20261009

須賀敦子全集第1巻

これと言った著者を選んで、その全集を全巻読破する事にしている。

今回選んだのは須賀敦子。名エセーイストである。

かつて、彼女の全集は、文庫版で全巻持っていたのだが、引っ越しの折ブック・オフに売り払ってしまった。図書館に在庫があるのが、その理由だったが、今迄なかなか機会が掴めず、読まずに過ごしてしまった。

意を決して第1巻を借りて来た。

1985年から1996年にかけて発表された作品を収録した巻だと言う。


この巻の、中核を成すのは「コルシア書店の仲間たち」だろう。

須賀敦子さんがイタリアで過ごしていた期間、最も力を入れた活動のひとつ、ミラノのコルシア・デイ・セルヴィ書店を通じて出逢った仲間たちの話題が、愛情の籠った、詩的な文章で描かれている。

イタリアの文化を担う、一大拠点であろうと言う志があったのだろう。彼女の筆によって描き出される仲間たちは誰もが個性的で、人間としての魅力に溢れている。

コルシア書店に集まって来る人間達は誰もが、壮大な夢を抱いている。だが、そのコルシア書店の活動も、常に順風満帆と言う訳では無かった。

誰もが葛藤を抱え、時にぶつかり合い、悶着も起こす。だが、そうした負の経験ですら、コルシア書店と言う場を通して眺めると、独特の色合いを帯びて、浮かび上がって来る。

それはコルシア書店と言う場を共有する彼らが、何よりも、真実全力で生きているからであり、それを垣間見る私たちは、その姿につい感動を覚えてしまうからだと思う。

この巻の冒頭には、「ミラノ 霧の風景」と題されたエセーが掲げられている。ミラノに住む人々は、ミラノの霧の風景に誇りを抱いている。

ロンドンの霧など、ミラノのに比べたら影が薄くなると、認めていた。

霧の「土手」と言うのか「層」と言うのか「バンコ」と言う表現があって、これは車を運転していると、不意に土手の様な、塀の様な霧の塊が目の前に立ちはだかる。運転手はそれが霧だと先刻承知でも、反射的にブレーキを踏んでしまう。

今住んでいる土地でも、晩秋から冬に掛けて、かなり濃い霧が立ち込めるが、ミラノ程の濃い霧には、今迄立ち会った事がない。

そのミラノの霧が、誰もはっきりした理由が分からないまま、姿を消し始めているのだと言う。暖房に重油を使わなくなったからだと言う人もいる。あんな霧、無くなった方がいいですよと、ミラノに住んでいる日本人は言うが、古くからのミラノ人は何となく淋しく思っているのだそうだ。

第1巻の最後を飾るのは、「旅のあいまに」と題された、単行本未発表の、様々な知人を巡る思い巡らしだ。

須賀敦子さんは、人生の中で出逢って来た様々な人々を、ひとりひとり大事に扱って来たのだな。としみじみしてしまう。エセーで描かれる人々のひとりひとりを、彼女は実に愛情深く、描き出している。

これは単なるエセーではなく、詩だ。読み終えてその事を、深く納得した。

20261003

詩人茨木のり子の誕生

熊谷誠人『詩人茨木のり子の誕生─西尾の少女の物語』。

よく調べたものだ。そしてよく考え抜かれている。

この本を読んで、今年が茨木のり子の生誕100年に当たる事を知った。それ程昔の人だったのかと、改めてびっくりする。彼女の言語感覚は、現代人と殆ど変わらない。若い。

しかし「わたしが一番きれいだったとき」などの作品を思い浮かべると、その時代に納得が行く。

茨木のり子の伝記としては、後藤正治の『清冽 詩人茨木のり子の肖像』という労作がある。著者もこれには一目置いており、これを越える聞き取りは難しいと認めている。その上で、それと比べて、本書にはどの様な特徴があるのかを、冒頭で解説している。


【本書の特徴1】詩の背後にある原体験を読み解く

【本書の特徴2】詩人茨木のり子が誕生するまでの自己形成の物語

【本書の特徴3】人々を戦争に巻き込んだ昭和の時代を見つめる

本書は、各章の冒頭に茨木のり子の詩を掲げ、それについて、背景、原体験、時代を深く語ってゆく構成を採っている。

本全体が、詩の解説になっていると言って良い。

よほど茨木のり子がお好きなのだろう。その読解は、深く、その視野は広い。

本書を読んで、私は初めて、茨木のり子が若い頃、軍国少女だったと言う事実を教えられた。

幼い頃から成績優秀で人格高潔。常にクラスのトップに君臨して来た彼女が、戦争という時代に巻き込まれた時、それに対しても優等生であったと言う訳だ。

後に現代詩の長女と呼ばれた彼女は、常に時代の長女でもあったのだろう。

その彼女の詩を、細やかな手付きで解き明かす本書の姿勢は、従来の茨木のり子像とは、一味も二味も違う彼女の側面を、鮮明に描き出す事に成功しており、冒頭で解説している本書の特徴は、正に看板に偽り無しと言った所だ。

