20200512

ジェンダー・トラブル

7日間ブックカバーチャレンジ4日目。

奥付を見ると、この本が出版されたのは1999年4月1日になっている。私は既にフェミニズムの洗礼を受けた後ということになる。
けれど、私の中ではこの本によって、フェミニズムと強烈な出会いをしたという感覚がある。
フェミニズムは常に、男たちに有罪を宣告してきた。それに対して誠実に向き合うことなしに、男たちは自由に生きることは出来ないと、私は考えている。
男の有罪性からの解放。それが私にとって、人生のひとつのテーマなのだ。
この本がなければ今の私はあり得ない。

しばしばセックスは自然の性、ジェンダーは社会的な性と説明される事が多い。だがジュディス・バトラーはセックスもまた、社会的に規定されていると論じる。女と男の弁別が、身体の自然に根ざすとする本質論的前提を、根源的に覆しているのだ。

そしてセックスもジェンダーも、男にとって都合がいいように、造られている。

女も男も、人生の最初から、異なったスタートラインに立たされているのだ。

そうした現実の中では、男たちは女たちと、全うな関係を取り結ぶことは、事実上不可能だ。
私は、そうした現実を、男にとっても不幸なものと判断する。

シスジェンダーの男。それは疑いもなく、マジョリティとしてのあり方だろう。だが、私はその私のあり方が、それ程快適なものとは思えないのだ。

それに気付かせてくれたのが、この本『ジェンダー・トラブル─フェミニズムとアイデンティティの撹乱』だった。

読み易い本ではない。
文章は難解で、ミシェル・フーコー、ジャック・ラカン、シモーヌ・ド・ボーヴォワールといった思想家が縦横に引用され、駆使されている。
だが、この本と格闘してみる価値は、充分にある。

最近、『ジェンダー・トラブル』を解説した、良く出来た動画が公開された。
これを見れば、この本を読む必要はないとは言わないが、かなり分かり易くなることは確かだと思う。

良い世の中になった。

時々、この本と格闘していた時の事を思い出す。
かなり長い時間を必要とした。
だが、その時、少しずつ自分自身が解放されて行く快感を、私は確かに感じていた。

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