警戒していた。
著者があのピエール・バイヤールだ。書いてあることを迂闊に素直に受け取っていたら、どんな痛い目に遭うか分からない。
無論、素直に読んでも面白い。だが、だからこそ厄介なのだ。
最初に著者は「未読の諸段階」と称して、読書に対する禁欲的な姿勢を覗かせる。
曰く。
1ぜんぜん読んだことのない本
2ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
3人から聞いたことがある本
4読んだことはあるが忘れてしまった本
もうお気付きとは思うが、「読んだ本」という項目はない。
ピエール・バイヤールにとって、本とは常に未読の状態にあるものであって、既読の本という存在はそもそも存在しないのだ。
振り返って我が身を見ると、これ迄私が行って来た読書という行為は、この4種類の未読の諸段階のどこかに位置付けられてしまう。私は本を読んだ事がないのだ。
えらい事になった。
全ての読書という行為が未読の本を増やす行為であるとしたら、本について語ることは全て、読んだことのない本について語る行為である事になる。我々に残されているのは、それをいかに堂々と行うかという事しかない。
次に著者はその「読んだことのない本について語る」経験が、どの様な状況で訪れるかという事の分析に入る。
ここでは、著者がいかに困った状況に置かれたかと言う、経験が存分に生かされる。
1大勢の人の前で
2教師の面前で
3作家を前にして
4愛する人の前で
どれも相当困った事になりそうだ。
こうした困った逃げ様のない状況が、どの様にして訪れるかについても、著者は詳しく具体的に例を挙げながら説明する。
作家を前にしてなどは、どうしたらその様な事が起こるのか、分かりにくいが、その説明で、私にも訪れて然るべき状況である事が分かる仕組みになっている。
さて、この様に分析して来た「読んだことのない本について語る」行為。それを私たちはどの様な方法で行ったら良いのだろうか?
それについては本書のメインテーマでもあり、最後の章を使って詳細に述べられている。
即ち
1気後れしない
2自分の考えを押しつける
3本をでっち上げる
4自分自身について語る
これで完璧だ。
もう何も恐れずに未読の本について、私たちは堂々と見解を述べる事が出来る。
だがどうなのだろうか?ここ迄詳細に分析され、結論付けられている「読んでいない本について堂々と語る方法」。使ってみて私たちの人生は少しは豊かなものに変わるのだろうか?
どうも私には語れば語る程虚しくなって行く自分が見えて来そうな気がしてならないのだ。
著者はパラドクスの天才として名を馳せたピエール・バイヤール。彼が本当に言いたいのは、著書で述べられている事の真逆。つまり「読んでいない本について堂々と語る方法」なんぞはこの世に存在しないのだと言う、その事なのではないだろうか?
私にはどうしても、そう思えて仕方がない。









