さながら古書店である。
数ヶ月前Kindleを導入した。
もう30冊ほど本を購入した。amazonへの依存度は上がったと思う。
目新しい本にめぼしいものが見当たらない。
なので「懐かしい」本ばかり買っている。
こんな本もKindle本になっている。
私たちの年代でこれを読んでいない本好きがいたらお目に掛かりたいものだ。
題名が良い。これだけで感動出来る。
著者の柴田翔はもう殆ど小説を書いていない。
どちらかと言うとゲーテの研究者になっている。
そうでなければ翻訳者か?
余り意見は合いそうにない。新境地を拓いたとも言えるのだろうが、私のゲーテとは違う。
けれど、小説は若い頃夢中になったと言って良い。
昔買った本を探したのだが見付からない。業を煮やして探したらKindle本で安く出ていたので買ってしまった。
冒頭の古書店を巡る描写から、思わず引き込まれた。やはり力のある作家だ。…いや作家だった。
改めて、生きると言うことと政治が近いところにあったのだなと実感出来た。
青春の、生のゆらぎと孤独を描いたのだと思う。
その底に密着するように政治が絡んでくる。
原発事故以来、デモが日常化した。けれど、この本を読んでみると、まだ政治は少し遠いところに位置付けられているように感じる。
同じように青春なるものと政治が近かったのだな…と感じたのは、この本だ。
Kindleの中で並んで鎮座している。
思わず笑ってしまう。
私は一体何年に生きているのだろうか?
そして何歳なのだろうか?
主人公は(かつての)日比谷高校に通う受験生だ。
怪物高校だった。
そうだった。紛争で東大受験が中止されていたのだ。
マルクスや毛沢東がとても身近なものとして描かれている。
最近の作家が若者を描こうとしたら、こう言った描き方はしないだろう。
そう言えばこの作者庄司薫も全く書いていない。それどころか何もしていない。今回の再版で久し振りに彼が書いた文章を読んだ。
この薫くんシリーズでは3冊がKindle本になっている。
全て買ってしまった。
この本については記憶がある。
Kindle本になっていない『白鳥の歌なんて聞こえない』とはどちらが先だったのだろうか?
中学の頃、両方とも感想文をしたためた。
コンクールで賞をもらった。
内容より技巧で貰ったという記憶がある。
捻った文章ばかり書いていた。素直な学生ではなかったと思う。
高校に行けばこれらの本の中の様に知的な会話が出来るものと信じていた。
だが私自身が全く知的でなかったのでそんなものはどこにも存在しない日常を営む羽目に陥った。
笑いには溢れていた。どちらが恵まれた高校生活だったかは分からない。
案外幸福な高校生活だったか?
東京に憧れを持ったのもこれらの本の影響が大きかったかも知れない。
ところがこの本に関しては全く記憶がないのだ。
無論題名は熟知している。
ひょっとすると読んでなかったのかも知れない。
お蔭で、非常に新鮮な感覚で読む事が出来た。
だが、怠い。
庄司薫は読んでいて、とても「飽きる」のだ。
当時もそうだったのかも知れない。
この本も買った記憶はあるのだ。ただ、読んだ記憶が全くない。当時も「飽きた」のか?
いずれも中学生の頃読んだものばかりだ。
他にも『蟹工船』(只だ!)とか『車輪の下で』とか(この訳は良い)、
そんなものばかりが私のKindleの中には並んでいる。
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