20130131

出た!ジーン・シャープ、邦訳!!

ようやく出た!
待ちに待っていたジーン・シャープの本の邦訳である。

その本を紹介する前に、ジーン・シャープという人物やその業績を俯瞰的に知っておいた方が良いだろう。

彼のドキュメンタリーがある。NHK・BSが昨年2月に『シリーズアラブ世界─変革のうねり』という題名で放送したものだ。
以前にも紹介したが、削除されていた。年末再放送があったようだ。その動画がまたUpされていた。紹介しておきたい。

また削除されるかも知れない。が、それまでに見る事は出来る。

ジーン・シャープ『革命の教科書』〜独裁体制を倒すには〜

この番組が火付け役になっているようだ。再放送の後、このBlogにもアクセスが殺到した。


そして2012年8月10日、遂に日本語もまた、ジーン・シャープを翻訳した言語のひとつに加えられる事になった。



最初に『非暴力行動の198の方法』(Blog左のコラム「大気圏」にもリンクを貼ってある)を訳した時、日本にはまだまだこの文書は必要が無いのでは無いかと感じていた。
しかし、近年それも怪しくなってきたと感じている。

民意がおかしい。民主主義から独裁へ、日本は動いているのでは無いか?そう思わせる事例が相次いだ。

このタイミングでこの本が訳された。

これは幸運なのか?根本的な不幸なのか?

不幸で無い事を祈るばかりだ。

この本の巻末にも『非暴力行動198の方法』が付されている。
もう私のサイトは必要がなくなったかとも思ったが、それでも私の訳の方が分かり易い部分もあるので残しておく事にした。特にWikipediaへのリンク。

語学は大の苦手である。
そんな私が翻訳をした。それは私にとって重荷だった。正式な訳が出されて、私は少しほっとしている。

少し私のサイトを手直しした。

20130130

さもありなん

懐かしさからだけだったのだろうか?
それだけではなかったと感じているのだ。

前のエントリを投稿してすぐ、調べてみた。電子書籍化されているのでは無いか?
予想は当たった。

庄司薫の小説はKindle化されていた。

さもありなん。

庄司薫もサリンジャーも、電子書籍がよく似合う。


予想が外れたのは、私としてはシリーズの中で最も印象的だった『白鳥の歌なんか聞こえない』がまだKindle化されていなかった事だ。4作品が全部Kindle化されていると思っていた。

『赤頭巾ちゃん気をつけて』

『さよなら怪傑黒頭巾』

『ぼくの大好きな青髭』

ダウンロードし、『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読み始めた。
読み始め直前、感じたのは記憶のなさ。内容を殆ど覚えていない。

読み始めてすぐに幾つかの記憶は蘇ってきた。エンペドクレスのサンダルの話。「舌噛んで死んじゃいたい」由美。それらに私はいちいち憧れていた。

中学生だった私には分からなかった事が幾つもあった事にも気付かされた。

例えば、「ボート乗るのに千鳥ヶ淵と弁慶橋とどちらがいいか」と言った設問がいかにどっちでもいいものであるか等に関しては、東京育ちで無いと分からない(笑)。


意外と(と言ってしまうのは却って失礼かも知れないが)筆力があるのには驚いた。単なるサリンジャーの傍系。中学生私はそう断じていたからだ。それだけではなさそうだ。


中学生の頃は、福田章二の名前で書かれた『喪失』の方が好きだった。だが、若さというものを軽々と戯画化する筆力は、明らかに庄司薫の方が上だ。当時は四十男がこの文章をものにした事が驚きだったが、むしろ若い時代には『喪失』が相応しい。距離の置き方、熟成度合い。どれを観てもこのシリーズにはそれに相応しい年齢が必要だと分かる。

これだけ書ける人が、何故筆を執らないのだろうか?
その事がむしろ不思議だ。

書きたくならないものだろうか?

薫くんシリーズは、時を超えて存在を主張出来るような「文学」ではない。高校に「革命派」がいるという想定。彼らが出会い頭にベーテーをどう思うか訊いてくるという設定。
それらにリアリティを感じられる高校生がどれだけいると言うのだろうか?

