20081231

大晦日の雪

昨夜降り始めた雨は日付が変わる頃雪に変わった。最初はちらほらと、そして2時頃からは本降りの雪。
これで2年連続の積雪の中の正月となるかも知れない。

自分で正月と書いておきながら…なのだが、世の中はクリスマスに次いで、今度は新年に向かって一斉に動いている。この一斉に…と言う奴にわたしはどうも乗り遅れるようだ。付いて行けない。

独り暮らしの時代はとうの昔に終わっており、次第に慣れて行くものと鷹揚に構えていたのだが、年を取るという感覚はむしろ歳とともに薄れて行く。

独り暮らしならばある程度すんなりと、そのまま過ごせていたのだろうが、この事が至る所で様々な形での摩擦を引き起こす原因になっている。鷹揚には構えていられなくなって来た。世の中なかなか面倒なものだ。

面倒だから面白いのだと、開き直って、この未曾有の不況の中で面白く生きて行く手立てを考えねばならないのだろう。


大陸から、季節風の吹き出しによる筋状の雲が押し寄せて来た。
西から回り込む様にやって来ている。この雪はその為西日本を含む広い範囲で積雪をもたらす可能性が高いと言う。

確かに、最初の筋状の雲が到達する頃雪に変わり、その雲が細い筋になったものが到達するや否や雪は本降りとなった。この当然過ぎるシンクロに、少しだけわたしの心は踊る。

この正月はドイツ語の基礎を固めるつもりでいる。
文法書と古典を読むつもり。


中東ではイスラエルによるガザ侵攻が本格的な戦争状態へと変わりつつある。少なくともイスラエルはそのつもりらしい。

このような状況に対し、語学の勉強、それもドイツ語やフランス語の勉強や、古典の読書は、古くて新しい問いかけの通りあまりに無力で無能だ。

どうせわたしと言う人間そのものが無力で無能なのだと、ここでも開き直って腰を据えてみるが、据えた筈の腰はすぐにそわそわし始め、これまたこの時期何やってんの?と思いたくなるような日本の報道にじりじりとした思いを抱く。

結局(様々な問題はあるにしても)有効な情報はまた、Webに頼らざるを得ない事となった。
メーリングリストやBlogなどを通してガザから伝えられて来る声は細いが、如何なる報道より力を持っている。

21世紀のピカソはガザで『ゲルニカ』を描かないのか?


雪が一旦消えた頃、ベランダの手すりに付いた汚れにびっくりした。

このところ、雪は最初から汚れて降って来るものになってしまったようだ。


新年への流れに乗り遅れつつ、わたしは雪を見て、語学を勉強しながらガザから送られて来る。そしてすぐに断ち消えてしまいがちな声に耳を澄ませる。

20081226

終日の雪

このところ、いつ雪が降り始めてもおかしくない天候だった。

昨夜降り始めた雨は23時頃から雪に変わり、気温も下がり続けた。今日の日付になってから、気温は零下を保ったままだ15時の気温は-1.4℃。これをピークにしてまた気温が下がり始めたので今日は一日中零下のまま終わるのだろうと判断出来る。0時に観測された0.3℃が本日の最高気温と言う事になるのだろう。

当然の様に今朝は雪掻きの音で目が醒めた。

4、5cmは積もっただろうか。

吹雪だった22日のような結晶がはっきりと見える程大きな雪ではなく、小さな結晶が集まった乾いた雪だった。こうした雪はすぐに積もる。
日中、薄日が射す時があったが、雪は相変わらず舞い続け、夜を迎えようとしている。

ここは東京のような交通網が発達した大都会ではない。交通機関に、そう大きな混乱はないだろう。大雪注意報が出ていたが、それ程の大雪とは思えない。ただ感覚がこちらの天候に慣れて来ただけなのかも知れないが、時々見えた山々の雪も思いのほか深くはなさそうだった。やはり雪は少ないと感じる。

普段は山々に見られる雪線が次第に降りて来て、里に雪が積もる。それが今年はかなり高い所に雪線が現れ、すぐ里に雪が付いた。

北信濃の盆地部ではホワイトクリスマスはまず見られない。だが、クリスマス明けには積雪が見られる事が多い。全く困った場所だ。今年は暖かく、雪も殆ど見られなかったので普段の年より積雪が遅くなると思っていたのだが、やっつけ仕事でもしているのだろう。積雪の時期だけ普段通りになった。見事な日程調節だ。

この程度の雪ならば、むしろ風情を感じる。

だが、駐車場や道路の各所に、掻き集められた雪の山が出来た。この山はここ暫くは解けそうにない。この山から寒さがほとばしり出ている。

こうした雪の山が、夏にあったらどれだけ涼しくなるだろうといつも思うのだが、世の中そう思い通りに出来ていない。やはり雪の山は冬にしか出来ない。

17時、遂に気温は-3.5℃となる。もうダメだ。

20081220

穏やかな土曜日

ひと月もBlogの更新をしなかった。

12月も下旬に差し掛かろうとしている。
ひと月前のエントリは初雪について触れている。だが、盆地部はもちろん全く雪がなく、山々の峰にも薄らと雪が付いているだけだ。大抵12月にもなれば真っ白になっている飯縄山も今年は殆ど雪がない。

この間、一度霙が降っただけで、概ね良好な天候が続いている。

市街地の本日の最高気温は12℃。まあこれは順当だろう。とは言え平年並みと言うのがそれ程当たり前な事とは限らない。気温は平年値を中心に、大抵大変高いか、大変低いかのどちらかである事が多い。平年並みの気温が続いている今年の冬は、むしろ異常気象なのかも知れない。

だが、この穏やかな日々ももうすぐ終わろうとはしている。この後北信濃はゆっくりと下り坂に差し掛かる。経済がではない。天候がだ。
経済の方は殆ど破綻していると言って構わないと思う。地方都市にいるとその危機感は差し迫ったものに感じない。けれど東京にいた頃の感覚を思い出してみると、この地に移住して来た頃より一層厳しいものになっている。

この頃ようやく、わたしは貧困層に属しているのではないか?と思い始めた。維持費が払えず、車を手放した辺りからその自覚は芽生え始めたのかも知れない。

ないか?なのだから、まだその自覚は浅いものと言える。まだ迷いがあるのだ。やはり貧困層とはもっと切実なものなのではないか?だが、貧困問題などを取り扱っている本などを読むと、わたしの年収は立派な貧困層のものだ。

このような年収の人間がコンピュータを持っていたり、本を増殖させているのは奇跡と言うより矛盾だ。…とは言え本を買う事も最近は随分控える様になった。もうこれ以上必要ないのではないか?と時々思いながらやはり購入してしまったりしている。

西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を買う。実体験だけに迫力がある。それにこの本は高度成長期にも貧困層はあったのだという立派な証拠になる。
日本やアメリカでは貧困問題は長い間忘れられていた。

貧困問題は格差の問題でなければ最近の話題でもなく、それ自体がひとつの国の失敗を示す、独立した問題だ。

だが、貧困層に属する事を自覚し始めた人間が、貧困の本を買ってどうする?

火曜日には雪が、いよいよ、予想されている。貧困問題をとりあえず放り出して布団を干す。

穏やかな状態は、そう長くは続かない。