20200319

Cristina y Hugo


最も好きなデュオかもしれない。

SpotifyにもiTunesにもCristina y Hugoは登録されていない。なので今持っているベスト盤とYouTubeでしか彼らの音楽を聴くことは出来ない。

良くCDを買っておいたものだと自分を褒めたいと思う。

クリスティーナ・アイーダ・アンプロシオとマルティン・ウーゴ・ロペスの夫婦によるデュオだ。

彼らの音楽を特徴付けるのは、何と言ってもクリスティーナの圧倒的なソプラノだろう。

高校生の頃見たNHKの番組の中で、クリスティーナのスキャットは、ケーナを模倣したものだと字幕が出ていたのを覚えている。

ケーナのタンギングをクリスティーナは腹筋のみで再現している。これは他の追随を許さないものだ。余程鍛錬して鍛え上げた腹筋でなければとても不可能な切れを表現している。

とは言え、他のソプラノ歌手のように普段から咽を気にして生活していた訳ではなく、大声で笑い、話し、酒好きのウーゴに付き合って、ワインを飲み明かすことは日常茶飯事だったと言う。

ウーゴはそんなクリスティーナをギターで、ハーモニーで、そして唄の合間の詩の朗読(レシタード)で支え、息の合った演奏を繰り広げている。


1972年NHKの「世界の音楽」という番組で、アメリカの大きなジャズバンドの来日が急に中止となり、他のもので穴埋めをしなければならなくなった。折からのフォルクローレ・ブームに注目していた若いディレクターがおり、来日中のまだ無名だった夫婦デュオ、クリスティーナとウーゴに仕事を依頼することになったという。ジャズバンドの為に用意してあった莫大な制作費をそのままつぎ込み、番組は収録された。1973年2月14日、番組が放送されるとNHKには問い合わせの電話と手紙が殺到した。

日本でレコード会社が挙ってフォルクローレ作品を発売し始め、本格的なフォルクローレ・ブームと騒がれるようになった。

だが1986年6月5日午後10時、クリスティーナとウーゴは友人宅からの帰り道、小雨に濡れた道路にハンドルをとられ、ふたりの乗った日本車はバスに正面衝突。ふたりとも帰らぬ人となった。この時クリスティーナ35歳、ウーゴ52歳だった。
日本で最も多くのファンを抱え、最も多くのレコードを売ったフォルクローレ・アーチストだった。

幸いにも、YouTubeで検索すると、かなり多くの曲がヒットする。

中にはクリスティーナが歌うAve Mariaというレア音源↑もある。
皆様にも是非、彼らの音楽を堪能して貰いたい。

20200310

『ふれる社会学』

現代的なテーマを扱った社会学の教科書として書かれた本であるようだ。だが、社会学徒ではない私でも、充分愉しく、読み、学ぶことが出来た。

実にいろいろなものにふれている。スマホ、飯テロ、就活、労働等々。
それらはひとつひとつ深めたらどれも、1冊の本にする事が可能なテーマだ。

だがどのテーマも、軽くは扱われていない。鋭い切り口で切り取られ、
かなり深く掘り下げられている。

日常のともすれば個人的な事柄と扱われてしまいそうなテーマも、社会学的に見るとどうなるかが、首尾一貫した視点として、貫かれている。

「はじめに」にはこうある。

本書の14のテーマをつうじてあなたに伝えたいことはいたってシンプルだ。それは、わたしたちの日々のふるまいや考え方が、社会の影響から「自由」ではないこと、そして、わたしたちのふるまいや考え方が、社会を作り、社会そのものを変えていく、ということだ。

この本が教科書である事は、各テーマの終わりに「研究のコトハジメ」というコラムが付けられていることで、分かる。
テーマに取り掛かり、膨らませるコツが伝授されていると言う訳だ。

更に、巻末には「コトハジメるコツ」という5つの記事が付けられている。そこにはノートの取り方、フィールドノートの書き方など、精神論や個人のセンスや整理能力の有無などに帰されることが多い、研究の基礎的なコツが記されている。
教科書として、かなり親切な造りになっているのだ。


個人的には、飯テロの章が取り分け面白く読めた。
飯テロというのは、twitter等で、唐突に襲ってくる、美味しそうなご飯やスイーツの記事や写真を指すが、今まで、私はこれを迷惑な行為としてしか受け取っていなかった。だがこの飯テロを社会的な営為として捉えれば、個食からの脱却や知らなかった食材への興味などに繋げることが出来る。
これを読んでようやく私は飯テロを「愉しむ」ことが出来るようになった。
新しい世界を切り拓いて貰えた訳だ。

テーマの中には、ハーフや差別感情等、深刻になり勝ちなものもある。けれどそうしたテーマに対しても、著者らの冷静な筆致は崩れていない。徒に暗くならずに、あくまでも社会的な視野の元に、纏めている。


twitterでの報告によると、この本を実際に教科書として採用する大学も出て来たようだ。
この本ならば、学生も社会学に興味を抱くことが出来るだろう。実際の教育の場で、この本が生かされることを期待したい。

この本の双生児として、Webでも、「オンラインでふれる社会学」が公開されている。こちらも是非読んで貰いたい。

20200306

『災害と復興の中世史』

もうすぐあれから9年になる。
この本は東日本大震災から語り起こされているのだ。

舞台はヨーロッパ中世後期だ。数限りない災害が起きた。その中から洪水、地震、飢餓など9つの災害を取り上げ、そこから人びとがどのように生き延び、災害を乗り越えてきたかが描かれている。

著者は災害を〈人間の環境(コンディティオ・フマーナconditio humana〉の中心にあると位置付けている。

災害とは、とどめることのできない突然の暴力が日常生活に乱入してくることであり、無知であることを根本的に許さないものであり、そして人間の歴史が大地の歴史のほんの一部にすぎないということを見せつけるものだろう。

私たちは著者のこの見解に、思わず頷いてしまうだろう。

中でも、ヨーロッパの中世を実質的に終わらせた、ペスト大流行を中心とした疫病の章は、新型コロナウィルスが拡散しつつある今、他人事とはとても思えない迫力を持って、迫ってきた。

ヨーロッパ中世の人びとは、現在の私たちとは比べものにならないくらい、疫病に対して、無力だった。ペストに襲われることは、即ち死を意味すると言って構わない程の出来事だったのだ。

表紙にピーテル・ブリューゲルの『死の勝利』が使われていることは、無意味なことではない。

それでも、ヨーロッパ中世の人びとは、何とか生き延びた。そして、新しい歴史をそこから築き上げても来たのだ。

その事を思うと、私は言い知れぬ感動を覚える。

災害の歴史は、その研究が始められたばかりだ。
もちろん史料の発見、収集、整理、そして史料批判に手間が掛かるという点のみならず、災害概念の広さ、学際的な必要性からも、こうした研究の難しさが見て取れる。

しかし、災害が意味するものの重要性が理解されればされる程、この分野は発展してゆく事だろう。

この本は、そうした災害史の入門として、まさに最適と言い得る、深さと広さを兼ね備えている。

良い本に出会った。