だがしかし。だ。

石森延男を読んで、児童文学というものが必要な存在である事を再び確信した。それらは所謂文学とは異なる存在だが、ひとりの人間が成長するに当たって、欠かす事が出来ない要素のひとつを形作っていると思う。

薫くんシリーズは明らかに青春小説であり、私は今、青春時代を過ごしてはいない。だが、と言うのかむしろと言うのか、青春小説という存在もまた児童文学と同様に必要な要素のひとつだと感じさせられた。


石森延男からすぐに庄司薫へ。

こうやってみると私も存外順調に成長してきたのでは無いだろうか?


中学生の頃『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読み、ゲーテが「古典派」として軽く扱われている部分に腹を立てた。その感覚も思い出した。その感覚は未だにそのまま残っている。その事にも気付かされた。読んで、また腹を立てたのだ。

私は作中の庄司薫でも作者の庄司薫でもあり得ず、「鼻持ちならないエリート」とはまるで縁がない俗物だが、子どもの頃からいつも身辺に古典があった。その事は幸運だったと思っている。一瞬もそれを恥だと感じた事はない!
と、いきり立って考えてしまう程、私の人間関係は単純だった。

私の周囲には「革命派」も「芸術派」もおらず、…ん?私自身が最も「革命派」であり「芸術派」であったかも…と思える程平凡な高校生活を送る事が出来た。

平和だった。それで良かったと思えるのだ。

尤も、殆どの庄司薫読者は、「鼻持ちならないエリート」とは無縁の、どちらかと言うと「芸術派」の、ちょっと庄司薫を下に見たがる層だったと思うのだ。それを十分意識して、本来「芸術派」の福田章二は、自身を戯画化して、庄司薫となって私たちを逆に弄ぶ手段に出ていたように思えるのだ。

いずれにせよ私は中途半端な若さに翻弄されていた。もっと自分を対象化して見る事はできなかったものか?今になってそう思う。折角庄司薫も読んでいた事でもあるし。

そうでなかったら平和を十分に享受すべきだったのだ。
例えそれがその当時には耐えられない程、苦悩に満ちたものであったにせよ。だ。

北杜夫ではなかった

…、
あ。

……。

寒い部屋の中で一人でいて、小さく声をあげ、顔が赤くなるのが分かった。

北杜夫ではなかったんだ…。

これ、
…だったんだ。


懐かしさ100%で入手した古本だ。
ハードカヴァーも同じ表紙だった記憶がある。

多分、読み比べても誰もここから派生したものとは思わないだろう。けれど、犯人である私は知っている。

中学2年の時、私は『喜望峰』と言う小説を書いた。

小学2年の時から書き始め、小6迄書き続けた『虫のくに』という乱雑な(成長に従って内容が大きく変化したのだ)遊び書きを除けば、これが私の処女作と言う事になる。

私は長い間それを北杜夫のいずれかの作品からの盗作だと思い込んでいた。

けれど今回手に入れてこの『バンのみやげ話』を読んでいたところ、出し抜けに「私が盗んだ箇所」が立ち現れたのだ。

…これだったんだ。

2ページ程のエピソード。それを元に原稿用紙120枚程の長さの小説に仕上げていた。

心の準備が全く出来ていなかったところに、いきなり過去の悪事の証拠を突きつけられたような気分になって、私はしばらくの間打ち倒されたような状態になった。

何しろ出会い頭である。


私の処女作とこの作品が結びつかなかったのには訳がある。

代表作に『コタンの口笛』がある。良質の作家だと思う。だが、石森延男は雑誌『飛ぶ教室』の主幹を務めた来歴に示されるとおりあくまでも児童文学の人だ。

1970年になっても、その児童文学者石森延男の影響は受けていなかっただろう。そう信じ込んでいたのだ。

その頃夢中になっていたのは(恥ずかしい事に)むしろ、時代の寵児庄司薫だった。


記憶は急に長野電鉄の車両の中にいる私に飛ぶ。
1969年の芥川賞受賞作が庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』だった。長野駅に向かう途中で、中学生になったばかりの私はその本から顔を上げ、
「本て、面白い!」
と発見でもしたように感じていた。
そして、私は本来もっと本を読んでいた筈だ!と少し後悔していた。長い事、本から離れていたと感じていたのだ。
それはもう何年もの間、本から遠ざかっていたような、そんな後悔だった。

