20240414

アーレント政治思想集成

どのアレント本を読んでも、必ずと言って良い程引用されている。

丁度今月は図書館から借りた本を全て読み終える事が出来たので、その本を本棚から取り出して来た。読み始めてすぐに強く引き摺り込まれた。

比較的短い、41篇の論考が収められている。それらが、息をも付かせない迫力で、次々と迫って来るのだ。


ハンナ・アレントの思考は、大戦間期という虚な、そして思想的に厳しい空間でまずは養われ、第二次世界大戦後という、困難な時代に開花した。まさに時代が産んだ思想家と呼んで構わないだろう。

だが、その環境を十全に活かしたのは、彼女が終始抱いていた、理解する事への強い衝動があった事を、本書は鮮やかに照らし出している。


ハンナ・アレントは哲学者と呼ばれる事を嫌っていた。「私の職業は政治論です」と明確に言い切っている。

ハイデガー、ヤスパースと言った錚々たる哲学者の指導を受けたハンナ・アレントは、しかし、哲学と訣別したとも言っている。これも彼女をして哲学者であり続ける事を、時代が許さなかったのだろう。

ドイツからの亡命ユダヤ人。その境遇は第二次世界大戦後の世界の中で、決して穏やかなものではなかった。何故ドイツ人はヒトラーを支持したのか?何故ユダヤ人は、迫害されなければならなかったのか?それらの疑問は、次々にアレントに襲い掛かり、アレントは必然的に、それらを理解する衝動を獲得したのだろう。全体主義とは一体何だったのだろうか?

彼女は書く。

理解することは、正しい情報や科学的知識をもつこととは違い、曖昧さのない成果をけっして生み出すことのない複雑な過程である。それは、それによって、絶え間ない変化や変動のなかで私たちがリアリティと折り合い、それと和解しようとする、すなわち世界のなかで安らおうとする終わりのない活動なのである。

この理解の定義に、私は大きく頷く。そして、自らに問いかける。私は、私たちを取り巻く世界を、ハンナ・アレントの様に明晰に理解しているだろうかと。

私には、私たちが、アレントと同様な、困難な不安定な世紀を生きているという自覚がある。そうした時代を生き抜く上で、十分に信頼できるとは、決して言えない政治家たちに命運を握られ、先行き定まらないままに、漂っている。

私もまた、それらを理解したいと強く意志しているのだ。

本書を読んでいて、その理解への衝動が、アレントと共鳴する事を、私は自分に禁ずることが出来なかった。

私には、政治的な才覚が、根本的に欠けている。その事を、大学時代、嫌という程思い知った。そんな私だが、政治は、私を避けては通ってくれない。どんなに嫌でも、面つき合わせて生きて行かざるを得ない。むしろそれだからこそ、私は世界を理解する事を強く望む。

幸いな事に、私たちは暗い時代を生きているのではない。それも確かな事。その行程を、後ろから、強い光で照らし出してくれる。ハンナ・アレントとは私にとって、そんな存在なのだ。

今回、不完全ながらも、それなりの集中力を持続して、大著を読み切る事が出来た。これからも、ハンナ・アレントやその他の著作を、一冊ずつ、私は読んで行くだろう。その根底に、今回自覚した理解への衝動がある事を、私は半ば誇らしく、半ば恥ずかし気に感じている。良い読書体験が出来た。

20240402

緋の舟

染色の人間国宝にして、随筆の名手である志村ふくみさんと、最も良心的な作家のひとりである若松英輔さんが往復書簡を交わし合っている。それだけで、内容に深みがある事を期待しないではいられない。


だが私は甘かった様だ。ゆっくりと読み進めるうちに、その手紙たちの深みが、私の予想を遥かに越えたものである事に気が付いた。

お二人は手紙の中で、リルケをそして柳宗悦などを語り合っている。その読みの深さが、私には想像も出来ないレベルで、深いのだ。

往復書簡は1年を費やし、12往復している。春に始まり冬で終わるその手紙たちは、お互いに尊敬し合い、理解し合っている事が、文面に溢れんばかりに横溢している愛情の深さから、察する事が出来る。

美しい本である。その表紙の色合い。途中に織り込まれたカラー写真の美しさはもとより、栞紐の色にまで、気を配って造られている。

その装丁の美しさが、内容の美しさと呼応している。

書を読む者として、この様な美しい本に出逢えるのは、法外な喜びである。

本の終わり付近に、編集者の粋な計らいが添えられている。

「鍵の海」と題されたコラムに、手紙たちの中に現れるキーワードを、原文の引用を含む文献集として纏めてあるのだが、これを読んで、私の力量ではとても読み解けなかった、手紙たちの更なる深みを、ようやく理解する事が出来たのだ。

手紙たちの内容に踏み込むのは、敢えて避けようと思う。その方が、この本をこれから読む方たちにとって、フレッシュな姿勢で、臨む事が出来るだろうと思うからだ。

ひとりでも多くの方と、この本の深みを共有したいと、私は心から望んでいる。

20240327

椿の海の記

水俣病を知る以前の水俣の風土が描かれている。

石牟礼道子の自伝的小説と読んで間違いはなかろう。

春の花々があらかた散り敷いてしまうと、大地の深い匂いがむせてくる。

この1行目から、作品のリアルさと深さに嵌まり込んでしまった。


描かれているのは、みっちんと呼ばれていた子どもの頃の石牟礼道子と、それを取り巻く大人達の生き方だ。

それは、知的でも近代的でもないが、周囲の自然に溶け込んだ、素朴な、それでいて力強い生き方を営んでいた事が、伸びのある、美しい文章で記されている。

子どもだった石牟礼道子は、不思議な力を持っていた様だ。他の誰にも心を開かない、精神を病んでしまった神経どん、おもかさまや、進出していた窒素肥料の「会社ゆき」を当てにして開かれた娼館の遊女たちも、みっちんには心を開き、交流を深めて行く。

