平等か?」とも関わっている。

本書のタイトル『条件なき平等』が表しているのは、集団としての特異性の中に閉じ込められる事なく、集団としての特異性によって「補完的に」割り振られる事なく、そして社会に収益をもたらすという「条件なし」に一人ひとりが同類として平等であるという事だ。

「人間として、全ての人が同類となることこそは、一人ひとりの特異性を平等に開花させることができるための条件である」とセナックは結論している。

その為にはどうすればいいのだろうか?まずは「フランスは平等の国であるという神話」から解放されて、平等ではない現実に気付くことである。その上でセナックは具体的な方策として、アファーマティブアクションや非・混在を真の平等にたどり着くための「一時的な」手段として容認するという、本書の大胆かつ辛辣な論法からは意外なほど柔軟なスタンスをとっている。

条件つきの平等すら実現していない日本においては、セナックの考え方は先鋭的過ぎると感ずる読者もいるかも知れない。しかし、セナックが呼びかける挑戦、「人間の多様性が、疎外を招くような個別化へと変化することなく、女性も男性もすべての人がどの人も同類として認められ、同類として生きることを可能にするという挑戦」には同感できるだろう。本書はフランスでの議論なので「兄弟=白人男性」「兄弟ではない者たち=非・男性、人種化された人たち」が問題になっているが、この構図はフランスだけではなく日本にも当てはめて考えることができる。そこにどういった人たちが歴史的、社会的に当てはめられて来たのか、当てはめられようとしているか、私たちには考える義務があると強く感じる。

20211007

氏名の誕生

 ややこしい。

この本は、戦国時代から明治に至る氏名の歴史を丹念に辿ったものだ。


私たちは現在使っているような名前は、昔からの伝統だと思っている。だがそれは150年前、明治新政府によって創出されたものだという。歴史の教科書には大久保利通として知られる人物は大久保利通と出ている。だがこれは当時一般に用いられていた名前ではない。従三位守藤原朝臣利通大久保が正式名称だ。そう呼ばれていた。何故か?それが常識だったからとしか言いようがない。

だが事はそれほど単純ではない。例えば江戸時代、武家社会の常識と朝廷の常識には大きな隔たりがあった。朝廷の常識と武家の常識、そして一般の常識という多くの違いを持つ、いくつもの常識が並行して存在していたのだ。

江戸時代における一般的な「名前」の常識としては、それが社会的立場をも反映していた。つまり「官位」と呼ばれるものと密接不可分の関係にあった。

江戸時代には特殊な名前がある。播磨守、図書頭など正式な官名と分類された名前である。元々はこれらの官位は好き勝手に選べるものではなかったのだが、戦国時代、朝廷の権威が失墜すると共に、正式な官名を自ら選択して、それへの「改名」を申請し、将軍の許可の上で名乗った。その時どの様な名前を選ぶかは、何となく自分の立場に相応しい、そこそこの名前を「常識」で選んでいた様だ。

京都の朝廷社会には、正式な官名を一般の「名前」の用途に使用する者たちが、局地的に多く存在した。彼らは叙位任官して、正式な官名を世間一般で言う「名前」にしている。官名を「下の名前」として使用する事実、及びそれが社会的地位を示す指標として機能していた点は、武家や一般の常識とも共通する。

だが、朝廷で使用される正式な官名の種類は、武家官位とは比較にならないほど多種多様で、更にその「官名」は「転任」などと称して変更も頻繁に行われた。

この本の前半はこの様な江戸時代における名前の常識の解説に充てられている。だがこれは言わばプロローグに過ぎない。

世の中にはやたらと「正しさ」にこだわる人間が存在する。従来朝廷の許可の元名乗られていた名前が、今や殆ど勝手に名乗られている。その事に嘆息する知識人がやがて増えていった。「正名」論の影響を受けた尊皇論者は、名実不一致の現状を是正する事、すなわち「正名」の実現を目標に掲げる様になる。今は世の勢いから江戸幕府に禄を頂いているが、そもそも自分が従うのは朝廷の筈だと考える風潮が強くなってゆくのだ。この「正名」の希求こそが、明治初年における人名の混乱に大きく関係してゆく事になる。

七官制となった慶応4年閏4月21日以降、叙位された徴士はその位階を名前として用いた。すなわち「三岡八郎」は「三岡四位」へ、「中根雪江」は「中根五位」へ、「大隈八太郎」は「大隈五位」などと呼ばれる様になった。

ところが徴士は元来藩士である。その藩との関係から主君(諸侯)と同格の位階を帯びる事に抵抗があったのか、叙位を遠慮する者が続出した。そのため同職の徴士の中に、位階を拝受した優位者が「三岡四位」と名乗る一方、辞退した優位者が「後藤象二郎」など従来の一般通称を称し続け、両者が混在する状況が生じてしまった。これでは「名前」による地位の判別は出来ない。

正しい名前に拘った余り、事態を余計にややこしいものに変えてしまったのだ。

これに平民への苗字の強制が加わる。

苗字の公称は身分標識である。そんな常識が通用していた最中の明治3年9月19日、政府は突如「自今平民苗字被差許候事」という僅か11字の布告文を発した。

だが平民にとって苗字は、いちいち自分の名前にくっつけて名乗るものでも、毎度呼ぶものでもないのが常識だった。「苗字が名乗れなくて悲しい」とか「苗字を名乗れなくて不便だ」と言った意識は江戸時代の人間には皆無である。それが江戸時代の常識だったのだ。

だが僧侶にせよ平民にせよ、苗字が一族名であるか否かなんぞ、どうでもいいのである。「なんでもいいから」管理識別記号の「苗字」を「名」の上につけろ。それが政府の真意であった。

同月29日、政府は「取調に於て不都合」、つまり国民管理の上で不都合だと、苗字使用を強制する新たな布告を出すことを決した。「明治3年に苗字公称を自由化しているが、今後は必ず苗字を名乗れ。先祖代々の苗字が分からないなら、新たに決めて名乗れ」というのである。だが「なぜ苗字を名乗らないといけないのか」その理由を、政府は人々に何一つ説明しなかった。

本書の副題には「江戸時代の名前はなぜ消えたのか」とあるが、筆者はそれが「常識」だったから以外の何の説明もしていない。しかもその「常識」は、時に行き過ぎ、時に大混乱に陥り、時に無理矢理な押し付けといった、必ずしも合理的なものではなかったという事を、史料を示しつつ、丹念に解説している。

