呪文の様な、或いは沈黙にも似た、言葉が続く。翻訳を通しても、私たちはそれが、途方もなく美しい言葉たちである事を知る。
衝撃的な作品を読んだ。
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』がそれである。
いつもの様に、私はそれを図書館で借りて読んだ。
千切れたスピン。草臥れたページが、この本の履歴を物語っている。多くの、実に多くの読者に、この本は読まれて来たのだ。
物語が終わり、最後に付けられた、「歴史的背景に関する注釈」で、私たちは、語られて来たのが、ギレアデと呼ばれる、未来社会である事を知らされる。
そこで主人公は、奴隷の様な生き方を強いられている。
ギレアデでの生活に救いは無い。そして主人公たちはそこから抜け出す手立てを探す事すら諦めている様だ。
深い穴底で暮らすような生き様。僅かに、呼吸する事だけに自由が許されている様な閉塞的な空間。そこで、現在形で語られる物語を通して、私たちは主人公に、そっと寄り添う。
挟み込まれる幾つかの「夜」を乗り越え、最後の「夜」に辿り着いた時、私たちはそこで語られている未来が、私たちの生きる現実の世界にとてもよく似ている事にようやく気付く。
この物語に救いは無い。あるのはただ途方もない絶望感。だが、不思議にも、それはとても魅力的な物語になっている。
何故だろう?


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