それは椿の海と呼んでいた水俣の海も同様であり、潮の満ち引きや、巻き起こる漣を通して、そこで遊ぶみっちんに語り掛けて来る様だ。

貧しい漁村の風景。そう呼んでしまえばそこで終わってしまうのかも知れない。だが、そうした近代的経済の用語とは別の、自然と調和した豊かさが、そこにはあったのではなかろうか?

近代はその豊かさを根こそぎ破壊し、やがて水俣は水俣病の荒波に押し流されていった。

それは時代の必然だったのかも知れない。失われた豊かさを振り返るのは、感傷なのかも知れない。だがそれでもなお、近代が破壊し尽くしたものに、かけがえのない大切なものを感じることを、私は否定する事が出来ずにいる。

調和した豊な椿の海。それは石牟礼道子という貴重な語り部によって記されなければ、とうの昔に失われ去っていた光景なのかも知れない。

その意味で、この『椿の海の記』は、貴重な、そして奇跡的な記録文学であるように、私には思える。

読み終えた時、私は不思議なそして深い感銘に包まれた。

20240319

怪物君

再読である。

前回は新しいiMacが届いたのと重なってしまい、十分にこの詩集に集中する事が出来なかった。加えて、吉増剛造の朗読を意識し過ぎてしまい、速く読み過ぎたとも反省していた。

今回は、意識的に、極めてゆっくりと読む事を心掛けて読んだ。


詩に書かれている事が、十分に腑に落ちる迄、ひとつひとつの節を噛み締め、それが出来る迄詩集を閉じて熟成させて読み進めた。

考えるな、感じろ!はブルース・リーの言葉だが、これは詩を読む時にも言える事だと思う。

現代詩は難解だと言われる。私はそう感じたことがない。現代国語の授業やテストの様に「作者の意図を答えよ」と問われたら、答えに窮するだろうが、それは詩を理解する事ではないと考えている。詩は、書かれた言葉を読んで、そこから何かを感じれば良い。

音楽を聴いて、作曲者の意図を答えよと問う者はいない。それと同じ事だ。

今回、『怪物君』を読んで、吉増剛造によって「書かれた」詩であるという事が、妙に説得力を持って感じられた。この詩集は書かれた言葉であるということに、とりわけ意味がある。

勿論、私は吉増剛造の声を想起する事なしには、彼の詩が理解出来ない。私は吉増剛造の声に導かれて、彼の詩の世界を旅する。

だが、この『怪物君』という詩集は、既に失われているという原稿に書かれた文字を想起する事で、理解出来た側面が大きく存在する。

その詩の言葉が、どの様な形態で書かれた言葉であったのかが、この詩集では、極限まで再現されている。その形態が必然である事を、私は素直に理解出来る。

吉増剛造の詩は、読者を選ぶ側面があると思う。彼の詩に感性を開けない者は容赦無く切り捨てられる。

吉増剛造の詩を読み始めてもう45年経つ、既に老境にある彼は、だが、今も尚新しい表現の方法に挑戦し続けている。私は全力を尽くして、その試みにどうにかこうにか追い付く事が出来ている。これは幸福な出逢いだ。

そして思うのだ、私の幸福は、吉増剛造の詩集を選んだ事ではなく、彼の詩集に選ばれた事にあるのだと。

私は多くの詩人の詩に、全身を晒して生きて来た。これからもそうあるだろう。私は詩人に選ばれて、生きながらえている。

20240302

だれか、来る

ノーベル賞作家ヨン・フォッセの代表作『だれか、来る』とエセー『魚の大きな目』、そして訳者河合純枝の『解説』が収められている。


『だれか、来る』は、何とも不思議な戯曲だ。

「彼」と「彼女」は、過去を捨て、二人だけの楽園を夢見て「家」にやって来る。しかし過去からは逃れられない。古い家には、先住者の遺物があり、その人たちの若い頃の写真がいっぱい貼られている。否応なしに、過去の時間に引き戻され、過去は現在となり、同じ平面で重層する。

そして突然、やっと得たと思えた楽園への入り口に立ちはだかる若い「男」。

「彼」と「彼女」は「男」の出現により、微妙にすれ違い始める。

話はこの様に要約出来る。と言うより、それしかない。

それしかないが故に、酷く難解だ。

ヨン・フォッセは何が言いたいのか?その問いに答えは無い。

台詞は非常に短く、断片的で、何度も反復する同じ表現。そして、この戯曲では、記載は少ないが「間」という言葉と言葉との間隔。言葉の断片の行き交うその間隙から滲み出す微妙な揺れ。観客はそれらからヨン・フォッセの「表現」を探り当てなければならなくなる。

読者は芝居で発せられる「声」を、嫌が上にも想定して読まねば、この戯曲からは何も与えられないだろう。

「声」と「間」、それがこの戯曲の全てだと言っても過言ではあるまい。

読んでいて、これと似た読書体験を、最近したと思い当たった。吉増剛造の詩。彼の詩は、彼の朗読を思い浮かべながらでないと、理解不能になる。

それと似た味覚が、この戯曲にはある。

そうなのだ。この戯曲を読んでいて、強く思ったことがある。これは戯曲の形をした詩なのでは無いか?

