勇んで図書館から借りて来たが、私はこの本をすぐには手に取らなかった。ジャン=リュック・ナンシーと言えば脱構築だ。私は恐れを抱いていたのだ。本気で格闘する気持ちでなければ、ジャン=リュック・ナンシーはおいそれと読解出来るものではない。その気分が高まるのを、じっと待ち続けていた。
けれどなかなか気持ちが上がって来ない。このままでは本棚に置いたは良いが、すぐにやって来る図書館の借り出し期限が切れてしまうのではないか?それも勿体無い。意を決して、本書ジャン=リュック・ナンシー『あまりに人間的なウイルス─COVID-19の哲学』に手を伸ばした。
読み始めて驚いた。何と!すらすら読めるではないか。どうやら脱構築の手法は用いていないようだ。若干拍子抜けもした。
調子付いてどしどし読み進めていた私は、ふと疑問を感じた。COVID-19のウイルスのどこが人間的なのだろうか?
その時はその答えが見つからなかった。私は分からずに読み進めていたのだ。
慌てて本書を再読する事にした。
改めて読んでみると、本書には、独特の難解さが充満している事が分かった。普通の文章で書かれている。だが、その意味する所を読解するのは、かなりの忍耐力が要る。例えば
他の多くの地域と比べてヨーロッパでは、躊躇、懐疑、かつての意味での強い精神が重きをなしているとも言いたくなるだろう。これは、推論する理性、自由思想家(リベルタン)の理性、絶対自由主義(リベルタール)の理性の遺産である。
とは、一体どういう意味なのだろうか?
注釈には
「強い精神(espit fort)」とは、現在では先入見や偏見から独立した判断を下す人のことを指すが、かつては「自由思想家」や「無信仰者」を指した。
とある。
フランス語には、意味が沢山あって難しい。
どうやら、「あまりに人間的な」とは、ニーチェの哲学が下敷きになっているらしい事は理解出来た。だが、そもそも私はニーチェも十分には理解していない。
私にはこの本を読むのに必要な、基礎的な学力に難があるようだ。
だが、今更それを言っていても仕方がないだろう。私は私の出来る範囲で理解してゆくしかない。そう覚悟を決めて、先に進む事が出来た。
要はCOVID-19を哲学的に述べるとどうなるかという問題圏と、今後COVID-19とどのように折り合って行けば良いのかという問題圏の要諦に「あまりに人間的な」ウイルスであるという質が重要になってくるという事なのだろう。
Kindleを開くと引用されていた『現代思想』2020.5月号があった。これも読んで理解を深めてゆこうと手ぐすね引いている。ここにはジョルジョ・アガンベンの論考もある。
いやはや。やはりジャン=リュック・ナンシーは一筋縄では行かない、手強い論客だ。
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