20130307

ろうそくの芯

子どもの頃から本ばかり読んできた。
そこそこ読解力もあるし、雑多な事を知っていると思う。

声もある程度良かった。
ボーイソプラノだったのだ。

それを一時期才能と履き違えていた頃があった。

文章か音楽か、どちらかで身を立てようと思っていたのだ。


最初の挫折は進学だったと思う。

兎にも角にも語学が出来なかった。
受験は殆ど語学で決まる。

人に誇れるところに行ける訳がなかった。


けれど大学は東京にした。

嫌な事ばかりが続いた郷里には居たくもなかったし、
何よりも独り立ちをしたかったのだ。

その東京で、
私は本物の才能と数多く出会い、深く交わる事が出来た。

これは私の大切な財産だと思う。

産まれも育ちも違う存在。
彼らはまさにそうだった。

都会育ちの彼らは家柄も良く、
小さい頃から本物に接していた。

子どもの頃から良いものに直接触れながら育っているだけでも違う。

魔法のように良いものを創り出し、
惜しげも無くそれを発表していた。

彼らはまた努力の天才でもあった。

疲れる事を知らないのか?と思う程、ひとつの事にとことん努力出来る。
好きこそものの上手なれと言う言葉があるが、
その「好き」の程度が全く違っていた。

私のちんけな才能や努力が追い付く訳もない。

私は悟ったのだ。

私には才能が無いのだと。


ピノキオにろうそくの芯という登場人物が居る。

言葉巧みにピノキオを遊びばかりの国「休みの国」へ誘う。
ピノキオはうかうかとその言葉に乗って、
ジェベット爺さんのもとを離れてしまう。

ろうそくの芯とピノキオの再会シーンは未だに心に残っている。

ろうそくの芯は殆どロバにされ掛かった状態でピノキオと再会する。

音楽や文章の世界、
或いは芸能界もそうなのだろうか?
遊びの世界は「休みの国」の様な所だ。

そこは狭く、逃げ場がない。
逃げ場が無い場所で自分をさらけ出す経験は積んだ方が良いと思う。

だから「休みの国」に身を置いたのも良い経験だったと思う。


けれど「休みの国」は人を子どものままにしておかない。
人はいずれ
人攫いかロバにされてしまう。

才能のあるものは、人攫いになれるのだろう。
彼らは立派に「休みの国」の住人として生きて行ける。

だが、才能の無い者はロバにされる。

私は危うくロバにされるところだったと思っている。
「ロバ」になってしまった人達を何人も知っている。

だから「努力してこそ凡人になれる」という斉藤茂太さんの言葉が胸に突き刺さるのだ。

その通りだと思う。

平凡な、何事もない人生はどれ程の努力の果てに辿り着ける境地であることか。
その何事もないを維持する為にどれ程の努力が支払われている事か。


私はちんけだが、それなりに努力をして来た。
だから今の平凡な生活がある。

私の人生は失敗だったなぁ…と思う事が屡々ある。
だが、 ほんの少しだがそれに誇りを思っている。

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