20140112

桜島噴火記

本棚から古い本を取り出し、読み始めた。
柳川喜郎『桜島噴火記─住民ハ理論ニ信頼セズ』

神保町で50円で買ったものだ。
しかしこの本、未だに高値で古書店に出回っている。

この程東大地震研の方々のご尽力により再版され、適正な価格で入手する事が出来るようになった。

復刻  桜島噴火記─住民ハ理論ニ信頼セズ

今日(12日)はここに書かれた桜島の大正噴火から丁度100年に当たる。

100年前の今頃、桜島は大噴火していたのだ。

それを思い浮かべながらこの本を読んだ。

この本の冒頭付近に
50cm程の台石の上に建てられた細長い2mぐらいの新しい石碑
に書かれている問題の文章が引用されている。

 大正三年一月十二日、桜島の爆発ハ安永八年以来の大惨禍ニシテ、全島猛火ニ包マレ火石落下シ、降灰天地ヲ覆ヒ光景惨膽ヲ極メテ、八部落ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ。
 其爆発数日前ヨリ、地震頻発シ岳上ハ多少崩壊ヲ認メラレ、海岸ニハ熱湯湧沸シ旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等、刻刻容易ナラザル現象ナリシヲ以テ、村長ハ数回測候所ニ判定ヲ求メシモ、桜島ニハ噴火ナシト答フ。
 故ニ村長は残留ノ住民ニ、狼狽シテ避難スルニ及バズト論達セシガ、間モナク大爆発シテ、測候所ニ信頼セシ知識階級ノ人、却テ災禍ニ罹リ、村長一行ハ難ヲ避クル土地ナク、各々身ヲ以テ海に投ジ漂流中、山下収入役、大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ最期ヲ遂グルニ至レリ。
 本島ノ爆発ハ古来歴史ニ照シ、後日復亦免レザルハ必然ノコトナルベシ。
 住民ハ理論ニ信頼セズ、異変ヲ認知スル時ハ、未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ、平素勤倹産ヲ治メ、何時変災ニ遭モ路途ニ迷ハザル覚悟ナカルベカラズ。茲に碑ヲ建テ以テ記念トス。
 大正十三年一月                東桜島村

この碑文は重く、大切な教えを今に伝えている。

大正三年の桜島噴火に先だって、現地の桜島では、さまざまな異常現象が認められたので、村長が対岸の鹿児島測候所に、「噴火の前兆なのではないか」と問い合わせたところ、「噴火はない」という回答であった。しかし桜島は噴火し、測候所の予測を信じて島に残留していた人たちが死亡したと碑文は語っている。

防災・減災に関心を寄せる者としては、耳の痛い、重い事実だ。

2011年新燃岳噴火では住民が「理論ニ信頼セズ」避難したら、その行動を非難した人たちがいた。

100年経っても何も分かっていない。


科学を信じるなと言っているのではない。

科学者を過信するなと言っているのだ。権威に平伏するなと言い換えても良い。


この本が出版されて、30年経つ。

丁度100年目の日に、準リアルタイムでこの本を読み終え、その記述が全く古びていないことに驚かされた。

この本の終わり辺りに「尾生(びせい)の信」という言葉が出て来る。

史記蘇秦伝にある故事で、尾生という若者が橋の下で女と会う約束をして、待ち続けるうちに大雨による増水で溺死してしまう、というものだ。

固く約束を守るということを意味すると共に、融通が利かず愚直であるという例えでもある。


福島第一原発事故の時、当時を振り返って斑目元安全委員長は
「首相から炉心が露出したらどうなるか問われた。水素ができると答えると、爆発が起きるのかと問い返された。そこで格納容器の中は窒素で置換されていて(酸素はないので)爆発は起きませんと答えた。」と証言している。

それに対して当時の総理大臣菅直人は著書で、斑目元委員長の言葉を聞いて安心したのが『大間違いだった』と書いている。

ちょっと見たところ斑目元委員長の無責任な態度だけが際立つ。
だが、これこそが尾生の信を菅元首相がそのまま演じた姿だったのではないだろうか?

