よもや読み切れるとは思っていなかった。
図書館から今回の本を借りていられるのも今日までだ。アン・タイラーの『ヴィネガー・ガール』はかなり厚い。これより薄い本でもっと手間取っていた。読み切れなくても読める範囲まで読んでみようと思い、あまり急ぐ事なく読んでいた。
薄い本は論文だった。小説なのでそれより遥かに読み易い。だがこれなら今日中に読めるのではないかと思い始めたのは第10章を過ぎた辺りからだった。
解説の北村紗衣さんによると、この本の原作であるシェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』はシェイクスピアの数ある作品の中で、最も問題のある作品だと言う。確かに若書きで、かつ差別的だ。Washingtonpostのインタビュー記事Anne Tyler loathes Shakespeare. So she decided to rewrite one of his plays.によると、作者アン・タイラーはシェイクスピアが嫌いで、特に『じゃじゃ馬ならし』は別格で大嫌いだと言う。それ程嫌いならば、書き直してしまえというのが、この本が書かれた動機らしい。
成る程、重要な場面で僅かに痕跡は残されているものの、本書にシェイクスピアの原作の片鱗もない。作者も編集者もいい度胸をしている。よくぞここ迄壊し切ったものだ。
舞台はボルティモア、ヒロインのケイトは大学をドロップアウトしてプリスクールで働いており、ぶすっとして感じの良くない女性だが、原作のキャタリーナに比べるとぶっ飛んだところは少なく、スティーヴン・ジェイ・グールドを好む、ユーモアセンスのある、実にまともな市民だ。むしろ研究者である父親のルイスの方が相当な変人だ。奇妙な習慣を二人の娘に押し付けており、さらに日常生活はケイトに頼りっ切りで全く自立出来ておらず、極めて問題のある親だ。
原作に出て来る強制結婚は、外国籍である優秀な研究者ピョートルのヴィザを獲得すべく、雇い主であるルイスがケイトに偽装結婚を勧めるという現代的な展開に変わっている。ケイトは最初、猛烈な拒否反応を示すが、流される様なかたちで協力することになってしまう。
ピョートルとの不本意な出会いを通して、どういう訳だか解放されて行ってしまうケイトの姿をユーモアを交えて描いたロマンチックコメディになっている。
集英社の「語りなおしシェイクスピア」シリーズでは、これまでに、マーガレット・アトウッドの『獄中シェイクスピア劇団』と、エドワード・セント・オービンの『ダンパー メディア王の悲劇』が刊行されている。両作とも非常にシェイクスピアに詳しい作家が、たくさんシェイクスピアネタを盛り込んだ、割と濃いめの作品だ。一方『ヴィネガー・ガール』はこの二作に比べるとシェイクスピアを知らなくても楽しめるところが多く、むしろシェイクスピアが嫌い、『じゃじゃ馬ならし』が嫌い、といった人こそ気軽に楽しめる小説になっている。『ヴィネガー・ガール』が面白かったという方には、原作の戯曲を呼んで下さいとは言わない。本作と同じく『じゃじゃ馬ならし』が原作の映画『ヒース・レジャーの恋のから騒ぎ』やバーナード・ショーの『ピグマリオン』を手に取って見て頂きたい。どちらも本作の良い友達と言える作品だと思う。
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