改めて伝統とは何かを考えてしまう本だった。

20211003

事実婚と夫婦別姓の社会学

夫婦が必ず同じ姓を名乗らなければならないと法律で規定しているのは、世界でも日本だけとなった。国連女性差別撤廃委員会は2003年、09年、16年の3度に渡って、日本政府に対して制度を是正するように勧告を行なって来たが、政府はこれに応じていない。

この法律が存在する為に、日本で夫婦が別姓を名乗る事を選択した場合、必然的に事実婚の形態を取らざるを得ないのが現状だ。

その為、事実婚と夫婦別姓は固くリンクされたものになっている。


本書は選択制夫婦別姓制実現への足掛かりとする為に書かれている。

事実婚という言葉が人口に膾炙するようになったのは1980年代後半になってからだ。だが事実婚という言葉はそれほど新しい言葉ではない。遅くとも明治期には、事実婚の問題が、政治の場で議論されている。

だが、この本で私は知ったが、当時の事実婚の議論は、保守派が事実婚を支持し、リベラル派がそれに反対するという、現在とは逆の構図になっていた。

明治期の民法編纂事業は明治23年(1890年)に一度結実する(いわゆる旧民法)。だが明治26(1893)年の第三次帝国議会において葬られる事になり、その内容を大きく変え、明治31(1898)年に完成をみる。旧民法は「旧慣の尊重」という立場を取っており、事実婚主義の特質を強く有した民法であった。それに対し、その後の明治31年に正式に制定された民法では、梅謙次郎のもとで厳格な法律婚主義が採用されることになった。

戦前日本で事実婚が多かったのは、法知識が十分に浸透していなかったこともあるが、家族制度に関連した規範や慣行により、正式な法律婚から締め出された女性が多く存在した事が主な要因である。

もう一つの理由は、「妾」が多かったことである。

この状態は戦後に至るまで続いた。

また、法律婚主義の定着を「民主化」の指標と捉える視座は1970年代までは強固に維持されていた。

事実婚の問題が改めて発見され、別の視点から語られるようになるのは、高度成長期が終わり、女性の就業率が上昇した1980年代頃からであった。

姓を変える事によって被る不利益が、女性にのみ課せられている現状への不満が噴出したのだ。

この本では、事実婚を選択した、或いは選択していた11組の夫婦に対して聞き取り調査を実行している。

その調査で印象的なのは、事実婚という言葉では一括りに出来ない、事実婚の多様性だ。実に様々な形態が存在している。

だが、彼らが結婚という形態に拘りを持っている事は驚かされた。

事実婚という言葉があるのでそれを使っているが、実は自らを語る言葉が存在しない。だが明らかに同棲や内縁という言葉では表されないと一様に語る。事実婚による実践を、法律婚と同等或いはそれ以上の家族生活として位置付けている。

この本によって提起されている問題は、深くそして広い。それは家族というものの多様化を視座に含めつつ、議論されてゆかねばならない問題だろう。

教えられる事の多い本だった。

20211001

オリンピックという名の虚構

総合的、包括的なオリンピック批判の論考である。

COVID-19蔓延の中強行された東京オリンピックは、オリンピックそのものが抱える様々な矛盾をかえって明らかにした。だが、本書に示されるような、その矛盾を体型的にまとめ上げた論考は、今迄見当たらなかったのではないだろうか?

本書は筆者ヘレン・ジェファーソン・レンスキーの20年に渡るオリンピック批判の到達点を示すものだ。

筆者はオリンピック批判の中心として、オリンピック産業という概念を据える。オリンピック産業は、スポーツ例外主義(スポーツは「特別なもの」であり、地域的、国家的、国際的な「政治」に汚染されるべきではないとする考え方)を取り込み、IOCが自称する「世界のスポーツの最高権威」という地位を築くことで、人体と心にダメージを与えるようなスポーツ実践を一世紀以上に渡って世界的に形作って来た。IOCと近代オリンピックは時代の産物であり、19世紀の植民地主義、人種差別主義そして性差別主義の起源は未だ消え去っていない。

スポーツはオリンピック産業の氷山の一角に過ぎない。表面を捲ると、その裏にはスポンサー、企業、メディアの権利保有者、開発業者、不動産所有者、ホテルやリゾートの所有者などがおり、全てオリンピックの開催によって経済的利益を得る態勢を整えている。

このようなオリンピック産業の概念は、従来巧妙に隠されてきたが、もはや誰の目にも明らかになり、この概念を疑う者はもはや存在しないと言って良い。


本書によると、フランスの貴族であるピエール・ド・クーベルタン男爵は、近代オリンピック創設の父とされており、非ヨーロッパ人を文明化し、植民地化する道具としてスポーツを取り込んだ事は明らかだ。オリンピックを復活させるという彼の計画は、近代ギリシアの文化を取り入れるという当時の流行にマッチし、1896年にアテネで最初のオリンピックがうまく実現できるようその舞台が整えられた。アフリカ人の参加について、クーベルタンは「スポーツはアフリカを征服する」と述べ、「スポーツの植民地化とスポーツによる植民地化」を宣言した。

1936年、アジア諸国からのアスリートがより多く参加するようになると、彼は次のように述べて熱狂した。

オリンピックのアジア到達は大きな勝利だと考えている。

オリンピズムに関して言えば、国際的な競争は必ず実りあるものになる。オリンピックを主催する名誉を得るのは世界の全ての国にとって好ましい事だ。

クーベルタンの狙いはIOCが世界のスポーツに対してその権力を維持する21世紀になっても実現され続けている。オリンピック憲章は、ガバナンスの基本的原則を次のように定めている。IOCメンバーは「各国におけるIOCとオリンピック・ムーブメントの利益を代表し、促進する…」。

筆者の分析・批判は多岐に渡るが、後半2つの章を費やして語られる、キャスター・セメンヤを始めとするDSD(性分化疾患)規定を巡る論考は圧巻だ。

より速く、より高く、より強く、というオリンピックモデルによって、性別・ジェンダー・セクシュアリティの問題は、二元論的思考が抜き難く定着してしまった。競技スポーツを完璧な男女のカテゴリーへ編成したことは、体形とスポーツパフォーマンスにジェンダーに関連した差異があることの視覚的で象徴的なエビデンスになっているのだが、それが単に社会の規範を反映するレベルを超えているのだ。