それらの事を念頭に置いて、彼女の詩を読み返す時、今迄とは全く異なった輝きが、彼女の詩から発している事に気付く。

私は、若い頃から茨木のり子の詩を読んで来たが、本書を読み、その読みが実に浅かった事を認めざるを得ない。

本書を読み、茨木のり子理解は格段に深まった。

著者の熊谷誠人さんには、心から感謝する。

20260930

20周年

このBlogは2006年9月30日に始めたものだ。つまり、今日で丁度20年経つ。

最初は『季節風』という題名だった。大気圏などの名称にその名残りがある。

『夏の扉へ』というサイトは別にあった。掲示板の題名だったのだ。こんな感じだった。


今から見ても、なかなか良いデザインだったと思う。

最盛期には、60人程の常連がいる、結構繁盛した掲示板だった。

掲示板の運営は、結構神経を使うもので、暇な時間は、常に掲示板の事を考えていた記憶がある。けれど時代とは冷酷なもので、その繁盛していた掲示板も、終わり頃にはお客さんも限られ、労多くして益少なしの状態だった。

その頃から世の中はBlog全盛の時代に移り、私も次第にBlogに軸足を移し始めていた。

そうなると『季節風』と言う題名も平凡に思えて来て、掲示板に使っていた題名が、いたく気に入っていた事もあり、『夏の扉へ』を掲示板とBlogの両方で使っていた。

そんな状態が2年くらい続いたろうか?掲示板の方に来るお客様も居なくなり、そこは閉じる事にした。

今感じるのは、Blogの時代も終わりかけているということだ。

読者数は極端に減った。

最盛期には2Kは軽く突破していた読者も、現在は300行けば御の字。ふと周りを見渡せば、gooなどもBlogサーヴィスを辞めており、Bookmarkに登録されているBlogで、今生き残っているのは数える程しかない。

世の中は、SNSなどの短文文化が幅を利かせているのだろう。

だが、今回振り返って過去記事を読んでみると、読者が減ったのは、時代だけの理由ではないと感じる。

昔書いたものは、結構面白いのだ。

考えてみると、当時は文章も結構気を使い、推敲も入念に行なっていた。

かつては、読書感想文専用のBlogも別にあり(今も存在する)、私の興味の対象も、多岐に渡っていた。

これでは読者数が激減するのも当然と言える。

そこで、一念発起する事にした。今回、20周年を迎えるに当たって、Blogのデザインを一新する事にしたのだ。

現在使っているBlogも、相当前に新デザインを採用する様促されてもいたのだが、今迄のデザインに愛着があり、変えずに使って来たのだ。

かつてはデザインの変更を行うと、ガラリと変更された記憶があるが、今回探してみると、現行デザインを踏襲するものが殆どで、使って来たパーツもそのまま残り、大幅な変更には至らなかった。

だが、このデザイン変更には、初心に戻ろうという意図を込めた心算だ。

大気圏などのパーツは、編集したいと昔から思っていたのだが、今回の変更でも編集出来ず、かつてのものをそのまま使うしか無かった。

だが、本文中に埋め込んだリンクなども、かつてより分かり易くなっており、有意義なデザイン変更になったと自負している。

時代の流れに抗して、これからもこのBlog『夏の扉へ』を続けて行こうと決意を込めた心算だ。

どうぞ皆様、宜しくお願い致します。

20260913

植物時代

ディーン・フォーク『植物時代─人類進化の種が蒔かれたとき』

副題がなければ、何の事か分からないだろう。

大抵の人類史の教科書は石器時代から始まっている。だが石器時代が始まったのはおよそ350万年前の事であり、チンパンジーとヒト族の分岐が始まったのはおよそ650万年前の事とされている。石器時代の前に途方もなく長い歴史があったのだ。


筆者は石器時代(The stone age)の前に植物由来の道具を使用していた植物時代(The botanic age)があったと主張し、その呼称を提唱している。

本書はその植物時代とはどの様な時代であったかを推測し、直立歩行、言語の使用が何故、どの様に始まったのかをまとめている。

しかし気を付けねばならないのは、筆者が本書の冒頭で断っている様に、本書には多くの推測が含まれている。それはこの長い時代区分には、道具に関する考古学的記録が殆どなく、ヒト族の化石記録もまばらである事に起因する。

