20130331

よこ亭

いつもtweetしている店ではない。

飯縄にあるよこ亭

ここもお気に入りのお蕎麦屋さんだ。
月に一度は通う事にしている。


信州そばという言葉がある。
有名なのだ。だから皆、蕎麦も信州産だと信じ込んでいるところがある。

実は違う。

殆ど北海道産の蕎麦粉を使っている。
良心的な店では蕎麦の実を仕入れ、店で蕎麦粉にしている。その程度だ。流石に新そばの季節には信州産の蕎麦を使うことが多いが、その時期も限られている。


ここは違うのだ。1年を通して、正真正銘、信州産の蕎麦を使っている。
こうした店は実は少ない。

だから看板に本物の信州そばと謳っているのだと思う。

何しろ店が蕎麦畑を持っているのだ。そこで育てられた信濃1号という品種の蕎麦を使っている。
ここでいつも注文するのはえび野菜天ざるそば。

写真は並盛りだ。

他に大盛りとそれより更に多い特盛りがある。
今日は特盛りにした。

いつも通っている山とも庵より、天ぷらは美味しい。しかし、林檎の天ぷらがあるのはちょっと戸惑う。

この店にはいつも蕎麦打ち職人の名前が表示されている。
極めようと思ったら、誰が打った蕎麦が一番旨いかを探って行く事も出来る。それが出来る程頻繁に通えない場所にあるが、これからも贔屓にしてゆきたいお蕎麦屋さんだ。

流石に長野には良いお蕎麦屋さんが多い。
その事は誇って良いことだと思う。

しかしやはり蕎麦は江戸のものだと私は思う。つゆが…。

20130330

フランシーヌ・ルコントの場合

3月30日だ。

この日付はひとつの唄と共に記憶されている。

1969年の唄だ。

子どもの頃、何となく言っている事は分かったが、事情が詳しく分からないままだった。
ただ、時代の空気を感じ、この歌に寄り添うような気分でいた。

時代に対して何かをしなければと言う思いがあり、
時代に対して異議を申し立てて自殺したのであろうフランシーヌという人に共感めいた感覚を抱いていた。

まだ、自殺は社会的な問題になったし、哲学的な問題とも考えられていた。

君はフランシーヌ・ルコントを知っているか」と言うエントリに小さな新聞記事の切り抜き写真があった。3月31日の朝日新聞らしい。


ようやく、フルネームを知る事が出来た。

冒頭のパリ拡大会談とは、ヴェトナム戦争の北爆停止に伴って拓かれた新局面に対して、戦争の終結に向け、米,北ヴェトナムに新たに南ヴェトナム、NLF(民族解放戦線)を加えたメンバーで1月25日から開かれていた会議の事だ。

その会場から200mの場所でフランシーヌ・ルコントさんはビアフラの記事の切り抜きを持って焼身自殺したのだ。

記事には精神病の事が仄めかされている。その影響もあったに違いない。だが、同時に政治的抗議のための焼身自殺であった事も否定は出来ないだろう。


耳にしてから54年。やっと事情が呑み込めた。

この歌は、1969年6月15日に発売されている。
もう誰も記憶していないだろうが、反安保の日だ。樺美智子さんが亡くなったのが1960年の6月15日。それに因んでいる。


この歌を歌った新谷のり子さんも、時代に翻弄されたようである。


そういった時代だったのだ。


ヴェトナム戦争はその実態が、マスメディアによって伝えられた最初の戦争だった。
それだけに衝撃も大きかった。

若者たちは今と比べ、遙かに無垢だった。
逆に言えば無垢でいることが許された時代だった。

時代に翻弄された若者は、世界中に数限りなく存在する。


フランシーヌ・ルコントさんが亡くなって、今日で丁度54年。


時代はどう変わってきたのだろうか?

どういう時代を、これから私たちは紡いでゆくのだろうか?



2
ホントのことを言ったらオリコウになれない
ホントのことを言ったらあまりにも悲しい
3月30日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ



20130329

Mission Anny !

 Anny Goodsたちがやって来た。
3月10日の「2周年」デモの時頼まれていたのだ。

誰でもMission Annyにメールさえ送れば入手出来るのだが、今回も"Mission"に参加することにした。

10色20枚のステッカーを頼んだ。

初期の頃より大分色が増えた。

より楽しくお洒落になった

おまけなのだろうか?小さなAnnyたちも付いて来た。
何に使おうか?それを考えるだけでも楽しくなる。

他に缶バッジもある。
こちらにはBoysヴァージョンもあり、合計で15色!

今回は頼まなかったが、私は帽子と鞄に付けている。

Missionは海外にも展開中らしい。

もっともっと拡がってほしいと思う。

つながるということの大切さをこの"Mission"に参加する度に実感するのだ。

運動は、時に深刻な局面も迎えることがあるが、いつも気持ちに余裕を持っていたい。

このようなお洒落で楽しいGoodsが拡がっていることは、運動のひとつの発展だと私は思うのだ。

成熟と言っても良いと思う。

Mission Annyの「本部」は、4月から前橋になるらしい。
どこに移動しても私は"Mission"に参加しよう。

さて今回のMissionはどんな展開になるのだろうか?

20130328

ホッケースティック論争

甚だ自信が無い。

このテーマを書く資格が私にあるのだろうか?と疑問すら湧いた。

けれど、先ずは自分の為に、ちょこっと読んだだけのWebからの情報を整理しておこうと思う。

ホッケースティック曲線

これを俎上にあげる。
もう少し詳しい図もあった。
縦軸に記されている数字は異なるが、意味するところは同じだ。
過去1,000年から2.000年の気温変化を主に樹木年輪を用いて、その他には氷コア、珊瑚などの記録を活用して復元したもの(Mann,1999)とされている。

地球の気温は1,000年越しに徐々に寒冷してきたが、20世紀になると鋭く上向きになる。ということを言っている。

近年の気温上昇は過去の傾向と全く異なるフェーズに入ったのだと言っているのだろう。

私が読んだIPCCの報告書(IPCC第四次報告書)に、この図はなかった。それ以前に「論争」が起きたのかも知れない。

「論争」とは、このホッケースティック曲線は偽造なのでは無いかという疑念が持たれたのだ。

私はこの図を見て、ペスト禍の遠因を作った中世の温暖化やその後のマウンダー極小期に見られた小氷期が読み取れないことにちょっと疑問を抱いた。

それ程局地的な現象だったとは思えないのだが…。

その辺りは第一次報告書に載せられていた図の方が(かなり誤差を無視しているが)腑に落ちた。

この図の原典を探していたのだが、1日掛かりでようやく当てが付いた。
Climate, History and the Modern World.” (Hubert Horace Lamb , 1995)


「論争」の趣旨はホッケースティックという形は統計的方法(主成分分析)による必然な結果だと言うことだ。15世紀の気温はブリストルコーンパイン(イガゴヨウマツ)の記録だけで構成されているとの批判もあった(私はこの批判の意味が良く分からない)。

その批判があったせいか、第四次報告書には他の数多くの気温変化曲線と共に載せられるようになった。



Mannは訂正の論文を出したが、訂正は出典の誤記だけであり、論文の結果には変更がないと明言している。


ここまで採り上げた曲線を見ると、Mannのホッケースティック曲線は段違いに突出しているものの、20世紀の気温変化が顕著なものであるとする結論に変わりは無いと思える。


