20210328

iPhone復帰

昨日、ソフトバンク長野北店に行って来た。本体価格無料のセールが行われているので、ガラケーからiPhoneSE2に乗り換える為だ。

2010年の9月にそれ迄使っていたiPhone4からガラケーに替えた。どうにも不便で、ガラケーを使いこなす意欲もなく、ダラダラと使い続けていた。

だがそろそろ3Gサーヴィスが終わる。ガラケーは使えなくなる。

そこで、意を決してまた再びiPhoneに復帰する事にした。実に11年振りの事だ。

本体の色は新色でなかなかいい色に仕上がっているRedを選んだ。気に入っている。


最初は11年前に購入した、様々なアプリがそのまま復帰するのではないかと期待したが、それは無理だった。だが、基本的なアプリはプリインストールされている。

初日の昨日は、喜びを爆発させている暇もなく、初期設定その他の準備に追われた。ケースもあった方が良いだろうと、ヤマダ電機に行って、本体と同じ色のケースを5秒で選んで決めた。

やはり使い慣れたスマホは使用意欲も盛り上がる。面倒な各種設定も楽しめた。

失敗したのはWiFiに接続する以前に、幾つかのアプリをダウンロードしてしまった事だ。通信容量は最低の1Gしかない。既にその内の1/3程を使ってしまった。慌てて、WiFiに接続した。

ホッとしたのは、Lineのアカウントをまた新たに作らなければならないかと心配していたのだが、電話番号で登録すると、以前iMacで作り直したアカウントに、すんなり入る事が出来た事だ。そのまま使える。これは嬉しい誤算だった。

今日になって、本格的に使い始めた。出来る事の範囲がグッと拡がった。これは夢ではないのだ。本当に私はiPhoneに復帰出来たのだ。

20210326

Chooning

ついさっき、ChooningというSNSを始めた。いつも通りにpushucaで登録した。

Spotifyで聴いた音楽を共有するSNSだ。


始めたばかりなので、まだ2人しかフォローしていないし、1人にしかフォローされていない。

サーヴィス自体もまだ始まったばかりなのだ。

私のSpotifyの聴き方は、かなり特殊な方だと思う。クラシック、それも古い奴ばかりを聴いている。なので、Chooningでも、余り他の人の参考にはならないだろうし、私も他の人からの曲の紹介などは、余り期待していない。

最初にJohn Daulandのリュート曲を上げた。何と、それに反応を示してくれた人がいた。早速フォローした。向こうからもすぐにフォローバックがあった。

何も期待せずに始めてみたが、それでも何らかの出来事は起こるものだ。正直驚いた。調子に乗って、これという曲をどしどし上げてみた。

問題が発生した。iPodの電池は、余り持ちが良くない。何もしなくても、朝99%迄充電して、夜になると、ほぼ電池切れになる。

そのタイミングが矢鱈と早くなってしまった。Chooningに曲を上げるには、iPodを立ち上げなければならない。なのでその分電池は早く消耗する。

夕方16時頃、早くも電池切れになった。

仕方がないので、iMacのSpotifyに切り替えた。録音の年代が古い曲を選んだので、その影響も大きいが、今ひとつ音質が良くない。

SNSの為に、肝心の音楽鑑賞が妨げられるようでは、本末転倒である。

今後、このChooningとどう付き合ってゆこうか迷っている。

現在のSpotifyの使い方は、Daily Mixを主体にiPod+イヤホンで音楽を聴いている。そのスタイルは崩したくない。

FreeでSpotifyを使っているので、iMacからiPodを操作することは出来ない。なので、Facebookやtwitterに、曲を紹介してゆくことは不可能に近い。Chooningはその代わりにはなるだろう。

音楽鑑賞の妨げにならない程度に、ほどほどに付き合ってゆこうと考えている。そのうちに、私より古楽に詳しい方と出逢えるかも知れない。それを期待して、曲を上げて行くつもりだ。

20210311

Jacqueline du Pré

 Jacqueline du Préの存在を知ったのは高校生の頃だった。まだ生きていたが、演奏からは引退していた。

レコードを聴いて、まず、その演奏の迫力に驚いた。

兎にも角にも演奏を聴いて欲しい。全てはそれからだ。

YouTubeに感謝しなければならない。高校生の頃は考えもしなかった、ライブの演奏風景が簡単に視聴出来るのだ。

動画を視聴して、改めてその迫力の凄さに打たれている。

Jacqueline du Préは、まさにチェロと格闘している。演奏マナーは決してお行儀の良いものではない。だが、全てが必然性に裏打ちされている。彼女はそうあらねばならないが故にそうチェロを弾いているのだ。

4歳の時、ラジオでチェロの演奏を聴いたことがきっかけとなって、チェロの道を志たようだ。この早熟さにもびっくりする。5歳からはロンドン・チェロ・スクールで姉のヒラリー・デ・プレと共に正式に音楽演奏家としての道を進み始めている。

才能は早くから開花し、10歳の時既に国際的なチェロ・コンクールに入賞。12歳でBBC主催のコンサートで演奏を行なっている。

ロンドン・チェロ・スクールの次に入学したギルドホール音楽学校ではウィリアム・プリースに師事。彼を「チェロのパパ」と呼んで慕った。

正式なデビューは1961年。同年にはエルガーのチェロ協奏曲を録音し、チェロ演奏家として国際的な名声をものにしている。

この演奏を行う際に、ストラディバリが制作した 60余りのチェロの中でも、指折りの銘器と言われる1713年製ストラディバリウス”ダヴィドフ”を贈られる。Jacqueline du Préはその後、生涯を通じてダヴィドフを用いて演奏を行い、その予測不能さに悩み、かつ愛した。


しかし1971年(26歳)に指先などの感覚が鈍くなって来たことに気付く。この症状は徐々に悪化し、1973年の演奏旅行の時には既に満足の行く演奏が行えなくなっていた。同年秋に多発性硬化症と診断され、チェロ演奏家としては事実上引退。その後の数年間はチェロの教師として、後進の育成を行なっていた。

病は急速に彼女の体を蝕み、1987年に42歳で死去。余りに早く人生を駆け抜けて行ってしまった。


これらの事実を知った上で、もう一度動画を視聴して欲しい。いかに貴重な記録かが分かるだろう。