なぜこんなに苦しいのだろう?
読み始めに降りて来た感想はそうしたものだった。
そこには念願の広告会社に入社し、溌剌と働く充実した成功物語が語られている。だが、なぜかその一挙手一投足が苦しいものに感じられてならないのだ。
小さい頃から努力だけは得意だったと著者は言う。
受験・部活・就活も努力すれば、目標以上の結果を出して両親や先生の期待に応えてきました。
そんな著者にとって、名の通った広告会社への就職とそこでの成功は、疑いもなく、得意な努力の成果であり、ステイタスである筈。どんなに有頂天になっても許されるし、その資格があると思うのだが、著者はそこでも頑張ってしまい、謙る。
どうして努力する事が出来ないのだろう?それが私の最大の悩みだった。ここぞと言う時に頑張れない。なのでちっとも成果は出せないし、ステイタスも上がらない。
そんな私から見ると笛美さんは疑いもない成功者であり、憧れだ。だが読み進めてゆくうちに
仕事が充実していくにつれ、プライベートはどんどん空白になっていきました。
などの記述が目に留まるようになった。
上には上がある。一旦成功の階段を登り始めた者は余程の事がなければその階段から降りる事は許されず、更に上の段階、さらに上を要求され続けるもののようだ。本を読んでいる時、頻繁に出会うこのような「成功者の悩み」にまた付き合わされるのかと、一瞬少しうんざりした。
しかし、その後に語られる結婚にまつわる著者の「努力」の記述辺りから、単なる「持てる者の悩み」では語り切れない色彩を帯びて来る。
男の30代は働き盛りと言われる。それに対し、女の30代は産業廃棄物とすら言われる。そうした現実がある。女は何よりも子どもを産んでナンボの評価基準がガンとして世の中に居座っているのだ。著者は働きに働き、その上結婚でも努力を重ねようとする。28歳で30万円を支払って結婚相談所に登録したのだ。そして、「農家の嫁」になる覚悟まで固める。
子どもが出来ないかも知れない。その不安は、ついに子どもを持つことのなかった私にも他人事でなく、よく分かる。進化論の本などを読んでいると、科学的事実であるかのように、生物はより良い子孫を残す事に意味があると書いてある。私たちは子どもの頃から結婚し、子孫を残せというプレッシャーの下に育てられている。女だったらどうだろうか?そのプレッシャーは、男の私には想像もできない程大きなものだろう。30過ぎたら卵子は老化するなどと言う、怪しげな「科学的事実」もそれに拍車をかける。
やがて著者は「生きていてごめんなさい」という声なき声を聞くようになる。
やばい!かなりやばい!!
そうした著者が選んだ道は、F国への長期滞在だった。
この選択は正解だったと思う。本の内容もこの辺りから、煽られ、追い詰められ続けるような記述が緩み、楽なものに変化して行く。
F国は日本よりはるかに男女平等に近いと言われる国だった。ここで著者は重大な出逢いを経験する。フェミニズムとの出逢いである。
まず著者はF国の、日本とは余に異なる暮らしぶりに出逢い驚く。F国の暮らしは日本に比べ、遥かに人間らしいのだ。そしてジェンダーに敏感なのは女性だけではなく、男性もであることに気付く。
著者にとって、フェミニストやフェミニズムといったものは、世にも恐ろしいイメージで、それこそ結婚出来ない怖い女の代名詞といったものだった。けれど実際に出会うフェミニストたちは怖いイメージはなく、どこにでもいるただの女の人なのだ。そして、むしろ著者の肩を持とうとしてくれている事に気付く。
そして理解する。
バブルが崩壊し、夫だけの収入では家計が苦しくなったことで、既婚女性も働きに出るようになった。けれど夫が稼いでくれることを前提に、非正規女性の賃金は低く抑えられたままだった。リーマンショック(2008年)の影響で、既婚女性から未婚女性まで非正規が拡大した上、派遣法改正(2015年)では、非正規で働く人たちの雇用が3年と決められ、女性の雇用は更に不安定になった。リスクを負うのは女性だけではなく、男性も総合職の働き方によって過労による自殺や家庭崩壊などの深刻なリスクを抱えている。「男は外で働き、女は家庭を守る」という性別役割分担は、男性にも女性にも大きな負担を与えながら、時代が変わってもずっと温存されて来たのだ。
著者の陥っていた苦悩は、個人的な選択や努力の結果ではなく、世の中の政治・経済の要請によって造られたものだったのだ。
著者は叫ぶ
…ぜんぶ運命だったんかい。
著者の運命は社会の構造の上に敷かれたものだったのだ。
著者の気付きの刃は、男性に向けられもする。
ああ、「普通の日本人男性」よ…。
のび太のお風呂のぞきシーンを見て育ち、ラッキースケベを描いた少年漫画を読み、ナンパ術をモテの教科書にし、AVや違法にアップされたポルノ動画でセックスを学んで、HENTAIを世界に誇れる日本のカルチャーとして喝采している男性。それが私の友達や同僚や上司、そして未来の恋人や夫なのだろうか?
世界でも有数の男女格差の国で、政治も経済でもおじさんが支配しているこの社会で、男性は本当に幸せなんだろうか?
その頃から本書には同じ言葉が繰り返し現れるようになる
「見える」と「気付く」はこんなに違うのか。
著者はフェミニズムからの気付きを通して社会を見詰め、より「見える」ようになったのだろう。
けれど、著者は「普通の人」としての感性を完全に捨て去った訳ではない。安倍首相を校長先生のように優しいおじさんと見、twitterで安倍やめろ!と書いた後、激しく後悔する感性はずっと持ち続けたようだ。
そして著者に大きな転機が訪れる。twitterのハッシュタグで#検察庁法改正案に抗議しますと打ったところ、それがバズってしまい、僅か3日間弱で470万ツイートにまで膨れ上がったのだ。それはやがて新聞の一面を飾り、「#検察庁法改正案に抗議します」国会前デモが写真付きで採りあげられるようになる。著者は自分でも予想しないうちに賛成派、反対派の両方から注目される存在になったのだ。このハッシュタグは2020年のTwitterトレンド大賞の2位を獲得するまでになる。
たった一人の普通のお嬢さんが発したハッシュタグは、国会で検察庁法改正案の審議を止めるまでの影響力を持った。
私は心秘かに思うのだ。
著者は普通の人の感性を持ってはいるが、疑いもなくひとりのエリートで、#検察庁法改正案に抗議しますのハッシュタグは、狙ったものではないが、疑いもなくひとつの成功物語となったのではないか?
もっと言えば、ハッシュタグの成功がなかったらこの本は書かれたのだろうか?
私としては、ハッシュタグがなくても、著者がフェミニズムに目覚め、社会の歪みに気付くことそれだけでも、充分価値のある本になったと思う。
むしろハッシュタグ事件は、ひとつの成功物語から別の成功物語へジャンプしただけのものになってしまったのではないか?
とは言え、著者のもうひとつの成功には心からおめでとうを言わせてもらいたい。ただ、どうしようもなく寂しいのだ。
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