2009年以降、欧米白人の思い描く女らしい姿に沿わない女性の陸上選手がスポーツ運営組織によってスティグマを与えられ、貶められる出来事が続いた。

つまり筆者レンスキーは本書の分析を通して、オリンピックにおけるDSD規定の問題は、性差別的であると同時に人種差別的である事を明らかにしているのだ。

TOKYO2020は強行されてしまった。そして、オリンピック産業に群がる人々が権力を握っている限り、今後もオリンピックは開催され続けるだろう。

だが、明らかな事に、オリンピックはもはや、スポーツを通して行われる平和と夢の祭典では無くなってしまっている。

オリンピックは今、大きな曲がり角に差し掛かっている。

20210928

エルサレム〈以前〉のアイヒマン

ようやく読み切った。2週間掛かった。

だが、正直なところ今日(9月28日)中に読み終える事が出来るとは思っていなかった。

難産だった。読み切る迄に時間が掛かったのは、本が厚い上に活字が細かく、中でも丹念に付けられた注釈の文字が極端に小さく、しかも長い事が主な理由に挙げられると思う。

ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』は、出版された当時の人々に取ってだけでなく、現在に至る迄、衝撃的な本である。鬼か悪魔の様なイメージを期待されていたアイヒマンは、実は思考することを避けたがる凡庸な男であり、だがその凡庸さの故に、とんでもない悪事を実行したのだ。そう主張するアーレントの議論は、今では既に充分過ぎる程され尽くされたものとされていた。


だが、このベッティーナ・シュタングネトによる『エルサレム〈以前〉のアイヒマン』の登場は、そのアーレントによるアイヒマン像を根底から覆すだけの内容と根拠を持っている。

アイヒマンによる文章と音声録音という肝心な史料の大部分が放置されていたのだ。

戦後アイヒマンが逃亡したアルゼンチンには旧ナチ共同体が築かれていた。アイヒマンはそこで元武装SS隊員W・サッセン主催の座談会に参加。サッセンはそれを録音し、テープにして70巻以上になる音声のトランスクリプトを作成していた。アイヒマンは囚人となった後も8,000枚に渡る自己正当化を書き連ねた。

こうした史料が網羅的に研究されてこなかったのは、驚くべき事ではあるが、それは各所に分散し、分量は膨大で内容は耐え難い。さらにアルゼンチンでのあけすけな記録をアイヒマン本人が嘘と証言した為と考えられる。

本書は一人の哲学者が成し遂げた気の遠くなるような偉業であり、先駆者アーレントとの対話と言えるだろう。

アイヒマンは最初から、世間で自分がどうイメージされるかを注意深く観察し、それに影響を与えようと努めていた。そうしたアイヒマンは自分が600万人の人間の死に責任があるから「ユダヤ人の敵ナンバー・ワン」だと誇らしげに報告もしていた。

またハンナ・アーレントはアイヒマンについて「どちらかと言えばあまり知性に恵まれていない」と記し、服従という問題がはらむ哲学的重大性を彼は「漠然と察していた」にすぎない、と書いている。しかしこうした反応は性急過ぎるし、何と言っても危険である。アーレントは尋問と裁判の、ごく僅かな供述に基づいてそう言っているのだ。この分野でアイヒマンが行なっていた幅広い活動について、アーレントは知らなかった。

本書はアイヒマンという人物の、今迄知られていなかった側面を明らかにする。

アイヒマンは少なくとも凡庸な人物では無かった。

彼は充分な思考能力を備えた、筋金入りの国家社会主義者だったのだ。

この本の出現は、一つの事件である。アーレントによって確立されてきたアイヒマン像は、大きな変更を余儀なくされるだろう。

だが、アーレントの言う「凡庸な悪」の主張は、余り大きな変更を強いられはしないだろうと、私は考える。

アイヒマンは何はともあれ、自らの主体性が全くなかった訳ではないが、大きな権威に突き動かされ、大勢のユダヤ人を死に追いやった。その事実は何一つ変更されないだろうからである。

人は巨大な権威を前にすると、どこまでも恐ろしい犯罪に手を染めかねない。その教訓は今も生き続けている。

20210921

Spotifyにお任せ

3ヶ月で980円のキャンペーンに惹かれて、SpotifyをPremiumに上げた。

昨日、ようやくSpotifyのラジオ機能の使い方が分かった。

Spotifyを始めてもう3年経つが、未だに全ての機能が使いこなせているとは、とても言えない状態だ。

最初のうち既に触れたように私はSpotifyで好きなアーティストなどを検索して利用していた。だが、この頃は専ら古楽に集中している事もあって、Spotifyがこちらの聞き方をAIで解析して作ってくれるプレイリストを、ただひたすら聴きまくっている。毎日手を替え品を替え用意してくれるDaily Mixというプレイリストを3つか4つも聴くと、それだけでiPod touchの電池は大抵切れる。

それでもどういう加減か、電池に余裕がある時がある。

昨日がそうだった。

そこでDaily MIx 1のラジオを呼び出して、ずっとそれを流していた。


要はプレイリストの無限版と考えれば良いと思う。

既に聴いた曲は消えてしまうが、聴いているだけ例えばDaily Mix 1だったらそのリストと同じようなテイストの曲を延々と流し続けてくれる。

気に入らない曲が出てきたら、Premiumはスキップが無制限なので、遠慮なく飛ばして仕舞えば良い。

だが、SpotifyのAIはかなり優秀で(或いはこちらが単純なので)今のところスキップした曲は殆どない。

プレイリスト、或いはラジオで流している曲には、アルバムにも飛べるようになっているので、ここから好きなアルバムを聴き深めることも出来る。

実はそれをやりたいのだが、今のところDaily Mixとラジオを聴くのに精一杯で、それ以上深めて行く事が出来ずにいる。

つまり現在の私の音楽LifeはSpotifyに完全にお任せの状態になっているのだ。

だが、ラジオで再生した音楽は、そのままRadioのお気に入りソングというプレイリストに入れる事も出来、後で選りすぐりを聴き直す事が可能になっている。

しかし、そのようにして聴いていると、音楽という遊びの世界は、とてつもなく広いという事実に思わず瞠目してしまう。

大抵、遊びの世界は狭い。だがその遊びに含まれると思うのだが、音楽という世界は、圧倒的に広い。

プレイリストやラジオで流される音楽は、以前聴いたことがあるものも含まれるが、2/3以上は今迄聴いたこともない曲だ。

流石に3年も聴いていると、出てくる作曲家は大抵既出の人が殆どだが、それでも未だに見たことも聴いたこともない作曲家に出会うこともある。

私が聴いているのは、クラシックの中でも古楽と呼ばれる、極く狭い範囲のジャンルだ。それでも、未知の音楽に世界は満ちているのだ。

Spotifyにお任せでそれに身を委ねていると、SpotigyのAIは、次から次へと新しい音楽を届けてくれる。

そこから深めて行くのはまた次の機会にして、ここ暫くは今の聴き方でSpotifyを利用してゆこうと思っている。

20210914

蛇の言葉を話した男

 内容を詳しく語る事は避けよう。

エキサイティングで瑞々しいファンタジーである。主人公は滅びる事が定められた種族の末裔として設定されている。それを象徴するのが蛇の言葉である。昔、人々は森に棲み、当たり前の様に蛇の言葉を操っていた。だがこの物語はこう始まる。