仮説と呼ぶのも怪しい。作業仮説と言ったところだろう。

だが筆者はその限りある証拠を可能な限り掻き集め、大胆に憶測する事で、魅力的な作業仮説を構築する事に成功している。

一昔前とは違い、現在は多くの動物が、道具を使うことが認められている。恐らくヒト族が使用した最初の道具も、チンパンジーが用いる釣り枝の様なものだったのだろう。だが、非ヒト族の類人猿が用いる道具と、ヒト族が用いる道具との間には、決定的な違いがある。ヒト族の道具は「意図的に」作成されたものなのだ。

その作成された道具の起源を、著者は巣に求める。

簡単な巣であれば、熊だって作る。

ヒト族の巣は最初は樹上に枝、葉、蔓、小枝を使って編んでいたものと推測出来る。その習性は、優れた編み込み技術だけでなく、寝床が落下を防ぐという無意識の感覚(直感的な素朴物理学)によっても支えられていた。樹上の巣はヒト族のお650万年の歴史の前半に生まれた。それはベビースリングなどの他の植物学的発明の基礎になった。その後ヒト族の性別による体格差が決定的な時代を作る。恐らく雌や子どもとは体格が大きかった雄のヒト族は樹を降り、地上に巣を作って眠る様になった。完全な直立二足歩行の完成である。

ヒト族の女性の体毛は、非ヒト族の類人猿と比較して体毛が少なく、赤ちゃんの握力も小さい。その事から赤ちゃんの落下、もしくは赤ちゃんを地上に「置く」機会が増えた。

著者はそこに言語の発生の契機があったと考える。

本書の特徴の一つに、人類史の発展の契機に関わるジェンダー差が少なかったと考える姿勢がある。これは特筆すべき特徴だと私は考える。恐らく、従来の見方より、本書の姿勢の方が事実を精確に反映している。

他にも本書には、魅力的な作業仮説が数多く提唱されている。確実でないにしろ、それらは人類史を構築する上で、貴重な提言になると、私は確信する。

20260905

本棚の記憶

 三中信宏『本棚の記憶─みなか先生の読書人生と〈みなか食堂〉の自炊爛漫』

著者三中信宏さんには、類書を見ないと評したくなる本が多い。本作もまた独自の境地を切り開いている。本についての本は多い。また、料理の本も数限りなくある。だが、ひとりの人物が読書と食について、交互に語り、それが妙なバランスを保っている本には初めて出逢った。

著者には2003年から続く日記サイト『日録』がある。私はこのWebサイトの大ファンで、ここで知った本を読んだり、紹介されている料理を自分で作ったりしている。本と食が内容の殆どを占めるのは、本書と似ている。

だが、このWebサイトと本書が、連続したものであるとは、何故か私には思えないのだ。


本書は、著者の最初の記憶から始まる。何と!1歳半の伊勢湾台風の記憶があると言う。そこから、筆者は自分史をぽつりぽつりと語り始める。

著者が自分の思い出を語るのは、これが初めてでは無いだろうか?

それによると著者は1958年生まれと言う事なので、私とは2歳違いである事になる。

生まれは近いが、育った地域は京都と長野では随分違う。当然、環境はかなり異なる。だが、その時代の空気は似ており、共感するところが多かった。

加えて、独り遊びが多く、幼少の頃、友人が少なく、しかもそれを余り気にしなかった所も似ている。

独り遊びと言えば本であり、昆虫であり、つまり図鑑である。

私は子どもの頃病弱で、足に炎症を抱えており、元気な子どもでは無かったが、それでもこの三種の神器は抱え込んで育っており、それが後の人生に深く影響を与えている。

三中信宏さんにとって、読書と食へのこだわりは、その子どもの頃の独り遊びの延長にあるのでは無いかと想像した。

大学での一人暮らしが厨房生活の始まりであった点も、多くの人と共通する経歴だろう。生まれたのが戦後10年を過ぎる程度の年代。外食に頼るお金は、私には無かった。

違うのは厨房で使う食器の贅沢さで、三中信宏さんは最初からかなり良い品を揃えている。これは食へのこだわりの違いによるものだろう。私は厨房生活には、それ程固着しなかった。

若い頃口下手であったと言う告白も、意外だった。著者は授業をお座敷と呼び、喋りにかなりこだわりを持っている。人生の早い時期から、この傾向があったものと思い込んでいた。

この様に、本書は三中信宏さんが、人生の中で何を何故こだわって生きて来たかが書かれている。著者は自分のためにのみ本を書いてきたきわめて利己的な著者であると仰る。そこで私は勝手に空想するのだ。

