危うく通り一遍の読み方をしてしまう所だった。
作者はイタロ・カルヴィーノである。何かを隠しているに違いないと思い返し、読み直して、おぼろげながら、主題のようなものを掴み取る事が出来たと思う。
それでもまだやはり何か見落としているのではないかという思いが消えない。
イタリアの商人マルコ・ポーロが、フビライ汗に、自分が旅して見聞して来た55の都市について語るという設定で、物語は進む。
一見単なる『東方見聞録』のパロディーである。
いや、勿論そうした見立ても間違いではあるまい。55もの都市を想像するだけでも、気が遠くなる様な桁外れの想像力だ。
だが、それらの都市が、マルコ・ポーロが実際に見て来た都市なのか、空想なのかは明かされていない。
ヒントは、何気なく書かれたような台詞、都市の名前に隠されている。
都市の名前が、全て女性の名前になっている。まずその事に気が付いた。
そして、フビライ汗はマルコ・ポーロに
都市は全て似通っていると指摘する。
そうなのだ。語られる55の都市は、全てヴェネチアの変奏になっているのだ。
それらが記憶、欲望、死などの人間の内面を象徴する主題を11のカテゴリーに分けて映し出して揺蕩い、幻の様に存在している。
記載は極めて簡潔でありながら、強いイメージを伴っている。それ故、読む者によって解釈が変わる、余白が多い構成になっている。
マルコ・ポーロによって語られる都市とは、即ち人間であり、都市の様相は人間の持つ多彩な側面を暗示しているのだ。
その事を理解した上で、『マルコ・ポーロの見えない都市』を再読すると、そこにはイタロ・カルヴィーノの持つ、極めて深い美意識が貫かれている事に気付く。
この作品の核心は、都市そのものではなく、都市を語る事=世界を理解しようと試みる事にあると言って良い。
更に読みは進む。
この物語には、言葉が通じない状況でも、意味は伝わるのか?世界は本当にひとつの形で理解出来るのか?と言った、様々な問いが隠されている。
なにしろこの本自体が、読みを重ねる毎に、見えて来る主題が千変万化する構成になっているのだ。
この作品は、イタロ・カルヴィーノの他の作品同様、時を置いて、何度か再読する心算でいる。その時には、今回とは全く別の感想文を認(したた)める事になるだろう。楽しみだ。