そう思うと、この戯曲が「分かる」。私たちはこの「声」と「間」に身を委ね、思う存分それを味わえば良い。

そうすれば、この戯曲に登場する「彼」と「彼女」は、現代のアダムとイブだと言う事に、素直に頷けるだろう。

良質な戯曲に出逢えた。

20240226

初期作品集

『石牟礼道子全集不知火第一巻』に収められた作品群である。

石牟礼道子の原点が『苦海浄土』にあるとするならば、この作品集に収められた作品群は、原点以前の作品たちと呼べるのかも知れない。

全集ではそれらをエッセイ、詩、短歌とジャンル分けし、それぞれを、ほぼ作成年代順に纏めてある。石牟礼道子はその作家人生を、詩人、歌人としてスタートさせた事が分かる。


『苦海浄土』以後に見られる、魂を高みに運んでくれるような精神性はまだない。若書きの荒削りな作品が並ぶ。だが、そこには異様なまでに荒々しい、激しさと力強さがある。

石牟礼道子が師と仰ぐ蒲池正紀さんは、石牟礼道子を歌誌『南風』に誘う時、

あなたの歌には、猛獣のようなものがひそんでいるから、これをうまくとりおさえて、檻に入れるがよい

と批評したそうだ。よくぞ見抜いて下さったものだ。

作品に一貫として流れているのは、弱い者、小さい者に寄り添おうとする姿勢だと思う。最初期の詩は、蟻に向けられている。これは石牟礼道子の全生涯を通じて、貫かれている姿勢なのではないだろうか?

エッセイでは、早くもその目が水俣病に向けられている。石牟礼道子にとって水俣病は、社会問題以前に、身の回りの郷里に起こった、ひとつの事件としてあったのだ。

石牟礼道子は、本によって育てられた作家ではない。本は教科書くらいしか読まなかったと言う。彼女の歌のリズムは、母親の話し言葉にあったとエッセイで語っている。母親の話し言葉は美しく、殆ど歌であったと言う。

そこで合点が行くのだ。彼女の方言へのこだわりは、(初期作品に既に現れているが)体裁の調った「標準語」による本からではなく、話し言葉から文学を学んだ故なのではないか?

エッセイにしろ詩にしろ短歌にしろ、その作品は年代を経るにつれて表現力が研ぎ澄まされ、「魂の秘境」へと近づいてゆくのが分かる。そのダイナミズムは、石牟礼道子を読んで来た者が『石牟礼道子全集不知火第一巻』に辿り着いて知る、何よりの醍醐味だ。

20240216

CBDの科学

日本はいつもアメリカを追い駆ける。

日本では1万年以上前から大麻を生活用品として利用してきた歴史がある。第二次世界大戦直後のGHQの占領下でメモランダム(覚書)が発行され、全ての大麻類が全面禁止になり、大麻草の利用も全面禁止となった。ところが、当時の農林省は、繊維製品や魚網などで、生活に不可欠な農作物であるとGHQに進言し、都道府県知事の許可制となって、栽培が継続されることになった。

一方で麻薬取締法と大麻取締法は1948年7月10日という同日に施行されたが、医師の取り扱う「医療品」と農家の取り扱う「農作物」が区別された為、別々の法律として、管理下に置かれた。

アメリカの力によって、大麻の使用は禁止されたと考えて良い。

だが、そのアメリカが動き始めた。

医療用大麻の使用を認める州が続出し、嗜好品としても認める流れになって来たのだ。

こうなると日本もそれを追い駆け始める。

大麻取締法の改正に向けた動きが出始めたのだ。


本書は、医療用大麻の第一人者による、大麻由来成分CBD(時にはTHCも)の薬効を、網羅的に概観した医学書である。

原題はCBD:What Does the Science Say?

様々な憶測や噂が飛び交っているが、現代医学では、どう見られているのか?それを纏めている。

読解には苦労した。予備知識が40年も前の受験生物学のものしか持ち合わせていない。本書には、様々な病気の、最先端の知識が詰め込まれている。それをいちいちネットで調べながら読んだので、時間が掛かってしまったのだ。

本書はCBDの化学的及び薬学的特徴から始まり、てんかん、癌、自己免疫疾患、不安、PTSD、うつ病、統合失調症、依存症などとありとあらゆる角度から大麻由来成分の働きを、事細かくチェックしている。

読んでいて歯痒かったのは、至る所で「〜の検査が必要」「〜の研究が不足している」と結ばれている事だった。

医療用大麻の歴史は浅い。つい最近になって、ようやく議論が始まったばかりなのだ。研究がそれ程進んでいない事は、驚く事では無かったのかも知れない。

殆どの研究はin vitroによるもの、in vivoでの研究は少し。と殆どが前臨床試験の段階であり、ヒト臨床試験が組織的に行われているものは、僅かな例に留まっていた。

