20210808

戦後民主主義が生んだ優生思想

 旧優生保護法は、日本国憲法施行後の1948年に制定され、1996年迄、実に48年間もの間存続し続けた。まさに戦後民主主義という価値観のもとでこの法律は作られ、維持されて来たという事になる。この本で、その事実を指摘される迄、私はその事に殆ど気付かず、その異常さについて、何も考えずに過ごしていた。

「優生保護法は、優生政策を推進するための法律だった」にもかかわらず「その事が多くの人に意識されずに、法律の名前に「優生」と書いてあるにもかかわらず、その漢字の二文字が一体何を意味するのかについては、ほとんど誰も認識してこなかった」(市野川容孝)のだ。

基本的人権の尊重を謳う憲法のもとで、この法律が存在し得た事については、「憲法に違反するのではないか」という疑問が、この法律の成立当初から存在した。しかし、敢えてこの法律が違憲ではないと判断されたのは、障碍者や病者が子どもを産む事は、国家にとって、社会にとって不利益であるから、子どもを産まないようにすることは「公益」に叶うという憲法解釈がなされたからであった。

しかし、罷り通って来た事は、余りに異常な憲法違反である。その事に一旦気が付くと、その異常さは隠し通す事が不可能な程、明らかなものに思えて来る。

筆者は豊富な一次史料を読み解く事によって、この異常さが何故に存続し得たのかという疑問を史的に検証して行く。

旧優生保護法には、「優生」と「母性保護」のふたつの目的がある。この本は主に「優生」という目的に焦点を当てて論じている。

本書による立論を俟つまでもなく、優生学、或いは優生思想は、差別思想である。その事をまず敢えて指摘しておきたい。

確かに優生政策はファシズム体制を確立したドイツや日本のみで実施された訳ではない。そうであるから、優生思想をファシズムの特徴的な思想基盤であると見做す事は出来ない。1907年以来、アメリカ合衆国の多くの州では遺伝性と見做された、障碍者、病者、或いは犯罪者に不妊手術が実施されているし、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなど北欧の国々でも同様の法律が制定されている。しかしドイツや日本の優生政策は、長期的な戦争継続のための、強力な兵力の質と量の確保を前提とした、国民の体力管理政策と表裏一体の政策として施工された事を忘れてはならない。健康な国民には健康維持と体力強化、そして多産が求められ、その一方で特定の障碍者や病者から生殖の自由が奪われた。実現はしなかったが1940年に厚生省では、優生学的に健康である事を証明する医師の「証明書」を添付しなければ婚姻届を受理しないという、優生結婚法案も考えられていた。ここにこそドイツと共に日本の優生政策の特徴がある。

ジェンダー論研究や生命倫理研究、科学史研究では、こうした点の究明が軽視されているのではないかと、筆者は強調している。


本書は荻野、森岡、生瀬、松原らの先行する優れた研究を前提として書かれている為、省略された論点も多いが、独自の視点による史的検証も多くなされている。

中でも第3章に取り上げられている「胎児条項」に関する検証は、力点が置かれ、とりわけ優れた検証になっている。

1972年の改正案は議員立法ではなく、第三次佐藤栄作内閣の政府提出の法案であった。改正点は妊娠中絶手術の条件から、経済的理由を削除し、代わって「母体の精神または身体の健康を著しく害する場合」を妊娠中絶の条件とする事、そして、羊水検査による出生前診断技術の向上を前提に、胎児が重度の障碍や病気を有している場合の妊娠中絶を認める事、優生保護相談所で高齢初産に対する指導などの業務を充実させる事であった。

当時、水俣病、森永ヒ素ミルク、サリドマイド薬害、カネミ油症などにより、障碍児が産まれるという事件が多発していて、「胎児条項」とは「そのような障碍児の出産はやめた方が良い」と露骨に「不良な子ども」は切り捨てて抹殺してしまおうという趣旨だった。そこには高度成長を遂げた日本で「資本に役立たない人間は産まれる権利も許されない」という、国家と資本の意思が明白であった。

この動きの背景のひとつとして、筆者は兵庫県で始まった「不幸な子どもの生まれない施策」を挙げている。この施策を具体的に企画、立案し、「県全体を巻き込む大事業」にしたのは、県衛生部長の須川豊であった。

こうした兵庫県の「不幸な子どもの生まれない施策(運動)」については既に立岩真也が「青い芝の会」などの障碍者からの「私は不幸ではない」「あなた方が不幸にさせているのだ」という提起がなければ「それが良い事としてそのまま公的な衛生・福祉の施策として通ってしまうような状況」が作られたと指摘し、森岡正博は「「胎児条項」こそが、兵庫県の不幸な子どもの生まれない対策室に表れたような優生思想を、先鋭的に言語化したものである」と、この施策が「胎児条項」に大きな影響を与えた事を認めている。

続く「優生保護法とハンセン病」では、本来弱い伝染性しか持たないハンセン病を、あたかも遺伝病であるかのように強弁し、強制不妊手術の実施を招いた経過が、丹念に検証されている。

そこで明らかにされているのは、旧優生保護法そのものが、動かし難い人権侵害と憲法違反を帯びた、矛盾に満ちた法律だったという事実だ。

現在いくつかの地裁で、旧優生保護法は憲法違反であるとしながらも、政府の補償義務を認めないという不可解な判決が相次いでいる。本書はその現状に楔を打ち込む、重要な研究になるだろう。

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