だが、
現状の気温データでは、温暖化を証明するには極めて不十分!
に載せられているような数多くの気温変化曲線を見ると話しは別になってくる。

現在より中世温暖期の方が気温が高いという結果が示されている図があるのだ。

今迄の図と合わせて、まとまって表示されているものがあったので、それを示しておく。

一番下の海底コアから推定した海水面の気温変化曲線は、明らかに現代の気温がそれ程特殊で無い事を表している。

問題はこのような経緯を辿ってきたホッケースティック曲線が未だに唯一の気温変化曲線として採り上げられる傾向を持っている事だ。

ただし私はホッケースティック曲線が完全なでっち上げであるという立場を取らない。

むしろひとつのデータとして尊重しようと思う。

だが、Mannのホッケースティック曲線だけが、過去の気温を復元したデータでは無いのだ。

その事は強調しておきたい。


つまり、過去の気温を復元した曲線には、いろいろなものがあり、ホッケースティック曲線はその中で十分確実なデータとは言い難いと言うことだ。

確かに現在得られているデータからは、地球温暖化を結論付けるのはちょっと不十分だと感じる。


だが、だからと言って人為的なCO2排出による地球温暖化が進行しつつあると言う話しは否定されると結論付けるのは早急だ。

単純なCO2悪者論が単純化の行き過ぎであるのと同じように、事態はそれ程単純では無いのだから。

20130326

温暖化をどう考えるか?─序

ちょっとびっくりした。

Facebookで地球温暖化防止の為に政府が進めようとしている、石炭火力発電の推進に反対する要旨のリンクを貼った。

それに対し、立て続けにコメントがあった。

いずれも地球温暖化懐疑論に基づくものだった。

予期せぬ論戦に、私は巻き込まれてしまった。

どうやら脱原発派の中には地球温暖化を原子力推進の為に仕組まれた陰謀の様に考えているらしい方々が多数いる事が分かった。


私は古くから原子力には反対してきた。
だが、同様に古くから過剰なCO2排出が地球温暖化を招くであろうという考えも持ってきた。


原子力を擁護する時、地球温暖化が良く持ち出される。

最初この論法を聞いた時は悪い冗談に違いないと思った。

原子力をクリーンと言い出すなんて…。
…あり得ない話しだ。

原子力はその核燃料を焼き固める際に、膨大な量のCO2を排出する。加えて、原子力発電所が成り立つにはその数に見合った火力発電所が必要である。

彼らが言う程には原子力は低炭素ではない。

けれど、火力発電所をぼんぼん使うのに比べたら、比較の対象ではあるまい。


原子力を否定すれば現代の病根を廃絶出来るとは全く思わない。

地球温暖化は私たちが抱える、もうひとつの大問題だと認識している。

脱原発派は環境に対してセンシティブであるのなら、もっと地球温暖化に対してもセンシティブであるべきだ。


ところが、地球温暖化を懸念する側にも、かなりいい加減な論法が見られるのも確かな事なのだ。

この辺りを懐疑論者は突いてくるのだと感じる。


再びちょっと勉強してみるつもりになった。

ひょっとすると、このBlogをお読みの方は、私が「懐疑論者」になったと思われるかも知れない。そこまで突っ込んでみようと思っている。


けれど、それ程単純な問題では無いことを、私は一応理解している心算だ。


2冊、本を読んだ。
ひとつはジェイムズ・ハンセンの『地球温暖化との闘い─すべては未来の子どもたちのために

この人から地球温暖化の議論は始まったのだ。

批判されることが多い。ブッシュ政権に利用されただけではないかと言うのだ。

だが、彼は科学者として出来る範囲で、最大限行動してきたと、私は評価する。

この本はそんな彼の自伝的な内容が色濃く出ている。

この本の中で彼が非難しているのはグリーンウォッシュと呼ばれる態度だ。

地球温暖化や環境について懸念を表明しておきながら、実際に気候の安定化や環境保護のための行動を何も取らないことで、米国やその他の国々に広く見られる態度だと言う。

彼は地球温暖化についてもそうだが、このグリーンウォッシュに対してもその証人になることをこの本の中で表明している。

地球温暖化のメカニズムを説明している箇所は、とても分かり易い。

もう一冊はもう少しアカデミックな内容だった。

カート・ステージャの『10万年の未来地球史─気候、地形、生命はどうなるか?

今年は矢鱈早く春が来た。

その事を地球温暖化に絡めて語る人も多い。

一理はあるだろう。


けれど、この本を読んで、私はもう一度地球温暖化という現象のタイムスケールを考えてみた。

問題の本質を掴むには、10万年単位の時間軸で考えることが必要だろう。

この本は地層に記されたデータから、丹念に「超温暖化」の徴を読み取ってゆく。かつてはどうだったのか?

その作業は極めて実証的だ。こうした態度が地球温暖化を語るには必須なのだと教えてくれる。

そして、未来はどうなりそうなのか?
…どうすべきなのだろうか?


ハンセンの本と殆ど同時に出版された。
その為、同時に買うようにamazonなどでは誘導される。余り芳しくない。この2冊は全く異なる内容だ。

それを自覚した上でなら、同時に読んでも差し支えないだろう。

20130325

武水別神社へ

昨日、我が家に新車がやって来た。
 TOYOTAのVitzである。

中途半端だと女房殿は悩んでいたが、私としてはそれ程悪い色ではないと思う。

ボタンひとつで四駆になる。

燃費も良いとの事。何よりだ。

今日は交通安全を祈願しに、千曲市にある武水別神社八幡宮に行ってきた。


その前に以前教えて貰ったネパール・カレーの店「ザ・エベレスト」で昼食を摂った。

意外に近い。
扉を開けると入り口までカレーの薫りが漂ってくる。

予想より、こじんまりとした佇まいだ。

入るとネパール人の店員さんが迎えて下さった。

平日のお昼なのでランチメニューがある。

いやが上にも期待が高まると言うものだ。
中は普通の定食屋と同じような感じ。お座敷もある。

私たちは椅子席に陣取った。

ネパールのタペストリーを通して春の光が差し込んでくる。

私としては本日の主目的はここだった。ネパール・インド系の料理が大好きなのだ。

1200円ほどのランチもあったが、今日は初めてという事もあり、680円の普通のランチを注文した。本日のカレーは何だろう?

女房殿はHotを、私はVery Hotを注文。

最初、ナンはスーパーで売られている程度のものを予想していた。

だが、出て来たものは予想を遙かに超えていた。

でかいのだ。

皿の直径は30cm程。そこから大幅にはみ出すナン!

このナンが美味しかった!カレーなしでも十分いける。

サラダも美味!

これで680円は激安だ。

今日のカレーはミックスベジタブルだった。

自宅からは少し離れるが、ここは頻繁に訪れたい。

満足である!


さて、腹ごしらえが出来たところで、武水別神社へ。
私は知らなかったのだが、かなり大きな神社だ。

午後イチで受け付けをして貰い、殆ど独占状態でお祓いを済ませた。

これから先、Vitzとは長い付き合いになる。
何よりも安全第一で行きたいものである。

帰り道、ようやくオーディオ関連の設定の仕方が分かった。
ちょっと直感的な操作性に欠けるのではないか?

最近は進歩したもので、カーナビの精度もかなりのものがあり、驚かされた。

何よりも新車独特の香りが心地良い。

煙草を止めておいて良かったな…。内心その事が最も喜ばしく思えたのだった。



あちこちで梅が満開だった。

春遅き信州にもようやく春が巡ってきたのだ。

20130324

さらば!パルサー

女房殿がNissanのパルサーを手放す。
 12年乗ってきたと言う。私より付き合いが長い。

随分と愛着もあるのだろう。
もう乗らないというのに、きちんと洗車して来た。

私も随分お世話になった。

どこに行くのもこの車だった。

その最後の勇姿。

所々錆が出て来ている。

昨日、最後の遠乗りをして来た。
流石にエンジンが妙な音を出し始めている。

最後に向かったのは、
飯縄にあるいつものパン屋さん、ベッカライ麦星だ。

まだ雪が残っていた。

しかしこれでも随分少なくなったのだ。もう春になったと言っても良いだろう。

借りていた本を返し、パンを5つ買う。

ここに通う為に、新しく買う車も四駆にした。

ちょっと高価いパンになるがそれでも良い。


今日、新しい車が来る。

かなり悩んでいたようだが、それもお楽しみの一部だろう。

果たして私は新しい車を覚える事が出来るのだろうか?

