複雑な構成を持った物語である。
ポーランドの貴族、ヤン・ポトツキが生きたのは1761年から1815年。だが彼がフランス語で著したこの奇想天外な物語の全貌が、やっと復元されたのは21世紀になってからだった。
シェラ・モレナの山中を彷徨うアルフォンソ・バン・ウォルデンの61日間の手記によって、彼が出会った謎めいた人々と、その数奇な運命が語られている。
だが、その語られ方は、一筋縄で済む筈がなく、話の中の登場人物が別の物語を語り出し、その中の登場人物がさらに新しい物語を語るという入れ子構造がふんだんに駆使され、多い時には5層まで、その入れ子は増える。
更には、第一日目に登場した人物が、第五十日を超えて、再び登場してくるなどは当たり前。登場人物の相関関係も、複雑に絡み合っている。
それらをきちんと理解するだけで、私の頭はパンクしそうになった。
歴史的に正しい王位継承戦争の頃の王族の血縁関係が語られているかと思えば、それに絡めて、著者の完全なフィクションも織り込まれており、どこまでが虚でどこからが実なのかも判然としておらず、訳註を飛び出して、Webでの検索に頼らざるを得なかった事も一度や二度ではない。
話はレコンキスタ終了直後のイベリア半島を中心として、とりあえず展開されている。私はこの時期のヨーロッパ史を、余りに図式的に理解していた様だ。グラダナが十字軍によって攻め落とされ、それ以降、ヨーロッパは再びキリスト教文化圏として、歩んだように思っていたが、この物語を読んでみると、レコンキスタ以降も、イスラーム勢力は残り続け、キリスト教勢力との交渉も意外と盛んに行われていた様だ。
それ故、イベリア半島独自の文化も、形成された訳で、むしろキリスト教とイスラーム教が混淆していたと考えたほうが、圧倒的にリアリティーがある。
それに加え、ユダヤ教やロマの文化が混ざり合う。また、物語の舞台も、全ヨーロッパ、北中米にまで拡大する。
その証左となるのは、主人公アルフォンソを凌ぐ勢いと量で語られる、ロマの族長の物語だ。彼の圧倒的な記憶力と構成力によって、幾晩にも渡って、芳醇な物語が語られる。それは聞く者(読む者)を決して飽きさせる事がない。
物語の複雑さから、予期していたより、遥かに時間が掛かってしまったが、それを差し引いても、私の中に残ったサラゴサ手稿を読んだ歓びは、余りあるものがある。
この読書体験は、私の中でも特別なものとして、残り続けるだろう。
10日に渡る長い旅が終わった。
0 件のコメント:
コメントを投稿