20201124

ながらが出来ない

 Spotifyが3ヶ月980円のキャンペーンを始めたので、プレミアムに復帰。最初はAndrás SchiffのピアノでBach English Suitesを聴く。仄かに香る薔薇の様な芳香感が拡がる。


この感覚はクラシックならではのものだ。我が家に帰って来た様な、ほっとした気分になる。

プレミアムにしたので、広告も入らず、時間も気にする事なく聴ける。

だがその内にままならない事態が発生している事に気が付いた。

私は音楽を聴きながら本を読む事が出来ないのだ。

音楽を聴いている時には、活字が目に入って来ない。なんとかして本を読み始めると今度は音楽が全く耳に入って来なくなる。

折角プレミアムにしたのだから、音楽は聴いていたい。だが本を読まない訳には行かない。

妥協して、1時間ずつ本と音楽に振り分けて鑑賞する事にした。

考えてみるとこれは音楽と本に留まる問題ではなく、仕事から料理に至る様々な作業の中で、私はながらが出来ないのだ。洗い物をしながら魚を焼くなどという芸当は、とても無理な話だ。

その為、私の作業効率はすこぶる悪い。

本と音楽の様な趣味の領域では許されても、仕事となるとそうは行かない。

何とかしなければと感じている。だがこの癖が着いて64年。そう簡単に治るものではない。

どうしたものか?

訓練すれば、何とか治るものなのだろうか?

20201020

1991年の記憶がない

 立石洋子の『スターリン時代の記憶』という本を読んでいる。ソ連解体後のロシアの歴史認識に関する記述が並んでいる。ロシアも、過去の罪業に苦しんでいるのだ。

ところが、読んでいて気付いたのだが、私にはソ連解体の具体的な記憶がない。これだけの大事件なのに、気付いた時にはソ連は解体しており、国旗も代わっていた。

何故なのだろう?訝しんで自分の記憶を辿ってみて驚いた。私にはソ連が解体した1991年の記憶が完膚なきまでに失われているのだ。

1990年や1992年ならば、自分が何をしていたのか、おおよその記憶がある。だが、1991年に関しては、何も思い出せない。

Wikipediaで1991年を調べてみた。載っている項目のどれにも思い当たるところがない。流行語も事件も、ピンと来るところが全くない。

私は1991年、本当に生きていたのだろうか?急に不安になった。

今から29年前の事だ。完全に忘れ去る程昔ではない。

何故なのだろう。そう思って理由を探ってみるが、何しろ記憶が全くないので、手掛かりも掴めない。

次にまたWikipediaで1991年の日本を調べてみた。やはり思い当たる事がない。

だが、ひとつだけ、リアルに思い出せる項目が見つかった。

雲仙・普賢岳の火砕流だ。


このことに関しては、無闇矢鱈と鮮明な記憶がある。

と言うより、未だにその記憶から逃れられない。

特に6月3日の火砕流では、報道陣、消防団員など41人の方々が亡くなった。

それ以前から、現地の人々の余りな緊張感の無さに、言い知れぬ不安感を抱いていた。その果てにあの大参事が起きた。

今でもあのときもっと出来た事があったのではと思う。

私にとって痛恨の出来事だった。

私の1991年は雲仙・普賢岳の火砕流で、全てが占められているのだ。

火砕流は他の記憶の全てを押し流すに足る。大事件だったのだろう。

20201001

これが正規版になるのだろう

朝、macOS Big Sur Beta 9 11.0がupされた。すぐにインストールした。

実はこのupdateには、あまり期待していなかった。そろそろ正規版が出る筈だ。だが、にも関わらず、表示にはBeta 9とある。もしかすると、ベータチャンネルで登録してある限り、upされるのはあくまでもß版であり、いつまで経っても付き纏っているバグは、そのまま残されるのではないかと疑っていたのだ。

50分ほどの時間を掛けて、インストール作業を進めた。

いざ、起動してみると、何と!あの、散々悩まされていた「アプリケーション"com.avg proxy"へのネットワーク接続を許可しますか」のダイアログがいつまで経っても出て来ない。

これは!と、ようやく期待した。1分間待ってみた。やはり出ない。

無くなったのだ!

この様に、長文を入力していてもダイアログが出て邪魔されることはない。

なんと言う自由さだろう!