20130323

海街diary大賞受賞!

一昨日辺りからなのだが、2月1日のエントリ「海街diary 1〜5巻」が騒がしくなっていた。

アクセスが急増していたのだ。

昨日は遂にATOKの予想変換キーワードに「海街diary」が加わった。これで流石に何事かが起きたな?と思ったのだ。
 検索して知った。

マンガ大賞2013に吉田秋生さんの『海街diary』が選ばれたようだ。

マンガ大賞2013に吉田秋生「海街diary」“光と闇の強い鎌倉という街を描きたい”

誰かに薦めたい!というコンセプトらしい。

私も大好きな作品であり、多くの人に読んで貰いたいので大変嬉しい。

吉田作品の編集を約20年に渡って担当してきた真島氏は、「第1話の声なき号泣のシーンを読んで、これはすごい作品だと正直震えました」と語っている。

そうなのだ。あのシーンは漫画でなければ表現出来ないであろう名シーンだと私も感じていた。

あのシーンに感動して、ここ迄読んできたと言っても過言ではない。


この記事のインタビューで作者の吉田秋生さんは、「先の展開はどこまで決め込んで描いてますか?」と言う問いかけに対し、

「その都度その都度、なんとなくという形です」

と答えていた。

意外だった。

吉田秋生のストーリー展開は見事だ。
その構成力は半端な文学を凌いでいる。

余程綿密に構想を練っているものと思っていた。

物語というものは生き物であると繰り返し言っている。作者が支配出来ない部分がどうしてもあるのだろう。

その都度なんとなくと言う態度は、生き物としての物語に忠実であると言う事なのかも知れない。

鎌倉を舞台とした物語はこれからも続いていくようだ。

もしかすると別の作品になって続いてゆくのかも知れない。

映画化の話もあると言う。

いろいろと楽しみだ。

20130322

バンスリ

以前「まほうのしずく」だった場所はAsian Night Marketの分店になった。アンテナショップと言ったところか?
感じの良い店員さんが迎えてくれる。

中にはいろいろな国々から集められた小物がどっさり展示されている。

中央に置かれている布で出来た小物類は、2週間前にボリビア(だったかな?)から届いたばかりだと言う。

ちょっと中南米の匂いがするかも…。

このような店では、私は基本、楽器は買わないのだが、結構質の良い笛を扱っていた。
しかも、Webで調べてみると、かなり安い!

買う事にした。

バンスリという北部インドの楽器らしい。

一昨日、平安堂で語学テキストを年間購読申し込みし、そのついでに寄ったのだが、結局捕まってしまった。

その代わり、在庫を全部見せて貰い、 じっくりと選ぶ事が出来た。

この辺りはネット販売だと出来ない事だ。

横笛タイプと縦笛タイプがあり、両方共バンスリと言うのだそうだ。

フルートの原型になった楽器らしい。

狙っていたのは横笛タイプ。低い音が魅力的だ。
だが、インド人とは手の大きさも、指の太さも違うのか、結構押さえにくい。

1時間くらい粘って選びに選んだ。
思い切って横笛タイプと縦笛タイプの両方を買う事にした。

上が縦笛タイプ。下が横笛タイプ。

長さは50cm程だ。

縦笛タイプの最も下の穴は捨て穴と呼ばれ、通常押さえないものらしい。

押さえるものとばかり思っていて、インド人は何本指があるのだろう?と言って笑われた。

横笛タイプの方が表現力に優れている。

音の出し易さで選んだ。

右が横笛タイプ。左が縦笛タイプ。

横笛タイプは勿論穴に横から息を吹き込んで音を出す。
ちと難しい。

丁寧に造られていると思う。

ちょっと驚いたのは、裏側に親指用の穴がないことだ。

それでも2オクターヴの音域がある。

丁度1年前にちょっと高いジャンベを買った。
それも書籍部屋に鎮座している。

それに今回笛が加わった。

こんな風に、かつても民族楽器が少しずつ集まり、部屋は古道具屋と呼ばれる程になった。
その轍は踏むまい。

じっくりジャンベと笛を練習しよう。

試しに『平和に生きる権利』を吹いてみた。良い感じだ!


店員さんは昔ニューオリンズジャズをやっていて、コントラバスを弾いていたそうだ。
結構話が合う。

お名前を聞いておくべきだった。

何も買わなくとも、話をしにゆくだけで良い、またAsian Night Marketに行ってみよう。

…出来るか?買わない事。

少し小さかったので諦めたが、危うく服も買うところだった。

危ない、危ない…。

20130321

Νίκη της Σαμοθράκης

ギリシャ語で格好付けてみた。

サモトラケのニケだ。

この画像を探すのにちょっと苦労した。ようやく探し当てたのでupしておきたい。

Blog『夏の行方』に小さな画像を貼り付けてあるのだが、もとのサイトからは見当たらなくなってしまっていた。

誰が撮影したのか判然としない。
だが、この写真のニケが最も好きだ。

衣服の襞が細部まで表現されていることがライティングによって非常によく分かる。まるでそこから光が透けて見えるかのような透明感すら感じる。

出来れば北海に臨む島の、風の中に屹立する姿を見たかった。

ギリシア彫刻の傑作だと言って、誰も異論を唱えないだろう。

前220-前185年頃の作とされている。

1863年に発見された。右腕も1950年に発見されているとのこと。腕は広げられていたようだ。

いずれもルーブル美術館に保管されている。

ここに行くといろいろな角度からのニケを「ルーペで拡大して」見ることが出来る。お試しあれ!

小さな画像を一枚拝借しておく。

全体像だ。

ニケはこのように船に乗った姿で発掘された。
空から降りてくる姿とされている。

全体の高さは5.57m。
かなり大きい。

キトンは彩色もされていたようだ。
一部それが復元されている。

美しく、凛々しい。

風の中でなくても構わない。
一度実物を見上げてみたい。

それが夢だがおいそれとは叶いそうにない。

20130320

Firefoxが…!



Bloggerの編集画面である。

現在Firefoxで表示するとこうなる。

妙に小さく表示されるようになってしまい、どんどん使えなくなってゆく。


最初はFacebookから始まった。

URLをコピー&ペーストする度に縮んでいったのだ。

それでも我慢して使い続けてきたが、昨日いよいよBloggerの編集画面に不具合が拡がり遂に諦めた。

溜め込んできたBookmarksも便利だし、様々な拡張機能があるので、Firefoxをデフォルトのブラウザとして使っていた。だが、こうなるとどうしようもない。


問題は今のところBloggerの編集画面とFacebookだけなのだ。

このふたつを表示させる為のブラウザを探している。


なかなかこれと言ったものが見付からない。

ChromeかSafariをデフォルトとして使うことになると思う。拡張機能の事を考えるとChromeに軍配が上がるが、iPhoneやiPadとの連携を考えるとSafariも捨てがたい。

今迄機能や挙動から、これらのブラウザを使い分けてきた。
その使い方も大きく変わらざるを得ない。

使い慣れた環境が変わるのは、ちょっと不便だ。

Updateでこの不具合が解消されるのが最も望ましい。Firefoxにはその旨をフィードバックとして報告しておいた。

どうなる?

ところで他の方々はどうなっているのだろう?この現象は私だけに起こっている事なのだろうか?

--
「Firefox 小さくなる」 で検索したところ、他にも同様の症状が出ている方がいらっしゃるようだ。

該当ページに行き、
表示→ズーム→リセット
またはCmd+0(Windowsの場合はCtrl+0)
で表示は元に戻った。やれ嬉しや!

これで今迄通りの環境で作業出来る!!