森には、もう誰もいない。

主人公レーメットはその蛇の言葉を教えられ、操る事が出来る最後の人間なのだ。


作者アンドルス・キヴィラフクのこの小説は、単に幻想的な物語としてではなく、風刺的作品としてエストニアでは受け止められた。これは彼のそれまでの作品にはなかった特徴だが、エストニアの読者はこの風刺的な点には驚かなかった。作者は政治的、または社会的な主題について定期的に新聞などに寄稿して来たからだ。

癒される事がない孤独の物語だ。そしてまた、世界に対する幻滅の物語でもあるだろう。

小説の初頭では溢れるエネルギーを持つ素晴らしい森の現実は次第に消え去り、蛇たちのように全滅するか、サラマンドルのように忘却の淵に沈む。

この小説は何よりも「モヒカン族の最後」であることについての思考であり、時代から取り残されていること、世界と時差があることについての考察なのだ。

中欧に固有のアイデンティティ、生活様式、文化や言語という軸を通してこの思考はなされている。

エストニアの国民アイデンティティは主に言語を通して確立されていることを、読者は良く理解しておかなければならない。エストニア人はインド・ヨーロッパ語族に先立つ言葉を何千年間もの間保って来たことをとても誇りにしており、その文化についても同様だ。けれど彼らは近代化のせいでそれが脅かされていると感じている。

ロシア語話者であるソヴィエト連邦の権力による、文化の極度な押し付けは、半世紀の間エストニア人を抑圧し、彼らはそれに警笛を鳴らして来た。そして、この問題は、別の形ではあるがグローバル化した英語話者の世界にも言えることだろう。

マイナーな文化、マイノリティ、少数民族には、未来はあるのだろうか?

しかし、キヴィラフクのこの小説は、去りゆくものに対するノスタルジーを表明しているだけのロマンティックな物語ではない。

過去の世界の者となった男の視点から物語は書かれ、近代性を拒む以外に選択肢がない人間がいることを強調しているが、彼は決してかつての時代や森に住む最後の部族を理想化し、あたらしい世界を一絡げに批判し蔑視するだけの、先住民擁護の罠に陥ることはない。それはレイシズムの単なる裏返しであることを十分に認識しているからだ。

その意味では、物語を読むに当たって、主人公レーメットに過剰に身を委ね、彼の視点のみから物語世界を見る姿勢は、注意深く避けねばならない態度だろう。

私たちはこの物語のうちの誰なのだろうか?レーメット?おじさん?鉄の男?マグダレーナ?それとも母さん?

20210911

中世ヨーロッパ

 私が学生だった頃(もう40年も前だ)に比べると、ヨーロッパの中世の知識は、格段の差がある。この50年余りの間に歴史学は知識の集積、新史料の発掘などにより、長足の進歩を遂げた。

だが、それと共に(または反して)、ヨーロッパ中世に対する、根強い偏見は、より強化された面もあるように思う。


本書は、そうした根強いヨーロッパ中世に関するフィクションを払拭する為に書かれたものだ。11のフィクションを取り上げて、一次史料を訳出しつつ、丁寧にファクトチェックしている。

本書はひとつひとつのフィクションに対して、人々が起きたと思っていること、一般に流布した物語(ストーリー)、(それを引き起こした)一次史料でフィクションの全体像を明確に示し、実際に起きたこと、(その認識を支える)一次史料で、最新の研究に基づく、より正確な歴史理解が明らかにされるという構成を持っている。

本書で扱われているフィクションを、著者は「中世主義/中世趣味medicvalism」と説明している。しかし、中世主義の中身は実に多様だ。中世をポジティブに捉える姿勢もあれば、ネガティヴに捉える姿勢もあり、担い手も様々である。その把握は一筋縄ではいかず、読者は多少混乱するかもしれない。けれどその点に関しては、訳者大貫俊夫氏による、丁寧な解説が「訳者あとがき」でなされている。

だが本書を読んでいて、私は何度か冷や汗をかいた。11のフィクションは、どれも私自身がそう信じていた事、そのものだったからだ。

中世を暗黒時代と捉える考え方からは、どうにか脱却できていたが、私はこの本を読む迄、ヨーロッパ中世の人々は不潔だったと思い、バイユーのタペストリーなどの影響から、中世の戦争は馬に乗った騎士が戦っていたと思い込み、1212年の少年十字軍の悲劇をまともに信じていた。

私は知らず知らずのうちに、中世主義に陥っていたようだ。

本書が圧倒的に説得力を持っているのは、フィクションを形成したのは誰の何という史料だったのか、そしてどの様な史料に基づいて、実際にはどうだったのかが具体的に示されている点だ。一次史料を訳出し、掲載する事によって、フィクションがフィクションである理由は何か、どの様な証拠に基づいて、事実はどうだったのかが、強力な説得力の元に示されている。

私の中世ヨーロッパ像は、この本を読む事によって、大きく修正された。

この本の有難い点は、11のフィクションそれぞれについて、さらに詳しく知るためにで、数多くの著作が紹介されている点だ。日本語に訳されている本は、訳書が示されている。これに従って、読者はより多くの、確かな情報を追跡する事が出来る。

それでは、なぜ私たちは間違った歴史認識を作り出し、なかなか手放せないでいるのだろうか?

