20210905

アカデミアを離れてみたら

 末は博士か大臣かという言葉があった。一昔前ならば、博士号取得者とは、即ち研究者であり、当然のように大学に残って、研究者としての道を悠然と歩いて行く。そう思えた。だが、現在、その「常識」はすんなりとは通用しなくなっているようだ。


本書のあとがきに詳しいが、1991年、まさにバブルが弾けたと言われるその年に、文部省は相次いで答申を発表する。後に「大学院生倍増計画」と揶揄された目標である。

その目標は一応すんなりと達成され、博士は昔思われたような希少な存在ではなくなった。

だが、大学院生が増えても、その受け皿はそう簡単には「倍増」しなかった。

その為、行き場を失ったポスドクが大量に発生する羽目に陥った。

本書ではアカデミアを「大学あるいはそれに類する公的機関における研究環境」と、ゆるく捉えている。

その研究者としての常道から外に踏み出した者たちが、どのような人生を歩んでいるのかを、体験談の形で投稿してもらったものを集めた本が、本書である。

他人事ではない。私もかつては東大地震研というアカデミアに属し、働いていたが、現在の女房殿と出逢って、田舎を離れる事が出来ないという彼女の意向を汲んで、私なら大地が存在する所ならばどこでも生きて行けるとばかりに、アカデミアを飛び出したのだ。

現在はフリーランスの身分で、地質調査を請け負い、それを生業にして、なんとか糊口を凌いでいる。だが、仕事が仕事になるまでが実に大変で、必要な額の収入を得るのに、以前の3倍以上のエネルギーを必要としている。

他のアカデミアを飛び出した方々は、どういう人生を歩んでいるのだろう?

その実例を知りたくて、本書を手に取った。

だが、読み進めるに従って、心のどこかでどうしようもなく白けて行く事を、抑える事が出来なくなった。

あとがきでは、本書の特徴は決して輝かしい著名人だけを取り上げているわけではない。著者の殆どは言ってしまえば普通の人たちだ。とある。

だが、その経歴を見ても、出た大学院が東大、京大、北大と錚々たる名門揃いであり、その後の人生も、概ね成功している例ばかりに思える。

教授や主任研究員になるのが「勝ち組」、外に出るのは「負け組」と思っていたが、アカデミアを離れてみたら、決してそうではなく、それなりに充実した人生がある。そう言っているように思える。

無論、失敗例を出すのは得策ではないだろう。

博士号取得者が思うような進路を歩めていない現実の前で、大学院に進む学生そのものが減って来ている。そういう声も聞こえる。

本書には、決してアカデミアに固執するばかりが人生ではない。そうではない実例もあるのだと、その事を示したいという目論見もあるのだろう。

だが、アカデミアを離れた者たちは皆が皆東大や京大、北大などを出た訳ではないのだ。むしろ、そうした大学院を出ていても、研究者に残れないのかと、事の重大さに改めて気付くのが落ちである。

アカデミアに残るばかりが進路ではない。アカデミアを離れても、そこには沢山の希望があるのだという事を示したいのならば、筆者として、比較的うまく行っている例を集めたと、正直に書くべきではないのか?

それでも投稿を読むと、皆それぞれに希望に満ちた、波乱に富んだ人生をやっていると言う事に心は動かされる。

本書が言いたいのは、アカデミアを離れる事は決して「負け組」ではないのだという、その一点だと思う。

その為に成功例を並べ、皆様に勇気を守ってもらいたかったと、正直に言えば良い。それでも本書の意図は、充分に伝わると思える。

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