20130319

黒死病─ペストの中世史

やはりペストに嵌まってしまった。
科学・医学ジャーナリスト、ジョン・ケリーの本だ。

この作者の本はもっと読みたいのだが、今のところこの本しか翻訳されていない。

中世ヨーロッパのペストに関しては、多くの本を読んで来た。
ひととおりの知識は持っているつもりでいる。

にもかかわらず、一気に読み切ってしまった。

面白かった。

良い読書体験が出来たと思っている。
作者であるジョン・ケリーを知っただけでも価値がある。

大量の文献を読み込み、読み解く技量には優れたものを感じるが、それらをまとめ上げ、ひとつの「物語」にしてゆく力量に凄さを感じた。勝れた読み物になっている。

著者は最初、中世ヨーロッパを採り上げる心算はなかったようだ。

前著『Three on the Edge』は実験薬について書いたようだが、その執筆に当たってパンデミックの威力を垣間見、一般的な意味での疫病に興味を抱いたのだという。

前著の評判もなかなかなので是非読んでみたい。

本書の扉にはヨーロッパの地図が載せられている。歴史物はどれもそうなのだが、地理的な位置関係の把握が出来るか否かで、理解度が全く異なってくる。地図をコピーするなりして、常に参照出来る態勢を造っておいた方が、この本を楽しむ事が出来る。


この本で得た知識としては、ペストの発生源として知られていながら、従来余り採り上げられることがなかった中世の中国・インドの様子を垣間見ることが出来たことだ。


本書は基本的に中世ヨーロッパの黒死病は腺ペストであるという立場を取っているが、議論として、黒死病はペストではないとする立場もある事を紹介している。

著者紹介には次回作について触れられていた。

次作はアイルランドのジャガイモ飢饉をテーマにした作品を予定しているようだ。

この作者とは話が合いそうだ。

ペストもそうだが、ジャガイモの歴史も、私にとっては重要なテーマの一つなのだ。

例えば
いも -1. Introduction
いも-2
をお読み下さると、その辺りはご理解頂けると思う。

中世ヨーロッパのペストについては、この本だけでも十分な知識を付けることが出来る。
しかし私は、ペストのパンデミックが中世ヨーロッパを終焉に導いたとする史観を植え付けてくれたという意味で、クラウス・ベルクドルト著『ヨーロッパの黒死病─大ペストと中世ヨーロッパの終焉』を紹介しておきたい。

パンデミックがどの様に拡がっていったのかを俯瞰出来る意味でも名著だと思う。

古書にはなってしまうが、まだ入手可能なようだ。

今回調べてみて、中世ヨーロッパのペストについての本が軒並み絶版になっていることに驚いた。

勿体ないと思う。

とても面白い分野なのだ。

20130318

ペスト

題名を見て、またカミュか、と思われたかも知れない。

半分は当たっている。
本を取り出して来たし、書影もスキャンした。

ペストは私の主な主題のひとつになっている。
そこから中世ヨーロッパへの深入りと、パンデミックに関する関心が派生している。

これらは本棚に一大分野を築いている。

その根っこにこのカミュの『ペスト』があるのは疑いがない。

これも中学生のころ(多分2年生だった)読んだと記憶している。

名作だと思う。

極限状態に置かれた人間は、どの様にしてその尊厳を守ることが出来るのか。それを追求している。

彼が書きたかったのは、第二次世界大戦の事だったのだと思う。監禁状態にあるヨーロッパで、人が人としてある為には、何が必要なのかを、歴史上の出来事─ペストの大流行を引いて表現したのだと解釈している。

だが、今日の主題はこれについてではない。

カミュの『ペスト』の冒頭にデフォーの言葉が引用されている。

ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。
ダニエル・デフォー
これがどこから引かれたものであるか、昨日まで知らなかった。
ペストに関する文献を検索して読んで、分かった。

これだ!

本の裏には

事実の圧倒的な迫力に作者自身が引きこまれつつ書き上げた本篇の凄まじさは、読む者を慄然とせしめ、最後の淡々とした喜びの描写が深い感動を呼ぶ。極限状況下におかれた人間たちを描き、カミュの『ペスト』よりも現代的と評される傑作。

と書いてある。
本当だろうか?

読まずには居れなかった。

繰り返すが、カミュの『ペスト』は名作である。

けれど、この本の裏の文章に偽りはなかった。

ダニエル・デフォーと言えば『ロビンソン・クルーソー』だろう。あれも良い。

だが、このデフォーの『ペスト』はもっと読まれて良い。大傑作だ!
と言うより、私は今迄何故このダニエル・デフォーの『ペスト』を読まずに来たのだろう。
少し、では無くかなり歯ぎしりして悔しがっている。


戦後のフランスと言えばサルトルなのだろうが、彼はともするとスキャンダラスな騒がれ方をする。それに対し、アルベール・カミュはあくまでも真面目だった。
それは哲学に対する謹厳な態度でもあったし、文章に対する実直な姿でもあったと思う。

そこがカミュの魅力なのだと思う。
人生に対してシニカルな発言をしていても、彼に会うと思わず握手を求め、抱きしめたくなるという評判も、そこから発しているように想像している。

その真面目さに於いても、一段とダニエル・デフォーは輝きを発している。


事実を淡々と描いている。それが画期的な迫力を産んでいるのだ。
デフォーは一流のジャーナリストだと思う。


アルベール・カミュが『ペスト』を発表したのは1947年。
ダニエル・デフォーが『ペスト』、正確に言うと『ペスト年代記(A Jounal of the plague Year)』を出版したのは1722年。

それが客観的な事実である。

だからカミュはデフォーを引用することが出来た。

これも事実である。

けれどまた、カミュの『ペスト』よりデフォーの『ペスト』の方に新しさを感じるのも事実なのだ。

ヨーロッパでのペストのパンデミックは、中世ヨーロッパという大きなひと区切りの時代を終了させ、ボッカッチオの『デカメロン』などの作品を生み出した。

だから疫病のパンデミックという現象にはヨーロッパは特殊な感情を持っている。
その事を若いうちから私は感覚的に理解することが出来た。それはカミュのお蔭である。

そして遅まきながらではあるが、ペストが生み出した作品であるデフォーの傑作を、私は知る事が出来た。

またペストへの深入りが始まりそうだ。

20130317

シーシュポスの神話

気持ちは遠い過去を彷徨っている。

汚い本の書影で申し訳ない。

この本は出会ってからずっと手元にある。

本屋で出会ったのではない。
着替えようとして箪笥を開けたら洗濯物の上にこの本が置いてあったのだ。

妙な出会い方をした。だから運命を感じた。

中学1年の春の事だ。

冒頭付近にこうある。

つまりこの世界は三次元からなるとか、精神には九つの範疇があるのか十二の範疇があるのかなどというのはそれ以後の問題だ。

自殺ということこそが、真に哲学的な問題であると述べる箇所だが、この文章に幼い私は激しく動揺した。存在が揺らいだと言って良い。

分からなかったのだ。

先ず範疇という単語の意味が分からなかった。

持っていた小さな辞書で範疇を引いてみた。
カテゴリーと出ていた。
今度はカテゴリーを引いてみた。
範疇と出ていた。

けしからぬ辞書である。

けれど思春期の入り口にあった私にとっては、それで十分だった。

難しい。分からない。それだけが読む理由だった。
そうしたものを読んでいるという自負で、気分は張り裂けんばかりだった。

以後、この本と、そしてアルベール・カミュという人物と数十年間格闘することになる。

この本にはびっしりと、細かい字で幼い書き込みがされている。

実に恥ずかしい。

そもそもこの文章が誰を引いて書かれているのか、それすらも理解していなかったことがはっきりと分かる。

今この本を読むとそれなりに理解出来る。

十二の範疇云々はカントを引いている。

カミュは人間という存在自体が不条理なもの、つまり矛盾に満ちた、荒唐無稽な存在であるとし、しかもそれを肯定する。
シーシュポスの神話は達成という目的を否定する為に引かれている。
人間の存在理由は達成するという合理的な側面にあるのではなく、そのプロセスや「在り方」にこそあると言っているのだ。…と、思う。
少し自信がない。

実存主義哲学は未だによく分からないところが多い。
だが、カミュを知っている。それだけで幼い私は鼻高々だった。

何と言う不条理!