訳者はその理由として、歴史観を構築するにあたって、普遍的に見られる「くせ」のようなものがあるからなのではないかと指摘する。

短慮軽率型:一つ、あるいは数少ない史料に記された内容を時代全体に敷衍すること。これは史料が断片的にしか伝来していない中世についてしばしば生じる落とし穴であろう。一つの出来事、一つの史料的根拠から一つの時代を説明したい、歴史の大きな流れを一括りに捉えたい、という欲求に抗うことはなかなか難しい。

優劣比較型:異なる時代、異なる地域と比較して優劣を決めてかかること。本書題1章で中世がどのように「暗黒時代」と認識されるようになったかを読むと、そのからくりが容易に理解できるだろう。

人身御供型:歴史的な出来事の原因・責任を、何かしらの先入観に基づき、何か一つの主体に押し付けること。本書を読むと、中世の非科学的な「後進性」に関連して、カトリック教会がいかに槍玉に挙げられてきたかがわかる。

これら三つの類型のどれが当てはまるか。そのような事を考えながら本書を読む事をお勧めしたい。

私は私の中世趣味の延長として、本書を手に取ったが、その偶然の出会いに深く感謝したい気持ちでいっぱいだ。本書に出会わなかったら、私はずっとフィクションをファクトと勘違いしたままだっただろう。

一冊の本によって、それまで抱いていた考え方ががらりと変化する事。それは、未知の物事を知る事に匹敵する快感を伴う体験だ。私が今抱いているヨーロッパ中世観は、昨日のそれとは全く違う。私は私にとって全く新しい時代を生き始めた。この本はそれを記す大きなメルクマールとなるに違いない。

20210907

離れがたき二人

 第2波フェミニズムの草分け的存在シモーヌ・ド・ボーヴォワールには、娘時代、ザザことエリザベット・ラコワンという無二の親友がいた。ザザは21歳にして、夭逝してしまったのだが、彼女がボーヴォワールに与えた影響は、ボーヴォワールの人生全体に及ぶほど大きかった。

本書は、その親友ザザをモデルとして、実体験に即して書かれた自伝的小説である。


この小説は1954年に執筆されていたが、サルトルから出版に値しないと評されたこともあり、またボーヴォワール自身が「この物語は無意味に思えたし、面白くなかった」と判断した事もあり、刊行されず仕舞いだった。1986年にボーヴォワールが亡くなる前、彼女は養女シルヴィー・ル・ボン・ド・ボーヴォワールに作品の扱いを一任した。

実に66年を経て、本作はようやく読者の目に触れる機会を得たと言えるだろう。

本書を一読して感じるのは、ボーヴォワールにフェミニズムの種を植え付けたのは、親友ザザその人だという事だ。

作家のフレデリック・ベグベデは本書を評して「エリザベット(本書でのアンドレ)、彼女こそが、カトリックのブルジョワ階級が女性に及ぼしている抑圧に対しボーヴォワールの目を開かせてくれた。ここで私たちは、単なるフェミニズムのみならず、ボーヴォワールにおけるフェミニズムの誕生に立ち合っているのだ」と述べている。同感である。

私たちはまず、本書に書かれた伝統的なフランスブルジョワ社会の、因習的な姿に驚く。

文芸評論家のオリヴィア・ド・ランベルトリは「この小説は決して古臭くない。古臭いのは(描かれている)時代なのだ」同じく評論家のジャン=クロード・ラスピエンジャスは「本書は因習的なフランスの貴重な証言だ」と、それぞれ評している。

本書の冒頭で

九歳の時、わたしは親の言うことを聞く良い子でした。

と書かれている。

ボーヴォワール(本書でのシルヴィー)は、良い子だった。その九歳の時アンドレと出逢っている。

歴史にもしはないが、敢えてもしシルヴィーがアンドレの個性に出逢っていなかったら、つまりボーヴォワールが「良い子」のままだったら、第2波フェミニズムそのものが大きく異なったものに、或いはそもそも存在しなかった可能性すらあるのではないだろうか。

本書には、本編以外に作品を託されたシルヴィー・ル・ボン・ド・ボーヴォワールによる「幼女によるあとがき」(ここには本編に含まれなかったザザの素顔が書かれている)、写真資料、ボーヴォワールとザザとの間に交わされた手紙が添付されている。ここから得られる事柄も多い。

ボーヴォワール自身も「私たちは、自分たちを待ち受けていた、抗うべき運命に共に挑んでいた。そして私は、彼女の死を代償として自らの自由を手に入れた気がしていた」(『娘時代─ある女の回想』と述べている。

私たちは本書を通じて、確かにボーヴォワールがボーヴォワールになる前夜を読む事が出来るのだと強く感じる。

20210905

アカデミアを離れてみたら

 末は博士か大臣かという言葉があった。一昔前ならば、博士号取得者とは、即ち研究者であり、当然のように大学に残って、研究者としての道を悠然と歩いて行く。そう思えた。だが、現在、その「常識」はすんなりとは通用しなくなっているようだ。


本書のあとがきに詳しいが、1991年、まさにバブルが弾けたと言われるその年に、文部省は相次いで答申を発表する。後に「大学院生倍増計画」と揶揄された目標である。

その目標は一応すんなりと達成され、博士は昔思われたような希少な存在ではなくなった。

だが、大学院生が増えても、その受け皿はそう簡単には「倍増」しなかった。

その為、行き場を失ったポスドクが大量に発生する羽目に陥った。

本書ではアカデミアを「大学あるいはそれに類する公的機関における研究環境」と、ゆるく捉えている。

その研究者としての常道から外に踏み出した者たちが、どのような人生を歩んでいるのかを、体験談の形で投稿してもらったものを集めた本が、本書である。

他人事ではない。私もかつては東大地震研というアカデミアに属し、働いていたが、現在の女房殿と出逢って、田舎を離れる事が出来ないという彼女の意向を汲んで、私なら大地が存在する所ならばどこでも生きて行けるとばかりに、アカデミアを飛び出したのだ。

現在はフリーランスの身分で、地質調査を請け負い、それを生業にして、なんとか糊口を凌いでいる。だが、仕事が仕事になるまでが実に大変で、必要な額の収入を得るのに、以前の3倍以上のエネルギーを必要としている。

他のアカデミアを飛び出した方々は、どういう人生を歩んでいるのだろう?

その実例を知りたくて、本書を手に取った。

だが、読み進めるに従って、心のどこかでどうしようもなく白けて行く事を、抑える事が出来なくなった。

あとがきでは、本書の特徴は決して輝かしい著名人だけを取り上げているわけではない。著者の殆どは言ってしまえば普通の人たちだ。とある。

だが、その経歴を見ても、出た大学院が東大、京大、北大と錚々たる名門揃いであり、その後の人生も、概ね成功している例ばかりに思える。

教授や主任研究員になるのが「勝ち組」、外に出るのは「負け組」と思っていたが、アカデミアを離れてみたら、決してそうではなく、それなりに充実した人生がある。そう言っているように思える。

無論、失敗例を出すのは得策ではないだろう。

博士号取得者が思うような進路を歩めていない現実の前で、大学院に進む学生そのものが減って来ている。そういう声も聞こえる。

本書には、決してアカデミアに固執するばかりが人生ではない。そうではない実例もあるのだと、その事を示したいという目論見もあるのだろう。

だが、アカデミアを離れた者たちは皆が皆東大や京大、北大などを出た訳ではないのだ。むしろ、そうした大学院を出ていても、研究者に残れないのかと、事の重大さに改めて気付くのが落ちである。

アカデミアに残るばかりが進路ではない。アカデミアを離れても、そこには沢山の希望があるのだという事を示したいのならば、筆者として、比較的うまく行っている例を集めたと、正直に書くべきではないのか?

