贅沢な時間を過ごすことが出来た。
本書は批評をするにあたって必要な心構えからテクニックまで、筆者が心掛けていることを、惜しげもなく開陳している。それを思う存分味わう事ができるのだ。こんな贅沢は普通許されるものではない。
最初にチョウのように舞い、ハチのように刺すというモハメド・アリの決め台詞の引用から始まる。これは本書の副題にも、チョウのように読み、ハチのように書くと若干の変更を伴って使われている。本来の台詞は
I’m gonna float like a butterfly, and sting like a bee.
と言うものでソニー・リストンとの対戦の時に初めて披露されたものらしい。
筆者はこの一節は芸術作品に触れる時の心構えとして当てはまると言う。批評というと、ひとつのテクストに根が生えたように沈み込み、真面目に取り組んで…というイメージがあるようだが、筆者のイメージでは、ある作品に触れたらその作品に関連するいろんなものに飛び移って背景を調べたり、比較することにより、作品自体について深く知ることができると言うのだ。
軽いフットワークで作品の背景を理解したら、次は鋭く突っ込まないとならない。作品を批評しながら楽しむためには何か一箇所、突っ込むポイントを決めてそこを刺すのがやり易い方法だと言う。
これだけでも、私の本の読み方を根底から覆す、重要なサジェスチョンだった。
以後、各節にひとつずつ気の利いたエピグラフを引きながら、批評の教室が展開されて行く。
筆者は、芸術作品の鑑賞というのはストーキングが許され、むしろ評価される唯一の場だと言う。なぜなら芸術作品というのは現実の世界とは異なり、あらかじめ受けてによって探索され、理解されるためのものとして作られているからだ。
第一章の精読するを読んで、私はある程度精読には自信があったのだが、それが入門のレベルにも届いていない事をじっくりと味わわされた。
批評家は探偵で、テクストは犯罪現場だと言う。探偵は虫眼鏡などを使って、犯行現場の細かいところまでチェックして、複数の手がかりを有機的に結び付けて他の人が見逃していた事実を発見するのだ。シャーロック・ホームズ並みの観察眼と注意力が必要だ。
作品を精読したら次にする事は分析だ。
著者は批評理論とは、作品の読み解きと言うゲームの勝ち方を探す戦略の理論だと言う。作品をゲームと考え、ゴールはそれを面白く分析する事なのだ。
そして、そのゲームのために行うべき幾つかの作業を示唆する。それは
・タイムラインに起こしてみる。
・とりあえず図に描いてみる。
・価値づけする。
といったものだ。
私は今まで漫然と本に目を通しているだけで、精読も分析もして来なかったのだと言う事実を、思う存分思い知らされた。
例えば『トップガン』と『アナと雪の女王』は似ても似つかない話に見えるが、要素に分解して骨子だけを取り出すと、前者の主人公であるマーヴェリックことピートと、後者のヒロインのひとりであるエルサが経験する物語は結構似ていると言う。
このようなことは考えても見なかった。
続いて評論を書くに当たって、必要な事柄が述べられる。
筆者は、批評を書けるようになりたいのであれば、自由にのびのび考えて書いてはならないと指摘する。何の訓練もせずに文を書いたり、絵を描いたりすると、今まで自分が身につけた思考の型から抜け出せない割に技術が伴っていないので、他の人と似たり寄ったりの凡庸なものができてしまうのが普通だからだ。
そして、批評を書く時の覚悟として大事なのは、人に好かれたいという気持ちを捨てることだと言う。批評というのは作品を褒めることではなく、批判的に分析することだからだ。良いところはなぜ良いのか考え、問題があればそれを直視してなぜダメなのかを考えるのが批評であり、それを通して作品の価値や問題点が明らかになる。
本書を読んでみて、私としては、参考になったと言うより、打ちのめされたと言った方が的確なところだと思う。
何よりも、本書で採り上げられている作品で、映画やアニメは私は観たこともないものがかなりあった。これでは本書を理解し尽くすことすら出来はしない。
自分が今まで書いて来た書評がなぜダメだったかが、ここには書いてある。この書評も、プロの目からすれば、全く批判的ではなく、不合格と言われてしまうだろう。
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