20260425

見えない都市

危うく通り一遍の読み方をしてしまう所だった。

作者はイタロ・カルヴィーノである。何かを隠しているに違いないと思い返し、読み直して、おぼろげながら、主題のようなものを掴み取る事が出来たと思う。

それでもまだやはり何か見落としているのではないかという思いが消えない。

イタリアの商人マルコ・ポーロが、フビライ汗に、自分が旅して見聞して来た55の都市について語るという設定で、物語は進む。


一見単なる『東方見聞録』のパロディーである。

いや、勿論そうした見立ても間違いではあるまい。55もの都市を想像するだけでも、気が遠くなる様な桁外れの想像力だ。

だが、それらの都市が、マルコ・ポーロが実際に見て来た都市なのか、空想なのかは明かされていない。

ヒントは、何気なく書かれたような台詞、都市の名前に隠されている。

都市の名前が、全て女性の名前になっている。まずその事に気が付いた。

そして、フビライ汗はマルコ・ポーロに

都市は全て似通っていると指摘する。

そうなのだ。語られる55の都市は、全てヴェネチアの変奏になっているのだ。

それらが記憶、欲望、死などの人間の内面を象徴する主題を11のカテゴリーに分けて映し出して揺蕩い、幻の様に存在している。

記載は極めて簡潔でありながら、強いイメージを伴っている。それ故、読む者によって解釈が変わる、余白が多い構成になっている。

マルコ・ポーロによって語られる都市とは、即ち人間であり、都市の様相は人間の持つ多彩な側面を暗示しているのだ。

その事を理解した上で、『マルコ・ポーロの見えない都市』を再読すると、そこにはイタロ・カルヴィーノの持つ、極めて深い美意識が貫かれている事に気付く。

この作品の核心は、都市そのものではなく、都市を語る事=世界を理解しようと試みる事にあると言って良い。

更に読みは進む。

この物語には、言葉が通じない状況でも、意味は伝わるのか?世界は本当にひとつの形で理解出来るのか?と言った、様々な問いが隠されている。

なにしろこの本自体が、読みを重ねる毎に、見えて来る主題が千変万化する構成になっているのだ。

この作品は、イタロ・カルヴィーノの他の作品同様、時を置いて、何度か再読する心算でいる。その時には、今回とは全く別の感想文を認(したた)める事になるだろう。楽しみだ。

20260420

侍女の物語

呪文の様な、或いは沈黙にも似た、言葉が続く。翻訳を通しても、私たちはそれが、途方もなく美しい言葉たちである事を知る。

衝撃的な作品を読んだ。

マーガレット・アトウッド『侍女の物語』がそれである。


いつもの様に、私はそれを図書館で借りて読んだ。

千切れたスピン。草臥れたページが、この本の履歴を物語っている。多くの、実に多くの読者に、この本は読まれて来たのだ。

物語が終わり、最後に付けられた、「歴史的背景に関する注釈」で、私たちは、語られて来たのが、ギレアデと呼ばれる、未来社会である事を知らされる。

そこで主人公は、奴隷の様な生き方を強いられている。

ギレアデでの生活に救いは無い。そして主人公オブフレッドたちはそこから抜け出す手立てを探す事すら諦めている様だ。

深い穴底で暮らすような生き様。僅かに、呼吸する事だけに自由が許されている様な閉塞的な空間。そこで、現在形で語られる物語を通して、私たちは主人公に、そっと寄り添う。

挟み込まれる幾つかの「夜」を乗り越え、最後の「夜」に辿り着いた時、私たちはそこで語られている未来が、私たちの生きる現実の世界にとてもよく似ている事にようやく気付く。

この物語に救いは無い。あるのはただ途方もない絶望感。だが、不思議にも、それはとても魅力的な物語になっている。

何故だろう?

20260414

大地の五億年

藤井一至『大地の五億年ーせめぎあう土と生き物たち』。

プレパラートを顕微鏡で覗き、僅かにピントをずらしてみる。そうすると同じプレパラートとは思えない程、多様な、変化に富んだ、思いがけない景色に出逢うことが出来る。

この本を読んで、同じような目眩き思いを体験出来た。


見ているのは地球であり、景色であり、日常である。けれど「土」にピントを合わせて、それらを観察している。

驚いた。

同じ日常が、これほど迄にかと思う程、普段とは違った景色に見えて来る。

大学で、土壌学の講座は受講していた。

なので、土壌学の基礎知識は、ある程度持っていた。だが、この本で体験出来た、土のミラクルワールドは、ついぞ体験した事のない魅力に溢れていた。

土は地球にしかない。

それは確かな、単純な事実。

だが、それを改めて大上段から振り下ろされるように語られると、今迄気付いていなかった事実を突き付けられているような、新鮮な驚きがあった。

その地球ですら、5億年前迄は、土は存在しなかった。

何故か?それは陸上に生物がいなかったからだ。

土は生物の揺籠であると同時に、生物は土の親でもある。生物が土を産み出しているのだ。

山ばかり歩いて来た。

だが、私の興味の対象にあったのは、まず岩石であり、次にそこで生きる動植物たちであった。土は、岩石を隠してしまう、むしろ邪魔な存在であり、私は、そして私たち地質屋はそれをはぎ取ってしまいたいという欲求すら抱いている。

