20130430

富倉そば

長野に戻ってきて、何が嬉しいと言って、美味しい蕎麦が食べられることが先ず第一に嬉しい。

知っている方も多いだろうが、私は大の蕎麦好きである。
自宅で食べるし、食べ歩きもしている。


基本的に蕎麦は東京のものだと思っている。

「そばがき」として食べられていた蕎麦粉を大阪のうどんの様に麺にして食べ始めたのが寛永時代の江戸。だから麺の蕎麦は正確に言うと蕎麦切りと呼ばなければならない。

蕎麦切りをつゆで食べる。それが東京流の蕎麦の味だと思っている。


ところで、蕎麦切りという語が最初に使われたのは、意外にもどうやら信州らしい。『信濃資料』によると木曽の定勝寺では1574年(天正2)の『番匠作事日記』3月16日に「徳利1ツ、ソハフクロ1ツ千淡内」および「振舞ソハキリ金永」という記述がある。(俣野俊子・著『そば学大全―日本と世界のソバ食文化』より)

これは定説である『慈性(じしょう)日記』の1614年より40年も早い。
信州は蕎麦の供給地だけではなかったようだ。

信州の蕎麦切りを蕎麦として食べ始めたのが江戸。そういった理解の方が正しいのだろうか。

これらについては後ほどエントリを改めて記したい。


東京の蕎麦はつゆは確かに旨いが、蕎麦はさほどではない。燃えてしまった「薮蕎麦」がその代表と言えるだろう。

信州の蕎麦はつゆはさほどではない。これは正直に言っておく。期待しない方が良い。けれど、蕎麦は確実に旨い。


その信州蕎麦の中でも、この富倉そばは段違いに美味しい蕎麦だと断言できる。
 女房殿の義理の息子のお祖母様がこの富倉そばを打つ。

多分富倉そばを食べさせてくれる店の中でも最も美味しいだろう(私は全てを制覇した訳ではないのだ)かじか亭に卸している。

幻の富倉そばとも呼ばれている。
なかなか食べる事が出来ない。

交通の便が悪い地域に伝わってきた蕎麦だからだ。

その蕎麦をこの季節、こごみや楤の芽などの山菜と共に分けて下さる。
蕎麦好きにとってこれ程幸せな事はない。


つなぎにヤマゴボウ、主にオヤマボクチ(雄山火口)を使っている。
なので十割蕎麦と同じような風味でありながら、麺が切れない。

従って、極限まで薄く打たれた十割蕎麦の味という貴重な食感を堪能出来る。


今迄、いろいろな地方でいろいろな蕎麦を食べてきたが、ここかじか亭の富倉そばが突出して旨い!


しかも蕎麦湯に普通の蕎麦にない独特な旨味がある。絶妙な甘さがあるのだ。


日頃から暮らしの様々な局面を、本当に上手に支えて頂いて、十分感謝なのだが、女房殿と縁がなければ、この富倉そばを知る事も無かっただろう。これを知っただけでも女房殿と結婚できて十分に幸せだ。

昨日はこの富倉そばと山菜の天ぷらを食した。店では不可能なほどたっぷりの大根おろしと共に。

満足である。

20130429

日本国憲法について

こんな映画が上映されています。
 映画を観る前に、一通りは勉強しておこうと思って、日本国憲法を通読しました。

Kindleで0円!

有り難い!

もうひとつ。
井上ひさしのブックレット
二つの憲法──大日本帝国憲法と日本国憲法
を読みました。

分かりにくいことを大変分かりやすく書いてあります。

憲法とはなんぞや?という話。
戦争から敗戦までの話(ポツダム宣言のこととか)。

そこから説かれる憲法のはなし。

懇切丁寧に作られたブックレットだと思いました。

こんな事をしている中、Facebookで憲法の成立にまつわる情報が流れてきました。

今、憲法を変えようとしている人たちが必ず言うのは、憲法が押しつけであると言うこと。だから、自主的に憲法を変えなければ、日本の「真の」独立は達成されないのだ。そんな論法です。

これ、本当なのでしょうか?

回ってきた文章を、書き手の星野隆生さんの承諾を得て、転載しようと思います。

--ここから--
【緊急発信】憲法改正 ~闘いのステージは始まっている~

日本国憲法は占領軍に押し付けられたもの。それは,まったくもって事実誤認です !!!

日本国憲法の基は鈴木安蔵氏らの憲法研究会による『憲法草案要綱』であり,日本人の手によるものです。


『憲法草案要綱』を作ることができたのは,明治初期の日本の自由民権家の方々の血と汗と涙の結晶があったからこそです。源流は,そこにあります。

日本国憲法の映画「太陽と月と」の制作プロデューサーは語る


さらに憲法9条は,時の首相だった幣原喜重郎氏の発案に対し,世界の恒久平和の願いに心から賛同したマッカーサーと昭和天皇が協力した結果,制定に至ったものです。

★最重要ノート★
幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について


昭和天皇・マッカーサーの信頼関係も証されています。
改憲議論の前提として,この事実を,日本の全国民が知らなければなりません。さらに,できるだけ多くの方々が憲法9条発案者の想い・真意に肉薄することが必要です。

憲法9条は,亡き3名の魂の願いによって生み出された人類の宝。それを日本国民が自らのものにすることができるかどうか。その闘いのステージはもう始まっています。

--ここまで--

貴重な情報だと思います。

出来れば、(当然リンク先も読んで貰って)多くの方々に読んで頂きたいと私も思います。

拡散を宜しくお願いします。

GW中が勝負だと思うのです。



さて、日々憲法改悪攻勢を仕掛けてきている安倍首相ですが、海外の目は厳しくこの首相を眺めています。

それを伝える記事がありました。

米紙 安倍首相は「自己破壊的」 歴史直視していないと批判

この記事の中のワシントン・ポストの社説とは

Shinzo Abe’s inability to face history

これだと思います。

歴史を直視する事への無能と、大変厳しい。


また、NYTの社説とは

Japan’s Unnecessary Nationalism

これのことだと思います。


日本の不必要なナショナリズムとある。

つまり、憲法を改悪させようとする方々のもつナショナリズムは世界にとってはそもそも不必要なもの。

そう言う事なのだと思います。

大変恥ずかしい首相だと思います。

先日は戦車に乗っていました。

本当に恥ずかしい首相を選んでしまったものだと思います。


昨年12月16日の自民党の勝利に終わった選挙は、震災を契機として変わって行かねばという沢山の思いを根こそぎ押し流して行きました。

3.11以降あった、もうひとつの津波だったと、私は思います。

その津波から未だ立ち直れない方々もいらっしゃる。


明治と昭和に日本は大きく変わりました。
それを維新と呼ぶようです。

明治維新、昭和維新に引き続き、私たちは今、平成維新とも呼ぶべき状況を起こしていなければならない筈です。

なのに聞こえてくるのはTPPに憲法改悪。

一体何をやっているのでしょうか!?

20130428

玉井、不破ライブin松本

昨日(13.04.27)松本の元町にある日本料理店「温石(おんじゃく)」で、玉井夕海さんと不破大輔さんのライブデュオがあった。

行ってきた。

不破大輔さんとは、東京時代に沢山遊んで貰った。25年間くらいずっと共に行動していたのではないだろうか?

玉井夕海さんとは初対面だった。とは言え2006年に『もんしぇん』 という映画を彼女が創り。その世界に魅了されていた。独自の世界を持った方だと感じた。いつか遭うに違いないという予感もあった。

そのお二人が松本まで来てくれるという。これは行かねばなるまい。

女房殿に車を運転して貰い、松本まで行った。

燕が沢山飛んでいるのにはびっくりした。長野市にはまだ燕は来ていない。

会場になっている「温石」は、住宅地の中の、分かりにくい場所にあるという。確かにWebで検索してもおいそれとは出てこない。
こんな道を入って行くのだ。

ライブをやるような店があるという雰囲気では全くない。

で、何と!これが入り口。

小さな張り紙が貼ってあって、どうやらここで目的のライブがありそうだと言うことは悟った。

だが、これが入り口なのだろうか?

今ひとつ確信が持てない。

第一扉らしいものも見られないではないか。

よく見ると、門から石畳が右に延びている。

迷う。

この石畳を行くのだろうか?

行ってみよう。

なかなかの風情だ。

だがこの先には四阿のようなものがあるだけで、ここを入る訳ではないようだ。

更に奥には民家のような家がある。

また門に戻って貼ってある紙をつらつらと眺める。
間違いは無いと想うのだけれどなぁ…。

中から人が出て来た。

「ここ、今日ライブがあるんですよね?」
「はい、もうすこしお待ち下さい」
「はい、はい 。分かっております。まだ早いのですよね」

開場1時間くらい前に下見で来ていたのだ。

待つ。


いよいよ。だ。

玉井夕海さんが言うには、今日のライブは「対話」だという。

何か喋らされるのかな?
少し緊張して始まりを待つ。

照明が全て落とされた。
真っ暗闇のなか、玉井さんの唄と不破さんのコントラバスが「対話」を始める。

即興色が全面に出た演奏だ。
濃密な時間が流れる。

そうだ。こんな時間と音の流れの中に、かつて私は身を置いていたのだ。
玉井さんのアコーディオンと唄、不破さんのコントラバスが絶妙な絡み合いを見せる。

彼らの心地良い「対話」に身を委ね。耳をそばだてる。

……。いえぃ!

来て良かったと、心から思えた。

お客さんを含め。皆と共有するこの濃密な時間は本当にかけがえがない。
同じ時間を過ごすことができるのは有り難いことだ。

終わった後、少し話をしたくて、ぐずぐずしていると、お店の方が料理を持ってきて下さった。
ライブの最中にもスープを出して下さったのだが、ここの料理は絶品だ。とても穏やかで優しい味を提供して下さる。

ライブで楽しませて頂いた上にこれでは、余りにも甘えすぎていると感じたが、甘えさせて頂くことにした。

その後不破さんと呑みに。

私と女房殿は酒を呑まないのだが、不破さんには呑んで貰わなければ。

彼と逢ったのは5年振りくらいだろうか?その時も松本だった。その時も5年振りくらいだった。

こんな私に付き合って下さって、本当に有り難い。


春も盛り。
松本の街は花盛りだった。

とても幸せな気分で帰途についた。

20130426

地球温暖化予測情報

気象庁が最新の地球温暖化予測情報を発表した。

それを紹介する。

これは、地球温暖化による影響評価、地球温暖化の緩和策および適応策の検討の推進、地球温暖化に関する科学的知見の普及・啓発などに寄与することを目的に、平成8年度から地球温暖化予測モデルの結果を「地球温暖化予測情報」として公表しているものだ。

地球温暖化予測情報 第8巻 (2013年)

今日は1日これにかかりきりだった。

かなり詳しい分析だ。
あくまでもIPCCのシナリオに沿った分析だが、これで温暖化問題は日本独自の解析が成されていないと言うような批判は事実上出来なくなると感じた。