それでも投稿を読むと、皆それぞれに希望に満ちた、波乱に富んだ人生をやっていると言う事に心は動かされる。

本書が言いたいのは、アカデミアを離れる事は決して「負け組」ではないのだという、その一点だと思う。

その為に成功例を並べ、皆様に勇気を守ってもらいたかったと、正直に言えば良い。それでも本書の意図は、充分に伝わると思える。

20210903

フロイト、性と愛について語る

 『精神分析学入門』を紐解くまでもなく、フロイトは精神分析を科学と考えて来た。また、科学的である事に、生涯を掛けて拘ってきた人物でもある。だが、フロイトの精神分析とは科学なのだろうか?または、フロイトが考えていた科学とは、どういう物だったのだろうか?本書を読んで、その事が気に掛かった。


本書はフロイトの思想の中でも中核をなす、性と愛についての論考をまとめたものだ。今迄、分散していた概念が、集中して語られているので、フロイトを理解する上で、大いに助けられた。

中でも「解剖学的な性差の心的な帰結」は、今迄曖昧だった。フロイトのエディプス・コンプレックスの考えを、どの様に女性に敷衍しているのかが分かり、大変参考になった。

人間はその人生の多くを、他人との関係性の中で、過ごす。その時に中核となるのは、家庭生活の中で繰り広げられる、父や母、または兄弟との軋轢だろう。そこで獲得してきた思想を核として、他の人たちとの関係を築いてゆく。

それ故に、愛情生活の心理学は、人がどのように生き、人と関係を結んでゆくかを考察する上で、重要な手掛かりを提供してくれる。

この本にはそれが、余す所なく書かれている。

なるほど取り上げられるテーマは、日常にありふれた事例とは大きく異なったものが多い。だが、その「異常な」事例は、日常に埋もれてしまいがちな精神生活の力動関係が、破綻を来した時、どのような事柄が起こるのかが目に見える形で現れている。フロイトが病的な事例を扱うのは、だからだろう。

それにしてもフロイトはなぜこれ程迄に性に拘ったのだろうか?その答えは、フロイトを精神分析して、診断してみないと分からないもののように思える。

フロイトの著作に続いて、巻末に付せられた、中山元さんの解説「フロイトの性愛論の文明論的な広がり」は、フロイトの文章の丁寧な解説として読めるが、この文章自体が、一個の独立した著作になっているとも言える。優れたフロイトの解説書になっている。

20210830

書評はまったくむずかしい

 最初の章「つれづれの書想」で、筆者は書評を書くことの難しさを語る。曰く

著者も出版社も雑誌メディアも、誰もが暗黙のうちに、その本の商品価値が高まることばかり期待している。真っ向からの批評など、むしろ禁じ手なのである。

だが、具体的にどの様な書評を書いて来たかを示す続く章を読み進めるうちに、筆者は書評が批評であることを、全く諦めていない事が分かる。


筆者の専門は民俗学である。なので自ずからテーマは民俗学を巡るものに収斂してゆく。この姿勢は、どの本を紹介する中でも、全くブレることがない。

どの本を扱っていても、筆者の脳裏を掠めるのは、民俗学の祖である柳田國男であり、折口信夫である。彼らをいつの日か、乗り越える事を望んでいるように読める。

しかもその乗り越え方は、あくまでも正攻法にである。

従って、柳田や折口を批判している本を論ずる時にも、その評は必然的に辛口になる。批判の方法が鈍(なまくら)だと容赦なくその批判を批判する。

筆者の取り上げる本のうち、読んだ事があるのは、半数もない。なので筆者の「批判の批判」が妥当なものであるかどうかについては、私には断定する材料がない。ただその姿勢の正しさに心を打たれるのを感じるだけだ。

批判はあるものの、取り上げられた本の書評は、概ね穏当なものであり、頭ごなしに否定している書評は皆無だった。私はむしろその本を読んでみたくなった。立派にその本の商品価値を上げていると思える。

心打たれると書いた筆者の姿勢とは、筆者が書評に対峙する時の、生真面目で誠実な態度の事だ。

筆者は、常に真剣に書評を書いているのが分かる。

だが筆者は「あとがきにかえて」で、

みずからが物した書評に群れをこうして一堂に並べてみると、まさに転びの光景ばかりで、我が事ながら胸が痛む。

と謙遜する。

同じ章で筆者は

のたうつような思いで原稿を書いて

いると白状もしている。

図書館で借りて読むべき本を、毎日ノートに付けている。

この本を読んで、そのノートに加わった本は3ページに及んだ。どの本も筆者の真摯な書評に心動かされ、どうしても読みたいと思った本ばかりだ。

良い書評は良い読書体験を保障してくれる。

日本はまだ、きちんとした書評文化が根付いているとはとても言えない状況にある。書評の書き手は十分に報われる事なく、「のたうつ」思いで、書評と向きあっているのだろう。

これからは、そうした書評の書き手の苦労に思いを馳せて、こちらも真摯に書評と向き合ってゆこうと感じさせられた。

20210823

クラシック作曲家列伝

 それまで読んでいた本が、ちっとも進まないのに豪を煮やして、軽めの本に手を出した。

丁度図書館から借りて来た本が手元にあった。そこでやまみちゆか絵・文・飯尾洋一監修の『クラシック作曲家列伝─バッハからラヴェルまで12人の天才たちの愉快な素顔』をバス停で読み始めたのだ。


バスが来るまで時間があった事もあって、バッハからベルリオーズまで5人分を、あっという間に読んでしまった。失いかけていた自信を少し取り戻した。

漫画と文章による12人の作曲家の紹介になっている。

実のところ、余り期待していなかった。だが、読み進めるうちに、この本はただ単なる軽めの読み物だけではないという事が分かって来た。

よく調べてある。

クラシックに関しては、それ程知識がない方ではないという自負を抱いて来たが、この本で初めて知る作曲家の素顔も多かった。

元はtwitterの連載だったらしい。余りに面白いので出版社の目に止まり、本になったようだ。飯尾洋一の監修とあるが、殆どやまみちゆかの手によるものだろう。著者プロフィールによると、現役のピアニストらしく、ヨーロッパ国際ピアノコンクールで2位を受賞。伊勢志摩国際ピアノコンクールで特別賞を受賞もしている。

