この日付はひとつの唄と共に記憶されている。
子どもの頃、何となく言っている事は分かったが、事情が詳しく分からないままだった。
ただ、時代の空気を感じ、この歌に寄り添うような気分でいた。
時代に対して何かをしなければと言う思いがあり、
時代に対して異議を申し立てて自殺したのであろうフランシーヌという人に共感めいた感覚を抱いていた。
まだ、自殺は社会的な問題になったし、哲学的な問題とも考えられていた。
「君はフランシーヌ・ルコントを知っているか」と言うエントリに小さな新聞記事の切り抜き写真があった。3月31日の朝日新聞らしい。
ようやく、フルネームを知る事が出来た。
冒頭のパリ拡大会談とは、ヴェトナム戦争の北爆停止に伴って拓かれた新局面に対して、戦争の終結に向け、米,北ヴェトナムに新たに南ヴェトナム、NLF(民族解放戦線)を加えたメンバーで1月25日から開かれていた会議の事だ。
その会場から200mの場所でフランシーヌ・ルコントさんはビアフラの記事の切り抜きを持って焼身自殺したのだ。
記事には精神病の事が仄めかされている。その影響もあったに違いない。だが、同時に政治的抗議のための焼身自殺であった事も否定は出来ないだろう。
耳にしてから54年。やっと事情が呑み込めた。
この歌は、1969年6月15日に発売されている。
もう誰も記憶していないだろうが、反安保の日だ。樺美智子さんが亡くなったのが1960年の6月15日。それに因んでいる。
この歌を歌った新谷のり子さんも、時代に翻弄されたようである。
そういった時代だったのだ。
ヴェトナム戦争はその実態が、マスメディアによって伝えられた最初の戦争だった。
それだけに衝撃も大きかった。
若者たちは今と比べ、遙かに無垢だった。
逆に言えば無垢でいることが許された時代だった。
時代に翻弄された若者は、世界中に数限りなく存在する。
フランシーヌ・ルコントさんが亡くなって、今日で丁度54年。
時代はどう変わってきたのだろうか?
どういう時代を、これから私たちは紡いでゆくのだろうか?
2
ホントのことを言ったらオリコウになれない
ホントのことを言ったらあまりにも悲しい
ホントのことを言ったらあまりにも悲しい
3月30日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
…
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