そんなものだから、カミュを話題にして、「芸術派」の友人から
「あぁ、あのサルトルに負けた人…。」
 などと返されると、まるで自分が侮辱されたように悔しさに暮れたのだった。

思春期の自分ってーのは実に、全く、只ひたすら恥ずかしい存在である。

20130316

Kindleの中身は?

さながら古書店である。

数ヶ月前Kindleを導入した。
もう30冊ほど本を購入した。amazonへの依存度は上がったと思う。

目新しい本にめぼしいものが見当たらない。
なので「懐かしい」本ばかり買っている。

こんな本もKindle本になっている。
 私たちの年代でこれを読んでいない本好きがいたらお目に掛かりたいものだ。

題名が良い。これだけで感動出来る。

著者の柴田翔はもう殆ど小説を書いていない。

どちらかと言うとゲーテの研究者になっている。

そうでなければ翻訳者か?

余り意見は合いそうにない。新境地を拓いたとも言えるのだろうが、私のゲーテとは違う。

けれど、小説は若い頃夢中になったと言って良い。

昔買った本を探したのだが見付からない。業を煮やして探したらKindle本で安く出ていたので買ってしまった。

冒頭の古書店を巡る描写から、思わず引き込まれた。やはり力のある作家だ。…いや作家だった。

改めて、生きると言うことと政治が近いところにあったのだなと実感出来た。

青春の、生のゆらぎと孤独を描いたのだと思う。

その底に密着するように政治が絡んでくる。

原発事故以来、デモが日常化した。けれど、この本を読んでみると、まだ政治は少し遠いところに位置付けられているように感じる。

同じように青春なるものと政治が近かったのだな…と感じたのは、この本だ。
Kindleの中で並んで鎮座している。

思わず笑ってしまう。

私は一体何年に生きているのだろうか?
そして何歳なのだろうか?

主人公は(かつての)日比谷高校に通う受験生だ。

怪物高校だった。

そうだった。紛争で東大受験が中止されていたのだ。

マルクスや毛沢東がとても身近なものとして描かれている。

最近の作家が若者を描こうとしたら、こう言った描き方はしないだろう。


そう言えばこの作者庄司薫も全く書いていない。それどころか何もしていない。今回の再版で久し振りに彼が書いた文章を読んだ。

この薫くんシリーズでは3冊がKindle本になっている。

全て買ってしまった。
この本については記憶がある。

Kindle本になっていない『白鳥の歌なんて聞こえない』とはどちらが先だったのだろうか?

中学の頃、両方とも感想文をしたためた。

コンクールで賞をもらった。

内容より技巧で貰ったという記憶がある。

捻った文章ばかり書いていた。素直な学生ではなかったと思う。

高校に行けばこれらの本の中の様に知的な会話が出来るものと信じていた。
だが私自身が全く知的でなかったのでそんなものはどこにも存在しない日常を営む羽目に陥った。

笑いには溢れていた。どちらが恵まれた高校生活だったかは分からない。
案外幸福な高校生活だったか?

東京に憧れを持ったのもこれらの本の影響が大きかったかも知れない。

ところがこの本に関しては全く記憶がないのだ。

無論題名は熟知している。

ひょっとすると読んでなかったのかも知れない。

お蔭で、非常に新鮮な感覚で読む事が出来た。

だが、怠い。

庄司薫は読んでいて、とても「飽きる」のだ。

当時もそうだったのかも知れない。

この本も買った記憶はあるのだ。ただ、読んだ記憶が全くない。当時も「飽きた」のか?

いずれも中学生の頃読んだものばかりだ。


他にも『蟹工船』(只だ!)とか『車輪の下で』とか(この訳は良い)、
そんなものばかりが私のKindleの中には並んでいる。

20130315

「機嫌よく振る舞いなさい」

なかなか前向きな姿勢になれない。

人生の殆どは鬱状態にある。
出来事の殆ど全てが憂鬱の種になる。
たまに(今がそうなのだが)躁状態になっても、
只単に歯止めが掛からなくなるだけで、失うものもその度に大きい。

結局後悔する。

人間が練れていないのだと実感する瞬間だ。
失うものがあっても、胆力が練れていれば、泰然としていられるだろう。

それが出来ない。



絵本、『モタさんの“言葉”』は紹介した。


その直後、NHKのどーがステーションで、この番組を動画で観ることが出来ることを知った。
実はこのサイトのURLは本にも書いてあった。

本は手元に置いておくことが出来る。そこに存在価値がある。
だが、やはり動画でこの番組を観て貰いたいと思う。語りや音楽に味があって、文や絵が一段と引き立ってくる。


昨日(ホワイトデーだった!)第25話がUpされた。これが実に良いのだ。

モタさんの“言葉”「機嫌よく振る舞いなさい」

精神科医の斎藤茂太さんは「最初に『困ったなあ』『残念だ』『むずかしいね』とマイナスの言葉を口にすれば、そのあとはネガティブな言葉しか続かない。
まず『よかった』と口にすることで、ポジティブの連鎖をつくるのが祖父の意志だった。
明るい言葉は、起こったことすべてを明るく見せる効果をもっている」と語る。

成る程と思う。
こうありたいと心がけたいとは思う。

だが、難しい。

絵を描いた松本春野さんも

絵を描きながら「えええ!?」と驚き何度も笑ってしまった回です。
と語っている。


斉藤紀一氏は北杜夫の小説『楡家の人びと』にも基一郎として登場する。

気持ちが大きな人だったようだ。

泰然としている。

斉藤家の人々が希に見る程皆有名になっているのも、紀一氏を始めとする前向きな姿勢があったからではなかろうか?

この第25回で採り上げられているエピソードは斉藤家にとってもエポックメイキングな出来事であったらしく『楡家の人びと』の中にも描かれている。



楡基一郎はこの突発事件におどろくほど冷静にかまえていたが、それでもさすがに先ほどまでの上々の機嫌を損じたであろうか。折角の晴れの舞台が滅茶々々になったこと、縁起でもないこの一年のはじまりに対して、いささかなりとも眉をひそめたであろうか。いやいや、彼はそんな男ではなかった。病院として大いに外聞のわるいこの不始末に舌打ちし、従業員の監視の行きとどかぬことを説諭したりして、一同をますます恐縮させてしまうようなことは決してしなかった。人々が少しばかり薄気味がわるくなったことは、院長は騒ぎが静まったあと、時と共ににこやかに、底抜けに機嫌がよくなっていったことだ。


さすがである。


斉藤紀一氏と言えばこの回だ。第2話。

モタさんの“言葉” 「人をほめられる人が賢者」

泰然としていて褒め上手。

成功しない訳がない。そう納得出来る。


これもなかなか出来ない事だ。


弟、北杜夫が登場する第24話

モタさんの“言葉”「後悔からスタートするのさ」

では、
「大切なのは、どんな生き方も『これでよかった』とみずから認める度量と覚悟をもつことではないか」

と語っている。

これもおいそれと実行に移せない言葉だ。
私なんぞかなりはっきりと私の人生は失敗だったと思っている。

モタさんの言葉は何気にかなりハードルが高い。

せめて番組をみて、本を手にとって読んで、ほんの少しだけ、茂太さんの言葉の方向に心の姿勢を向けてみる。

私が出来る事はそんなことくらいだ。

その切っ掛けを作ってくれるだけでも茂太さんの言葉は有り難い存在だと感じている。

20130314

Google Reader終了!?

朝、News Readerをチェックしていたら突然英文のメッセージが現れた。
余りにも唐突だったのでちょっとパニックに陥った。

7月1日でGoogle Readerが終了するようだ。

最近はこの機能に追われるように生活していたので、少しほっとするところもあるのだが、それだけ使っていたと言うことでもあり、このサーヴィス終了はかなり影響が大きい。

公式Blogでもアナウンスされていた。

ソフトで対応するしかないのだろうか?