まとめることも考えたのだが、私の力量が足りない。

リンク先のpdfファイルを開いて自分で読んで貰いたい。

最初の部分だけ引用する。

()内は私の注釈です。

--ここから--

地球温暖化に伴う日本付近の気候の変化や極端現象の変化を予測するため、以下のような気候モデル予測実験及び解析を行った。

地球全体の予測は、解像度20kmの全球気候モデルにより行い、日本付近の予測は、この結果を側面境界条件として、地域気候モデルによる力学的ダウンスケーリングの手法を用いて、従来よりも大幅に解像度を高めた5km四方の格子で計算した。これにより、複雑な地形や対流がもたらす気象の変化をより現実に近い形で計算できるため、平均的な気候の変化に加えて大雨等の顕著現象の評価が可能となっている。

(略)

21 世紀末(将来気候、2076〜2095 年を想定)には 20 世紀末(現在気候、1980〜1999年を想定)と比較して、日本付近で以下のような気候変化が予測される。

●気温の将来予測
年平均気温は各地域で3℃程度の上昇がみられるが、北日本の上昇が3℃を超えて最も大きい。季節別では、全ての地域で冬の上昇が最も大きく、夏の上昇が最も小さい。冬は、沖縄・奄美を除いて全国的に 3℃以上の上昇がみられ、北日本や、東日本の一部では 3.5℃を超える上昇がみられる。

(図はクリックすると拡大します。)
年最高気温の20年再現値は2〜3℃程度上昇し、北日本太平洋側の上昇が最も大きい。年最低気温の20年再現値は北日本を中心に2.5〜4℃程度上昇し、北日本太平洋側の上昇が最も大きい。

冬日は各地域で減少し、北日本で減少幅が大きい。猛暑日は東日本〜沖縄・奄美にかけての各地域で増加し、北日本での増加幅は小さい。

(以下、現在の所図表類は省略する。随時入れてゆく予定。…予定であって未定なのだが。)

●降水の将来予測
年降水量は全国と北日本で増加する。冬から春にかけては、太平洋側で降水量が増加する。

大雨や短時間強雨の発生回数は多くの地域で増加する。無降水日数も多くの地域で増加する。

●積雪・降雪の将来予測
年最深積雪はほとんどの地域で減少するものの、北海道の内陸部等の寒冷地では現在と同程度か増加となる地域もある。

積雪、降雪共に、始期・終期における減少が明瞭で、観測される期間が短くなる。積雪はピークの時期が早まり大幅に減少する。

●その他の要素の将来予測
夏は多くの地域で相対湿度が減少する。一方、冬は東日本日本海側を除く北日本から西日本で増加する。

年平均の全天日射量は、北日本で減少する。冬は沖縄・奄美を除いて全国的に減少する。
 
突風や雷雨の発生しやすさを示す大気環境場の指数(エナジー・ヘリシティ・インデックス、EHI2)は、いずれの地域でも不安定の方向に変化する。

--ここまで--

以下延々と続いてゆきます。

さすがにこれでは余りにも不親切だと思ったので、目次を載せておきます。

--

IPCC 温室効果ガス排出シナリオA1Bを用いた非静力学地域気候モデルによる日本の気候変化予測

    本書の要約(PDF:2.2MB)
        表紙
        刊行にあたって
        目次
        本書の要約
    第1章 はじめに(PDF:2.4MB)
        第1節 世界と日本の温暖化の現状
        第2節 地球温暖化の要因
        第3節 地球温暖化予測の方法
        第4節 地球温暖化予測の不確実性
        第5節 地域気候モデルの気候再現性
    第2章 気温の将来予測(PDF:3.4MB)
        第1節 平均と年々変動の変化
        第2節 極端現象の変化
        第3節 階級別日数の変化
    第3章 降水の将来予測(PDF:2.1MB)
        第1節 平均と年々変動の変化
        第2節 大雨や強雨の発生頻度の変化
        第3節 無降水日数の変化
    第4章 積雪・降雪の将来予測(PDF:1.2MB)
        第1節 平均と年々変動の変化
        第2節 季節進行の変化
    第5章 その他の要素の将来予測(PDF:2.2MB)
        第1節 相対湿度
        第2節 全天日射量
        第3節 鉛直安定度
    第6章 近未来予測(PDF:1.9MB)
        第1節 近未来予測の特性
        第2節 各要素の予測
    補遺(PDF:8.3MB)
        1.地域気候モデルNHRCMの気候再現性
        2.全球気候モデルMRI-AGCM3.2における循環場の変化
        3.アメダス等の気候値
    参考文献(PDF:0.4MB)
        参考文献
        謝辞

    全文(PDF:21.1MB)
        (全ての章を1つのファイルにまとめたもの)
--

温暖化は気温の上昇という面でも現れるが、気候の過激化も引き起こすものだと言う事を感じた。

20130425

余りにも美しくて

Facebookで回ってきた。

余りにも美しいのでBlogにも載せることにした。
瑪瑙らしい。

こんな石、近くの河原に転がっていないか?

…いないか。

20130423

『米国内の原発は全て欠陥品』全文訳

重要な記事だと感じたので翻訳することにした。

だが、思いのほか翻訳に時間が掛かってしまった。全て私の怠惰さの成せる技である。

かなり昔の記事だ。果たしてリンクは生きているだろうか?
Ex-Regulator Says Reactors Are Flawed


この記事を探し、抄訳を付けて下さったのはいつもお世話になっているBlog『フランスねこのNews Watching』だ。

米国原子力規制委員会・前委員長『米国内の原発は全て修理不可能な欠陥品』/ニューヨーク・タイムズ(4月8日)

今回この記事を出たての頃知り、いろいろ検索したのだが、独力では探し出す事が出来ずにいた。大変有り難い。

翻訳の参考にも、大いにさせて頂いた。最大限の感謝を述べたい。

いつもありがとうございます。


逐語訳を試みたが、なかなか困難な作業になった。良く訳の分からない日本語になっているところは、私が分からずに訳している箇所だ。

より良い訳を求めています。ご指導のほどよろしくお願いいたします。

--
米国原子力規制委員会・前委員長『米国内の原発は全て修理不可能な欠陥品』

By MATTHEW L. WALD
Published: April 8, 2013(日本時間2013年4月9日火曜日)

ワシントン─現在米国で稼働中の104基の原子力発電所はすべて、修理不能な安全上の問題を持っている。それらは新しい技術に置き換えるべきである。原子力規制委員会の前会長は、月曜日にそのように語った。また彼は、一度にすべてを止めるのは現実的ではないと語り、現在ある原発の廃炉年限を延長せず段階的に廃止することを支持した。

前会長Gregory B.Jaczko氏は、様々な反原発グループでは珍しいことではない位置と同じ姿勢をとる。しかし、彼が以前、安全上の担当に確実にあった産業界を無遠慮に批判することは、原子力委員会の前代表にとって高度に珍しいことだ。

彼が会長だったとき、これらの点を確認しなかった理由を尋ねられてJaczko博士は発言の後インタビューで「私は本当に最近になるまでこの結論に到達しなかったのです」と語った。

「私はただこの問題についてより考えてみました。そして産業界と規制当局として様子を見ていたのです。そして原子力安全コミュニティ全体がこれらのとてもとても難しい問題にどう対処するかについて期待し続けました」それらは日本の2011年福島原発事故によってより明らかになったものだ。彼は言う「バンドエイドにバンドエイドを貼り続ける今の対応では問題は解決しません。」

Jaczko博士は、ワシントンのカーネギー国際原子力政策会議の福島事故に関する会議で彼の所見を述べた。Jaczko博士は、原子力委員会から許可を受け、初期40年のライセンスを越えて、20年間稼働許可を出している原子力発電所のほとんどについて「長期の稼働は不可能」と指摘。彼はまた規制委員会が求めていた、原子力発電所所有者に対しての次の20年間の延長許可依頼(それは一部の原子力発電所を合計80年まで稼働させることを意味する)を実現困難な変更だとして否定した。

Jaczko博士は、連鎖反応がシャットダウンされた後、多量の熱を発生し続けるという良く知られた核燃料の特性を挙げた。その“崩壊熱”は、福島のメルトダウンにつながったものだ。解決策は、彼によると、恐らく熱が燃料の融点まで温度を押し上げることの出来ない、より小さな原子炉だった。

原子力産業界は、博士Jaczkoの評価に反対している。「米国の原子力施設は安全に動作している」Marvin S. Fertel原子力エネルギー協会、業界及び業界団体の社長兼最高経営責任者(CEO)は述べている。「それは前原子力規制委員会委員長としてGreg Jaczko氏が在任中だった場合のことだ。特別福島応答専門調査団として認められたNRCの会長として在任中だった場合、安全性と性能指数の多さによって証明される場合のことだ。それは今でも変わらない。」

Jaczko博士は委員会の4人の同僚との競合の数ヶ月後、昨年夏に会長を辞任した。彼はしばしば安全問題に関する少数派として投票し、より積極的な安全性の改善を提唱し、原子力産業によって、深い疑念を持っていると見なされてきた。上院多数党院内総務、ネバダ州のHarry Reid氏元補佐官。彼はReid氏の呼びかけに任命され、ラスベガスから約100マイルのユッカマウンテンで計画されていた核廃棄物投棄の進行を遅らせることに尽力した。

--以上--

以下原文をそのままコピペしておく。

--

Ex-Regulator Says Reactors Are Flawed

By MATTHEW L. WALD
Published: April 8, 2013

WASHINGTON — All 104 nuclear power reactors now in operation in the United States have a safety problem that cannot be fixed and they should be replaced with newer technology, the former chairman of the Nuclear Regulatory Commission said on Monday. Shutting them all down at once is not practical, he said, but he supports phasing them out rather than trying to extend their lives.

The position of the former chairman, Gregory B. Jaczko, is not unusual in that various anti-nuclear groups take the same stance. But it is highly unusual for a former head of the nuclear commission to so bluntly criticize an industry whose safety he was previously in charge of ensuring.

Asked why he did not make these points when he was chairman, Dr. Jaczko said in an interview after his remarks, “I didn’t really come to it until recently.”

“I was just thinking about the issues more, and watching as the industry and the regulators and the whole nuclear safety community continues to try to figure out how to address these very, very difficult problems,” which were made more evident by the 2011 Fukushima nuclear accident in Japan, he said. “Continuing to put Band-Aid on Band-Aid is not going to fix the problem.”

Dr. Jaczko made his remarks at the Carnegie International Nuclear Policy Conference in Washington in a session about the Fukushima accident. Dr. Jaczko said that many American reactors that had received permission from the nuclear commission to operate for 20 years beyond their initial 40-year licenses probably would not last that long. He also rejected as unfeasible changes proposed by the commission that would allow reactor owners to apply for a second 20-year extension, meaning that some reactors would run for a total of 80 years.

Dr. Jaczko cited a well-known characteristic of nuclear reactor fuel to continue to generate copious amounts of heat after a chain reaction is shut down. That “decay heat” is what led to the Fukushima meltdowns. The solution, he said, was probably smaller reactors in which the heat could not push the temperature to the fuel’s melting point.

The nuclear industry disagreed with Dr. Jaczko’s assessment. “U.S. nuclear energy facilities are operating safely,” said Marvin S. Fertel, the president and chief executive of the Nuclear Energy Institute, the industry’s trade association. “That was the case prior to Greg Jaczko’s tenure as Nuclear Regulatory Commission chairman. It was the case during his tenure as N.R.C. chairman, as acknowledged by the N.R.C.’s special Fukushima response task force and evidenced by a multitude of safety and performance indicators. It is still the case today.”