何と!庄司薫は私を本の世界に引き戻す役割を果たしていたのだ。長い間忘れていたが、その事を突然、思い出した。

小説家盛田隆二氏がFaceBookで庄司薫について写真付きで述べていた。それが切っ掛けだった。
表紙もこの通りだったと記憶している。

『赤頭巾ちゃん気をつけて』には何か別のものが映り込んでいる。ま、これはご愛嬌!
親戚の家の大きな炬燵に入りながら、手帳に丹念に1969と言う文字を、今考えれば生涯初のレタリングをしていた。何かが始まる予感に満ちていた。

それは思春期を迎えようとしていた私という個人史的な予感でもあっただろう。だが時代もまた、その予感を含んでいた。いち早く大人(少なくとも高校生)になって、日々新しい時代が産まれ続けている東京に、新宿に行かねばならない。そんな一種の脅迫観念が私を支配していた。

やがて吹き荒れるであろう、内なる心の嵐。それに備える登山家のように、私はその手作りのノートに、慎重に!
「石森延男。私に文学というものを教えてくれた。その人を尊敬します」
などと書いたのだ。

やれ!恥ずかしい。

いや、ここで書きたいのはその恥ずかしさについてでは無い。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』と、石森延男の意外な時間的な「近さ」だ。

どう計算しても、たかだか数ヶ月。
その数ヶ月を何年もの間の様に私は間違って感じ取っていた。


庄司薫に夢中になっていた頃、私の頭の中には既に石森延男はいなかった。そして、表紙を見て思い出したのだが、高校生になったら庄司薫の小説の中の登場人物の様に、知的な会話が出来るのだろうかという当初の不安もどこへやら、『ぼくの大好きな青髭』を読む辺りで既に私は、庄司薫に飽きていた。

児童文学の人石森延男と芥川賞作家庄司薫の間は、客観的に観ると余りに近い。しかし、私の主観的な距離は、その間に途方も無い時間が流れたように感じていた。

児童文学者と芥川賞作家の間。その間で、私の幼年期は確実に崩壊したのだと思う。


庄司薫に飽きた私は、それでもやはり思い込みの強い少年だったらしく、ヘッセに出会い。ゲーテに出会い。出会う度にこの詩人たちは私の為に作品を書いていると確信していた。

この時期、夥しい文学者との出会いがあった様だ。石森延男と庄司薫を除けば、それは今の私にそのまま続いている。
そして、…

その作品を全て読んだ。そんな作家はそう何人もいるものでは無い。その希有な存在のひとり。高校を卒業するまで夢中になって貪り読んだ北杜夫に、処女作を書いたその年、中学2年の時出会ったのだった。

20130129

『心的外傷と回復』を読む

Judith Lewis Herman, M.D.によるこの本を最初に手にしたのは2003年の事だった。図書館で借りた。読み始めてすぐ、借りた本ではとてもではないが読みこなせない本である事は分かった。そして、是非読みこなしたい本だった。だが高価い。

なかなか思い切りが付かず、ぐずぐずしていたのだが、たまたま本屋へ行ったところこの本があった。更にたまたま買うだけのお金を持っていた。

ようやく手にする事が出来た。

最初の部分を少し読んでみたのだが、久し振りに良い本を手にしたという実感がある。

要するにわたしは最近何もしていない。という事なのだろう。本の紹介ばかりしている。


精神医学・心理学関係の本が何故かわたしの本棚には多い。やはり自分自身のこころが不安なのだと思う。ところで、これらの分野、用語のややこしさは何とかならないものなのだろうか?