だが、最近はFirefoxとChromeのアドオン、Google Reader Watcherを使用していたので、現在の環境が復元される可能性は極めて小さいと思われる。

ここから更新を知るサイトやBlogも多かった。

幾つか代理になるサーヴィスもあるようだ。

7月1日に終了するGoogleリーダーの代わりに使えるサービスは?

中でもNetVibesは少し試してみたが、魅力的なサイトだ。だが、設定することが多すぎて手が回らない。

livedoor readerへの乗り換えという選択肢もあるようだ。

RSSリーダー難民に捧ぐ、Googleリーダーからlivedoor Readerへの移行方法

結構簡単!


Feedlyという選択肢もある。
「ノルマンディ」なるプロジェクトを進めていたらしく、事前に登録しておけばGoogle リーダー終了後もシームレスに移行できるのだそうだ。


こうしてみると既に策は幾つも用意されている。
今日だけでかなり見付かった。

いずれにせよまだ間はあるのだ。

少しずつ環境を整えて行こう。そのうち解決策が見付かる筈だ。

20130313

美しき五月のパリ

個人的には「逆コース」なのかも知れない。

30代と40代はほぼ、マルクス主義からの脱却に当てた。
かなりの難事業だった。

今、脱原発の集会や催し物で演る唄を探している。

その頃のものがどうしても出て来る。

これもそのひとつ。
 美しき五月のパリ

パリの5月革命の時の唄とされている。

圧倒的に美しい唄だ。
この旋律を聴きながら思春期に突入した。

だが、5月革命に参加した方々からは、このような唄は聴いたことがないという声もある。

あるにはあったようだ。
フランス語版がある。
こちらの方が勇ましい。流石にラ・マルセイエーズのフランスだと思う。

繰り返されるフランス語は

Oh ! le joli mois de mai à Paris

「おぉ!美しき5月のパリの陽気」
とでも訳されるのだろうか?

当時は丁度ヴェトナム戦争の真っ最中だった。

テレビで初めて報道された戦争だったと言って良い。
その影響は計り知れなく、
世界中で学生たちが立ち上がった。

日本も例外ではなかった。

だが、調べてみると5月革命もまた、
大学の中だけの「革命」であったようだ。

ちょっと迷っている。
唄うべきなのだろうかと。

大きな犠牲を払ってマルクス主義から脱却した。
なのにまた、当時を繰り返すのだろうか?


戦争報道はヴェトナム戦争の当時とは変わり、
軍によって検閲されたと思われるものが主流になった。

かつて受けた衝撃はない。

アメリカ合衆国はヴェトナム戦争から多くを「学んで」しまったのだ。

現実は重苦しく、
そこから飛翔出来る「ユートピア」は描きにくい。

原発を止める止めないで四苦八苦している。

そんな場所に今私たちはいる。

どうしたら良い?


多分、私は唄うだろう。

歌詞を少しだけ変えて。

20130312

もみの木歯科医院

今日は通院日だった。

とても優しい街の歯医者さんだ。
もう6年も通っている。

最初の通院は酷いものだったと反省している。
治療してあった歯が虫歯になり、それを放置していたので痕跡しかなくなり、終いには自然に抜けてしまったのだ。

それでもこの歯医者さんは私を叱ることをしなかった。

私に最初に断煙を奨めてくれたのもこの歯医者さんだった。
良くなるものが良くならない。それが理由だった。

バージャー病という病気がある。Leo Buergerというドイツ人が発見した病気だ。ビュルガー病で良いのではないかと思うのだが英語読みされている。

どんな酷い症状になるか、是非画像を検索して貰いたい。ちょっと閲覧注意かも。

喫煙していた頃から、私はこの病気を秘かに恐れ続けていた。

どうやら喫煙と歯周病菌が原因らしい。

その病気の話もしたが、この歯医者さんは脅かすことを全くせず、根気強く私に断煙を促し続けてくれた。

今日は右上の入れ歯に歯を足した。

この歯科医、巧いのだ。

通い始めて6年。流石に歯は減ってきて、殆ど総入れ歯の状態だが、少なくなった歯もきちんと残してくれている。
それでいて、噛み合わせは極めて順調だ。

正直言うと叱られるのが嫌でなかなか歯医者には足が向かなかった。

ちょっと後悔している。

脅迫的ではなく、しかも技術がしっかりした歯科医院がこんなに近くにあるのなら、もう少し早く足を運べば良かったと今では思っている。

私は余りにも手入れをしなかったので、近い将来総入れ歯になるだろう。自業自得だと思う。

もう少し早くこのもみの木歯科医医院に掛かっていれば、食い止めることも出来たのではないだろうか?

失ってみて初めて分かることだが、歯はとても大切な身体の一部分だ。

未だ断煙を褒めてくれない。
それだけが残念だ。

20130311

原子力デスロック

ロックだ。

だがそれだけの意味ではない。
プロレスに固め技(デスロック)というものがある。
雁字搦めにして動けなくさせ、痛めつける技だ。
それと同じように原発はその危険性の故に
私たちの生活を雁字搦めにし、徹底的に自由を奪い去る。

この詞にはそんな彼の思いが凝集している。

この詞を書いた彼、桟敷原博之氏は83年、癌で逝去された。
81年に書かれている。

問題点を列挙しただけと言われたらその通りと言うしかないのだが、これだけ網羅してあると、それだけでも大したものだと思えてくる。

私たちが「反原発研」を発足させたのは79年の事だった。スリーマイル島原発事故が起こる直前の事だ。
何事もなかったその当時に反旗を翻した先見性は我ながら大したものだと思うが、世はバブル景気の最盛期、案の定殆ど支持は集められなかった。

おとなしくしてりゃ…などの言葉は微笑ましいが、彼が本当に言いたかったのはこの部分なのかもしれないと思って残すことにした。

当時付けられていた曲はすっかり忘れてしまっている。それをいいことに「2周年」を機に新に曲を付けてみた。


原子力デスロック
                 詞・桟敷原博之
Am                G       F                         E7
築き上げた電気文明 消費文化の行き着く先に
Am                G            F        E7           Am    F G
頼みの石油もままならず 文明の危機がやってきた
Am             G                      F             E7
権威は叫ぶエネルギーをと 資本主義を守る為に
Am                      G          F           E7       Am
そして行き着くのが原子力 なりふり構わぬ巨大技術
      G        Am    F         E7  F       G    F    G    E7
  だけど放射線全てを貫く 生身を蝕み時を超えて
  Am   G        F       E7
  期待に応えて招いてみたけれど
   Am          G      F       E7         E7 F G
  人の手にはとても負えはしない放射線

 Am        G                 F                   E7
最先端技術詰め込んで 危険はないと見切り発車
 Am             G                    F        E7     Am       F G
輸送、発電、再処理、投棄 死の灰の恐怖ふりまいて
 Am         G                 F             E7
原発推進その果てには 原爆実験、核武装
 Am            G                   F        E7       Am
更に狙いは右傾化軍拡 ファシズム街道まっしぐら
  G              Am F         E7     F  G      F      G   E7
  そうさ原子力支配者の為に 更に加えて管理・搾取
  Am       G       F       E7
  あくまで資本の為支配者の為に
  Am          G    F       E7        E7     F G
  どこまでも雁字搦めるよ デスロック

Am             G                          F          E7
だから原子力デスロックロック 金と力で雁字搦め
Am          G              F       E7          Am
支配体制永遠に求め 流れに逆らうよデスロック
Am                G                      F                           E7
許すな原子力デスロックロック おとなしくしてりゃつけあがりやがって
Am         G         F       E7  Am G      E7        Am F G A
あんまり俺たちなめんなよ 今に息の根とめてやる

20130310

2周年

明日で東日本大震災からそして福島第一原子力発電所の事故から2年。

今日その節目の日の祈りを捧げる集会とデモがあった。
集会開始前 医療生協が用意してくれた旗が美しい

始まる前は雨がぱらつき、雪まで降って来たのでどうなることかと思ったが。それもその内にやみ、どうにか晴れてくれた。

480人程が集まってくれた。
黄色という色がこれ程場を明るくしてくれるものとは!