分かった事は、CBDは万能薬ではない。だが、かなり広範囲に薬効が認められるか、その可能性がある成分で、しかも副反応がないという事実だ。

本書で、議論は極めて慎重に進められている。決して楽観視していない。むしろ大麻研究が何十年も放置されてきた歴史に苛立っている。

本書の結論は12章の「科学はここからどこに進むのか?」に述べられている事に尽きるだろう。

ヒトのさまざまな疾患に対するCBDの医療効果については、in vitroおよび前臨床in vivo試験からのエビデンスが豊富に存在することは明らかだが、こうしたエビデンスを裏付ける、ヒトを対象とした臨床試験はほとんどない。これらの主張は、質の高いRCT(ランダム化比較試験)で評価されることが極めて重要である。今のところ、CBDが持っていると主張されている効果の多くは、臨床試験が完了してその主張が裏付けられる、あるいは反証されるまでは、誇大広告の域を出ない。主張されている効果は、抗不安作用について最近報告されている(Spinella et al.2021)のように単に期待に基づくプラセボ効果にすぎないのか、それとも本当に臨床効果があるのか、その答えを提供するのはRCTのみである。

本書は、CBDに医療効果があるという主張が何らかの基本的な科学的根拠に裏付けられている適応症について概観したものである。つまり本書はこの、(薬物代謝肝酵素との相互作用には注意が必要ではあるが)毒性が比較的低く、THCのような「ハイ」を生じない非常に興味深いカンビノイド化合物がもたらす希望と単なる誇大広告を見分けるための、少なくとも出発点にはなるだろう。

議論は始まったばかりだ。そうした段階にある現在、冷静で網羅的な本書が出版され、日本語に訳されたという事実は、その議論を慎重に行う為に、極めて意義深いものになると、読み終わって感じた。

基礎はじっくりと作られたのだ。

20240210

土偶を読むを読む

『土偶を読む』という本が売れている。

噂には聞いていた。読んでいない。地質学をやって来て、「素人の斬新な発想」にはうんざりして来た。それと同じ匂いが、この本にはある。そんな気がする。

その本に危機意識を抱いた考古学者たちが、『土偶を読むを読む』という本を出した。『土偶を読む』のどこが専門家の目で見るとおかしいのか。それを徹底検証している。必要な事だと思う。


図書館で、この本も読まれていて、なかなか順番が周って来なかった。ようやく読めた。

縄文学は人気のジャンルだ。参入しようとする素人もまた、多い。

専門家は保守的だ。それら素人(困った事に一部の「認められない専門家」も)には、その思いが強い。だが専門家はそのジャンルを網羅的体系的に基礎から学んでいる。持っている基礎知識もまた多い。

素人の「斬新な発想」はそれらを軽々とすっ飛ばしてくれる。

一部の方々にとって、そうした姿勢は、爽快感も感じるようだが、実際には困った事であることが多い。

本書『土偶を読むを読む』を読んで、『土偶を読む』に欠けている視点の最大の欠陥は、編年と類例にあるのではないかと感じた。

ひとつの土偶にイコノロジーの手法を応用して、「何に似ているか」を探る。それもいいだろう。だが、ひとつの土偶が作成される迄、類例となる同系列の土偶は幾つも作られている。それを年代順に追跡する事で、土偶の編年が編まれる。

まさに「土偶は変化する」(本書p292金子昭彦)のだ。

例えば栗に見える土偶が、その類例を含めて栗に見えるのであれば、その土偶の作成意図に栗の精を想定しても良いだろう。だが、編年・類例を追跡してみると、そうではない例ばかりなのだ。

また、ある角度から捕らえられた写真を見ると、何かに似ているように思えても、その土偶を立体的に見てみるとそうではない。そうした例も多い。

学問に王道なしとはユークリッドの言葉だが、『土偶を読む』の著者も、縄文学の基礎くらいは、きちんと身に付けてから、ものを言って欲しいと感じる。

『土偶を読む』を読んでいないので、公平な評価とは言い難いが、今回もまた、新説・奇説より、学問のメインストリートの方が、面白くて深い。そう感じた。

だが、『土偶を読む』が発表された事で、縄文学の裾野が、今迄より拡がった事は確かだろう。それに対するアンサーである本書を読んで、私も縄文学の現在に、少しだけ触れる事が出来た。その事には何を置いても感謝したい。

20240204

全身詩人吉増剛造

最初は活字からだった。

ヘルマン・ヘッセにノックアウトされて、詩に目覚めた私は、高校に入ると、思潮社から出版されている現代詩文庫を少しずつ買い集め、愛読していた。その中の1冊に吉増剛造詩集があった。

それは時経る毎に続・続々と増えていった。

私の中で詩人は特別な存在として位置付けられていた。聖なる存在と言って良かった。その中でも吉増剛造は、他の詩人と比べても、段違いに特殊な、特別な存在だった。

安い現代詩文庫で読むという行為だけでも、彼の詩は、それが特別なオーラを放っている事が理解できたし、そのオーラを浴びる事だけでも、当時の私には掛け替えの無い体験だった。

後に東京の大学に進学すると、私はばね仕掛けの人形の様に、東京の「文化」を体験し始めた。その中に、当然の様に吉増剛造の詩の朗読があった。

最初にそれを体験した時の衝撃は今も忘れない。今迄の吉増剛造体験は、一体何だったのだろうかと、乱暴に否定したくなる程朗読による吉増剛造の詩体験は強烈だったのだ。

活字では決して体験する事の出来ない吉増剛造がそこに居た。


本書は吉増剛造の専門家を自称する、自らも詩人であり、TVディレクターでもある林浩平が、吉増剛造の現在を語らなければならないという、切羽詰まった衝動に突き動かされて書かれた、2冊目の吉増剛造論である。
私は本書から多くの吉増剛造作品を知る事が出来た。