Dr. Jaczko resigned as chairman last summer after months of conflict with his four colleagues on the commission. He often voted in the minority on various safety questions, advocated more vigorous safety improvements, and was regarded with deep suspicion by the nuclear industry. A former aide to the Senate majority leader, Harry Reid of Nevada, he was appointed at Mr. Reid’s instigation and was instrumental in slowing progress on a proposed nuclear waste dump at Yucca Mountain, about 100 miles from Las Vegas.

--以上--

Jaczko前委員長が、アメリカの原子炉に対して「バンドエイドにバンドエイドを貼り続ける対応」と言っているのは注目に値する。

20130421

桜も終わると言うのに

朝起きてカーテンを開けてびっくりした。
こんな光景が広がっていたからだ(ベランダから東を望む)。

確かに昨日飯縄にあるベッカライ麦星に行った時、雪が降っていた。
だが、山の方はこんな季節でも雪が降るのか!と驚いた程度だった。里は雨だった。

その後、TwitterやFacebookで平地でも雪が降っている事は知ったが、まさか自分の住んでいる場所で、4月のそれも20日を過ぎて雪が降るとは思っても見なかった。
しかも、積もるとは!(ベランダから北東を望む)

いくら信州が春の遅い地域だと言っても、平地では、もう桜も見頃を過ぎ、葉が出始めている。

積雪とは!
参ったなぁ。

調べてみると、広範囲で積雪が認められる。
東日本は一体が雪だったと言って良い。
昨日からの積算を見ると。
思ったよりも西の地域でも積雪があったようだ。

こんな事は何年ぶりなのだろうか?

NEWSを検索してみると、
長野で雪 長野市は最も遅い積雪
とある。
午前11時の積雪は、軽井沢町で12センチ、長野市と信濃町で3センチ、松本市で2センチなどとなっています。
との事。また
長野地方気象台によりますと、長野市の積雪は観測を始めた昭和36年以降、最も遅いということです。
だそうだ。

この雲が記録的な積雪をもたらしたのだ。
高知大学気象情報頁より)

積もった雪は、夕方までには解けた。

だがびっくりした。
もう殆どの人が冬タイヤを履き替えてしまっていただろう。

それでも車はいつも通り走っていた。
これも驚きだ。

20130419

USGSの勝ちか?

おや?深い地震かな?と思った。
お昼頃、12時06分の千島列島を震源とする地震だ。震度分布が同心円状ではなく、(特に震度3と震度2が)混在しているように見えたからだ。

要するに異常震域っぽかった。

NHKの速報を待って確認すると、震源の深さH=10kmだと言う。

地震の規模はM7.0。

浅い地震でもこんな事が起こるのか?!と軽くびっくりした。

気象庁のサイトで確認しても同様だった。

どうもしっくり来ない。それに気象庁のサイトでは日本の領域のデータしか確認出来ないのでUSGSのサイトに行って確認してみた。

震源地はほぼ同じだが、地震の規模はM7.2となっていて、何よりも震源の深さが大きく異なっていた。

H=122.3 km (76.0 miles)

やはり最初感じていた通り、立派な深発地震だ。

USGSのTectonic Summaryでは
The April 19, 2013 M 7.2 earthquake ENE of Kuril’sk, Russia, occurred as a result of oblique normal faulting at intermediate depths within the subducting lithosphere of the Pacific plate.  
つまり、
太平洋プレートの沈み込むリソスフェア内の中間の深さで、正断層によって引き起こされた。
と解説まで付いている。

後でどちらかが(多分気象庁だろうとその時は思った)訂正を出すだろうと待っていたが、今のところどちらも速報のままだ。

この勝負、USGSの勝ちだとわたしは思うのだ。

気象庁は国内のデータだけを使って解析する。だから領域から遙かに離れた地域の震源を正確に同定出来なかったのだろう。

震度分布は浅い地震のものではない。
つまり、震源からの振動が直接伝わった揺れではなく、近くのプレートから伝わってきた震動だ。

プレートに沿うようにして、震度が分布している。

気象庁を信じ込んで確認を取らなければ、あやうく浅い地震という認識のままだったかも知れない。

自分の直感を信じて(かつ、確認を取って)良かったと思えた。

気象庁はきちんと解析し直して、訂正を出した方が良い。

20130418

右往左往

午前中に三宅島西方に変色水域という情報が入った。
北緯34度6分 東経139度24分付近海域において、4月18日0810頃、海水が変色しているとの情報がありました。
地図に落としてみると、左の+の辺りになる。

丁度昨日群発地震が起きた所だ。

情報の出所は海保だ。確かだろう。そう判断した。やはり噴火はあったのだと一時騒然となった。

ところが昼過ぎにこれが誤報であるとの報告が成された。三宅島の東だと言うのだ。
 
【緊急情報】訂正:変色水情報(三宅島東方)(現在リンク切れ)

こうなると話は違ってくる。

急遽右のような図も作られた(千葉達朗氏による)。

どうやら火山活動を示す変色水域ではなさそうだ。

ならば何だったのだろう?という話になる。

海底地滑りか?

三宅島の火山斜面に位置している。地滑りはありそうだ。

など、Webで情報交換をしていると、続報が入った。

変色水情報(三宅島東方)

その後の調査によれば、海水の変色は存在しません。

存在しませんという語は、日本語では(変色水域が)存在するの否定となる筈だ。

だが、その後の調査時にはと言う意味なのだと主張する人が出て来た。曰く「見た人はいるのだ」。

変色水域があって、それが消えたのか、そもそも変色水域は存在しなかったのか、全く分からなくなってしまった。

そもそも地質学が科学であるならば、「ぼくは見た。私は見た。」は証拠になり得るか?

私としては地質学は科学であって欲しいので(根拠は願望である)なり得ないという立場を取る。

だが、現実には目撃談が証拠のひとつの様に扱われる事が多いのが現状なのだ。

この辺りの確認に追われている間に、報道機関の中には

三宅島:海が緑色に変色 警視庁

と報道するところも出て来た。報道されるとそれが事実として扱われるのがこの世の常だ。
これは大変困る。

錯綜する情報に右往左往し、辿り着いた結論に近かったのは、日経新聞の記事だった。

三宅島近海、海面が変色 地震との関連不明

8:10頃:警視庁が海域がエメラルドグリーンになっているのを目撃し、それを報告。
11:30頃:海保が同じ海域を訪れたが変色水域は確認出来ず。

そんなところだろう。

警視庁はきちんと写真を撮っておくべきだったのだ。
それを専門家に見せれば一発だったろう。

Webで幾つかの社の報道に触れる事が出来るようになったからチェックできるが、ひとつしか情報源を持たない人には、三宅島の近くで噴火があったと信じたままになってしまっても、全くおかしく無い。

変色水域が継続的に確認された訳でもなく、三宅島の東でもあり、深すぎるという事もあるので、仮に変色水域があったとしても、火山活動の証拠にはならないだろう。


情報に振り回され右往左往したが、そのお蔭で科学論も議論できたことは収穫と言える。

空しい収穫だが。

20130416

輪郭を取り戻そう

これは瓜南直子さんの言葉だ。

2011年の11月1日、twitterでつぶやかれている。

輪郭を取り戻そう。人として。

2年近く経って、今私も同じ思いでいる。


昨日はBlogを休んだ。
今年に入ってから、意識してBlogを毎日付ける事を自分に課していた。昨年迄、余りにもBlogを放置してきたと思えたからだ。


継続は力なり。その言葉を信じて来た。
ある一定の努力を継続して支払うこと。それで、私は人生をしのいできたとも思っている。

取り敢えず2ヶ月は、毎日更新し続けた。そして、全てのBlogを動かす事も出来た。これは正当に評価したい。

だが、どうなのだろう?
継続することが自己目的化してしまい、私自身が急かされてやっている。そうした傾向はなかっただろうか?


昨日、銀行から支払い請求が来た。
いつの間にか、残高が足りなくなっていたのだ。

そんな筈は…!

しかし現実は思い込みを打破する。

いつの間にか、それ程迄に私は買い物を続けていた。


主に本だ。
それも、Blogに載せる為に読んだものが多い。

毎日書く為に、1日最低1冊は読んできた。それは良いだろう。しかし、ちょっと時間がかかりそうな本は後回しにもしてきた。
更に既にBlogに載せてしまった本は、気になっても再読しないようになっていた。

読んだ本についてBlogで紹介するという域を超えて、Blogを書く為に本を読む状態になっていたのだ。

明らかに本末転倒である。



躁病の時期にある。

破滅を爪先で堪えている。
そんな感覚は持ってきた。

自分なりに精一杯の自制心を働かせもして来た。

だが、小さな破滅はやって来た。


支払えない金額ではない。
株にも手は出していないし、無論、映画を作ろうとかもしていない。

破滅とは程遠いかも知れない。

それでも身の丈に合ったお金の使い方からは逸脱していたようだ。


躁病で、幾つも被害は出ていた。


躁病の時の困った点は、何事かをしでかしてしまうことだ。


鬱ならば、殆ど生きた屍なので、何も出来ない。
何も出来ないまま時は過ぎてゆくので、苦しいが実生活の被害は意外と少ない。

しでかした失敗の傷跡はきちんと後に残る。

躁状態に陥って、その影響で大切な人が何人去ってしまった事か。

それでも死にたくならないのは鬱ではないありがたさなのだが、しんどさは変わらず感じ続ける。


躁状態で困るのは、それを宣言しても、廻りの人が誤解して、楽しい時期なのだと思ってしまう事だ。
苦しさは、鬱状態と余り変わらない。
頭の中を強引にかき混ぜられるような混乱が続き、時に悲鳴をあげる。

踊り続けるしかない赤い靴を履かされているように、様々な事が止められなくなるのだ。

物事に強迫的に急き立てられ、自分がコントロール出来なくなる。


或いはBlogも同じように強迫的に続けている事のひとつだったかも知れない。


夜中、眠れないままに、そうした自分の中の強迫的なものを数え上げていた。


流石に自分の異常さに気が付いた。
変えよう!そう決心したのだ。

そして、瓜南さんのBlogを開いてみた。
もう一度 蜻蛉島の美しさを。

(済みません瓜南さん。絵も一緒に引用させて頂きます。)

これは2011年の3月27日、東日本大震災の殆ど直後に書かれたエントリだ。この文章に今とても共感する。

この絵は

面の中に閉じ込められていた娘が、まじないを解かれて初めて自分の目で世界を見た、と言うイメージを描いてみた。
と瓜南さんは言う。

Blogを書き続けるという「まじない」から解かれて、私はようやく自分を取り戻す事が出来たのかも知れない。

Blogを書かないでいる事が苦痛である程に、私は私に「まじない」を掛けていた。


更に瓜南さんはBlogに書いている。

1995年のオウムと神戸の震災の時にあふれる情報から身を守る方法を見つけた。
それは単にテレビを切ることだった。

これでもかと押し寄せてくる映像の波にのまれ、テレビの前から動けなくなった私は、一日中ベッドの中でテレビを見ていた。
頭の中は痛ましい映像に埋めつくされ、2ヶ月くらい何もできなかった。
オウムがワイドショーや特番で繰り返されるようになって、ようやく自分のおかしさに気がついた。
「目をそらしてはいけない」思いだけにとらわれていたのだ。
そして私はモジュール線をはさみで切った。それきりテレビを見ていない。
もちろん、現実を確認することは大切だ。
けれど、被災者の現実がテレビで共有できるわけではない。
へとへとになって自分の思い上がりに気が付いた。
自分の立っている場所で、なすべきことをするしかないのだ。
もちろん、痛い思いはみな同じ。
けど、立ち直れる人から立ち直って、すべきことをするしかない。
のまれてしまっては一歩も進めない。


読んだばかりの時は凄いな…と思っただけで、保存もしなかったのだが、今回とても気になって探し出した。

これは、まさに今の私への警告だ!

