20211204

噴火した!

画像がアップロード出来なくなってしまった。これは大変痛い。治るまで、ココログ『夏の行方』にも同じ文章を上げる事にする。今回の記事はココログ「噴火した!」に上げた。こちらには画像がある。

翌日5日確認したところ、画像のアップロードが出来る様になっていた。助かった。これらの顛末は記録の為残しておく事にした。

 荒巻重雄『噴火した!─火山の現場で考えたこと』。

キビキビとした、若々しい文章が並ぶ。とても91歳が書いたとは思えない。著者荒巻重雄さんは、「火砕流」という言葉の生みの親として知られている。60年以上に渡って、常に火山噴火の現場の最前線に居たという印象がある。本書はそうした荒牧さんが自らの火山人生を振り返って記した回顧録だ。記念碑的な著作だと言って良いだろう。


驚くのは遠い昔の話でも、その記憶が鮮明で正確な事だ。常に考えながら行動していたのだろう。

火山を研究するきっかけを問われると、特にきっかけはないと答えるらしい。中学・高校と気象クラブに入れ込んでいて、漠然と気象の方向に進むことを考えていたが、これからの気象学は観天望気ではなく数学と物理をみっちりやるつもりでなければならないと言われ、山歩きが好きなこともあって、東京大学の理学部地質学科を選んだと言う。

進路指導の教諭は適切な指導をしたと言えるだろう。

学部生だった1950〜51年に伊豆大島で噴火があった。荒牧さんも級友と共に現地に赴いた。そこで火山の魅力と恐ろしさを実感する。この時の体験が、荒牧さんが火山を研究するに至る大きなインパクトになったようだ。

だが、荒牧さんは自らの火山学の「ことはじめ」は大学院の時に行った浅間山の研究にあると言う。指導教官に勧められ、二つ返事で飛びついたらしい。当時、浅間山のデータは、圧倒的に足りていなかった。

その後久野久教授に勧められ、フルブライト留学生としてアメリカに渡り、実験岩石がくや巨大カルデラと出会う。

まだ日本では敗戦後の混乱が続き、国民の食生活も満足に行き届いていなかった頃だ。荒牧さんはペンシルバニア州立大学に籍を置き、世界最先端の研究に勤しむ。

その後ヨーロッパを巡り、世界の見聞を深める。

本書に納められた回顧録はどれも面白いが、第13章の伊豆大島1986年噴火と第14章の雲仙・普賢岳1991年噴火がとりわけ興味深かった。

荒牧さんにとっても、印象深い噴火だったと見えて、どちらも比較的長い記述になっている。

私にとっても痛恨の出来事だった雲仙普賢岳の1991年6月3日の火砕流による死傷者を出した被害は、荒牧さんにとっても悔いの残る出来事だったらしく、被害に遭われて生還した人たちの証言を生で引いて、詳細な記録を残している。

このように火山は非常に危険な存在でもあるが、同時にまた非常に魅力的な現象でもある。本書はその噴火の現場に身を置き続けた一火山学者の貴重な記録になっている。荒牧さんが語る火山は、どれも当事者でなければ書けない迫力に満ちている。

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