読んでびっくりした。決して吉増剛造から、目を離した心算ではなかったのだが、本書で紹介されている吉増剛造は、私の知っている吉増剛造と比べ物にならない程、大きな変貌を遂げていた。

私の知っている吉増剛造は、活字の詩とその朗読に限られていた。

だが、彼はかなり以前から多重露光写真による作品を多数発表しており、その上近年ではgozoCinéと呼ばれる映像表現にも活路を広げていた様だ。

迂闊にも、私はその全てを見逃していた。

調べると、写真集の幾つかは図書館で、映像表現はYouTubeである程度追える事が分かった。地方都市に住む貧乏人である私は、ほっと胸を撫で下ろした。

思いがけない発見もあった。『詩とは何か』からの引用。

もう一つ、『我が詩的自伝』では「言葉を枯らす」ということを言いました。言葉を豊穣にするんじゃないんです、逆なんです。むしろ逆に、意味的、想像的、文学的、そういった次元において言語を少し弱くして萎えさせて、そんなときにふっと立ち上がってくる、こっそり立ち上がってくる幽霊のようなもの。論理学的な言い方をすると「否定」。否定した瞬間に違う種類の肯定が立ち上がってくる。そのすきを狙って何かが出てくるのを待っているような詩を書くようになったのです。

こうした姿勢は、彼の詩を漫然と読んでいただけでは、見出せなかった境地だ。

著者林浩平は、吉増剛造の全貌を捕まえるべく、本書の中で、評論で、往復書簡で、対談で、多面的に吉増剛造をデッサンしてゆく。

しかし、詩人吉増剛造は、その追跡を軽くかわして、身軽にもっと先へと進んでしまう。だが大切な視点がある。吉増剛造のこの一見移り気な身軽さは、彼の詩への生真面目さ、真摯さから滲み出たものであるということだ。

本書の終わり付近の座談会の中で、林浩平はこう呟いている。

しかも加速している。やっとつかまえた、と思っても、もう先に行ってしまっている。

同感である。

もはや老境にある吉増剛造は、しかし、その感性に於いて、いつまで経っても若々しい。今も、そしてこれからも、現代詩のトップランナーとして、彼は最先端を疾走し続けるのだろう。

我々はそれを追いながら、とぼとぼとしかし必死に、後をついて行くしかない。

だがそうする事で、私たちは今迄見たこともない景色を目撃する事が出来るのだ。

20240127

天の魚

─第三部 終─

昨日、2024.01.26 20:26私はこの行を読み終えた。第1部『苦海浄土』、第2部『神々の村』、第3部『天の魚』。昨年末から続けて来た、石牟礼道子『苦海浄土』三部作を、読み切ってしまった瞬間だった。

『天の魚』最終章「供護(くご)者たち」は長かった。だが、私の中で、この章はもっと長くて良いという思いが生まれていた。『苦海浄土』と伴にある時間が、もっと長く、出来れば永遠に続いて欲しいとする願いだった。


第1部『苦海浄土』、第2部『神々の村』とは違って、第3部『天の魚』は、水俣の病者たちと加害企業「チッソ」との交渉が描かれていた。

それは単なる公害交渉では、決して無かった。文字通り血飛沫が飛ぶ「死闘」だった。

水俣を企業城下町としてきたチッソ。病者たちは、故郷の水俣で、手厚く扱われていたのではない。チッソと死闘を繰り広げる病者たちに、加えられる相次ぐ妨害、中傷。彼らはそれとも闘わなければならなかったのだ。

そして、微妙に擦れ違う、支援者たちとの溝。

著者石牟礼道子は孤立する病者たちと、常に伴にあった。

石牟礼道子が、彼らと伴に歩む事がなかったら、水俣病はこれ程の深い意味合いを持つことはなかっただろう。

昨年末に第1部『苦海浄土』と第2部『神々の村』を読んだ後、図書館の都合で暫く間が空いた。だがその間も私は常に『苦海浄土』を意識して生きざるを得なかった。

石牟礼道子に釜鶴松の魂魄が棲みついたように、『苦海浄土』は私に取り憑いた。

それは今回に限った事ではなく、最初に『苦海浄土』を読んだ頃からそうだったのではないかと、今回読み終えて思った。

私は決して病者の方々と常に伴にあったわけではない。

だが、石牟礼道子の言の葉に導かれて、病者に寄り添うとは、どんな心構えなのかを、常に考え、模索し、辿り着いてはまた見失いを繰り返して来た。それは永遠に続くかのような、長い旅だった。

ふと思う。近年、特にこの2年間程の間で、社会は水俣病を、急速に見失い続けて来たのではないだろうかと。

それは風化と呼ぶにも程遠い、むしろ忘却と呼んだ方が正確なのではないかと思う程の見失い方だ。

私もそうだった。日常的に増え続ける気に掛かる問題たち。それについて考えるのに忙しく、私もつい、水俣病の事を考えるのを止めていた。

『石牟礼道子全集不知火』を全巻読破したい。昨年その思いが募った。なぜ石牟礼道子だったのか?それはもう思い出せない。

多分私は、石牟礼道子の魂に呼ばれたのだと感ずる。

水俣病を忘れつつある私を、石牟礼道子は的確に見抜き、私を『苦海浄土』三部作の世界に引き摺り戻してくれたのではなかろうか?