ようやくあのダイアログから解放されたのだ。

次に、開いているアプリをそのままにfinderを選択し、ほかを非表示にしてみる。そして、すべてを表示を選んでみる。全てが表示された。今迄これが出来なかったのだ。やった!このバグも解消されているのだ。

恐らく、これがそのまま正規版になるのだろう。それ迄バグをそのままにしておくとは、何と言う意地悪さだろうか。

これでやっと新macOS Big Surも「使える」OSになったのではないだろうか。

8月13日にBig Surのß版を最初にインストールしてから一月半、この時をずっと待っていたのだ。

それにしても気持ちが良い。バグのないOSとは、何と気持ちが良いものなのだろう。

20200929

いつ鑑賞するか

  フェデリコ・フェリーニの代表作『道』を録画できた。今からいつ観ようかと楽しみだ。けれどその「いつ」がどのくらい先になるかが分からないので、困っている。

録画したのは、『道』だけではない。他にも『ガッテン』や『ブラタモリ』を始め、タリス・スコラーズが出ている音楽番組や『NHKスペシャル』など幾つもある。

基本的にテレビのチャンネル権は女房殿に預けてあるので、どうしても観たい番組は、録画して、一人のとき観ることにしている。

だが、その一人のときが問題なのだ。

録画をまず話題に載せたが、している事はそれだけではない。NetRadioHunterというソフトを手に入れたので、ラジオの番組で、これはと思うものをどしどし録音している。

月曜から木曜の14:00から15:50までの『クラシックカフェ』を始めとして、その直前の『ビートルズは終わらない』。月曜から金曜の19:30から21:10の 『ベストオブクラシック』は必ず録音している。


  

昼、録音した番組は基本、その場で聴くようにしている。それでないと、どんどん溜まる一方なのでこれは欠かせない。

また、月に一度、県立長野図書館と市立長野図書館から、それぞれ5冊ずつ本を借りているので、それも読まねばならない。

月に10冊というと、かなりの量になる。実質自由になる時間は、主にこれらの本を読む事に充てられている。

そうなると、録画したテレビ番組をいつ観るかが問題となってくるのだ。

それらを観る、まとまった時間がなかなか取れない。

ブルーレイは、録画してから5年が限界だと言う。

5年というと長い月日のような気がするが、現実問題として、もう限界を超えてしまったブルーレイも何枚もある。

これでは無駄にディスクを消費しているだけで、ただですらない金を浪費しているだけという、悲惨な状態を招いているだけという事になってしまう。これは避けたい。

どうすればいいのか。

今のところ、解決策は見つかっていない。

私にフェデリコ・フェリーニの『道』を観る日はやってくるのだろうか?


20200915

さらばATOK

賢くなったとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。

昨日でATOKの使用期限が切れた。Macを使い始めてから15年間、ずっとお世話になっていたが、お金が続かない。意を決して、Mac標準の日本語変換を使う事にした。

使ってみると、なかなか良いではないかという感触を持った。

デフォルトでライブ変換がオンになっている。この機能がある事自体を、私は知らなかった。入力する端から変換してゆく。これが結構使えるのだ。

ATOKほどではないが、予想変換もきちんとやってくれる。

そればかりか、これは全く期待していなかったのだが、辞書機能も備えている。

これならわざわざお金を払ってATOKを使用する必要はないなと感じた。

ここまで読んで分るように、私は今迄標準の日本語変換を、全く試さずに放置していた。昔の使い物にならないことえりの感覚で理解していたのだ。

ATOKは有料のIMらしく、それなりに高度な機能を付け加え続けている。だが、差別化を意識するあまり、余計な機能が多過ぎるようになってきたと思う。

普通の使い方をしている限り、標準の日本語変換で充分だ。

しばらくはこのままでやってゆくつもりでいる。

何事も試してみないと分からないものだ。

20200821

macOS Big Sur

自業自得とはこの事を言うのか?

macOSの新しいヴァージョンBig Surのß版をインストールした。今日、初めてのupdateがあった。

この新しいOS、使えなくなったアプリは少なくて済んだのだが、com.何とかプロクシというアプリ(そのようなアプリは入れた覚えもなければ、いくら探しても、どこにも見つからない)のネット接続を許可せよというダイアログが、10秒に1遍くらいの頻度で瞬間的に現れ、仕事の邪魔をする。当然新しいヴァージョンでは、これが改善されているだろうと予想していたのだが、あに図らんや、ダイアログは同じ頻度で現れる。現れると、その度に作業が中断され、邪魔でしょうがない。

