20211118

自然を名づける

椅子に坐っていると、部屋の窓からは銀杏の樹が2本見える。私はそれが銀杏という名である事を知っている。更に、その学名がGinkgo bilobaである事も、先程知った。

もし、名を知らない植物なり動物なりが見えたら、私はその名を知りたいと思うだろう。

人は、本能的に生物の分類をしようとする。この本『自然を名づける─なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』の著者はその直感を環世界センスと呼んだ。


環世界とはドイツの生物学者であり哲学者でもあったユクスキュルの唱えた概念で、全ての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、全ての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界であるというものだ。著者は言う

自然の秩序に対する類型的な見方をもたらしているのは、この環世界センスだということに私は気づいたのである。ハーバード大学の生物学者E.O.ウィルソンが提唱した「生命愛(バイオフィリア)」が生物に惹かれる理由だとしたら、おそらく「環世界センス」が─その特殊性、強さ、弱さ、その他あらゆる特徴を含めて─、人間が自然界に秩序を見出す理由なのだろう。

しかし科学としての分類学の歴史は別の意味を持つことになる。すなわち分類学の歴史は、その誕生から今日に至る迄、人間の環世界センスとの200年に及ぶ戦いの歴史だったのだ。

その実例として著者は第1章で「科学者は魚類という群の実在性を否定する」という挑戦状をいきなり叩き付ける。著者はこの一見奇妙に見える問いに、本書を書くことによって答えようと努める。

始まりはカール・リンネである。若き天才的な植物学者として人生のスタートを切ったリンネは、二名法を編み出し、リンネ階層分類と呼ばれる分類体系を定めた。1735年、28歳のリンネは『自然の体系』を刊行した。僅か14ページのこの「聖書」から、分類学は産声を上げたのだ。この時代の分類学は、自然の秩序を五感で捉え、視覚化する作業に他ならなかった。分類学は環世界センスを用いて行うものだった。

次の主役はチャールズ・ダーウィンである。リンネから100年後、ダーウィンはフジツボの研究に取り掛かる。悪戦苦闘すること8年、馬車に乗っていたダーウィンにひらめきが訪れる。リンネの秩序は、進化の樹の単なる影に過ぎない。こうして分類学は、全生物の系統(進化上の繋がり)を学ぶ科学になったのだ。

ダーウィンの後、進化分類学者、数量分類学者(直感的な観察よりコンピュータを用いて、形質データを定量化して計算し、樹形図を作成する)、そして分子分類学者が次々と登場する。その内部で、統合主義者と細分主義者の対立もあった。

分子分類学者カール・ウーズはRNAの分析によって、リンネの界(動物界や植物界などの最上の階層)の上に「細菌」「古細菌」「真核生物」という3つのドメインを発見してしまったのである。

分類学の(現時点における)最終的な革命は、ヴィリ・ヘニックというドイツの昆虫学者によって果たされた。ヘニックは「共有された進化的派生形質」のみを手掛かりにして、近縁生物群を構築しようとした。ここに分岐学者が誕生したのである。つまり「子孫全てを含む分類群にだけ名前を付ければいい」。樹形図は生命史のみを反映する。こうして魚類が消え去った。ダーウィン進化論の必然的な帰結はヘニックによって完成されたのだ。

分類学と環世界センスとは、真っ向から対立するものとなった。

生物の研究は捕虫網を携えて野山を歩くアマチュア学者の時代は終わり、生物の研究は、助成金を得たハイテクの実験室で行われるようになった。生物学は、莫大な資金と大量の人材に支えられる巨大科学になったのだ。

しかし著者は環世界センスを安易に捨て去らない。人間は環世界センスから逃れることは出来ない。それは脳の問題でもあるからだ。そうであるならば、直感と科学とは共存出来るはずである。二者択一の問題ではないのだ。

著者の結論は、シンプルで深いメッセージ性を有している。

生物界は死の淵に立たされている。人間のせいで種が絶滅していく速さは100倍から1000倍になった。しかしまだ手遅れではない。私たちの環世界センスを蘇らせ、それを自由に発現させることによって、私たちは、生き物の世界に近づく一歩を踏み出すことができる。

自然を名づけることは、自然に近づくことなのだ。そして世界の生き物の多様性を救うことは、学者だけの仕事ではないのだ。

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