精神医学と心理学が別の学問である事は理解している。だが、対象は同じ人の心だ。…いや!違う、脳を科学しているとおっしゃる方も居るだろうが、心の問題は脳の問題だとわたしは思っている。

同じ対象に対して様々なアプローチがあって良い。だが、同じ精神医学や心理学でもその中でいろいろな学派があって、中には対立している事もあるのでややこしい。
少なくとも同じ現象は同じ用語で語ってもらわないといつまで経ってもその専門領域は専門家だけのものにしかならないように思う。

今回、これらの分野への学習を始めたのはacting outと外傷性転移とはどこが違うのか?或は同じなのか?それを第一に知りたかったのだが、辞典類を含め、この質問に明瞭な答えを与えてくれる本にまだ出会っていない。

これは些末な事。

この『心的外傷と回復』は非常に密度の濃い本だ。
だが、学術書の読みにくさはあまり感じない。訳が良いのか、或は作者の言葉の選び方が良いのか?多分その両方なのだろう。

チャンピックスなしで

昨日(1月28日)で断煙も12週を突破した。

この週は断煙を開始してから、初めてチャンピックスなしで過ごした1週間でもあった。

結果はどうだったか?と言うと、余り変わりは無かったというところ。

時々、若干強めの喫煙衝動があるが、我慢出来ないものでは無い。その他はチャンピックスを服用していた頃と殆ど変化なしに過ごす事が出来た。

好発進と言って良い。


断煙を始めてから、煙草の匂いが気になるようになった。

これは予期していなかった事だった。


断煙には常に予期しない出来事が待ち受けている。
その「想定外」の出来事に右往左往してじっくり味わうのが断煙の醍醐味だ。


住んでいるアパートの1階部分にはパチンコ屋があるのだ。
最近のパチンコ屋は煙草にも気を遣っている。だが、どうしようも無く暖房の熱気と共に階段を煙草の煙が這い上がってくる。

這い上がってきた煙は、丁度最上階にある私の住居入り口付近で屯する。

それがどうにも気になって仕方が無い。

チャンピックスなしで断煙を始めた頃、わざと吸いに行った煙である。だが、それが嫌で最近はドアを開けなくなってきた。それどころか、吸うのが嫌で、外出もしなくなってきていた。

これでは断煙の醍醐味、日々の変化を味わう事が出来なくなってしまう。


東京から10年来の友が近くまでやって来ていた。

逢う事にした。

その為には煙草の煙の廊下を突っ切って行かねばならない。
決死の覚悟である。
その効果はすぐに出た。
煙草の煙というものは、金属的な味がするものだ。その事を知った。そしてトゲトゲしている。

こんなものを良く吸っていられたものだと思う。煙草の煙よりも排気ガスの方がまだ円やかだ。


友は止めたばかりの私を気遣って、喫茶店でも煙草を吸わずにいてくれた。知的なだけではなく情に篤い男である。

彼は家にいる時は煙草を吸わないのだそうだ。
外に出ると吸う。

喫煙者だった私だが、この感覚はよく分からない。私はどんな環境下でも1時間おきに煙草を吸っていた。

そういう習慣になっているので自宅では吸いたくならないそうだ。

喫煙という習慣にも色々あるものだと心から思う。

チャンピックスなしでもやって行けそうだ。

20130125

『目白の青く暗き春』〜キッチン樅

他人のBlogのタイトルをそのまま貰う。ここから描き始めよう。

その人の名を虚空に呼びかけたい。


瓜南直子さん。


絵描きだった。
素敵な絵を沢山残して下さった。
そして、
素敵な随筆もまた沢山残して下さった方だった。


よく読むBlogにタイトルのものがある。

目白の青く暗き春(上)
目白の青く暗き春(中)
目白の青く暗き春(下)

素晴らしい随筆になっていると思う。


私はこの随筆に全面的に共感する。

全く同じ時代を、全く同じ地域で過ごしていた。今ではひとつの奇蹟だった気がする。

同じ空気を吸って生きていたのだ。

暗きとあるが、どこにも暗さは見当たらない。けれど、そのように表現しなければならないような気になる。させられる。だから青く暗き春なのだと思う。


人生の半分以上を東京で過ごした。
だから東京には思い入れがある。
また、「あそこ」で暮らしたいとも思っている。

だが、「あそこ」の中のどこで?


