昆虫少年だった私を強引なまでに文学の方に向かわせた人物、それがヘルマン・ヘッセだった。小学6年の時、国語の教科書で『少年の日の思い出』を読み、すっかりやられた。
そして中学生になり、彼の詩を読んだ。衝撃的だった。そこに私の心情が書かれていたからだ。高橋健二さんの訳だったと思う。一行一行全てにいちいち共感し、感動した。この詩人は私の為に詩を書いていると確信した。厨二病だったのだ。
日の輝きと暴風雨とは
同じ空の違った表情に過ぎない。
という詩句に悶え、
魂は、曲がりくねった小みちを行く。
と読んでは転げ回るといった有様で、今思い返しても恥ずかしい。
"Stufen(階段)"は、ヘルマン・ヘッセの最後の詩集。
これだけはドイツ語で読みたいと思い、ドイツのamazon.deで購入した。船便で送られて来たので、注文してから到着する迄半年掛かった。手にした時はさすがに感動した。
私がドイツ語の本で、最初から最後まで読み通した本は、この詩集しかない。
不得意なドイツ語でも、意外と「味わう」事ができるのに驚いた。
このブログ『夏の扉へ』の表題の下に引用してあるのは、この詩集の表題作から採ったものだ。
私たちは空間を次々と朗らかに徒渉しなければならない。
といった意味だ。
ヘルマン・ヘッセのドイツ語の詩集は、他にレクラム文庫で持っているが、そちらはこれと言った詩を拾い読みした程度で、読み通してはいない。
そんな訳でヘルマン・ヘッセの一冊となると、この"Stefen"をどうしても採り上げたくなる。
私には全作品を読破した人物が3人いるが、ヘルマン・ヘッセはそのうちのひとりだ。
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