20130318

ペスト

題名を見て、またカミュか、と思われたかも知れない。

半分は当たっている。
本を取り出して来たし、書影もスキャンした。

ペストは私の主な主題のひとつになっている。
そこから中世ヨーロッパへの深入りと、パンデミックに関する関心が派生している。

これらは本棚に一大分野を築いている。

その根っこにこのカミュの『ペスト』があるのは疑いがない。

これも中学生のころ(多分2年生だった)読んだと記憶している。

名作だと思う。

極限状態に置かれた人間は、どの様にしてその尊厳を守ることが出来るのか。それを追求している。

彼が書きたかったのは、第二次世界大戦の事だったのだと思う。監禁状態にあるヨーロッパで、人が人としてある為には、何が必要なのかを、歴史上の出来事─ペストの大流行を引いて表現したのだと解釈している。

だが、今日の主題はこれについてではない。

カミュの『ペスト』の冒頭にデフォーの言葉が引用されている。

ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。
ダニエル・デフォー
これがどこから引かれたものであるか、昨日まで知らなかった。
ペストに関する文献を検索して読んで、分かった。

これだ!

本の裏には

事実の圧倒的な迫力に作者自身が引きこまれつつ書き上げた本篇の凄まじさは、読む者を慄然とせしめ、最後の淡々とした喜びの描写が深い感動を呼ぶ。極限状況下におかれた人間たちを描き、カミュの『ペスト』よりも現代的と評される傑作。

と書いてある。
本当だろうか?

読まずには居れなかった。

繰り返すが、カミュの『ペスト』は名作である。

けれど、この本の裏の文章に偽りはなかった。

ダニエル・デフォーと言えば『ロビンソン・クルーソー』だろう。あれも良い。

だが、このデフォーの『ペスト』はもっと読まれて良い。大傑作だ!
と言うより、私は今迄何故このダニエル・デフォーの『ペスト』を読まずに来たのだろう。
少し、では無くかなり歯ぎしりして悔しがっている。


戦後のフランスと言えばサルトルなのだろうが、彼はともするとスキャンダラスな騒がれ方をする。それに対し、アルベール・カミュはあくまでも真面目だった。
それは哲学に対する謹厳な態度でもあったし、文章に対する実直な姿でもあったと思う。

そこがカミュの魅力なのだと思う。
人生に対してシニカルな発言をしていても、彼に会うと思わず握手を求め、抱きしめたくなるという評判も、そこから発しているように想像している。

その真面目さに於いても、一段とダニエル・デフォーは輝きを発している。


事実を淡々と描いている。それが画期的な迫力を産んでいるのだ。
デフォーは一流のジャーナリストだと思う。


アルベール・カミュが『ペスト』を発表したのは1947年。
ダニエル・デフォーが『ペスト』、正確に言うと『ペスト年代記(A Jounal of the plague Year)』を出版したのは1722年。

それが客観的な事実である。

だからカミュはデフォーを引用することが出来た。

これも事実である。

けれどまた、カミュの『ペスト』よりデフォーの『ペスト』の方に新しさを感じるのも事実なのだ。

ヨーロッパでのペストのパンデミックは、中世ヨーロッパという大きなひと区切りの時代を終了させ、ボッカッチオの『デカメロン』などの作品を生み出した。

だから疫病のパンデミックという現象にはヨーロッパは特殊な感情を持っている。
その事を若いうちから私は感覚的に理解することが出来た。それはカミュのお蔭である。

そして遅まきながらではあるが、ペストが生み出した作品であるデフォーの傑作を、私は知る事が出来た。

またペストへの深入りが始まりそうだ。

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