そう思ってしまう程に、今回この瞬間に『苦海浄土』三部作を読み終える事が出来たのは、私にとって幸運な出来事だったと思える。

『苦海浄土』三部作を読破して感じたのは、『苦海浄土』という作品は、三部作で初めて完結する作品だという事だ。どれも無駄がなく、必要不可欠な作品であり、三部作それぞれが互いに響き合い、それら全てが寄り添い合って初めて完結する。そうした作品になっている。その事を強く感じさせられた。

全集を選んだのも正解だったと思う。第三巻はこの後「『苦海浄土』をめぐって」という段が続く。私はもう暫くの間、『苦海浄土』と伴に生きる事が出来るのだ。

そして多分、この後ずっと、『苦海浄土』は私の意識の中にあり続けるだろう。

『苦海浄土』三部作とはそうした作品だ。

20240123

魂の秘境から

石牟礼道子最晩年のエセーとも日記とも判別が付かない遺作。だがそこには彼女の確かな肉声が響いている。

そしてその肉声は、ひと作品毎に挿入されている芥川仁の写真と響き合い。書物自体が作品である様な、見事な著作に仕上がっている。

石牟礼道子は2018年2月10日に逝去されている。本書には、著作の掲載された日付が付されており、最後の作品には2018年1月31日と記されている。本当に最後の最後迄、石牟礼道子は著作に取り組んでいたのが分かる。

そして驚くのは、その作品の質が、最後迄極めて高い水準を保っている事だ。文章に衰えは全く感じられない。

それは折に触れ描かれる子ども時代の回想に迄及び、90歳という年齢を全く感じさせない鮮明さで、遠い過去の記憶が語られている。

それら幼年期の記載を辿ると、石牟礼道子という存在が、最初から異界に棲んでいたと思わざるを得ない不思議な感触を得る。


その感触は、近代を厳しく拒絶している。

「原初の渚」にはこうある。

海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命が連なるところ、数限りない生類と同化したご先祖さまの魂のよりどころが破壊されるということであり、わたしたちの魂が還りゆくところを失うということである。 
水俣病の患者さんたちはそのことを身をもって、言葉を尽くして訴えた。だが「言葉と文字とは、生命を売買する契約のためにある」と言わんばかりの近代企業とは、絶望的にすれ違ったのである。

石牟礼道子が魂と書くとき、そこには深く透明な意味が宿る。決して軽々しい言葉ではない。

本書を読んでいて、あ、と思った箇所がある。

花に酔ったのだろうか。「椿の花になりたい」と思った。それは幼いながら切実ともいえる思いで、畑仕事の手を休めた母にはどうしても伝えたい。けれど、そう願うばかり、そのころのわたしの内には、言葉というものがまだ生まれていなかったのである。言葉の出ない歯がゆさというものを覚えたのは、その時のことであったろうか。

彼女の最初の記憶なのだろうか?

その中に言葉の出ない歯がゆさと言う語句を発見して、私ははっとする。

石牟礼道子は生涯、その歯がゆさと格闘していたのでは無いだろうか?それ故に彼女が魂と書くとき、その語には魂が宿るのでは無いだろうか?

決して器用な書き手では無かった。『苦海浄土』を書き終えた時には、片方の視覚と聴覚を失っていたと聞く。石牟礼道子はまさに、全身全霊を賭けて、身を削りながら、数多の作品をこの世に産み出して来たのだと思う。私たちはそれ故に、彼女の作品から、途方もない深みと高みを授かることが出来るのでは無いか?

石牟礼道子の遺作である本書を読んでいて、彼女が最後迄、水俣病の事に触れていた事に、私は静かな、けれど強い感動を覚えた。石牟礼道子は最後の最後まで水俣病の作家であり続けたのだ。揺るがない、確かな、気高さがそこにある。

20240121

過去を復元する

地質学を専攻して来た。当然過去を復元する事には、強い興味がある。古生物を経由して、進化論にも強い関心を抱いて来た。

なので、名著の誉高きエリオット・ソーバーの『過去を復元する』が復刊されると聞いて、即座に購入した。

けれどどことなく敷居が高く感じられて、今迄手に取る事はなかった。図書館から借りている本が少なく、全て読了してしまったので、これはチャンスだと感じて、今回思い切って読み始めた。


予想していた以上の数式の嵐だった。

だが、慣れとは恐ろしいもので、そのうちに数式の持つ意味が分かり始めると、展開する毎に変化してゆく意味合いのダイナミズムに、快感すら感じる様になった。

本書は系統学を、哲学の立場から切り込んでいる。

推論の原則として、最節約原理と呼ばれるものがある。

世にオッカムの剃刀として知られる原理で、仮説を設定する場合、その仮説は複雑なものより、単純なものの方が真理に近いとする原理だ。

プトレマイオスの天動説は、当時の観測精度の範囲では、ほぼ十分に現象を説明していた。だが、コペルニクスの地動説は、天体の運動を、より単純に表現する事が出来る。軍配はコペルニクスに上がる。

だが、この最節約原理、一体どの様な論理的基盤を持っているのだろうか?