バッハが頑固者だった事、モーツァルトが動物好きだった事、ベートーヴェンが部屋で水浴びする奇人だった事などを知ると、今迄聴いて来た曲も、新たな興味を持って聴く事が出来る様になって来そうだ。

20210816

古書が売れた

 私の事だから二束三文で購入したに違いない。

amazonにアルノ・グリューンの『人はなぜ憎しみを抱くのか』を出品した日の事を、私はまだ覚えている。なぜかこの本に高値が付き、あれよあれよと言う間に、法外な値段で古書が取引されるようになっていた。私は面白半分でそれに便乗し、蟻書房という名の古書店をでっち上げ、他の出品者より若干安めに値段を付けたのだ。


それでも購入した時の10倍以上の値段になった。

売れればもっけの幸い。売れなくても何ら問題はなし。私の構えはそうしたものだった。

その後この本の値段は、次第に落ち着き、古書も納得出来る値段に下がった。

そうなるとこの古書が売れる見込みはまずないと思えるようになった。しかし、一旦付けた値段を補正する事も出来ず、蟻書房唯一の出品は、放置されるままになっていた。

昨日(15日)の午後、一通のメールが届き、私はそれを見て驚愕した。

売れたのである。

自分でも法外な値段だと思っていた古書に、買い手が付いたのである。

驚いて、次に思った事は、面倒な事になったな、と言う思いだった。

売れる予想は全くしていなかった。なので、本を発送しようにも、その準備は全くしていなかった。

慌ててクロネコヤマトに自分のコーナーを作り、配送の手配を始めた。

探してみると適当な大きさのエア緩衝材が1枚ある事が分かった。それに件の本を入れ、納品書も同封して梱包。今日(16日)の朝イチで無事、古書を発送する事が出来た。正直ホッとした。

ひと段落して思うのはやはりなぜ今頃になって売れたのだろうか?と言う疑問である。

また法外な値上がりがあったのだろうか?

だが、私がもしそうした本を見つけたとしても、取る手はひとつだけだ。値下がりする迄待つと言うものだ。まさか売れるとはなぁ。

20210812

マチズモを削り取れ

 怒っている。

この本の著者武田砂鉄さんと、編集者Kさんは明らかに怒っている。その怒りの対象は世の中の隅々まで張り巡らせされ、しつこく付き纏うジェンダー差別に向かっている。

しかしこの本はそうした怒りを怒りのままぶちまけたようなものではない。怒りを内在化させ、あくまでも理性的に、時に丹念にその差別が何故差別なのかというところから、解きほぐしている。


我々男どもは、よくぞのうのうとこのジェンダー非対称の世の中の特権の上に、胡座をかいていられるものだ。読んでいて、私は恥ずかしくてならなかった。

その無恥を貫く論理は「そういうことになっているから、そういうことにしておけ」という態度に纏められる。とにかく、現状維持を欲する。保身がそうさせる。実はとても不安なのだ。裏に回ると、その背中は怯えで震えているのだ。怯えているのに居丈高なのだ。それがこの世に蔓延るマチズモの正体なのだ。

この本では、特定の場面や状態に残存するマチズモについて、事細かに考察している。そこで明らかにされるジェンダー非対称に、私はいちいち驚く。女と男で、見る世界が全く違うという事実に、改めて気付かされ、狼狽する。

例えば我々男どもは、夜道であろうと知らない土地であろうと、気にする事なく勝手気ままに歩いている。女たちはどうか?Kさんは書く。「夜道は五分ほど歩いたらまず振り返り、周りを確認するようになりました。」

社会学者のケイン樹里安さんは指摘する。気にせずに済む人々。それがマジョリティなのだ。

男どもはこの男マジョリティの現状をそのまま温存させながら、女たちと関係を持とうとする。余りにも身勝手というものではあるまいか?

しかも男どもは、このジェンダー非対称を指摘されると、「でも」と言い「男だって大変だよ」と呟く。そうしてみるとあら不思議、なぜか状況は元通りに戻っているのである。元通りとは勿論男女平等ではなく、「男、めっちゃ有利」の状況なのだ。

「男だって大変」が「男、めっちゃ有利」の維持の為に使われる。こうした態度を表す4文字熟を私は知っている。厚顔無恥だ。

男たちがもし、女たちと実りある関係を結びたいと願っているのなら、女も男も結束して、こうした「男、めっちゃ有利」の現状を改めて行かねばなるまい。

どこをどう改めてゆくのか?はこの本に既に示されている。後は男たちが女たちと対等に付き合って行く事を真剣に望み、現状を具体的に改めて行く実行性が要求されているのだろう。

男たちよ。まずマチズモを削り取って、新しい一歩を具体的に踏み出すのだ。

20210808

戦後民主主義が生んだ優生思想

 旧優生保護法は、日本国憲法施行後の1948年に制定され、1996年迄、実に48年間もの間存続し続けた。まさに戦後民主主義という価値観のもとでこの法律は作られ、維持されて来たという事になる。この本で、その事実を指摘される迄、私はその事に殆ど気付かず、その異常さについて、何も考えずに過ごしていた。

「優生保護法は、優生政策を推進するための法律だった」にもかかわらず「その事が多くの人に意識されずに、法律の名前に「優生」と書いてあるにもかかわらず、その漢字の二文字が一体何を意味するのかについては、ほとんど誰も認識してこなかった」(市野川容孝)のだ。

基本的人権の尊重を謳う憲法のもとで、この法律が存在し得た事については、「憲法に違反するのではないか」という疑問が、この法律の成立当初から存在した。しかし、敢えてこの法律が違憲ではないと判断されたのは、障碍者や病者が子どもを産む事は、国家にとって、社会にとって不利益であるから、子どもを産まないようにすることは「公益」に叶うという憲法解釈がなされたからであった。