私は震災直後の思いを取り戻そうとして、のまれていた。

確かに、のまれてしまっては一歩も進めないのだ。


同時にtwitterの使い方を大幅に変える事にした。

今迄蕎麦屋に通っている事と体重の増減をしつこく記録していた。それを止める!


先ず、今日から蕎麦屋「山とも庵」への日参を止める事にした。

ここはとても美味しいお蕎麦屋さんなのだが、その為に通っていると言うよりは、ゲームに勝利したい為に通っていたようなものだ。

ここの店の良さは、伝わる人には十分伝わっただろう。


そして体重。

これも朝夕生真面目に記載し続けた。断煙の影響で、かなり増えた時期もあったが、それは過去の事だ。もう十分だ。それにこれを読んで、 面白がる人が果たしているだろうか?


このふたつを理由に私から去って行った人の方が遙かに多いだろう。

私は何故このふたつを続けていたのだろうか?


失ったものは二度と戻っては来ない。
それは無慈悲な現実というものの恒であろう。

取り戻す事は殆ど諦めた方が良さそうだ。

だが、ここで人としての輪郭を取り戻しておかないと、本当に私は破滅するだろう。


独り身だったらいくら破滅しても構わない…事はないか。破滅はよした方が良い。

だが、共同生活を営んでくれる人がいるのに、おめおめと破滅する事は許されない。


これから銀行に行き、不足分のお金を入金する。

不安定な将来の為にして来た貯金を切り崩し、それを支払いに充てる。2、3ヶ月は買い物も出来ないだろう。


しかし、本棚に、Kindleの中に、溢れかえる程の本は既にあるのだ。


ようやく目が醒めた。

だが、だからと言ってすぐにBlogが変わるとは思えない。

この先、何度も覚醒を繰り返すような気がする。今回で終わりではない。これを覚醒の始まりと認識すべきだろう。

もう2度と自分に「まじない」を掛けないように!



このBlogも、どちらかと言うと空疎なお喋りに堕していたところがあるかも知れない。言葉のゴミ箱を開陳しようなんぞ、大した失敬だ。

お喋りが上手な人は確かにいる。だが、私はそうした軽妙なお喋りの人ではない。どちらかと言うとお喋りは苦手だ。黙っている方が性に合う。そんな私の無駄なお喋りは人を疲れさせるだけだろう。

それを気付かせてくれた幾多の方々には感謝のしようもない。


さて、行動だ!

人としての輪郭を取り戻す為に、行動を開始しよう!!

20130414

BWV1042

しゃんとしていよう。

心配ご無用。



色々あるが、原因を自分の中に見いだした方が正解だろう。
ともあれ、こんな時はこれを聴こう。

バッハのホ長調のヴァイオリン協奏曲。とても好きだ。

20130413

景色との別れ

池澤夏樹『春を恨んだりしない──震災をめぐって考えたこと』を読み始めた。
冒頭付近を読んでいるのだが、表題にも引用されている詩がとても良い。
Wisława Szymborska(ヴィスワヴァ・シンボルスカ)という、ポーランドの詩人の詩らしい。

彼女は1996年にノーベル文学賞を受賞している。

すぐに詩集を注文したが、待ちきれず、引用されている詩をWebで探した。

あった!

これだ。


 景色との別れ

また再び訪れた春への
悲しみはない
毎年のようにそのつとめを果たす
春を責めるつもりはない

私の悲しみが もえいずる緑を
おしとどめることなどないとわかっている
草木が揺らぐとしても
それは風にのみ

水辺の浮島に佇む
ハンノキのざわめきが
私の心を疼かすのではない

あの湖のほとりが
あなたが生きていた時と同じように
美しいという報せをうけた

入り江に眩く輝く
太陽への
恨みとてない

今この瞬間も
私たちではないだれかが
倒れた白樺の切り株に座っているのだと
想像するに難くはない

彼らの囁き 微笑み
そして 幸せな沈黙の
権利を尊ぶ

彼らの愛によって結ばれ
あたたかいその腕に
恋人を抱いているとさえ
瞼に浮かべている
茂みの中でなにか生まれたばかりの
鳥のようなものの動きが聞こえる
彼らがその音に耳を傾けるよう
私は心の底から願っている

時にすばやく 時にけだるく
岸辺に打ち寄せる波
私に従順ではないその波に
いかなる変化も求めはしない

ある時はエメラルド色の
ある時はサファイア色の
そしてある時は黒々としている
林のほとりの深淵に
何も私は求めはしない

ただ一つだけ同意することができない
それはそこへ自分が戻っていくということ
そこに自分がいるということの特権
私はそれを放棄する

それくらい私は お前を生きてきたのだ
遠くからこんなにも思いを馳せる
その程度だけ

--
『終わりと始まり(1993年)/ヴィスワヴァ・シンボルスカ/つかだみちこ訳』から


池澤夏樹さんが引用している沼野充義訳とは少し異なっている。だから「春を恨んだりしない」という語句は登場しない。

違いを味わえば良い。

この詩には悲しみの淵に佇んでいる者を勇気づけることばたちが並んでいる。

元気付けるのではない。寄り添っている。

50歳に近くになって愛の関係を結んだ最愛の人フィルポヴィッチの死を悼んで書かれたものだという。



私は自分に問う。
私はヴィスワヴァ・シンボルスカさんに、寄り添えるのか?と。

20130412

池澤夏樹『文明の渚』

書影にも大きく映し出されているように、表紙に「私たちは、これまでと同じようには生きられない」と書かれている。
この言葉に惹かれて私はこのリーフレットを買った。

だが、本文中にこの言葉そのものを見いだすことは出来なかった。

それらしい事は何度も言及している。

これを機会に、日本という国はどういう国であるのか、あらためてわかったことが、いくつもの面でありました。つまり、試練を受け、それを契機として自分たちの姿を見る、そういうきっかけにはなった。それが、これから自分たちが歩いて行く道の基準点になるのではないか。
この本は東日本大震災から1年半ほど過ぎた、2012年8月26日に長野県須坂市で行われた「信州岩波講座」での講演と質疑応答を元に書かれている。

その頃までこうした意識が残っていたのだと改めて知る事が出来た。

こうした意識とは、震災を契機にして、新しいステージに入るのだという意識だ。

今、その意識はうち捨てられた旗のようにみすぼらしく放置され、忘れ去られ掛かっているように、私には見える。

池澤夏樹さんは、東日本大震災以来、それを切っ掛けとして活発に発言を繰り返している作家のひとりだ。
言っている事は、この本の表紙にある。

私たちは、これまでと同じようには生きられない。

ということに尽きるだろう。

この本の中で、池澤さんはどの様に東日本大震災を経験したのかを語っている。

四国の吉野川を旅していたようだ。

私はどうだったろう?

家にいて、鎌仲ひとみ監督が出演しているNEWS番組が録画されているDVDを観ていた。
揺れが始まってすぐ、尋常な地震ではないと分かった。揺れがゆっくりと長く続いたからだ。揺れが来る方向も従来の地震とは全く異なっていた。

そうした記憶をこの本を読むことで、段々と取り戻していった。

震災から1年半という時期は、切っ掛けとして変わろうという意識が最もあった時期だったのかも知れない。


彼は
まず、地震は仕方がない。津波も仕方がない。
と言う。

けれど
さて、以上の話のあとでは、どうしても原発のことを話さなければなりません。
「3.11」の後、日本のあり方、司馬遼太郎さん風に言えば「この国のかたち」が明らかになりました。その一番悪い面が原発だと思います。
ぼくは、原子力は原理的に人間の手に負えないのでやめたほうがいいと思っています。
と語っている。

これも1年半後の時期には、多くの人の共通した意識だったと思う。

質疑応答の中で、彼はこうも述べている。

今回についても、うっかりすると、運が悪いことになったけれどもともかく忘れて頑張ろうと、壊れにくい原発をつくろうと言われてうやむやにされてしまう危険はあったと思います。しかし、なんとか踏みとどまりました。これだけ反原発の運動が盛り上がっているのですから。

あぁ…。そうだった。と思い出すのだ。

紫陽花革命という言葉もあった。デモが日常化して来た状況を歓迎する声も、かなり大きかったのだ。

それらは、どこへ行ってしまったのか?

今はデモをしても、何をしても変わらない日常に苛立ちながら生きている。


この講演が行われてから数ヶ月しか経っていない。
その事に私は驚く。
その間に私たちは何と多くのことを忘れていることか!


近くに居ながら、この講演がある事も、あった事も知らずにいた。

しかし、時期をずらしてこの講演の記録を読み、得るものは多かった。

震災直後の発言を、今度は読んでみるつもりだ。

題名に込められた思いを、池澤さんはこう語る。

昔、生物は海の中で生まれて、海の中で進化して、やがて渚を越えて地上に上がってきて、ここまで来た。そういう道筋をたどってきました。文明もどこかで渚を越えてやってきたのです。そこまで戻って考えようということです。
文明という概念は物質に依っているんです。文明、civilizationとはもともと都市のものという意味です。都市に人間たちが集中して住んでつくったのが文明なのです。だから、農村文化はあるけれど、農村文明というのはない。文明というのは、都市というのができ、農業に専念しなくても済む、つまり食糧を供給してもらえる人たちがつくりだした余剰物だったのです。

そうした文明は今のままで良いのか?と彼は問いかける。

その切っ掛けを私たちは震災から受け取ったではないか。そう彼は言いたいのだろう。


時間を逆戻りさせることは出来ない。
けれど、今、私たちがやっている「なかったことにする」という態度は、実は時間を震災前に逆戻りさせようとする壮大な詐欺行為なのではないか?

