この本を私が持っていないと言うのは自分でも信じられない話だ。
訳者の日高敏隆さんの本ならば沢山持っている。著者のローレンツの他の本はある。けれどこの本だけがない。ベッカライ麦星から借りてきた。
この表紙が良い。
また挿絵はこの本では必須だ。借りてきたのは正解だったと思う。
実は私は少しだが猫語が出来る。例えば、にゃーごという鳴き声の「語尾」をかなり意識的に上げると子猫が明瞭に返答する。
母猫が子猫を探す時の鳴き声のまねだ。日本語訳すれば「どこにいるの?」という意味になると思う。子猫は「ここだよー」と返事をすると言う訳だ。
誰に教わった訳でもない。猫を観察している間に会得した。
ローレンツも同じ特技を持っていたようだ。
この感覚は、動物を注意深く観察した者ならば、誰もが持っているのではないだろうか?
ローレンツは動物行動学の祖として名を成した方だが、私にはそれ以上に同好の士としての親近感がある。
だから冒頭の「怒り」も理解出来るのだ。
世の中の動物の事を扱ったもろもろの本には、余りにも間違いが多過ぎる。
それはもろもろの本が観察する事によって書かれたのではなく、先入観によって書かれているからだ。
ローレンツは動物たちの間に入り込みじっくりと観察している。
観察と言うより、それは動物たちとじっくり交際していると言った方が良いくらいだ。
人は子どもの頃、動物たちと交際する。
多くの人々はその事をやがて忘れ、人間とだけ交際するようになる。
それは成長の一過程なのだろうか?
そうとも言えるだろう。
だが、だからと言ってその成長の一過程から道を外れ、いつ迄も動物と交際し続けたローレンツの様な生き方を否定する気に私はなれない。
まるで目の前でそれを見せてくれるかのように、ローレンツはコクマルガラスやガンとの会話やアクアリウムの中での出来事を私たちに語ってくれる。
私たちは思わずそれに引き込まれる。
金勘定には全く無縁の話だが、それに耳を傾ける事は、私たちの人生を相当豊かなものにしてくれる。その事は確かなことだと私は思う。
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