最近デモも人数が目減りしていたので、心配していたのだが、良く集まってくれたと思う。
歌も披露された

 何十年ぶりかで古川豪の「風車の歌」も聴けた。
合唱団に声をかけ、歌詞カードを分けて貰った。これは私のレパートリーに入れておこう。

デモ先頭部分

風が強く、持っていた旗も吹き飛ばされそうになった。

だが、この風が風車を回してくれるのだ。
「風車の歌」にはそんながある。

嵐が来れば ますます強く 風車は回り続ける
おまえから学ぼう 打ち砕かれても 強く生きることを

全くその通りだ。

世の中は金勘定が好きな人ばかりで、折角拡がりかけた脱原発への動きもちょっと湿りがちだった。だが、それにめげてもいられない。

逆風が強ければそれだけ強く風車は回るのだ。

逆風を向かい風と読み替えて、もうひとがんばりしてみよう。

私はまだ絶望する程の努力はしていない。

20130309

ソロモンの指環

この本を私が持っていないと言うのは自分でも信じられない話だ。
訳者の日高敏隆さんの本ならば沢山持っている。著者のローレンツの他の本はある。けれどこの本だけがない。ベッカライ麦星から借りてきた。

この表紙が良い。
また挿絵はこの本では必須だ。借りてきたのは正解だったと思う。

実は私は少しだが猫語が出来る。例えば、にゃーごという鳴き声の「語尾」をかなり意識的に上げると子猫が明瞭に返答する。
母猫が子猫を探す時の鳴き声のまねだ。日本語訳すれば「どこにいるの?」という意味になると思う。子猫は「ここだよー」と返事をすると言う訳だ。

誰に教わった訳でもない。猫を観察している間に会得した。

ローレンツも同じ特技を持っていたようだ。

この感覚は、動物を注意深く観察した者ならば、誰もが持っているのではないだろうか?

ローレンツは動物行動学の祖として名を成した方だが、私にはそれ以上に同好の士としての親近感がある。

だから冒頭の「怒り」も理解出来るのだ。
世の中の動物の事を扱ったもろもろの本には、余りにも間違いが多過ぎる。

それはもろもろの本が観察する事によって書かれたのではなく、先入観によって書かれているからだ。

ローレンツは動物たちの間に入り込みじっくりと観察している。
観察と言うより、それは動物たちとじっくり交際していると言った方が良いくらいだ。

人は子どもの頃、動物たちと交際する。
多くの人々はその事をやがて忘れ、人間とだけ交際するようになる。

それは成長の一過程なのだろうか?

そうとも言えるだろう。

だが、だからと言ってその成長の一過程から道を外れ、いつ迄も動物と交際し続けたローレンツの様な生き方を否定する気に私はなれない。

まるで目の前でそれを見せてくれるかのように、ローレンツはコクマルガラスやガンとの会話やアクアリウムの中での出来事を私たちに語ってくれる。

私たちは思わずそれに引き込まれる。

金勘定には全く無縁の話だが、それに耳を傾ける事は、私たちの人生を相当豊かなものにしてくれる。その事は確かなことだと私は思う。

20130308

『イラン・パペ、パレスチナを語る』-など

何が報道で、何がプロパガンダなのか分からなくなってきた。

このような時はじっくりとまとまった本を読んだほうが精神衛生上にも良い結果をもたらす。

ミーダーン<パレスチナ・対話のための広場>が翻訳した『イラン・パペ、パレスチナを語る』(つげ書房新社,2008)が良かった。

この本は岡真理さんの『アラブ、祈りとしての文学』と共に、わたしが「パレスチナ」を考えてゆく上で軸となってゆくような気がする。


無論、E.W.サイードの一連の著作は、今も強烈なメッセージを放っており、良き指針となっていることは確かな事だ。


イスラエルのニュー・ヒストリアンの一人でもあるイラン・パペが2007年3月に行った3つの講演と質疑応答を記録したものだが、いずれ日本語訳が出されるだろうイラン・パペの『パレスチナ現代史』へ、良い導きになってくれそうだ。

講演と質疑応答なので使われている言葉は難しくない。だが、それだけに難しい本だと感じた。
言葉が難しくないので、自然にパペの主張を受け容れてしまう。

パレスチナに2つの国を作ろうとすること自体が言ってみればアパルトヘイトなのであって、目指すべきは2つの民族が共存して生きること。

思わず納得してしまう。
だが、それを希望として掲げる事は、現実的には極めて困難な事だと感じる。

この本に書かれていることで、初めて知ったことも多い。

帯にも書かれているが、最初の講演での終わり近くで語った

--
私たちすべての人にとってパレスチナ/イスラエルに注意を向けるのが義務であるのは、その地域が注目すべき不正義がなされている世界で唯一の場所であるからではなく、世界がもっているはずの、不正義を看過しない能力に対して影響を及ぼしうる中心的な問題だからです。
--イラン・パペ--

と言う言葉には感銘を受けた。 …このように抜書きすると感銘は薄れる。

不正義や義務がどうのこうのという言葉が妙に説教臭くなってしまう。やはりこの本を通読して頂きたくなる。


ところで、報道はどうなってしまったのだろう?


少し(どころではないが)時計を逆戻りさせてみる。


妙な報道が目に付くのだ。


基本的にはP-navi infoの「空に光るものは……」に書かれているような

--
 いつものように、ひどい殺戮と破壊の後には、ちょこちょことミサイル攻撃が続き、少しずつ人が殺される。しかし、メディアの注目を浴びることはない。パレスチナ側が「何かをしでかした」時に、急にそれが起点として語られるようになるだけ。そういうパターンを今もまた繰り返していると思う。
--

まさにそういうパターンを連日のように繰り返しているのだが、それに混じってイスラエルがリークした情報を裏付けなしにそのまま載せているような記事が目に入る。
それが先に書いた報道なのかプロパガンダなのか分からないの意味なのだが、本当にどちらなのか分からないのでうっちゃっておく事にしている。

2009年2月6日には次のような記事が幾つも報道された。 US Jewish leader sees "pandemic of anti-Semitism"

何と言うか…これはプロパガンダにすら値しないような気がするのだ。

完全に批判可能性を封じてしまう言説だ。
イスラエルがやっている事を少しでも批判すると、それは反ユダヤ思想だということになりうる。

ユダヤ人にとって逆効果じゃないか?

anti-Semitismに関してはen.wikipediaの記述が詳しい。日本語もとりあえずあるが、余り参考にならなかった。

ホロコーストという言葉を使うことはユダヤ人に対する攻撃である、という記事もあった。

ホロコーストはナチスドイツが組織的・計画的に行ったユダヤ人に対する大量虐殺のことだ。とその記事では仰っていたが、ナチスドイツをイスラエルにユダヤ人をパレスチナ人に置き換えただけで今回のガザ虐殺にはそのまま当てはまりそうな気が、わたしにはする。


イラン・パペは1948年にあった事を「Nakba(大災厄)」と表現するのは適切ではないと指摘している。
それはその年に突然起きた大災厄ではなく、それ以前から組織的・計画的に行われていた「民族浄化」が完成した年なのだと。


2008年12月27日にガザ虐殺が始まって、すぐヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を読んだ。

その中で目に留まった部分を『DAYSから視る日々』でも採り上げていた。
題して「ガザの夜と霧」。それをコピペしておきたい。勿論、全文にも眼を通してもらいたいと思う。