その事を気付く為に、意識を逆戻りさせることは価値がある。私にはそう思えてならない。

その切っ掛けを、私はこのリーフレットに与えて貰った。

20130411

甘さからの離脱

人間の甘さの事では(残念ながら)ない。正真正銘の味覚の甘さだ。

ここしばらく甘いものを食べていない。
一時は代替依存かと思う程嵌まっていた。

これでやっと依存からは開放された。

考えてみると、全てはこの本から始まったのだ。

2009年12月9日。私は突然北長野書店まで歩いて行った。

見付けた本が気になっての事だった。

何だかんだ言って止める気はその前からあったらしい。それが突如として行動に表れたのだ。

歩いてゆくと30程掛かる。

日記には「どうせ大した事はない。けれど、切っ掛けは幾つあっても足りない。」と書かれている。

それが同月17日のBlog『夏の行方』では「思いがけない「人生を変えた」本」となっている 。

大絶賛である。

本格的な断煙への努力はここから始まったのだ。

とは言え、その後丸2年煙草を止めようとして止められなかったことも事実だ。

強力な本だとは思うが、私は読むだけでは止められなかった。

あれこれ試みては挫折を繰り返し、昨年11月30日、同じように突如行動を起こして医者へ行き、チャンピックスを服用して、ようやく私は煙草を止めることが出来た。


次に直面したのが甘さへの代替依存だった。

煙草を吸いたくなる。それを我慢する為にシュークリームに手を出したのだが、それが止められなくなってしまった。

毎日食べていた。
煙草代は掛からなくなったが、甘いもの代が掛かるようになった。

体重は5〜6kg増えただろうか。


やっとだ!

ようやく何かに依存していて困っている事態から自分を解放することが出来た。


これで人間の甘さが克服出来ると、自分に自信が持てるのだがなかなかそうは行かない。

まだまだいろいろなものや人に依存して生きている。


人生、本当に巧く行かないものだな…。
そう思うことばかりだ。

私なりに頑張っていると思う。躁状態は続いているが、それ程酷くなっていないのは、少なからず私の自制心が機能しているからだと思う。

思うが、それが実を結ばない。


仕方が無い時期は仕方が無い。
少しずつ自分を鍛えてゆこう。

そのうちまた良いことがあるだろう。


…。
あるかな?

20130410

エンデDay

ひょんな事からミヒャエル・エンデに付いての本を3冊読んだ。図らずもエンデDayになった。

用事のついでに昭和通りにある善光洞山崎書店に立ち寄った。

ここで私は雑誌『たぁくらたぁ』をいつも入手している。

たまたま近くの信号機が赤だった。それが立ち寄った理由だった。

めぼしい本が見当たらず、帰ろうとした。

その時この本が目に止まった。50円だった。

エンデの本は沢山ある。だが私はエンデについての本を余り持っていなかった。エンデを解釈しようと思わなかったからだ。

この本の存在は知っていた。amazonで検索すると必ず出て来る。

もうそろそろ、ミヒャエル・エンデについての本を読んでも良い頃だと、その時思えたのだ。
もう何冊も彼の作品は読んで来た。
それに、何しろ50円だ。
買った。

悪くない本だ。

数多くの文献に当たり、基本的なことが網羅されている。

エンデ自身が語っている訳でも無く、人智主義者でも何でもない人が、エンデを論じている本はありそうだが実は少ない。この本はそうした意味でも貴重な本だ。

ただ、この本の中で『エンデ、自伝と作品を語る』とあるのは、すべて『ミヒャエル・エンデ──ファンタジー神話と現代』の最初の章の事だ。

エンデ自身が自らを語った本は何冊か持っている。それを読む事にした。

この本を入手出来たのは奇蹟に近い。

amazonでも扱っていないのだ。

そして、その奇蹟は幸運だった。
この本でしか知る事が出来ないエンデの発言は非常に多い。

作品の事、生い立ちの事、様々な事をエンデは語っている。

良書である。

復刊ドット・コムに復刊リクエストを出しておいた。
是非投票にご協力願いたい。

だがこの本で、エンデが少年時代に関わったレジスタンス・グループの名前が〈フライハイツ・アクツォーン・バイエルン〉と片仮名書きされているのには閉口した。何のことかさっぱり分からない。
せめてバイエルン自由行動とか、日本語に訳して紹介しておいて欲しかった。

もう一冊はエンデが死の直前、翻訳者でもある田村都志夫を聞き手として、自らを語った本、『ものがたりの余白』。

この中で、エンデは自分の作品について、人生や思索、発想の原点など、多くの事を語っている。

その話は病床でも続き、次回作の構想に関する「夢について」、さらに「死について」という貴重な証言が含まれている。

私はハードカヴァーで入手したが(その方が安く手に入る)、2009年に文庫版でも出ている。

綺麗な本が好みならばそちらを選ぶ選択肢もあるだろう。

これらを読んで、私は今迄エンデを誤読していた事に気が付いた。

きちんと論理立てて構想を練り、全体像が明らかになってから、作品は書かれていると思い込んでいたのだ。何と言ってもトーマス・マンのドイツ文学だ。

そうでは無かったらしい。

父親エドガー・エンデとの比較で語られていたが、エンデは殆ど自動筆記に近い形で、物語自身が持つ自立性に身を任せるようにして書かれているのだそうだ。

エンデは語っている。

わたしは、たとえばトーマス・マンのようには仕事ができない。トーマス・マンはかれの小説のプランを前もってきっちり立てておくのです。ページさえも。ときには、どこにはじめてどの人物が登場するかまで。トーマス・マンは設計図をすっかり仕上げてから、毎日、ひたすら階を重ねて造り上げてゆく。わたしにはできない。やれと言われても、まったくできないことです。そうやれば、偶然からはなにもやってこないからです。わたしには偶然からわたしになにかがやってくるのがいつもとても大切なのです。わたし自身が知らないなにか、わたし自身にさえよくわからないなにかが。わたしに興味があるのは、わたしにわからないことだけなのですから。(『ものがたりの余白』)

なので、時には

「『はてしない物語』を書くのは、命懸けでした。この物語は、私を危うく精神病院に送りこむところでした。」(『ファンタジー神話と現代』)

と言うような出来事もあったようだ。


エンデについて読む事に、かなり迷いがあった。

震災からまだ間もない。問題点は山積している。そのような時期にエンデなのか?他に読むべき本は山のようにある。

現実逃避なのではないか?


その問いかけは、実はエンデ自身も何度も問いかけられたものだった。

エンデはこのような言葉を残している。

神話なしでは人は生きてゆけない。わたしはそう確信しています。(神話なしでは)人は世界のなかに、いかなる秩序をも見いだすことができません。(『ものがたりの余白』)

現代は理想郷を描くことが困難な時代だ。
かつてあった共産主義という理想郷の物語は壮大な実験の末に、膨大な犠牲を出して横たわっている。グローバリゼーションという新たな怪物が跋扈し、人は次第に楽しく働く術を、つまり楽しく生きる術を失いつつある。

これこそが、エンデが『はてしない物語』で描いた、拡がりつつあるファンタージェンの虚無なのではないか?

この状況下で、いかにすれば人はモモのように遊ぶこと(spielen)を取り戻すことが出来るのだろうか?

それをエンデは生涯を通じて提示し続けたのではないだろうか?

遊びは自由で自律的だ。楽しくなければ遊べない。そして、独りでは楽しくないので自ずから人とコミュニケートする事が求められ、そこにルールが発生する。

そうした遊びを、エンデは多彩な作品を通して示し続けたように思うのだ。


暫くエンデから離れていた。かなり想像力が乏しくなってしまったように思える。
今日の読書はエンデを取り戻す切っ掛けだった様に思える。


またファンタージェンに遊んで、現実世界に帰って来よう。

私たちは、バスチアンの様に、必ず現実世界に帰ってこなければならない。

それもエンデが残した、貴重なメッセージだった筈だ。

20130409

iPadで「おとなの基礎英語」

最も多かった時代は4ヶ国語同時進行していた。

無理というものである。

早々ににイタリア語とスペイン語は挫折し、ドイツ語とフランス語が残り、何とか頑張っていたのだが、それも震災と共にやらなくなった。

残ったのは平凡なことに英語。それも昨年から始まった『おとなの基礎英語』という番組だけになった。
 余りやる人が多くない語学をやっていたせいでもあるのだが、テキストがすぐ無くなる恐怖感にとらわれていた。

だから、最近は4月になると長野駅前まで出向いて、平安堂に年間購読を申し込むのが通例になっていた。

今年もそうした。

だが、事情が違ってきた。

番組を見終わると短いテキストの紹介画面が出る。
そこに、「電子版もあります」と書いてあったのだ。

買い物は投票のようなもの。

そう主張してきた。
リアル本屋さんや古書店は応援したいと思っていた。

だが、電子版は紙版より安く、しかも交通費がかからない。これは結構大きいのだ。

さらに、部屋に貯まらない。これが決め手だった。

1週間悩んで決めた。

今日電話し、年間購読をキャンセルした。

「宜しければ、キャンセルの理由など、お伺い出来るでしょうか?」
「いや、あの、…電子版がある事を知ったので…」

流石に気まずかった。

上に掲載した書影は、私が購入した最後の紙版テキストになるだろう。


実際、悩んでもいたのだ。

確かに簡単に書き込みが出来るのは紙媒体の魅力だ。

だが、薄いとは言え、積み重ねとはある意味恐ろしいもので、今迄の語学テキストも山のように堆積している。

復習出来るようにと、録画もしてあるのでおいそれと捨てる訳にも行かない。

そして新シリーズは毎年始まり、どんどん本棚をテキストが侵食しつつあったのだ。

場所を盗らない。これは電子書籍の大きな魅力のひとつだ。


本も、電子版があれば、そちらを買うようになっている。


語学テキストはKindleには対応していない。

何故なのか?その事情は知らない。

だが、テキスト類と漫画は最初からiPadで読む事にしている。
そのアプリが変わるだけだ。

 多くのサイトが対応している。

4月号を試し読みしてみたが、どれも似たような挙動を示す。

どしどし書き込みが出来るアプリは無いものか?
あれば即それにするのだが。

iPadは確実に生活を変えた。
今回、語学テキストをiPad版にすることで、また私にとって、その存在感は増す。

次第に手放せないアイテムになりつつある。

20130408

ETV特集-“原発のリスク”を問い直す

4月6日、ETV特集で『“原発のリスク”を問い直す〜米・原子力規制元トップ福島への旅』という番組が放送された。
新しく重要な視点が提出されているように感じたので、録画したものからのメモを公開する。

米原子力規制委員会(NRC)の元委員長Gregory Jaczkoさんの発言を中心に番組の流れを追う。資料、感想を挟むことがある。

--

浪江町
Gregory B. Jaczko
一度に3つの原発がメルトダウンすることは予想していなかった。
→重大な原発事故は何をもたらすのか?