エリオット・ソーバーはこの難問に、論理哲学の方法を駆使して、大胆に取り組んでいる。

その論理形態は緻密で、文の一行、数式のひとつでも読み飛ばすと、滑り落ちてしまいそうなスリリングな筆致を有しており、私は予想していた以上の、知的冒険に晒される事になった。

結論から言うと、オッカムの剃刀は、数学的な検証をしてみると、それ程万能な道具ではないようだ。

これは思い掛けない結論だった。

最節約原理は、経験からは十分に信頼出来、進化の分岐図を描く時など、私もいつものように使用して来た。だがホモプラシーが成立する様な場面では、最節約原理では、説明がつかない分岐図が採用される可能性があると言う。

本書はその事を言う為に、1冊を丸ごと費やしたと言っても過言では無い。

言葉を変えれば、エリオット・ソーバーは、最節約原理をポパーの反証理論や検証度理論に結び付けるのではなく、むしろ統計学で影響力を増しつつあるモデル選択論を踏まえた際節約基準の正当化を目指していると言う事になるのだろう。

翻訳は三中信宏さん。論者の名前や基本的概念が原語で示してあったり、注釈・訳註が巻末ではなく、そのページに示してあったり、丁寧で読み易い翻訳になっていた。

本書には、数式だけでなく、理論哲学の様々なパラドクスも紹介されている。それ等読み知る事だけでも、本書を読む価値がある。

巻末の訳者あとがきや、訳者解説が付けられているのも有り難かった。本書の全体像、20年前に発表されている本書の現代的価値などは、ここから教えられた。

進化論に興味を持つ人には、必読の書と言えると思う。

20240116

四つの未来

始まったばかりだが、今年読んだ最もショッキングな本になる予感が強くある。

資本主義が限界を迎えつつある。それを指摘する本は数多ある。だが、それでは資本主義の次に来る社会は何か?と言う問いに十分な説得力を持って展望している本は少ない。

本書はその少ない本の中でも、最も説得力とリアリティを持った本のひとつに数えられるだろう。


本書では、既に資本主義の限界を強く訴えない。それは既定の事として、認識されている様に思う。筆者が現代の問題として挙げるのは、エコロジカルな破局と自動機械(オートマトン)の隆盛と言う事実(!)だ。その上で筆者は資本主義後の社会として、コミュニズム、レンティズム、ソーシャリズム、エクスターミニズムの四類型を挙げている。つまり資本主義後の世界として、ふたつのユートピアとふたつのディストピアを想定しているのだ。

だが(筆者が「結論」で強調している様に)この著作は未来予測(フューチャーリズム)の試みではない。

何故ならば、そうした予言と言うものは、これまでに相当外れてきたし、それだけではなく、予言は、宿命のオーラを醸し出し、それによって私たちを傍観者にし、運命を受動的に甘受する様に促してしまうからだ。

本書がひとつの未来ではなく、四つの未来を描いた理由は、自動的に起きる事など何もないと言う事を示す為だと言う。前途を定めるのは、私たち自身なのだ。

本書を読めば、レンティズムとエクスターミニズムが悪の側、ソーシャリズムとコミュニズムが善の側の希望を表現していると考えるだろう。だが、これらのどれもが純粋な形態で可能であることはない。端的に、歴史はそうするには余りに複雑なものだからだ。そして、現実の社会は、いかなる理論的モデルのパラメーターを超えている。

それ故、私たちは最終的な目的地の正確な性格よりも、こうしたユートピアやディストピアに向かう過程に特に関心を寄せるべきなのだ。とりわけユートピアに向かう道のりは、必ずしもそれ自体がユートピアではないが故にそうなのだ。

豊かさと平等の世界への移行は、波乱と抗争に充ちたものになるだろう。富裕層が自らの特権を自発的に手放す事がない(その可能性の方が大きい)とすれば、実力で没収せねばならないのだが、そうした闘争は双方の側に、悲惨な結果をもたらす可能性がある。フリードリヒ・ニーチェが有名なアフォリズムに於いて述べたように「怪物と闘う者は、そのため己自身も怪物とならぬよう気をつけるが良い。お前が永い間深淵を覗き込んでいれば、深淵もまたお前を覗き込む」。

だが筆者が四類型を提出する中で、エクスターミニズム(絶滅主義と訳せば良いだろうか?)の記述が持つ、既に始まっているのではないか?とすら思わせる、切羽詰まるようなリアリティは何なのだろうか?

繰り返しになるが、本書は読者に対し、歴史の傍観者になる事を、強く拒否するよう促す。現在進行中の資本主義の崩壊を傍観しているのならば、その後に訪れるのは、エクスターミニズムのそれに他ならないのだ。

本書は未来を建設する上で、読者にその主体である事を強く促している。私はそのメッセージを、確かに受け取った。決して心地よくはない、本書の読後感と共に、その決意は強くある。

20240112

ソース焼きそばの謎

ソース焼きそばは私の得意料理のひとつに数えられる。

と言うより、ソース焼きそばは誰にでも手軽に作ることが出来る軽食として存在しているのだろう。焼きそばと言えばやはりスタンダードはソースであり、決して塩や醤油ではない。

ところで、そのソース焼きそば。いつから存在しているのだろう?


