怒っている。
この本の著者武田砂鉄さんと、編集者Kさんは明らかに怒っている。その怒りの対象は世の中の隅々まで張り巡らせされ、しつこく付き纏うジェンダー差別に向かっている。
しかしこの本はそうした怒りを怒りのままぶちまけたようなものではない。怒りを内在化させ、あくまでも理性的に、時に丹念にその差別が何故差別なのかというところから、解きほぐしている。
我々男どもは、よくぞのうのうとこのジェンダー非対称の世の中の特権の上に、胡座をかいていられるものだ。読んでいて、私は恥ずかしくてならなかった。
その無恥を貫く論理は「そういうことになっているから、そういうことにしておけ」という態度に纏められる。とにかく、現状維持を欲する。保身がそうさせる。実はとても不安なのだ。裏に回ると、その背中は怯えで震えているのだ。怯えているのに居丈高なのだ。それがこの世に蔓延るマチズモの正体なのだ。
この本では、特定の場面や状態に残存するマチズモについて、事細かに考察している。そこで明らかにされるジェンダー非対称に、私はいちいち驚く。女と男で、見る世界が全く違うという事実に、改めて気付かされ、狼狽する。
例えば我々男どもは、夜道であろうと知らない土地であろうと、気にする事なく勝手気ままに歩いている。女たちはどうか?Kさんは書く。「夜道は五分ほど歩いたらまず振り返り、周りを確認するようになりました。」
社会学者のケイン樹里安さんは指摘する。気にせずに済む人々。それがマジョリティなのだ。
男どもはこの男マジョリティの現状をそのまま温存させながら、女たちと関係を持とうとする。余りにも身勝手というものではあるまいか?
しかも男どもは、このジェンダー非対称を指摘されると、「でも」と言い「男だって大変だよ」と呟く。そうしてみるとあら不思議、なぜか状況は元通りに戻っているのである。元通りとは勿論男女平等ではなく、「男、めっちゃ有利」の状況なのだ。
「男だって大変」が「男、めっちゃ有利」の維持の為に使われる。こうした態度を表す4文字熟を私は知っている。厚顔無恥だ。
男たちがもし、女たちと実りある関係を結びたいと願っているのなら、女も男も結束して、こうした「男、めっちゃ有利」の現状を改めて行かねばなるまい。
どこをどう改めてゆくのか?はこの本に既に示されている。後は男たちが女たちと対等に付き合って行く事を真剣に望み、現状を具体的に改めて行く実行性が要求されているのだろう。
男たちよ。まずマチズモを削り取って、新しい一歩を具体的に踏み出すのだ。
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