私には初めての東京を経験させてくれた目白。
それも椎名町近辺しか、思いつかないのだ。


それだけ具体的に住みたい場所があるのならそこに行けば良い。
そうも思う。

そう思う時、
欠けてはならないものが欠けている事に思い当たるのだ。


そう、
椎名町にはもう
キッチン樅がないのだ。

画竜点睛を欠くと言う言葉がある。
それをキッチン樅なき東京に感じてしまうのだ。

そう、
東京にはもう
キッチン樅がないのだ。

キッチン樅が無いのなら、
東京に住まなくても良い。
そうとすら思えてくる。


10代の最後から20代。
私の青く暗き春の時代。
兎にも角にも、私は先ず飢えていた。
瓜南さん程繊細な味覚も無く、
究極とも言える赤貧の中にいた私は、
椎名町駅近くにあった洋食屋、
キッチン樅に入り浸った。

途方も無く安くて、ボリューム満点。そして何より旨い!
キッチン樅にはこの3拍子が完璧に揃っていた。

私の肉体の殆ど、
尤も頻繁に通った時代は疑いも無く肉体の細胞の全ては、
キッチン樅によって造られていた筈だ。



初期はモミライスという
ケチャップライスにとんかつの卵とじが乗せられ、
その上にブラウンソースが掛かった
洋食屋風カツ丼のようなものばかり食べていた。

今だっら、どうだろう、完食出来るだろうか?
その位のボリュームがあった。
洋食皿全面に山盛りになったカツ丼!
それを想像して頂きたい。

当時は1杯では足りていなかった。
凄まじい食欲だった。

後半になると好みも変わり、
少しは栄養の事も考え始めたのだろう、
白身魚のフライにタルタルソースが掛かったもの
+ハンバーグ
+カレーライス+スパゲッティナポリタン
というセット、
モミランチに集中した。

キッチン樅で最後に食べたのもモミランチだった。


私が食べ始めた頃はモミライスもモミランチもサービス価格で
350円ほどだったのではないだろうか?


いくら'70年代とは言え、
家賃月8000円(!)の格安下宿「富士アパート」と
キッチン樅なしでは、
私の東京暮らしは成立しなかった。



瓜南さんのBlogを読み、
久し振りに椎名町を、
そしてキッチン樅を思い出した。


誰か話題にしていないか?
「椎名町 キッチン樅」で検索してみた。

で、
驚いた。

モミランチを復元した方がいらっしゃったのだ!


伝説のキッチンモミの「モミランチ」の醍醐味を家族に味わって頂こう!


これだ!
これが「伝説」のモミランチだ!!

これにサービスのスープと味噌汁が付いた。
このスープがまた絶品だったのだ!
お新香も付いたのだが、
私は漬け物が食べられないのでいつも残していた。
それを気遣って下さったらしく、
終いにはお新香の代わりにポテトサラダを付けて下さった。

何度かそのポテトサラダの復元を試みたのだが、
マヨネーズの替わりにドレッシングを使っているらしい事は分かったが、
何を使っているのかの特定が遂に出来ず、
復元は失敗に終わっている。
ポテトサラダひとつとっても復元は難しい。
そんな絶品の店だったのだ。


良く復元されたものだと感心する。
まさにこれだ!!
余程の料理の腕の持ち主と拝見する。


驚いたのはこの画像だけでは無かった。
コメント欄を読み進めると、
キッチン樅の息子さんからの書き込みがあるではないか!


キッチン樅は復活に向かって動いている!

これはとても嬉しい出来事だった。
東京に、画竜点睛が入る!

更に!
>現在 中国山東省煙台でモミライス・ランチは復活しています。
とのことだった。



例えどの様な職業でも良い。
それが誠実なもので、良い仕事をしたものであれば、
それは必ず残るものだ。
そのことを
このクッキーパパのBlogは教えて下さった様に思える。