--
 「・・・とくに、未成熟な人間が、この心理学的な段階で、あいかわらず権力や暴力といった枠組にとらわれた心的態度を見せることがしばしば観察された。そういう人びとは、今や開放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだと履き違えるのだ。こうした幼稚な人間にとっては、旧来の枠組の符合が変わっただけであって、マイナスがプラスになっただけ、つまり、権力、暴力、恣意、不正の客体だった彼らが、それらの主体になっただけなのだ。この人たちは、あいかわらず経験に縛られていた。
このような事態は、些細なことをつうじて明らかになった。たとえば、ある仲間とわたしは、ついこのあいだ解放された収容所に向けて、田舎道を歩いていた。わたしたちの前に、芽を出したばかりの麦畑が広がった。わたしは思わず畑をよけた。ところが、仲間はわたしの腕をつかむと、いっしょに畑をつっきって行ったのだ。わたしは口ごもりながら、若芽を踏むのはよくないのでは、というようなことを言った。すると、仲間はかっとなった。その目には怒りが燃えていた。仲間はわたしをどなりつけた。
「なんだって? おれたちがこうむった損害はどうってことないのか? おれは女房と子どもをガス室で殺されたんだぞ。そのほかのことには目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて・・・」
不正を働く権利のある者などいない。たとえ不正を働かれた者であっても例外ではないのだというあたりまえの常識に、こうした人間を立ちもどらせるには時間がかかる。そして、こういう人間を常識へとふたたび目覚めさせるために、なんとかしなければならない。・・・」
 --V.E.フランクル--訳・池田香代子--

20130307

ろうそくの芯

子どもの頃から本ばかり読んできた。
そこそこ読解力もあるし、雑多な事を知っていると思う。

声もある程度良かった。
ボーイソプラノだったのだ。

それを一時期才能と履き違えていた頃があった。

文章か音楽か、どちらかで身を立てようと思っていたのだ。


最初の挫折は進学だったと思う。

兎にも角にも語学が出来なかった。
受験は殆ど語学で決まる。

人に誇れるところに行ける訳がなかった。


けれど大学は東京にした。

嫌な事ばかりが続いた郷里には居たくもなかったし、
何よりも独り立ちをしたかったのだ。

その東京で、
私は本物の才能と数多く出会い、深く交わる事が出来た。

これは私の大切な財産だと思う。

産まれも育ちも違う存在。
彼らはまさにそうだった。

都会育ちの彼らは家柄も良く、
小さい頃から本物に接していた。

子どもの頃から良いものに直接触れながら育っているだけでも違う。

魔法のように良いものを創り出し、
惜しげも無くそれを発表していた。

彼らはまた努力の天才でもあった。

疲れる事を知らないのか?と思う程、ひとつの事にとことん努力出来る。
好きこそものの上手なれと言う言葉があるが、
その「好き」の程度が全く違っていた。

私のちんけな才能や努力が追い付く訳もない。

私は悟ったのだ。

私には才能が無いのだと。


ピノキオにろうそくの芯という登場人物が居る。

言葉巧みにピノキオを遊びばかりの国「休みの国」へ誘う。
ピノキオはうかうかとその言葉に乗って、
ジェベット爺さんのもとを離れてしまう。

ろうそくの芯とピノキオの再会シーンは未だに心に残っている。

ろうそくの芯は殆どロバにされ掛かった状態でピノキオと再会する。

音楽や文章の世界、
或いは芸能界もそうなのだろうか?
遊びの世界は「休みの国」の様な所だ。

そこは狭く、逃げ場がない。
逃げ場が無い場所で自分をさらけ出す経験は積んだ方が良いと思う。

だから「休みの国」に身を置いたのも良い経験だったと思う。


けれど「休みの国」は人を子どものままにしておかない。
人はいずれ
人攫いかロバにされてしまう。

才能のあるものは、人攫いになれるのだろう。
彼らは立派に「休みの国」の住人として生きて行ける。

だが、才能の無い者はロバにされる。

私は危うくロバにされるところだったと思っている。
「ロバ」になってしまった人達を何人も知っている。

だから「努力してこそ凡人になれる」という斉藤茂太さんの言葉が胸に突き刺さるのだ。

その通りだと思う。

平凡な、何事もない人生はどれ程の努力の果てに辿り着ける境地であることか。
その何事もないを維持する為にどれ程の努力が支払われている事か。


私はちんけだが、それなりに努力をして来た。
だから今の平凡な生活がある。

私の人生は失敗だったなぁ…と思う事が屡々ある。
だが、 ほんの少しだがそれに誇りを思っている。

20130305

モタさんの“言葉”

放送されている時から良い絵、良い言葉だなと心惹かれていた。

短い番組だ。だから録画する事もしなかった。
今ではそれを後悔している。

モタさんの“言葉”

昨年の12月に本になった。


例えば第1話はこんな風に始まる。

--
「学生時代から
成績もパッとしない。
就職だって、なかなか
内定をとれず、今の会社に
拾ってもらったという感じです。



これといって才能もないし、
最近は体力にも自信がない。
性格に弱さがあるし…」とは、
ある患者さんの言葉である。



ここまで聞いて、私は思わず、
「あなたはすごいねぇ」と
いっていた。
--

「努力してこそ凡人になれる」という題名が付けられている。

なかなか言えない言葉だ。

茂太さんのこの、驚き方が凄いと思うのだ。

他者のちょっとした「凄さ」に対して、素直に驚く事が出来る。
これはひとつの大きな才能だと思う。


物事に対して驚く心、
それを持つ事が自然科学を始めとする知的な作業には欠かせない。

それをレイチェル・カーソンはセンス・オブ・ワンダーと呼んだ。

それを茂太さんは持ち合わせていると思うのだ。

そしてじっくりとひとつひとつの“言葉”を聞かせ、


--
平凡は非凡にまさる
という言葉もある。
平凡は地味ではあるが、
底に奥深い滋味が潜んでいる。
--


という結論に進んでゆく。


人生の達人だ。

達観していて、それでいて全く上から目線にならない。

なかなか到達出来ない境地に茂太さんはいる。


そんな茂太さんの言葉ひとつひとつに
味のある、実に良い絵が付けられている。

松本春野さんという方の絵だ。

この本を手にするまで全く知らずにいたが、
良い作品を手がけている。

姓からピンと来なくてはいけなかった。

いわさきちひろさんのお孫さんらしい。
そう言われてみれば絵に同じ匂いがする。

血筋でも環境でも良いと思う。
ちゃんとあの絵の系統が続いていた事に嬉しさを感じた。

良い言葉に良い絵が添えられている。
逆でも良い。
良い絵に良い言葉が添えられている。


また良い本に出会えた。

20130304

ベッカライ麦星のパン

昨夜から思考が暴走気味で、全く眠れていないのだが、

このベッカライ麦星さんのパンがあれば

充実の4品


全ては上手く行く。
力尽くでそう思う事にする。

少なくとも飢えて死ぬ事はない。

いや、それどころかパンが人生をこれ程迄に幸せにしてくれるものかといつも教えて貰っている。

麦星とは古い日本語で、うしかい座α星アルクトゥルスのこと。春を伝えてくれる星の名を冠した素敵なパン屋さんだ


薪で焼いたパンだ。
だからだろうか、独特の風味がある。

チロル地方のパンだそうだ。

ドイツパン程酸っぱくなく、イギリスパンより滋味がある。

毎日このパンのお世話になっている。殆どの場合何も付けずに、たまにブルーチーズやカマンベールチーズを付けて食べる。

それだけで十分な満足感があるのだ。


ベッカライ麦星さんのロゴは、

筆文字作家、こやまはるこさんの手によるものだ。

パン同様に味わい深いロゴになっている。

このパンを買う為に毎週土曜日は飯綱に行く。
車もだから四駆にした。

パンを買う。
その行為に意味が重なってゆく。

ベッカライ麦星で出会った音楽や本、そして絵画がパン同様に私たちの暮らしを豊かなものにしてくれる。

そうしたものが文化なのだと思う。

食を文化の基本に置きたい。
このパンを食べているとそう思えてくる。


今日で、断煙開始から丁度4ヶ月だ。