B5サイズで688ページ。かなりの大型本だ。だがこれでも削りに削った結果だと言う。
先史時代から現代に至る迄の美術の歴史が網羅されている。しかし本の題名は『美術の歴史』ではなく、『美術の物語』だ。この辺りから著者エルンスト・H・ゴンブリッチのこだわりが垣間見える。文章はシンプルで簡素。だが内容は決して媚を売っておらず、かなり高度な思索が綴られている。添えられている美術品の写真は、どれも厳選されたものらしく、美しく、そして個性的だ。
世界史と美術に関する知識量の豊富さには、とことん驚かされる。そして、それを他者に分かり易く伝える技術にも感心させられる。
著者の頭の中にある膨大な知識が、よほどきちんと整理されているのだろう。
更に感心するのは、こうした西洋人が書く世界史物は、ヨーロッパに限定されがちなのだが、著者の視野がイスラム、中国、そして日本に迄及んでいる事だ。
この様にして、著者の美術史は、正しい意味で世界史となる。
著者は、美術の歴史物語を編むに当たって、まず事実を丹念に記述して行く。制作された時代、作者、そしてその時代背景。著者の見解はその延長上に置かれている。それは、事実の記載と極めて整合性を持つ為、読者に自然に受け入れられる様に配慮されている。
読者は本書を読む事によって、美術史の全体像を、極自然に獲得する事が出来る。
図版と本文の調和は、本書の特筆すべき魅力のひとつだろう。厳選された図版は本文で、要領良く説明されており、読者は紹介された美術品を、本書を読む以前より、遥かに詳しく鑑賞することが可能になっている。
人類は、その歴史が始まる頃から常に、美しいものを生み出して来た。その歩みは途絶える事を知らず、現代もまた、数多くの美術品を生み出し続けている。
だが、この様に人類の美術史という物語を概観してみて、現代の芸術家の誰が、未来の美術にその名を残すかは、誰にも分からないのではないかという感想を持った。
ゴッホの同時代人には、ゴッホが後の世で、これ程高く評価されるとは、想像も出来なかっただろう。
また、美術の様式についても、これから先どの様なものが出現するのかは、予想不能な事柄なのだろう。
各時代で、芸術家たちは、一寸先だけ見えていて後は闇の状況を、全力を挙げて生きて来た。凡庸な私たちは、それらの結果を後になって知り、芸術作品を堪能する恩恵に浴する事が出来る。
或いは本書の目的は、美という永続的な営みが、常に完成と限界の狭間で身悶えするように行われる予想不能な営為である事を、そっと指し示すところにあるのではないだろうか?
だが一方で、21世紀という現代が、『美術の物語』という書物を、纏めるべき時代だという事実にも気付かされる。例えば、これから先、平面絵画の巨匠は、現れないだろう。
本書を読んで、私は先史時代から現代に至る、様々な芸術を、心ゆく迄味わい尽くしたいという欲求に突き動かされている。何と言っても、現代は、それが可能な時代なのだから。