20201020

1991年の記憶がない

 立石洋子の『スターリン時代の記憶』という本を読んでいる。ソ連解体後のロシアの歴史認識に関する記述が並んでいる。ロシアも、過去の罪業に苦しんでいるのだ。

ところが、読んでいて気付いたのだが、私にはソ連解体の具体的な記憶がない。これだけの大事件なのに、気付いた時にはソ連は解体しており、国旗も代わっていた。

何故なのだろう?訝しんで自分の記憶を辿ってみて驚いた。私にはソ連が解体した1991年の記憶が完膚なきまでに失われているのだ。

1990年や1992年ならば、自分が何をしていたのか、おおよその記憶がある。だが、1991年に関しては、何も思い出せない。

Wikipediaで1991年を調べてみた。載っている項目のどれにも思い当たるところがない。流行語も事件も、ピンと来るところが全くない。

私は1991年、本当に生きていたのだろうか?急に不安になった。

今から29年前の事だ。完全に忘れ去る程昔ではない。

何故なのだろう。そう思って理由を探ってみるが、何しろ記憶が全くないので、手掛かりも掴めない。

次にまたWikipediaで1991年の日本を調べてみた。やはり思い当たる事がない。

だが、ひとつだけ、リアルに思い出せる項目が見つかった。

雲仙・普賢岳の火砕流だ。


このことに関しては、無闇矢鱈と鮮明な記憶がある。

と言うより、未だにその記憶から逃れられない。

特に6月3日の火砕流では、報道陣、消防団員など41人の方々が亡くなった。

それ以前から、現地の人々の余りな緊張感の無さに、言い知れぬ不安感を抱いていた。その果てにあの大参事が起きた。

今でもあのときもっと出来た事があったのではと思う。

私にとって痛恨の出来事だった。

私の1991年は雲仙・普賢岳の火砕流で、全てが占められているのだ。

火砕流は他の記憶の全てを押し流すに足る。大事件だったのだろう。

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