20181120

日赤復帰

これ程早く、また日赤のお世話になるとは思ってもいなかった。
話が多少尾籠な物となる。どうかお許し願いたい。

先駆は日赤から退院した2日後から始まっていた。昼、少し柔らかめの便が出た。

両股関節人工関節置換という大仕事に隠れて、余り大事とは考えもしなかったが、実は入院中にも一回、下痢と発熱(最高39.6度)があった。

その再来だと考えて、さほど重要視せず、その晩は寝た。

だが16日早朝、再び激しい下痢とかなりの発熱を記録した。退院からまだ2日しか経っていない。手術の傷が原因であれば、大事だ。

この不安は女房殿のみゆきさんにそのまま伝わり、3時台に電話し、車で日赤の救急外来を受診した。

そこでレントゲン、血液検査、検尿検査、CT、インフルエンザ検査、などなど様々な検査を受け、取り敢えずインフルエンザは陰性というお達しを頂いた。けれど発熱は顕著で39.2度を記録していた。

インフルエンザ検査は、掛かってからすぐには引っ掛からない事があるとのことで、4、5時間経ったら、もう一度近くのかかりつけの病院で検査を受けるようにという診断だった。

検査を終えかけたところに、手術を担当した関医師がやって来て、問診、触診。手術の傷には異常がないことを確認した。

受け始めた点滴を途中で辞めて、日赤から帰路に就いたのは8時過ぎ。取り敢えず経口保水液を大量に買い込み、自宅に帰ってきた。

実を言うと、日赤にいた頃の事は、私はあまり覚えていない。意識が朦朧とし、問いかけられた質問にも満足に答えられないでいたことは覚えていた。

そのまま自宅で寝、15:30過ぎに近くの宮沢医院に駆け込んだ。

どうにかインフルエンザとノロウィルスの疑いはシロになった。

では、何だったのだろうか?その事が気に掛かる。
単なる風邪という診断だったが、心の底で、日赤から出された痛み止めの薬の副作用を密かに疑っている。

入院中もそれが出ていた時に下痢と発熱があった。

現在、症状は緩和され、状態は取り敢えず安定している。一安心だ。

だが胃の調子が今ひとつしっくり来ず、四六時中胃が掴まれるような、違和感を抱えている。

いや〜、酷い目に遭った。

20181114

ただいま

コンピュータを置いてある部屋からは2本の鴨脚樹が見えるが、入院前、その葉はまだ青々としていた。今見ると、すっかり黄葉が進み、成長の早い左側の1本は、半分以上その葉を落としている。

3週間のつもりが1週間伸び、昨日ひと月振りに我が家に復帰した。

手術前は退院する頃には活発に動くことが出来るものと想像していたが、実際はそう簡単には行かず、まだ杖なしで歩くのにはかなりの無理が必要な状態だ。

画像は手術後の私の股関節。まだ歪みが残っていることが、この画像からもはっきりと読み取れる

生まれつき悪かった右の股関節は、骨盤が前に歪んでおり、大腿骨の発達も遅れていた為、手術には相当の困難があったようだ。

10月17日、手術当日。手術台に横たわり、タオルケットの下で全裸になり、酸素マスクを口に当てられて以後、記憶は途絶えた。

次の記憶は夢の中で『虹の彼方に』を聞きながら、その向こうから「終わりましたよ」と声を掛ける関医師の言葉を何とか理解することが出来たものだった。

右大腿骨は細く短い為、ステムを打ち込む時亀裂が入り、それを結束バンドのようなもので補完して、手術を終えたようだ。

手術後、右股関節が脱臼したとも聞いた。

その為か、強靱な左脚とひ弱な右脚という、以前からの関係は、手術後も続いた。現在も歩くと、右股関節が剥がれるような、ぎくしゃくとした違和感が続いている。

理学療法士の話では3ヶ月はこの違和感が続くようだ。

それを理解した上で、焦らずに兎に角転ばぬように歩き、リハビリに務めなければならないのだろう。

それ以外では輸血も自己血だけで済み、手術は概ね順調だったと言えるだろう。

退院して家に戻ってから、すぐにコンピュータを立ち上げたのだが、以前何と言う事もなくやっていた、様々な作業の手順を、なかなか思い出せない自分に焦りを感じた。

それだけ月日が経ったのだろう。

とりあえず、無事退院が出来た事を、報告したい。

ただいま。いま帰って来ました。