しかし…、
大切な人も、大切な洋食屋もない。
それが時代というものの宿命とは言え、
やはり、…
…やるせない。

20130121

チャンピックスを卒業する

完全断煙を始めてから11週が経った。夕食後、チャンピックスを服用した。早いものだ。これが最後のチャンピックスになる。

最後の煙草より、最後のチャンピックスの方が遙かに感慨深いものがある。

10月30日に検索から5分でバスに飛び乗り、宮沢医院へ行き、今回の断煙は始まった。

あれから12週。まめにチャンピックスを服用して「禁煙手帳」を付け続けた。

この12週は、私の人生の中でも特筆すべき12週となるだろう。

不安は大きかった。

ためしてガッテン!』では、チャンピックスは簡単に煙草を止める事が出来るが、調査してみると止めた人のうち半数近くが1年後に喫煙を再開していると告げている。
何よりも、知り合いでチャンピックスによる断煙を試みた何人かが全て、実際に断煙に失敗しているという事実が怖かった。

その為、断煙したにも拘わらず煙草関係の本を読み漁り、あえて煙草という存在に向き合う事もしてきた。

だが、今、実は煙草の事を余り考えていない。自然にそうなった。

吸わなければ吸わないで、煙草の事を考えざるを得なかった。それはしつこい感覚で、時に訪れる喫煙衝動と共に、今後何十年も付きまとい続けるかも知れない予感があった。

だがその時期は過ぎたのかも知れない。

物心共に煙草なしで過ごす事が出来る日がやって来たのでは無いだろうか?…まだ早いか?

いずれにせよ明日からはチャンピックスなしで過ごさなければならない。その意味で、真の断煙の始まりは明日からだろうとも覚悟している。だが、それは不安では無い。妙に自信がある。何しろ、遠い場所まで煙草を買いに出掛けない限り、断煙は実現出来るからだ。

むしろ、チャンピックスなしで始まる明日からの日常が楽しみでもある。

20130117

Kindleがやって来た!

ぼさぼさの、と言うより逆立っている寝癖頭で玄関のドアを開けた。
昨日の夕方の事だ。

チャイムが鳴ったからだ。Amazonから、もう発送のメールは受け取っていた。2日経っている。遂にKindleが来たのか?!

玄関から周りを見回す。宅配便は来ていない。空耳だったか?とドアを閉めようとしたら蔭から声があった。

「こちらでしたか。」

男がやけに嬉しげな笑みを浮かべて立っていた。

私に用事があった訳ではない。女房殿が車を買おうとしている。その見積もりを持ってやって来たのだ。

しまった!この頭では支払い能力が無いと思われたのでは無いか?(いや、実際に私個人には新車の支払い能力は無いが…)

もう遅い。
女房殿からお小言を貰う事になるだろう。

用件を済ませてドアを閉めた。

部屋が寒い。ファンヒータの設定温度を上げよう。

と、またチャイムが鳴った。

来たのである。

Kindleである。

革製のカヴァーと充電器を付けた。

文庫本を一回り大きくした程度の大きさで、やや厚い本と同じくらいの重さ。予想していたより軽くなかった。残念だ。だが、既に私のアカウントでAmazonには登録されていた。

すぐにでもKindleストアで本を買えるのだ!

ぐ、と堪え、しかし堪えきれなくなった。

無料の高神覚昇著『般若心経講義』と1ドルのGene Sharp著『From Dictatorship to Democracy』(これも紙版を購入すれば1,000円以上するのだ)を購入し、読んだ。

辞書などはデフォルトで使えるようになっており、その参照はスムースに行える。書き込みも思いの外簡単に出来た。


iPadと微妙に使用感がダブる。軽さがさほどでもなかったので、そのダブり感が気になった。iPadはまた、iPhoneとのダブり感がある。いろいろと用途が重複する。

しかしKindleで読んだものはそのままiPadやiPhoneで開ける。そのままと言うのはKindleで読んだ続きをiPadで読んで行けると言う意味だ。ウィスパーシンクロという機能らしい。誤ってKindleを忘れてきても、持っているiPadなどからシームレスに読書を続ける事が出来るという訳だ。

革製のカヴァーはスイッチにもなっていて、閉じるとスリープ状態になる。もはやこの程度の便利さには驚かなくなった自分が怖い。本を開いて、読んだ場所までめくって探しという作業が全くなくなって、只Kindleを開けば続きを読んで行けるようになったと言うのに!