未だに15万人以上の人々が避難生活を送っている
今迄とは違う原発の安全基準が必要だと強く考えるようになりました。大規模避難の危険がないと保証出来る場合のみ、原発の稼働を許可すべきです。(Jaczkoさん)
(以後、この考えは何度も繰り返される)

Jaczkoさん福島への旅を決意。
現在100mSv近く。
原子炉内部の様子ははっきりせず、メルトダウンした核燃料を取り出すには大きな困難が待ち受けている。
先日には、使用済み核燃料プールの冷却が出来なくなるというトラブル発生。
政府は事故は収束しているという状況にないとしている。

実際に原発事故を経験した浪江町の人たちと直接話したいと思っています。原発を考える時、周辺の住民がどの様な影響を被るのかを忘れがちだからです。長期の避難生活が人々にどんな影響を与えるのかを学びたいのです(Jaczkoさん)

NRCの委員長は大統領によって指命され、原発の安全を監督する大きな権限を持っている。

Jaczkoさん、特別チームを発足:原発の安全性を問い直そうと考えた。
先ず手を付けたのは原発そのものの安全強化
事故から4ヶ月後には報告書をまとめた。
21世紀の原子炉の安全強化への提言」(リンク先はpdfファイル)
たとえ主電源を失っても72時間は原子炉を冷却出来るようにする為の新たな安全対策を法的な強制力を以て電力会社に求めること
→Jaczkoさんは委員会で孤立。
表面化したのは34年振りとなる新たな原発建設を進めるかどうかの対立。5人の委員の中でJaczkoさんただひとり反対。ヴォーグル原発:ジョージア州
福島の教訓から学ぼうと安全対策の強化が提言されています。やるべき事が沢山あるのです。福島のような事故が二度と起きないと保証されない限り賛成出来ません。(Jaczkoさん)
福島の事故を受けた安全対策の強化がまだ実行されていない中で建設を急ぐ必要はない。
→NRC委員長辞任 去年(2012年)7月)

【資料】米原子力規制委員会のヤツコ委員長が辞意表明

1ヶ月後、福島浪江町へ
これまでの原発の安全に関する考え方には何かが決定的に欠けていたのではないか?

浪江町は警戒区域と計画的避難区域に分けられ、2万1千人が避難。
3.11のまま。
ここを歩いていると、もはや存在しない暮らしの跡が痛々しく迫ってきます。多くの人がここに来て、何が起きたのかを自分の目で見るべきです。重大な事故を招いてしまった事に、私たち原発関係者は弁解の余地はありません。事故から学び、この地球上で2度と同じ過ちを繰り返してはなりません。(Jaczkoさん)
 (Jaczkoさんを“孤立”させているのは、原発関係者だけでなく、私たち自身もなのではないだろうか?私たちは福島で「何が起きたのか」をきちんと見ているのだろうか?)

これまでJaczkoさんを始め、世界の原発関係者は原発のリスクを考える時、死亡率を基準としてきた。アメリカMITのラスムッセン教授が1975年に発表した研究が元となっている。
原子炉安全性研究
原発事故が起きて放射能に被曝し、短期間に人が死亡する確率を計算。その確率を自動車、転落、火事、水難、銃火器などと比較してみると、極めて低いものだった。
試算では50億分の1。例えば隕石が落ちて人が死亡するより低い。
安全なものとされた。
技術者は自分が想定する範囲内でしか事故の可能性を捉えられません。もしかしたら想定外の欠陥や事故があるかも知れません。しかし、そんな“想定外”が起きる可能性は著しく低いというのも真実です。100年近く私たちは似たようなシステムを使ってきました。ポンプ、パイプ、発電用タービン。そうした機器が同時に壊れる事などほとんどないのです。(Norman Carl Rasmussenさん)
 しかし、“想定外”の事故は起きた。
スリーマイル島原発事故
機器の故障に人為的なミスが重なり、核燃料のメルトダウンが起きた。
15万人が避難した。だが、放出された放射性物質の量が少なく、住民はすぐに戻った。
→事故が住民に与える影響を原発関係者が深刻に考える事はなかった。

NRCの安全目標:重大な事故が起きて放射能が漏れ、死亡者が出る確率を一定の基準下に抑えることを求めている(死亡率0.1%を超えてはならない)。

一方で今回の福島の事故のような、土地の放射能汚染や住民の長期に渡る大規模避難といった事態は考えに入れてこなかった。
Jaczkoさんも同じだった。

しかし、福島の事故はスリーマイル島の事故とは違っていた。15万人以上の人々が長期間に渡って避難を強いられている現実。もっとこの事に目を向けるべきだ。

Jaczkoさんは気付いた
日本では大勢の人々が住む土地を追われ、人生と未来を奪われたままです。これは想像を絶する苦難であり、2度と繰り返してはなりません。私たちは最も基本的な問題を自らに問い直さなければなりません。健康被害がほとんど出ていないからと言って、放射能の大規模放出を容認出来るか?現行の安全基準をもとに判断すれば、答えはYesとなります。しかし、福島の事故後の業界や政府市民の不安をもとに判断すれば本当の答えはNoであることは明らかです。(Jaczkoさん)
 しかしJaczkoさんの問題提起は世界の原発関係者の間で大きな反響を呼ぶことはなかった。

浪江町の役場も移転した。
2年前(2011年)の3月、浪江町の人々は原発事故の情報が皆目得られない中、突然の避難を強いられた。

3月12日、午後7時、浪江町津島地区支所(原発から30km近く)
東京電力からも政府からも福島県からも連絡がなかった。(浪江町)災害対策本部で判断。
原発から5kmの所にあるオフサイトセンターに設置された政府(官邸)の 災害対策本部の前線基地が機能せず。

事故の翌日(12日)原発から20km以内に避難指示が出たとTVで知って、馬場町長は津島地区への避難を決定(30km離れている)。
しかし、実際には放射性物質は津島の方向に拡散していた。
政府は予測システムSPEEDIでこの情報を知り得る立場にあったが浪江町に連絡なし。

福島第一原発が稼働し始めたのは42年前。原発事故が起こり得ることや周辺住民にどんなリスクが降りかかるのかが詳細に検討されることはなかった。
国は原発の安全性を強調し、リスクの説明には消極的だった。
(パンフ)シビアアクシデントの発生は考えられない。

今迄とは違う原発の安全基準が必要だと強く考えるようになりました。大規模避難の危険がないと保証出来る場合のみ、原発の稼働を許すべきです。それが最終目的であり、正しい道だと、ここ(浪江町)を訪れて本当に痛感しました。大変な労力を要すると思いますが、必ずやるべき仕事です。(Jaczkoさん)
 柳田邦夫さんとJaczkoさんの対話
原発関係者は原発のリスクを根本から捉え直すべきだ。最も重視したいのは“被害者の視点”から事故を考えるという事だった。(柳田邦夫さん)

事故を調べることは被害者を調べること。16万という数字ではなく、ひとりひとりの悲劇が16万ある。原子力と我々はどこ迄共存出来るのか?(柳田邦夫さん)
とても難しい質問ですね。それぞれの社会が違った角度から答えを見付けていくのだと思います。リスクを受け入れる社会がある一方で、受け入れない社会もあるでしょう。確かに今回のような重大事故は受け入れ難いことです。電力会社、規制機関、政府はこのような事故を防ぐ方法を見出さなければなりません。
原子力が、今後も、それがどの国であれエネルギー源としてあり続ける限り、本気でこのような事故を防ぐという目標が欠かせないでしょう。(Jaczkoさん)

去年(2012年)9月、原子力規制委員会発足。
早くも信頼性が失われつつある。

(ここでのJaczkoさんの発言は非常に重要な内容を含んでいる。)

誰が役割を担うべきか?
規制機関に法的な独立だけでなく、機能面でも独立していなければなりません。原発の検査や確認を行い、判断を下せる人材を独自に確保しなければなりません。それは非常に難しく継続的な人材育成が必要です。
原発の安全を考える上で大きな問題は、事故を確率論で考えてしまうことです。事故の確率が百万分の一でも「明日起こらないとは限らない」という事を忘れがちです。百万分の一の確率とは、「百万年に一回しか起こらない」という意味ではないのです。
規制機関が判断力を働かせ、想定外と思われる事態に対しても、対策をする必要があると決定を下さなければならないのです。
今回の規模の津波が過去にも起きていたという指摘があります。千年や二千年に一回というのは、大いにあり得る話とは言えません。けれど実際に起きたのです。起きてしまってから「対策の不備」を指摘しても意味がありません。
電力会社は「起きる確率の低い」事故に注意を払おうとしません。規制機関は「起きる確率の低い」事故に目を向け、難しい決断を下さないとならないのです。
NRCで 私が常に言ってきたことは「信頼を得るということは大変だが、失うのは容易だ」という事です。失った信頼を取り戻すには時間がかかります。信頼を失わないようにすることが大切なのです。

Jaczkoさんが辿り着いた結論

本当の意味での住民との新しい契約が必要です。社会に重大な影響を与えるような事故を決して起こさないという契約です。
原発の安全の新しい考え方で、必ず実行すべきだと思います。
原発事業者や政府には責任があるのです。周囲の住民に甚大な被害を与えてはならない責任が産まれるのです。
福島の事故は、住民との契約が欠かせないと言うことを明らかにしました。大量の放射性物質の放出や住民の大規模避難を許さないという契約です。
住民と原発事業者との間に、新しい「社会契約」が欠かせないのです。

--
原発の安全性、原発のリスクを根本から問い直すというJaczkoさんの姿勢は評価出来る。新しく、そして重要だ。

だからこそ、Jaczkoさんは孤立するのだろう。

だが、Jaczkoさんがまた、原発を維持するという事を前提に考え、発言しているのは否定出来ない事実だ。

それは「原発関係者」であるしかないJaczkoさんの持つ限界だろう。

そもそも「大規模避難の危険がない」という状況は現実にはあり得るのだろうか?
私にはないとしか思えない。

だとするならば、原発から全世界が足を洗うしか、責任ある態度を保つ方法はないと思えるのだが…。

その視点や選択肢はこのETV特集では全く触れられていない。

20130407

人生に失敗する為に!

取り上げる本は ドミニク・ノゲーズ『人生を完全にダメにするための11のレッスン

こんなものを読んでいるからおまえはダメなんだ!そう言われたら言い返す術がないが、こんなものが好きなのだから仕方が無い。熟読してしまった。

画像左は日本語版の表紙。

 レッスン1から7までは「人生失敗学」の体系的な定義と講座で占められている。

こうして見ると人生に失敗するのも難しく思えてくる。
筆者もそう考えている。「はじめに」の書き出しはこうだ。

「昔から人生を完全にダメにする最良の方法と言えば、生まれてこないことと相場が決まっている。」

どうやらわれわれは人生を完全にダメにする可能性を最初から失っていたらしい。

だから人生に失敗する事は困難な事だと筆者は説く。

右の画像はフランス語版。"Comment rater complètement sa vie en onze leçons"

日本語版とのセンスの違いには、もはや補いようが無いほどの隔たりがある。

筆者は畳みかけるように読者に問う。

「ヘロイン中毒のために33歳で死んだ享楽的なスターと、122年の生涯を通じて、毎日日曜に飲むボルト酒一口だけを愉しみにしていたジャンヌ・カルマン(実在の人物)とではどちらがほんとうに人生を台無しにしたのか?……etc.」

人生に失敗すると言うことは、決して一筋縄では行かない作業なのだ。

体系的に学ばねば!

その覚悟と決意が先ず必要なのだ。そして人生に失敗する事を諦めない勇気が!

なぜなら

「真に失敗した人生を送るのは実はすこぶる難しい。つねに何かしらの理由があって、本人だけでなく、他人からも一部は成功した人生であると思われかねないからである」

つまり

「人生をダメにするだけでは十分ではない。尊敬されないやり方でダメにしなくてはならない」

「不幸であるだけでは足りない。その不幸が何の役にも立たないことが必要」


膨大な引用文献を駆使して書かれている人生をダメにするということの基本を読み進めるごとに、我々は唇が固く締められてゆくのを感じるだろう。


読み進めよう!


