20211207

自分の〈ことば〉をつくる

題名や媒体(ディスカバー携書だ)から想像していたより、遥かにハードで深い内容を持った本だった。


まえがきに

自分の〈ことば〉をつくるためには、自分の中にあることば(考えていること)をどのようにして自覚するかということと、そのことばをどのようにして他者に伝えることば(表現)にするかの二つがポイントとなります。

とある。この本に書かれていることは、これに尽きるだろう。だがこれだけでは何の事なのかさっぱり分からない。この本には以下この文章の意味するところが、微に入り細に入り説明されている。

初めの方でオリジナリティということが強調されている。何故かと言えば「考えること」(思考)と「表すこと」(表現)の両方がその人固有のものであり、それはその人にしかできないものであるからだ。本書の副題にある通り、「あなたにしか語れないことを表現する技術」が語られているのだ。そしてオリジナリティとは他者との関係の中に立ち現れてくるものであることが強調される。

オリジナリティは、はじめから「私」の中にはっきりと見えるかたちで存在するものではなく、他者とのやりとりのプロセスの中で少しずつ姿を見せ始め、自分と環境の間に浮遊する者として把握される

そしてこのオリジナリティがその人固有のテーマをつくると言う。

意外な事だったのはここで筆者が文章を「自分の好きなように書いて良い」と主張する事だ。

子どもの頃はそれで良かった。だが、その後高校、大学と進むにつれ、文章は好きなように書いていては駄目だと指導される事が多くなった。特にレポート、論文でそうした指導がなされる事が多かった。

だが筆者はその人固有のテーマはその人の「好き」から始まると言う。

この主張は私にとって大きな驚きだった。

ここで考えねばならないのは、筆者はオリジナリティというものが他者との関係の中にあると主張している事だ。

好きなように書くべきだという主張も、子どもの作文のように書けと言う意味ではあるまい。むしろ、問題意識を限りなく自分に近付け、どうしてその関心を抱くに至ったかの「なぜ」を明確化して行く事が、自分のテーマに辿り着く唯一の道であると言っているのだと解釈すべきなのだろう。

言い換えれば、文章を書くと言う行為は、そのものがコミュニケーションであり、相手と自分の主体性をきちんと確立した上で行わなければならない事であると言う事なのだろう。

今まで文章を書くに当たって、私は誰に向かって書いているのかを自覚せず、漫然とやり過ごしていた。それはもはやコミュニケーションの名に価しない。つまり問題は文章をコミュニケーションとして、表現によって他者を説得出来るかを自覚しながら書かねばならないと言う事になる。

言ってみれば従来の私の文章はヴィゴツキーの言う内言の連続であり、他者に伝えるべき外言になっていなかったのだ。

著者の言う様に表現は社会にアクセスするための切り口だろう。

本書を読む事によって、私は目から鱗が落ちる思いを何度も味わった。これから先、私は多少なりとも相手を意識して文章を編む事が出来る様になるだろうか?

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