加えて、Finderで多用してきた、隠す機能のすべてを表示が効かなくなってしまった。一旦ほかを隠すを使うと、その後はひとつひとつのアプリを選択し、表示させてゆかなければならない。

そもそもmacOSは、正規版でも、人より先にヴァージョンアップする人のことを人柱と称するほど、危険なものなのだが、ß版ではそれ以上に自己責任が問われる。まさに人柱なのだ。

なので人柱として報告しておく。Big Surにはまだヴァージョンアップしないほうが良い。

とにかく基本的な機能で、使えなくなったもの、使い勝手が悪くなったものが多すぎるのだ。

だが、予想外の機能が使える事も報告しておかねばなるまい。大抵、最初のヴァージョンでは、固定されているデスクトップピクチャーのダイナミックが、このBig Surでは、最初から機能しているのだ。これは嬉しい誤算だった。

とは言え、今回のupdate、何の為のupdateだったのか、さっぱり分からない。新しい機能は、幾つか散見される。だが、肝心のバグが直っていないどころか、新たに現れたバグが存在する。アプリを使っていると、マウスの動きが極端に遅くなったり、ダイアログの出現とタイピングのタイミングで、キーボードが効かなくなったりと散々だ。

余計な新機能はいいから、困っているバグをなんとかして欲しかった。

これから先、updateはß版で行われる。今苦しんでいるバグは、いつの日にか解消される事はあるのだろうか?その事を思うと、かなり不安になる。

20200728

ビーガンという生き方

マーク・ホーソーン『ビーガンという生き方』という本を読んだ。包括的なヴィーガンへの入門書。それがこの本の位置付けだろう。だが、その及ぶ範囲は広い。既にヴィーガンを実践している方にも、多くの気付きをもたらすに違いない。

ヴィーガンと言って多くが誤解するのは、只単に健康のために肉を摂らない人というイメージだ。勿論そこから入っても構わないが、正確にはそうではない。ヴィーガンは全ての動物の搾取に反対し、動物の権利を守るという自覚の元に、全ての動物食を拒否すると共に、衣の面では皮、羽毛、羊毛など、動物起源の素材を拒否し、科学の名で行われる動物実験にも反対するという総合的な生き方を指すのだ。

一見禁欲的な生き方の様に思えるかも知れないが、理解を深めるとそうではない事が分かってくる。

禁欲ではなく、解放なのだ。

人間は、ペットなど、一部の動物を愛玩すると同時に、牛、豚、羊、などの肉を平気で食する。だが、その肉を作る畜産業で、どの様な事が行われているのか、意外と知らない。それらは巧妙に隠蔽されている。例えば私が使っているATOKでは、屠殺という語は登録し無い限り表示されない。
ポール・マッカートニーは言う。

もし屠殺場がガラス張りだったら、誰も肉を食べないだろう。

事実を直視し、現実を学べば学ぶ程、私たちが動物に対して、とてつもなく残酷な仕打ちをしている、またはそれに加担していることを知る事が出来る。それは既に紹介した映画"Earthlings"や、ゲイリー・ヨーロフスキーのスピーチを視聴するだけでも知る事が出来る。

ヴィーガニズムを理解するまで、私はヴィーガンの方々が、何故、屠殺場や酪農家の残忍な場面を敢えて見せつけるのかを、充分には理解していなかった。だが今は分かる。レイチェル・カーソンも言っている。

犠牲者が人間であれ動物であれ、残忍さを残忍と認める勇気を私たちが持たないかぎり、世界が見違えるように良くなることは望むべくもない。

要は単純な事なのだ。現実を直視し、思いやりのある世界を目指す。それだけの事だ。

この本がユニークなのは動物を虐待する種差別が、実は人種差別、性差別、階級差別、障碍者差別、植民地主義、異性愛中心主義と絡み合って存在しているとしている所だろう。

そうなのだろうと思う。もし、これらの差別に反対するならば、同時に肉を食べ続けるという事は大きな矛盾を抱える事になる。

誰も認知的不協和を抱えながら生きるのは、心地よい事ではない。一刻も早く、そこから解放された方が、生き辛さが格段に減るだろう。

私がこの本から学び、真似したのは、家族への説得の方法だった。懇切丁寧に説明されている。

この本の訳者、井上太一氏は脱搾取と書いてビーガニズム、脱搾取派と書いてビーガンとルビを振っている。この工夫には諸手を挙げて賛成したい。