しかし、罷り通って来た事は、余りに異常な憲法違反である。その事に一旦気が付くと、その異常さは隠し通す事が不可能な程、明らかなものに思えて来る。

筆者は豊富な一次史料を読み解く事によって、この異常さが何故に存続し得たのかという疑問を史的に検証して行く。

旧優生保護法には、「優生」と「母性保護」のふたつの目的がある。この本は主に「優生」という目的に焦点を当てて論じている。

本書による立論を俟つまでもなく、優生学、或いは優生思想は、差別思想である。その事をまず敢えて指摘しておきたい。

確かに優生政策はファシズム体制を確立したドイツや日本のみで実施された訳ではない。そうであるから、優生思想をファシズムの特徴的な思想基盤であると見做す事は出来ない。1907年以来、アメリカ合衆国の多くの州では遺伝性と見做された、障碍者、病者、或いは犯罪者に不妊手術が実施されているし、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなど北欧の国々でも同様の法律が制定されている。しかしドイツや日本の優生政策は、長期的な戦争継続のための、強力な兵力の質と量の確保を前提とした、国民の体力管理政策と表裏一体の政策として施工された事を忘れてはならない。健康な国民には健康維持と体力強化、そして多産が求められ、その一方で特定の障碍者や病者から生殖の自由が奪われた。実現はしなかったが1940年に厚生省では、優生学的に健康である事を証明する医師の「証明書」を添付しなければ婚姻届を受理しないという、優生結婚法案も考えられていた。ここにこそドイツと共に日本の優生政策の特徴がある。

ジェンダー論研究や生命倫理研究、科学史研究では、こうした点の究明が軽視されているのではないかと、筆者は強調している。


本書は荻野、森岡、生瀬、松原らの先行する優れた研究を前提として書かれている為、省略された論点も多いが、独自の視点による史的検証も多くなされている。

中でも第3章に取り上げられている「胎児条項」に関する検証は、力点が置かれ、とりわけ優れた検証になっている。

1972年の改正案は議員立法ではなく、第三次佐藤栄作内閣の政府提出の法案であった。改正点は妊娠中絶手術の条件から、経済的理由を削除し、代わって「母体の精神または身体の健康を著しく害する場合」を妊娠中絶の条件とする事、そして、羊水検査による出生前診断技術の向上を前提に、胎児が重度の障碍や病気を有している場合の妊娠中絶を認める事、優生保護相談所で高齢初産に対する指導などの業務を充実させる事であった。

当時、水俣病、森永ヒ素ミルク、サリドマイド薬害、カネミ油症などにより、障碍児が産まれるという事件が多発していて、「胎児条項」とは「そのような障碍児の出産はやめた方が良い」と露骨に「不良な子ども」は切り捨てて抹殺してしまおうという趣旨だった。そこには高度成長を遂げた日本で「資本に役立たない人間は産まれる権利も許されない」という、国家と資本の意思が明白であった。

この動きの背景のひとつとして、筆者は兵庫県で始まった「不幸な子どもの生まれない施策」を挙げている。この施策を具体的に企画、立案し、「県全体を巻き込む大事業」にしたのは、県衛生部長の須川豊であった。

こうした兵庫県の「不幸な子どもの生まれない施策(運動)」については既に立岩真也が「青い芝の会」などの障碍者からの「私は不幸ではない」「あなた方が不幸にさせているのだ」という提起がなければ「それが良い事としてそのまま公的な衛生・福祉の施策として通ってしまうような状況」が作られたと指摘し、森岡正博は「「胎児条項」こそが、兵庫県の不幸な子どもの生まれない対策室に表れたような優生思想を、先鋭的に言語化したものである」と、この施策が「胎児条項」に大きな影響を与えた事を認めている。

続く「優生保護法とハンセン病」では、本来弱い伝染性しか持たないハンセン病を、あたかも遺伝病であるかのように強弁し、強制不妊手術の実施を招いた経過が、丹念に検証されている。

そこで明らかにされているのは、旧優生保護法そのものが、動かし難い人権侵害と憲法違反を帯びた、矛盾に満ちた法律だったという事実だ。

現在いくつかの地裁で、旧優生保護法は憲法違反であるとしながらも、政府の補償義務を認めないという不可解な判決が相次いでいる。本書はその現状に楔を打ち込む、重要な研究になるだろう。

20210806

リルケ「秋日」

 昨夜、蟋蟀が啼いていた。今年初めての事だ。調べてみると、毎年この時期になると啼き始めるようだ。季節がひとつ小さく動いたと感じた。

日中はまだ暑い。今日も猛暑日が予想されている。だが朝夕は格段と涼しくなり、今朝は4:04に起きたのだが、風が冷たく、肌寒くすら感じられた。

そう。私は暑さに戸惑いながらも、秋を感じたのだ。

毎年、最初に秋を感じた時に読む事にしている詩がある。それを引用しておきたい。


HERVSTTAG


Herr : es ist Zeit. Der Sommer war sehr groß.

Leg deinen Schatten auf die Sonnenuhren,

und auf den Fluren laß die Winde los.


Befiehl den letzten Früchten woll zu sesin;

gieb ihnen noch zwie südlichere Tag,

dränge sie zur Vollendung hin und jage

die letzte Süße in den schweren Wein.


Wer jetzt kein Haus hat, baut sich keines mehr.

Wer jetzt allein ist, wird es lange bleiben,

wird wachen, lesen, lange Briefe schreiben

und wird in den Alleen hin und her

unruhig wandern, wenn die Blätter treiben.



秋日


主よ、時節が参りました。夏はまことに偉大でした。

日時計のおもてにあなたの影を置いてください。

そうして平野に爽やかな風を立たせてください。


最後の果実らに、満ち満ちるようにお命じください。

彼らにもう二日だけ南国のように暖かな日をお恵みください。

果実らをすっかり実らせ、重い葡萄の房に

最後の甘味を昇らせてください。


今家を持たぬ者は、もう家を建てることはないでしょう。

今ひとりでいる者は、長くそのままでいるでしょう。

夜更けて眠らず、本を読み、長い手紙を書き。

そうして並木路を、あなたこなたと

不安気にさまようでしょう。木の葉が風に舞うときに。



この詩を実感するのは、もうひと月かふた月後の事になるのかも知れない。だが、私は明らかに昨夜と今朝、秋を予感したのだ。

話では国立あたりでは、もう蜻蛉が飛び、ツクツクボウシが啼き始めたそうだ。

この予感に、間違いはないだろう。


遙か南海洋上には、ふたつの颱風が列島を目指して進みつつある。恐らくその影響は来週いっぱい続くものと思われる。このふたつの颱風が通り過ぎた後、季節はどの様な局面を迎えているのだろうか?

時は移ろい、季節はゆっくりと進行する。盛夏は今日で終わり、晩夏と呼ぶにふさわしい気候になっているに違いない。

いつものように、アーダーベルト・シュティフターの『晩夏』を紐解く日が、ゆっくりとだが確実に近づきつつあるのを、私はかなりの確信を込めて思い描いている。


約束の日は近い。明日は立秋。