「失敗学(ラトロジー)」の基礎的な理解のために我々は数学的な素養が必要である事もわかってくる。

「純失敗率(trn)」「総失敗率(trb)」の計算は複雑かつ煩雑だ。

だが、これらの理解の為に多くの練習問題が付いている。これをひとつひとつ丁寧に解いてゆけば、やがて理解に到達する仕組みになっている。

この点が筆者の親切な点であり、「失敗学」に対する熱意の表れでもあろう。


それらはやがて43の基本原理にまとめられる。


基礎講座に拘泥してはいられない。


この本の素晴しい点はレッスン8以降に具体的な失敗実践の例が詳しく丁寧に述べられている点にもある。

どれも極めて有用なアドバイスだ。

こんなのもある

「テロで失敗する」

確かに確実に人生に失敗出来る。

ちなみにこの本がフランス語で書かれたのは2001年の事だ。この時点で既にこれを挟み込んでおくセンスは脱帽せざるを得ない。


難点がひとつだけある。

それはこの本を読むと人生が楽しく感じられてしまう事だ。





--(補項)--

念のため、ここで断言しておきたい。

この本の読者のうち何人かは商店街の小さな本屋にもひとつのコーナーを作るほど(主にビジネス本の近くに)どっさりと置かれている「成功本」のパロディーを感じ取る者もいるだろう。

けれどこの本はそのようなものとは断じて一線を画している。

その博識、洞察力といった筆者の質の問題もあるが、何よりも違うのは、人生に失敗すると言う事は「しようとして出来る」ものではないという点にあるという指摘である。

栄光への野心を最後まで抱きながら、それに失敗しなければならない。
それも人々の同情、或いは嘲笑といった「他人の幸福への貢献」を全く含まないやり方で。

例え本人の胸中にささやかな喜び、または、満足の念がよぎったとしても、それは他人に語るには余りに惨めで、ひとりで墓場まで持ってゆくしかないような取るに足らないもので無ければならない。

これは最高に難しい事と言わなければならない。

岩波書店が発行している『身体をめぐるレッスン』という4巻の本がある。これは我々の身体性を取り戻す為に非常に多くの筆者が寄ってたかって身体と言うものを多方面から考察している。

この本は違う。人間の失敗性を取り戻す為に多角的にそしてボードレールの如き華麗なる文体によって書かれ、ニーチェの如く深淵まで到達した「失敗学」の体系である。

これを人類の至宝と呼ばすに他に何と呼ばばよいのだろう?

わたしはその言葉を知らない。

20130406

森林飽和

ショッキングな題名だ。
現代日本は樹があり過ぎなのか?とも思えてくる。

著者の太田猛彦氏もそれを思わせる題名のインタビューに応じている。

日本には木が多すぎる『森林飽和』の著者、太田猛彦・東大名誉教授に聞く

この本はそれを主題としていない。
少なくともそれを強調していない。

話しはやはり東日本大震災から始められている。

やはりというのは、この時期(2012年7月30日発行)に国土を論じた本で、ここから逃れる事が出来る本はないだろうと思えるからだ。

だが、震災に触れたのはそれだけが理由ではなさそうだ。

震災で破壊された海岸林が人々の印象に深く残った。

高田松原に残った「奇蹟の一本松」はその象徴と言えるだろう。

著者は破壊された海岸林を詳しく観察し、その破壊のされ方に幾つかのパターンがある事を見出している。

松に問題があったのではない。その育てられ方に問題があったのだ。

それと同時に、破壊されなかった海岸林にも目を向け、松の実績に注目する。

ここでも木が多すぎるという話しはしていない。
海岸林の再生が必要だと言っている。しかも広葉樹ではなく、あくまで松で。

その中で、地元の人の話として
「今まで気にもかけていなかったが、海岸林がなくなったら海がすぐそこにあって、とても怖い。早く再生して欲しい」
という声を紹介している。

海岸林に護られていた地元の人々でさえ、海岸林の防災機能を忘れかけていたのだ。

何故忘れたのだろう?

筆者は何故海岸には松があるのかを問う。

海岸の強風で起こる害として、飛砂がある。

安部公房の『砂の女』を例に出すまでもあるまい。
飛砂は海岸の日常風景だった。
砂に家が埋まる。そうした出来事も決して大袈裟な話しでは無かった。

その飛砂を防ぐ為に海岸に松は植えられたのだ。

けれど現在飛砂が話題に上ることは殆ど無い。

飛砂は忘れ去られていたのだ。
だから同時に海岸林も「忘れ去られて」いた。

このように、私たちは森林から離れて生活している。森林は忘れ去られている。

忘れ去られている森林は、ともすると「現代の日本ではどんどん緑が減っている」というように語られてしまう。

そうなのだろうか?

かつて、山にはもっと樹が豊富にあった。それが現代失われつつあるという自然観は正しいのだろうか?


そもそも、飛砂で飛ぶ砂はどこから来たのか?
海の砂の源は河川の上流の山地の土砂だろう。

つまり真相は、

かつて海岸地方の災害でもっとも深刻だったのが飛砂害であり、海岸林の大半はこれを防ぐために先人が苦労して造成したものである。

何故飛砂が激減したのか?
その答えは、砂が少なくなったからだと著者は言う。

確かに全国的に海岸はかつてと比べて遙かに後退した。

何故砂が少なくなったか?


著者はそれを探る為、かつての里山の原風景を古い写真や浮世絵に求める。


そこで見るのは「はげ山」が卓越した風景だ。


かつて、日本の山々は至る所はげ山だらけだった。

それは明治時代をピークとする山林収奪の結果として現れた風景だ。

著者は言う。

十七世紀中葉に顕著になった森林の劣化・荒廃は、単に農山村地域の環境変化ととらえるのではなく、日本の国土環境の変貌と考えるべきである。それは常に大量の土砂が山地で生産され続け、河床が上昇し続け、海岸から飛砂が飛び続け、それらによって地形が変動し続ける環境である。
その状態から日本は飛躍的に緑を増やし続け、現在、はげ山を見ることが無くなった程に森林は「量的に」恢復した。それが歴史的に見た現在の山林の真の姿だと言うのだ。

この視点は確かに今迄なかった。

今迄無かった視点を意識させる為に、著者は敢えて「森林飽和」という題名を付けたのだろう。

つまり、言いたかったのは樹があり過ぎると言うことでは決して無い。現代の日本の森林は、かつてとは違う時代に入っているのだと言うことなのだと思う。

私たちは今、日本の森林がきわめてドラスティックに変化している時代に生きているのである。これまで徐々に変化してきたものが、たった四、五十年というきわめて短い時間に変化のスピードを上げ、「はげ山」を消してしまったのである。
良かったと、著者は言っているのでは無い。

確かに量的には森林は恢復した。しかし日本の森林は質的に荒廃していると言っている。

このように日本の国土環境は二十一世紀に入って過去四百年とはまったく異なるステージに入った。国土管理に関わる人々はその新しい環境の中で持続可能な社会を創出しなければならない。これまでの方針の維持はおろか、その改良でも不十分であろう。私たちはこの新しいステージの上で森林や河川、海岸の管理をどのように行うべきであろうか。

この事を、筆者は最も言いたかったのだと私は考える。

まず森には「護る森」と「使う森」があることを明確に意識することである。

そう筆者は言う。
自然は手つかずが最も良いとする俗流自然観と真っ向から対立する概念だ。


将来は山地・渓流から土砂を供給することが土砂管理の一部となろう。私は「砂防とは『土砂の逸漏を防ぐ』の意味である」「砂防の極意は土砂の生産源で土砂流出を断つことである」と教えられながら学生時代を過ごした。まさにひとかけらの土砂でも出てこないほうが良い時代であった。しかし、こうした言葉は明確に否定されるべき状況が到来しており、このことが、私が「新しいステージ」と言う所以である。山地保全の新しいコンセプトは、土砂災害のないように山崩れを起こさせ、流砂系に土砂を供給することとなるのだろうか。少なくともそのような劇的な発想の転換が、新しいステージで要求されていることは間違いない。


著者はパラダイムシフトを求めているのだ。

20130405

マザー・テレサ Be careful of

所謂名言好きではない。人間が素直で無いのだろう。「名言」を目の前にすると茶化したくなってしまう。

自分でも気の利いたことが言えない。

結構コンプレックスを持っている。
このコンプレックスが名言を茶化したくなる心理を産んでいるのかも知れない。


だが、この言葉は特別だ。twitterやFacebookその他様々な媒体で良く見聞きする。その度に心が動かされている。



思考に気をつけなさい。

それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。

それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。

それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。

それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。

それはいつか、あなたの運命になるから。


- マザー・テレサ

その通りだと思う。

簡潔だが、深い言葉だ。



しかし、マザー・テレサとは何者なのか、何故ノーベル賞を貰ったのかと言った基本的なことも全く知らずに来た。

Wikipediaのマザー・テレサの項を読んでやっと本名や出身地を知った。

マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、オスマン帝国領のコソボ州・ユスキュプ(現代のマケドニアのスコピエ)に生まれた。
とある。

複雑な地で産まれたものだ。

両親はマケドニア地方に住むカトリック教徒であったが、アルバニア人にはイスラム教徒が多く、マケドニア地方には正教徒が多かったことを考えると珍しい家族であった。
ともある。

言動が時に宗派を乗り越えることがある。
それはこんな出自と関係があるのかも知れない。


採り上げたマザー・テレサの言葉の原文は

Be careful of your thoughts,

for your thoughts become your words;

Be careful of your words,

for your words become your deeds;

Be careful of your deeds,

for your deeds become your habits;

Be careful of your habits;

for your habits become your character;

Be careful of your character,

for your character becomes your destiny.

日本語以上に簡潔な表現だ。

これも憶えておこう。

今日は珍しく敬虔な気分でいる。
敬虔さに弱い。

自分のその弱点は熟知している心算でいる。

--
マザー・テレサの言葉では無いという指摘があった。

原文で検索してみると、確かにガンジーの言葉として、またはブッダの言葉として流通していることが分かった。

少しずつ形が異なる。

例えば

“Carefully watch your thoughts,
for they become your words.
Manage and watch your words,
for they will become your actions.
Consider and judge your actions,
for they have become your habits.
Acknowledge and watch your habits,
for they shall become your values.
Understand and embrace your values,
for they become your destiny.”

― Mahatma Gandhi

または

Be careful what you think…
Your thoughts become your words, Your words become your actions
Your actions become your habits, Your habits become your character
Your character is everything

Be careful what you think, for your thoughts become your words.
Be careful what you say, for your words become your actions.
Be careful what you do, for your actions become your habits.
Be careful what becomes habitual, for your habits become your destiny.

Be careful what you think, for your thoughts become your words.
Be careful what you say, for your words become your actions.
Be careful what you do, for your actions become your character.
And character is everything.