土壌学も履修していながら、私は土に目を向ける事もなく、それを無視して、山を歩いていたのだ。

なので、映画や写真で、プリンス・エドワード島の赤い土を見ても、別段それを不思議にも思わず、当たり前の事として、見過ごしていた。

著者はそれを奇妙な事と喝破し、プレート・テクトニクスの仕業である事を見抜く。

本書には、かくの如く言われてみれば当たり前だが、今迄考えても見なかった事実に溢れかえっている。

読み終えて、最初に私が感じたのは、著者が、この本では、まだ語り切れなかった多くの事柄を抱えているのだろうな…という事だった。

それを裏付けるように、著者はその後も何冊も土壌の本を物にしている。

この本は、私の土に対する好奇心に、見事にヒットした。著者の他の本も、これからどんどん読んでゆく心算だ。

20260412

新Kindle

8日、amazonからメールがあった。

対象端末をお持ちのお客様へと題されたもので、それが私に当てはまるようだった。

2012年に日本で発売されたKindle端末のサポートを、2026年5月20日に終了いたしますとの事。

確かに私は2012年にKindleを買い、それを今迄使って来た。向こうにはそうした個人情報も、きちんと把握されているのだ。恐ろしいと言えば恐ろしい。

14年になる。

最近は、新しく電子書籍を購入しても、その表紙が表示されなくなって来ていた。

だが丁寧に使用して来たのだ。まだ本文を読むのに支障はない。充電もきちんと終了する。

あと数年は使うつもりでいた。

だが最後通牒は向こうからやって来た。

追加の電子書籍の購入、ダウンロードは出来なくなると言う。

続けて読むと、新たにKindleを購入する際に使える20%割引クーポンが付与されるとある。

これが区切りだ。そう思った。2割引で買えるとは、悪い話ではない。

amazonのサイトで端末を探し、Kindle Paperwhiteとカヴァー、保護フィルムがセットになっている商品を、その日のうちに選択した。

私はいざと言う時、決断が早い。

翌日注文。

翌々日の10日、夕刻に新Kindleは届いた。


端末を持って、最初にびっくりしたのは、その軽さだ。古い端末に比べ、一瞬で分かる程、明らかに軽くなっている。加えて、既に充電された状態で届いたのには驚かされた。

パスワードの入力に手間取りながらも、WiFiにちゃんと接続。

幾つかの設定をした後、ライブラリを呼び出した。

大丈夫、古い端末で欠けていた表紙も、ちゃんと表示されている。

次に驚いたのはその動作の軽さだ。

古い端末では、電子書籍を開く時など、一瞬の溜めがあったのだが、それがなく、実にキビキビと動いてくれる。流石に14年の進歩は伊達ではない。

サーヴィスはそれだけではなかった。

新端末が届いた時来たメールには、2,000円分の書籍割引クーポンが付与されていた。それにKindleを購入した時のポイントを加えれば、かなりの額になる。

夢は一気に膨らんだ。

気を落ち着かせる為に珈琲を淹れ、新Kindleで最初にした事は、リルケ詩集を開く事だった。


20260404

鸚鵡籠中記

『清左衛門残日録』という、NHKの時代劇だったと記憶している。舞台装置や衣装の色にまで気を配った丁寧な造りだった。その原典としてクレジットされていた事から、この作品の存在を知った。

『摘録鸚鵡籠中記・元禄武士の日記』。


題名は、籠の中の鸚鵡が、人の声を真似るように、見聞した事柄をそのままに記したものという意味が込められているらしい。

読み始めて、事件に次ぐ事件の連続に、江戸時代という時代は何と物騒な時代だったのだろうかと思ってしまった。毎月の様に、刃傷沙汰が起きている。


摘録である。

事件があった日の記録を抜き書きしてあるのだから、事件が相次いでいる様に感じるのも仕方なかろう。現代も、同じくらいの頻度で、事件は起きている。

元禄四年の記述から、巻之一と明記される。

この辺りから、この本は、俄然面白くなって来る。

著者朝日重章の、旺盛な好奇心には恐れ入る。

心動かされた事を手当たり次第記録している。

中には理に叶わない怪しげな情報もある。

元禄武士の日記と謳われているが、俎に乗せられるのは元禄時代に限らない。貞享年間から始まり、元禄、宝永、正徳、享保と、長きに渡って記録は続けられている。

公私共に、多事だった事が伺われる。

この記録の中には、当然の様に、地震、噴火、大火事などの様子が綴られている。それらの記録は、詳細を極めている。

当然一級の史料としての価値もある。

だが、旺盛な好奇心は、時として事実の裏付けを伴わない。玉石混交様々な情報が詰め込まれている。

つまり情報通である。江戸に住んでいながら、名古屋や北陸の事件についても、同じ比重で日記されている。

一体著者はどの様にして、これらの情報を得ていたのだろうかと気に掛かる。

謎だ。