これに先立ってKindle使用説明本を購入しておいたのだが、カラーである上にサイズが小さすぎてKindleでは読めなかった。皮肉なものだ。

読書の為機械が必要となった事については微妙に複雑な感情を持つが、紙からの離陸はいつか必要な事だったのだろう。後はもう少し日本語の本がKindle版で出て欲しいところだ。色々含めて総額1万円ちょいの値段は手頃と言えるのでは無いだろうか?

本の増加にはこれで少しは歯止めが掛かるだろうか?

仕様なのか故障なのか微妙なところだが、下辺のライトが少し暗い。これが気になった。

20130106

断煙2ヶ月─改めて煙草に向き合う

今迄何度も断煙に失敗してきた。だが、不思議なもので、今回は「最後の煙草」が実際に「最後」になることを確信していた。根拠は殆どなかった。だが、それが「分かった」のだ。この辺りの心理は説明が難しい。
それらを克明に描いたエッセイがあった。

この本『禁煙の愉しみ』に出会った時、既に断煙してしまっていたことを、私は少し後悔した。煙草を止める前だったら、著者と体験を共有出来ただろう。しかし、まだ遅くない。断煙は恐らく一生続くのだ。
著者は禁煙という言葉を使う。
禁煙とはそれ自体がワクワクする愉快な出来事であると述べている。
煙草を止めると言う行為が、自由の一形態だという境地には至っていたが、禁煙そのものを愉しむという、境地には辿り着けていなかった。かなり悔しい。

煙草を止めようと苦心惨憺して、失敗を繰り返していると(この態度がいかんのだ、失敗ではない、禁煙の稽古をしているのだ)、すぐに消えてしまいそうな、そして実際にすぐに消えてしまう。淡い、独特の「境地」に何度か辿り着く。その様子がこのエッセイには分かり易く描かれている。良く形にしたものだ。多分筆者もその「境地」の描写にはかなり苦労したことだろう。
そして、何度かの「稽古」を経て「本番」に至る時、禁煙者はそれをはっきりと自覚しているのだ。何故かは分からない。

これ程までに前向きに断煙に立ち向かった例は余りないだろう。多分、筆者は禁煙という個人的な行為に個人を超えた人類普遍の意味を見いだしたのだ。それ故に禁煙の本番に至る経過を逐一報告したくなったのだろう。その心理は手に取るようによく分かる。その意味で貴重な記録になっていると思う。このエッセイを読んで禁煙をしてみたくなる人が出て来ても何の不思議もない。勝れたエッセイだと思う。


断煙に踏み切ってから2ヶ月が過ぎた。煙草という厄介であり、不思議でもある存在に、もう一度向き合ってみようと思うに至った。

そもそも、煙草の歴史はコロンブスのアメリカ大陸との出会いから始まっている。それ程古い歴史がある訳ではない。

タバコが語る世界史』は煙草を通して見えてくる世界史が語られている。

リブレットなのでさほどボリュームはない。けれど内容の濃い本だ。

煙草、それも極めて合理的にニコチンを摂取出来る紙巻き煙草がいかに浅い歴史しか持っていないかを、この本で知る事ができた。それが世界中に蔓延していることを思えば、現代という時代が、如何に特殊な時代であるかを知ることが出来る。
所謂嫌煙権運動が盛んになって以来、煙草に対する風当たりは確かに異常な程激しくなったが、それ以前に煙草の普及自体が異常な出来事だったのだ。

現代という時代を観る時、Nicotiana Tabacumという草に翻弄されている時代であるという認識と切り口は必要な視点とも言える。

喫煙と禁煙の健康経済学』は医者以外が書いた最も良質な煙草本のひとつだろう(医者が書いた煙草本が良質であると言っているのではない)。

兎に角採り上げられているデータが豊富だ。主テーマである煙草の生み出す嗜癖という特異な性質の経済学的な分析以外に、如何に断煙の失敗率が多いかや増税の健康促進効果は弱いことをこの本から知る事が出来る。

断煙を挫折しても、自分を責めるには早すぎる。

今日採り上げた本で、暫くは煙草や禁煙という行為に向き合ってみようと思っている。その結果は、またひとつひとつ採り上げて紹介するかも知れない。