それぞれが「それらしい」のは面白い。

これらがどの様に変化し伝えられていったのか追跡しても面白いだろう。

だが、言葉の意味するところの深さは変わりが無い。

20130404

夏目漱石『こころ』

久し振りに100分de名著が面白い。

この番組が新年度も続いてくれたことは嬉しかった。

と言っても最初から観ていた訳ではなかった。15分間の英会話の番組が終わった後、何気なしに見るようになった。

意識して観始めたのは『源氏物語』の回からだったと記憶している。


今回は夏目漱石の『こころ』が採り上げられている。

この小説を中学生の頃読んだ。
幾ら何でも早すぎたと思う。

漱石は教科書にも採り上げられている国民作家だが、その書くものはなかなか分かりにくい。大人にならなければ分からない悩みが沢山登場する。

『こころ』もそうした大人の為の文学だろう。

中学生の頃は先生がKの死を知った時の描写
私の眼は彼の室の中を見るや否や、恰も硝子で作った義眼のように、動く能力を失ひました。私は棒立ちに立竦みました。それが疾風の如く私を通過したあとで、私はああ失策ったと思ひました。もう取り返しが付かないといふ黒い光が、私の未来を貫いて一瞬間に私の前に横わる全生涯を物凄く照らしました。
という表現などにただ驚愕していた。

今読んでも凄い表現だと思う。

表現主義者としての漱石という存在も無視してはならないと思っている。


ただ、中学生だった私が先生とKの「特殊な関係」などを十分に理解していたとはとても言えない。先生やKの悩みがどの様なものだったかを理解していたかどうかは推して知るべし。



さて、100分de名著『こころ』のナビゲーターは姜尚中。

これが実に良いのだ。

早速テキストをダウンロードした。

余程漱石が、そして『こころ』が好きなのだろう。気持ちのこもった解説が繰り広げられている。このシリーズはきちんと観ようと決意するに至った。

書籍部屋を探してみると、漱石の『こころ』は3冊あった。新潮文庫版『こころ』。これには江藤淳の「漱石の文学」と三好行雄の「『こころ』について」いう解説が付けられている。ちくま文庫の夏目漱石全集8の『こころ』。そして何よりも岩波書店が出している漱石全集第十二巻『心』。今回はこれを選んだ。やはり歴史的仮名遣いの漱石は味わいが違う。


漱石の小説『こころ』を通読し、姜尚中のテキストを夢中で読んだ。

一級の漱石論になっていると思う。単にテキストとして出版されているのが勿体ない位だ。


夏目漱石は真面目だった。
近代に失望した。だからと言って、森鴎外のように歴史小説に逃れるのでは無かった。あくまでも真面目に近代に踏み留まった。

「涙を呑んで」近代を上滑りに滑っていったのだ。

その漱石の真面目さと姜尚中の真面目さが共鳴している。

テキストを読んでそう思った。

一日掛けて『こころ』を読んでその感慨を再び強くしている。


この小説は子どもが読んでも意味は無いと述べた。同様に社会がある程度成熟し、時代が前のめりは無くなった時代で無ければ。余り意味を持つ小説にはならなかったのでは無いだろうかと考える。


テキストには『こころ』を中心に、そしてそこからはみ出る漱石が豊富に引用されている。

そのひとつひとつが現代を射貫いている事に驚くのだ。

漱石は近代に踏み留まった。そしてそれ故に現代を予見している。


漱石を必要としているのは、現代の大人の全てだ!



言うに言えないじれったさを感じてならない。

姜尚中という時代の寵児を得て、今、漱石が蘇ろうとしている。
その復活劇の現場に私は身を置いている。そうした実感がある。

それを伝えきれない自分にじれったさを感じてならないのだ。


但し、漱石の女性観は現代のものでは全くない。残念だ。それは歴史的な過去にキッパリと属している。

20130403

断煙150日

今更の様に、運も良かったのだな…と思う。

いろいろ脅されていたのだ。

「チャンピックス 副作用」で検索してみると沢山引っ掛かってくる。
中には「重篤副作用」全米最悪などという見出しが踊るものもある。
そうで無くても副作用に苦しんだという実体験を綴る人は多い。

例えばこれ→禁煙補助剤チャンピックスの副作用にのたうちまわった12月だった。

ここにもはっきりと「うつ病の人には処方できない、なぜなら自殺する可能性が高まるからだ」と書いてある。

副作用は
チャンピックス副作用(チャンピックス錠)
に纏められていた。

曰く
チャンピックス(チャンピックス錠)の、主な副作用は、吐き気で、約4割の方が感じるとの報告もあります。
但し、服用開始後、1週間程度で改善することが多く、どうしても気になる場合には、吐き気止めを一緒に服用することも可能です。また、水分を多めに摂取する等の工夫で、緩和されることも多いと報告されております。

上記を含めて、良くある副作用は以下の通りです。

・吐き気
・腹痛
・頭痛
・腸の変調(便秘、お腹のハリ)
・異夢、悪夢
・眠れない、眠りが浅い
・抑うつ気分などの精神症状

重大な副作用には、以下のものが報告されております。

・重い皮膚症状:高熱、ひどい発疹、発赤、
 唇のただれ、口内炎、のどが痛い、水ぶくれ、
 皮がむける、強い痛み、目の充血
・血管浮腫:顔や唇、舌、喉がひどく腫れる、
 息がし辛い

これ以外の副作用には、下記のものがあります。

・吐き気、鼓腸、便秘、食欲不振
・頭痛、めまい
・不眠、眠気、異常な夢、不安感、イライラ、
 怒りっぽい、気分の落ち込み
・思考異常、敵意、攻撃的行動
・皮疹、発熱
・皮膚の赤み(皮膚粘膜眼症候群、多形紅斑)
・顔面・舌・口唇・のど等の腫れ
・じんましん、息苦しい(血管浮腫)

報告された副作用の多くは、1日量を1mg、又は、2mgに増量した後に発現している様です。

重複しているものも多いが、凄いものがある。

ためしてガッテンでも、副作用がある事は放送されていた。

半ば祈るような気持ちでチャンピックスを服用し始めたのだ。おそるおそるだった。


副作用は全くなかった。吐き気も無ければ悪夢も見なかった。つくづく幸運だったと思う。

今でもある種の感慨を覚えながら当時の記録を読むことがある。
医者から渡された「禁煙手帳」と呼ばれる記録だ。
こつこつ12週間書き続けたのだ。

副作用が出ないように、再喫煙しないように、と祈る気持ちでまるを付けた。


何が何と言っても、20歳から35年間以上続けていた習慣を変えたのだ。
全く苦しくなかったと言ったら嘘になる。

けれどチャンピックスによる断煙は、他の断煙に比べたら遙かに楽だ。何度も書いてきたが、これなしでの断煙は考えられないとすら思っている。


思いの外、喫煙への誘惑は長く続いた。
最近になってようやく煙草を吸いたいとは思わなくなった。半年くらい掛かるようだ。

iPhoneアプリ「禁煙ノート」には150日禁煙中の日数と共に、吸うはずだったタバコの本数3,000本、得したタバコ代66,000円、得した時間(1本5分として)250時間、という数字が並んでいる。

やはり達成感がある。

得したと言うのが言い過ぎなら、損しなかったと言い換えても意味は変わらない。

「禁煙ノート」にはまた
何となく吸ってみようかな?っと思ってしまう時期です。禁煙の辛さが楽になった分、気が緩みがちです。もう一度、辛かった日々を思い出してください。
という助言が付いている。

確かに…。
よく出来たアプリだと思う。


最初から吸わなければ良かったのだとも思う。だが、それを言っても仕方が無い話しだ。
今は止めた自分を良くやったと褒めたい。

体重は少し増えたが、その増え方も止まった。煙草の代わりに依存傾向が出ていた甘いものもそれ程欲しなくなった。

私の断煙は実に順調である。

身の回りにそれ程多く居る訳では無い。

20130402

『平和に生きる権利』リクルマイ

この唄を、かなり昔から知っていた。
美しいメロディーだ。

以前Soul Flower Unionのヴァージョンを紹介したこともある。

中川敬氏による忠実な訳詞が光る。

けれど、このまま公に歌うことを避けてきた。
ホーチミンへの個人崇拝。それが理由だった。

しかし、この唄はそれで埋もれてしまうものでは無かった。


良い声だと思う。

長野のデモで、この動画を撮影した秋山理央氏とも知り合った。

ただ単に詞を仕入れたいのなら何度も聴いて書き留めれば良い。けれどそれだけに留めたくなかった。動画を観てすぐ探し回り、CDを入手した。少しでも支援したかったのだ。

今はamazonで簡単に入手出来る。
日本語詞はリクルマイと中川敬の両方がクレジットされている。

Soul Flower Unionのヴァージョンは6/8拍子だが、リクルマイさんは4拍子で歌っている。

以前私も4拍子で歌ってしまったことがあったが、それ程間違いでは無かったという訳だ。

アレンジは大熊ワタル。

この唄は、様々な人の手を経て、いつ迄も唄い継がれてゆくだろう。

ヴィクトル・ハラの唄の中でも群を抜いて良い唄だ。

作曲したヴィクトル・ハラについては、唄程には良く知られていない。

1973年9月。軍事クーデターのさなかに、彼は歌いながら虐殺された。

その事情については、八木啓代さんが優れたドキュメントをお書きになっている。

禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか

Kindleで読む事が出来る。

ここからまた私なりに歌詞を変えて、私も歌ってみようと思っている。

音楽が政治的に使われる事は、実は余り好みでは無い。けれど、音楽にはそうした側面が常に隣り合わせていたことを、私は知っている。

20130401

真贋

古書を670円程で購入した。
だから当然文庫本だと思い込んでいた。

縦が21.5cm程ある。立派な本がやってきたものだとびっくりした。

今は1,700円程になっている。恐らくここに話題になった悪問「鐔」が収録されていることが周知されたのだろう。

問題は公表されている。私もやってみた。

良い文章だと私は思った。そう思ったのでそれが含まれた本、小林秀雄の『真贋』を購入したくなったのだ。
本が立派だったのは嬉しかった。
やはり小林秀雄は立派な本で読みたい。

それに問題中に触れられていたカラーの写真が豊富に載せられている。

『真贋』を読みたければ、この単行本を入手した方が良い。

想像してみると、確かに入試の会場では会いたくない著者だ。
私はセンター試験というものを経験していない世代だが、入試で小林秀雄と出会ったら、少なからぬ動揺を覚えただろう。
普段では考えられない判断を下してしまったかも知れない。

けれど、そういった事情がなければ、この文章は良い文章だと思う。

「鐔」は 『真贋』の中で最も良い文章を選んだ。そう思う。

入試に悪問が出たと話題になったお蔭で名文を読むことが出来た。ちょっと感謝している。


この本は知らなかったが、小林秀雄は高校の頃から読んでいた。
読んでいると何だか自分が偉くなった気分になれる。そこが最初の魅力だった。

今回もその魅力には十分に浸ることが出来た。
まるで自分が、物の価値を分かったような気分になった。

そうした気分になったからと言って、私が急に物の価値が分かった人間になれる訳がない。ただ小林秀雄のいう事を、そのまま聞いているだけだ。

『モオツァルト』は吉田秀和というもうひとりの巨人がいたので辛うじて批判的に読む事が出来た。
だが相手が骨董だととんと分からぬ。

批判的に読む事は不可能に近い。

そもそも文章がそれ程論理的では無い。
論理的に扱える分野でも無いだろう。