デイヴィッド・クォメンの『生命の〈系統樹〉はからみあう─ゲノムに刻まれたまったく新しい進化史』を読んだ。
膨大な資料を読み込み、良く整理された本だ。
話しはダーウィンが残した、小さなスケッチから始まる。
生命の系統樹は、聖書迄遡る事が出来るが、それを生物進化と結びつけて表現したのはダーウィンが初めてだ。
彼は1837年7月以来、ラベルに「B」と書かれた、小さなノートを持っていた。そこに彼自身の「大それた考え」を全て書き留めていた。
彼は書いた。「生命は樹として表せる」そして、決して芸術的とは言えない樹状のスケッチを書いていた。
走り書きはさらに続く。Bノートには、樹は「不規則に枝分かれ」していて「一部の枝は極端に分岐が多い」とある。どの枝もより細い枝へ、そこからさらに小枝「すなわち属」へと分かれていく。属は種のすぐ上位の分類群であり、種は小枝の先端の芽として表せる。
これが現在迄連なっている生命の系統樹のイメージだろう。けれどそれは、果たして「正しい」ものなのだろうか?
分子系統学は1958年のフランシス・クリックの言葉に端を発する。
カール・ウーズは分子系統学の大きな可能性を誰よりも明確に見抜いていた。分子配列情報から生命の歴史を読み解くことが出来ると、彼は知っていた。
彼はリボゾームの小サブユニットのなかの長い分子に標的を定めた。16SrRNAというのがその名称だ。
微生物学者はメタン生成菌の分類に頭を悩ませていた。
1976年頃迄に、ウーズは約30種類のサンプルを用いてリボゾームRNA分子の違いから種間関係を定量化するという、前例のないカタログ解析を終えていた。
やがてウーズはデルタHと仮称した菌が、原核生物でも真核生物でもない、第三の独立の生命形態であることに気付く。
1976年末迄に、彼のチームは追加で5種類のメタン生成菌のフィンガープリントとカタログを作成したが、まだ次が控えていた。そして予想通り、新たなカタログはどれひとつとして原核生物ではなかった。更に言うなら、細菌ではなかったのだ。
後にアーキアと呼ばれるようになった、生物の新しい「界」の発見だった。
この物語にリン・マーギュリスが登場したのは、カール・ウーズがまだ人知れず骨折り仕事に精を出していた頃だ。
彼女が果たした重要な役割は、極めて古い説に、新たな注目と信憑性を与えた事だ。私たち自身の細胞の中に、別の生命形態の亡霊が生き続けていて、生体機能を担っているという考えだ。
細胞内の小さな独立部品はもともと細菌だったと彼女は主張したのだ。
ミトコンドリア、葉緑体、中心小体といった名前で呼ばれる、それらの部品は、元はそれぞれ別の、独立した細菌だったというのだ。
細胞の「内部共生説」だ。
次に訪れた変化。それは遺伝子の水平伝播が果たす役割が、突如として認識されるようになった事だ。
通常、遺伝子は親から子へと、垂直に受け継がれてゆくものと思われている。
しかし、とりわけ菌の世界では、それだけでは説明の出来ない現象が頻発している。
MARS等に見られる抗生物質への抵抗性は、遺伝によって拡がる速さとは別次元の速さで拡がってゆく。それは「感染性遺伝」とも言える遺伝子の水平伝播によって拡がっているとしか考えられないのだ。
これが意味する事は重要だ。
つまり系統樹は只単に枝分かれしてゆくだけではなく、融合し、からみあう。
そしてまた、進化という現象は、突然変異と淘汰圧による方向付けによるものとされているが、この遺伝子の水平伝播が正しいならば、それによって起こる変化の方が、より速く、より重要なのではないか?
つまり、ここまで述べてきた系統学のあたらしい見方は、ダーウィンの進化論を覆すものになって来ているのではないか?というのだ。
私が系統的に生物学を学んだのは、4、50年前の、大学入試の頃だ。その頃には、この本に書かれている新しい進化史は、顔を見せていなかった。しかしどこから仕入れたのだろう。私はこの本に書かれた内容を、バラバラの知識として、既に持っていた。
だが、それらがどの様な意味・意義を持つのかは、この本を読むまで理解していなかった事を正直に告白する。
それまで、雑多な知識として存在していたものが、この本によって、体系的な、そしてダイナミックな物語として一気に結晶化してゆく快感を、久し振りに味わった。
むちゃくちゃ面白かった。