この本に出逢う迄、私はそんな事を意識すらせずに、当たり前に存在する料理として、ソース焼きそばを食して来た。

その謎に、敢然と立ち向かっているのがこの本である。

ソース焼きそばは大阪。それも戦後に誕生したという説をどこかで耳にした事がある。その説にも、本書は触れている。それによると、それは広く行き渡っている俗説であり、どうやら間違いであるらしい。

本書によると、ソース焼きそばの発祥を突き止めるのは、かなり困難な作業であった様だ。

筆者は、幅広い文献、詳細な聞き込みを軸として、時には大胆な仮説を交えて、この謎に挑んでいる。

それによると、焼きそばはお好み焼きの一種として、醤油ベースのソースを用いた、子ども相手の食べ物として誕生したらしい。それがやがて、安価なウスターソースを用いる様になり、現在のソース焼きそばに近づいていったものだと言う。

発祥については、決定的な文献は存在せず、聞き込みや状況証拠を積み重ねる事で、浅草の千束町にあるデンキヤホールと言う店で、大正初期から提供されていたらしいという結論に至る。

その結論に至る経過は、一流の推理小説を読む様なスリリングな筆致が冴える。

状況証拠として面白かったのは、日清製粉の前身である館林製粉が、群馬県館林市で明治33年に創業を開始するのだが、それが東武鉄道の開設とほぼ時を同じくしており、館林から浅草への小麦粉の運搬に大きく影響したと言う点だ。

ソース焼きそばに、小麦粉は欠かせない。その運搬の便が、浅草で整っていたと言う事実は、ソース焼きそば浅草発祥説に大きな傍証となる。

だが、ソース焼きそばが全国的に広まり、隆盛を誇る様になったのは、やはり戦後の事らしい。当初小麦粉は国産のうどん粉と、アメリカ産のメリケン粉に分かれており、メリケン粉は、輸入に頼るしか無かった。これが緩むのは、アメリカ産のメリケン粉に、関税が課される様になってからであり、特に戦後は、闇市を中心に、供給されていた様だ。

ソース焼きそば大阪起源説を否定する、ひとつの材料として、関西では、焼きそばの元になる中華麺がなかなか手に入らず、戦後も焼きそばではなく、焼きうどんが主流であったという事実がある。

本書によると、長野県は北海道と並んで、ソース焼きそばではなく、餡掛け焼きそばが主流な特殊な地方として挙げられている。あまり外食をしないので、詳しくは知らないが、以前住んでいた住宅の隣にあった中華料理店では、確かにソース焼きそばではなく、餡掛け焼きそばを提供していた。

筆者は、「焼きそば名店探訪録」と言うブログを公開しており、そこに筆者自らが足で訪ね歩いた全国の焼きそば、焼きうどんの記録が残されている。

東日本大震災で、東北の主だった焼きそば店が無くなって行くのに気付いたのが、このブログを始める動機だったらしいが、焼いた粉物に賭けるその情熱の半端なさは、本書でもブログでも遺憾無く発揮されている。

本書を読み終えた日、昼食にソース焼きそばを食べた。それはいつもの味の普通のソース焼きそばの筈だったのだが、本書で様々な知識を得て、それを元に味わうと、ソース焼きそばが経験してきた100年の歴史が、我が家にたどり着いたような気になり、格別の味わいを持っているような気がした。

面白い本だった。

20240109

私たちはいつから「孤独」になったのか

孤独には強い方だ。そう思って生きて来た。

学生時代は、独りで安下宿に沈殿し、地質学の勉強や、楽器の練習に勤しんでいた。それらは、安易な友人関係に流されるより、孤独を飼い慣らし、むしろ愛していなければ、到底実現出来ない、自己鍛錬だった。

今でもやりたい事は幾つも抱えている。私には孤独な時間が何よりも大切なものだと確信すらしていた。

そんな私がこの本に手を出したのは、この本の原題が “A Biography of Loneliness”直訳すれば「孤独の来歴」と記されていたからだ。


孤独について語る本を、孤独を愛する私が読んだらどんな感想を持つのだろうか?そこに興味があった。

日本語で孤独と訳し得る英語は幾つかある。

ひとつはこの本で主に採り上げるloneliness。他にはoneliness, solitude, isolationなどが挙げられるだろう。

それではlonelinessとsolitudeはどう違うのか?

改めて考えると即答は困難だ。

この本でもlonelinessを孤独、solitudeをソリチュードと訳している。

本人が望まない、主観的に欠落感や喪失感を伴うものをlonelinessと定義しているようだ。

そう考えると、私が飼い慣らし、愛して来た孤独なるものはlonelinessではないようだ。むしろただひとりでいることを意味するonelinessの方がしっくり来る。もしくは正しい意味でのsolitudeか?

私が孤独に対して、超然としていられたのも、私が孤独つまりlonelinessを経験した事が無かったからだとも言えるのではないか?

Lonelinessという言葉の歴史は、この本によるとかなり浅い。それが前景化されるのは、少なくとも19世紀を待たなければならない。

そしてその概念はジェンダーやエスニシティ、年齢、社会的経済的地位、環境、宗教、科学などによって異なる経験であるとされる。

私は今、妻帯者であるが自分の子どもはいない。もし仮に、女房殿に先立たれたら、私は即孤独な状態に陥るだろう。

もはや音楽や地質学は、私の人間関係を保つものではなくなっている。私はそれでも孤独に対して、超然としていられるのだろうか?私が愛した孤独solitudeについても、この本は1章を費やして、論じている。孤独が贈り物(ギフト)である場合もあるが、それは、その孤独が自分から望んだものであり、一時的なものであるからだと記している。

安下宿に沈殿して没頭していた地質学や音楽は、やがてそれを用いて、人間関係を形成する事が可能な営みだった。そこには欠落感や喪失感はなく、むしろ充実感があった。私が愛して来たのは決してlonelinessでは無かったのだ。

孤独の解消の手段として、ソーシャルメディアがより大きな役割を果たすだろうという指摘は当たっていると思う。

2018年一月、イギリスのメイ政権は、孤独担当大臣まで設置した。

孤独(loneliness)という病理はもはや、社会問題として認識された、一大課題にまでなっているのだ。