Jacqueline du Préの存在を知ったのは高校生の頃だった。まだ生きていたが、演奏からは引退していた。
レコードを聴いて、まず、その演奏の迫力に驚いた。
兎にも角にも演奏を聴いて欲しい。全てはそれからだ。
YouTubeに感謝しなければならない。高校生の頃は考えもしなかった、ライブの演奏風景が簡単に視聴出来るのだ。
動画を視聴して、改めてその迫力の凄さに打たれている。
Jacqueline du Préは、まさにチェロと格闘している。演奏マナーは決してお行儀の良いものではない。だが、全てが必然性に裏打ちされている。彼女はそうあらねばならないが故にそうチェロを弾いているのだ。
4歳の時、ラジオでチェロの演奏を聴いたことがきっかけとなって、チェロの道を志たようだ。この早熟さにもびっくりする。5歳からはロンドン・チェロ・スクールで姉のヒラリー・デ・プレと共に正式に音楽演奏家としての道を進み始めている。
才能は早くから開花し、10歳の時既に国際的なチェロ・コンクールに入賞。12歳でBBC主催のコンサートで演奏を行なっている。
ロンドン・チェロ・スクールの次に入学したギルドホール音楽学校ではウィリアム・プリースに師事。彼を「チェロのパパ」と呼んで慕った。
正式なデビューは1961年。同年にはエルガーのチェロ協奏曲を録音し、チェロ演奏家として国際的な名声をものにしている。
この演奏を行う際に、ストラディバリが制作した 60余りのチェロの中でも、指折りの銘器と言われる1713年製ストラディバリウス”ダヴィドフ”を贈られる。Jacqueline du Préはその後、生涯を通じてダヴィドフを用いて演奏を行い、その予測不能さに悩み、かつ愛した。
しかし1971年(26歳)に指先などの感覚が鈍くなって来たことに気付く。この症状は徐々に悪化し、1973年の演奏旅行の時には既に満足の行く演奏が行えなくなっていた。同年秋に多発性硬化症と診断され、チェロ演奏家としては事実上引退。その後の数年間はチェロの教師として、後進の育成を行なっていた。
病は急速に彼女の体を蝕み、1987年に42歳で死去。余りに早く人生を駆け抜けて行ってしまった。
これらの事実を知った上で、もう一度動画を視聴して欲しい。いかに貴重な記録かが分かるだろう。
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