現実に、原発は次々に爆発した。


災厄は必ず起きる。
それが起きた時、誰かのせいにしても何も始まらない。

必ず起きるものに対して、柔軟に対応できる姿勢は常に取っておきたいし、またそれを促す防災・減災技術にしてゆかねばならないのだろう。


100年前の今日。測候所の予測は外れ、桜島は大噴火した。

20140109

時と共に在る

かなりの充実を、生活に感じ始めている。

酷い鬱の時は、時が水飴で出来ているようで、なかなか進んでくれなくて、それに耐えることが出来ず、自分を滅ぼしてしまいたい衝動に駆られていた。

今、そうした感覚はない。

自分の存在がきちんと時と共に在り、関係は整合している。

年末からミシェル・フーコーの『狂気の歴史』を読み始めた。
DVDで『アマデウス』を観、『うさこさんと映画』の中でそのエンディングについて「かつてフーコーが提示した「狂気」の定義そのもののような迫力が漂う。」と書かれているのを読み、フーコーは狂気をどの様に定義しているのだろうと関心を抱いたのが切っ掛けだった。

不純な動機である。

だから完全な敗北だった。フーコーのフの字も解読できず、その浩瀚な書物のかけらすらものに出来なかった。

暫くフーコーは放置しておいた。

10月頃、ふと気が付くと、今迄殆ど機械的に未読を既読にするだけで、殆ど目も通すことがなかったRSS Readerをこまめにチェックしている自分に気が付いた。

英語やドイツ語の記事にも(分からないなりに)取り敢えず目を通している。

これなら難解なフーコーにも食いついて行く事が出来るのではないかと(気の迷いだが)思ったのだ。

で、11月頃再挑戦、再敗北。

そこで中山元さんの『フーコー入門』を紐解いてみた。

これが正解だった。
丁寧な解説書だった。

分かり易く、それでいて肝心なところを外していない。

フーコーの知的な誠実さを良く拾い上げた内容だった。

この本で『狂気の歴史』の大筋を教えて頂いたので、ようやく私にもフーコーは解読可能な本になった。

狂気の歴史を描くということは、実は心理学というものが誕生するための条件を描くことだった。狂気は心理学の一つの対象ではなく、心理学の成立の条件そのものであり、この心理学という学問は、十九世紀以来の西洋世界に固有の文化的な事件であった。狂気の歴史はある意味では心理学の誕生の歴史でもあった。『狂気の歴史』のサブタイトルを〈心理学の考古学〉としてもよかったのである。

この場合の考古学は、勿論フーコーの『知の考古学』を引いている。


ひとつのものが見えてくると、他のものも急にはっきりと見え始めることがある。

フーコーが少しだけ見え始めてから、観る映画、聴く音楽が急に深いところで捕まえているという実感を伴うようになった。

今迄何を観てきたのか?そして聴いてきたのか?地団駄踏みたい気分だった。

実際、クラシック音楽に限っても、この1年間で4回程、今迄何も聴いてこなかった!と思い知らされるような感覚に襲われた。急に見えてくるのだ。

そうなると今迄無為に過ごしてきた時間が途方も無く勿体なく思えてくる。

自分の身の丈に合ったものをようやく読むようになったなどと自分に言い訳をして、下らないものを読んできた時間や金もとても勿体なく感じるのだ。

ものの値段というものは、それなりに合理的に付けられていると、時々感じる。安いものはそれなりのものしかない。

それなりに値段の張る、「よいもの」にきちんと触れた方が良い。


勿体ないことをして来たと思う思いは大切だが、半面しょうがなかったとも思う。

何しろ気力が湧かなかった。

長い鬱を抜け、結構被害もあった躁状態も過ぎ、ようやく努力できる精神状態を獲得することが出来てきたと感じている。

年始としてはこの上ない好発進だと思う。

この感覚を大切にして、「よいもの」に出会いたいと思っている。