著者はこの本で、自分が耽溺してきた読書と食を語る事で、人生いかに生くべきかを語っているのではなかと。

本書はいつも通り図書館で借りた。なので、本書に紹介されている様々なレシピを、実際に試みる時間が持てなかった。この点が返す返すも残念で仕方がない。

20260902

三くだり半

 私は我が家で世帯主という事になっている。私はこれがどうにも居心地が悪い。

我が家の実権は、客観的に見れば女房殿が握っている事は明らかだ。だが男であるという理由だけで、名目上の世帯主は私に押し付けられる。役所からの手紙などは私宛に届く。開けてみると女房殿宛であった事がいくらでもある。実権と名目の擦れ違いはこの他にも各所に露呈している。

本書、高木侃『三くだり半─江戸の離婚と女性たち』を読んで、最初に頭をよぎったのはその事だった。


江戸の女と言えば「女大学」であり、江戸の離婚と言えば夫の縦に「三くだり半」を女に投げつけての専権離婚、「女三界に家無し」の忍従の生活を強いられていたという思い込みが、確かに私にもあった。

そうではなかったと著者は言う。

まず女が離縁情なくして再婚したときは、髪を剃られて親もとに帰されたので、女が再婚するためには必ず離縁状を夫からもらわなければならなかったことが強調され過ぎる。その反面、男の方でも離縁状を渡さないで再婚すれば、所払いの刑罰が科されたことは、ややもすれば看過されがちである。この点に着目するとき、夫には離縁状を交付する権利があったというより、むしろその義務があったというべきである。

三くだり半の専権的なイメージは、音を立てて崩れてゆく。

そして、私がびっくりしたのは、三くだり半のヴァリエーションの豊富さだった。

筆文字で書いて三行半。そのイメージから、私はかなり書式が定まった、定型的な書面を想像していた。

この本の優れたところは、実際の三くだり半の書面の実例を、実に豊富に示している所だ。

離縁状には、仮に妻に責任があって離縁になる場合ですら、抽象的な文言しか記載せず、多くは全く離婚事由を書かなかった。

にも拘らず、その書面の実に個性的な事!

二行で済んでしまう様な内容でも、崩字を縦に伸ばし、無理矢理三行半にしたものもあれば、とことん詰めて書いて、どうにかこうにか三行半に纏めたものもあり、その文面は百花繚乱とすら言いたくなる物であった様だ。

そして驚いた事に、女から男に対して書かれた三くだり半もあり、そこから見えてくるのは忍従しなかった江戸の女性たちの姿だ。

私はそんな江戸の女たちに喝采を叫びたくなる。

20260824

きけわだつみのこえ

1969年の事だから小学5年生だったと思う。思春期の嵐が始まろうとしていた。ひとつのNWESが私の心を捉えた。

立命館大学広小路キャンパスで、学生運動のグループが「わだつみの像」を破壊した。当時の私はわだつみの意味も知らず、その像がどの様な経緯で建てられたのかも、そして何故破壊されたのかも知らなかったし、分からなかった。だが、当時幾つもあった学生運動のNEWSの中でもその出来事は妙に記憶に残るものになった。


戦没学生の手記、『きけわだつみのこえ』の存在を知ったのは、その数年後の事だった。

そして戦後50周年を記念する年、私は当然のようにこの『新版・きけわだつみのこえ』と『新版・第二集きけわだつみのこえ』を買い求めた。


私にはその2冊の本が、どこか重要な文献であるかの様に感じられ、いつか読まねばと思いつつ、30年が過ぎた。

この程纏まった時間が取れたので、その2冊を本棚から取り出し、神妙な気分を抱きながら読み始めた。

最初、その精神性の高さに驚かされた。

どの手記も大学に入ってすぐか、大学院在学中。夥しい数の学徒が、志半ばで軍隊に徴兵され、戦死している。その事実が書かれている。

夢中になって読んだ。

だが、期待が大き過ぎたのだろうか?途中から、延々と続く学徒たちの手記に、中弛みの様なものを感じ始めてしまった。

ロマンチックと言えばそれ迄の事になるが、それ以前に先走る観念的な思念に、どうにも我慢が出来なくなって来てしまったのだ。

いずれも東大や早稲田。将来を嘱望もされていたのだろう、エリート学生達の高邁さに、最初好意を持っていた精神性の高さも鼻に付く様になって行った。

それでも何故かそれが自分に課せられた義務でもある様に、何とかこの『きけわだつみのこえ』を読破もした。

1949年の刊行以来、無数の読者の心をとらえ続けて来た戦没学生たちの手記とある。多くの人々がこの本を読み、平和の尊さと戦争の非道さを感じても来たのだろう。その事が、何故か信じられない事でもあるかの様に、今の私には虚しさに似たものとして感じられるのだ。

戦後の所謂平和運動と称するものについても、私は再検討する必要があるのではないかと感じてしまっている。