池澤夏樹『春を恨んだりしない──震災をめぐって考えたこと』を読み始めた。
冒頭付近を読んでいるのだが、表題にも引用されている詩がとても良い。
Wisława Szymborska(ヴィスワヴァ・シンボルスカ)という、ポーランドの詩人の詩らしい。
彼女は1996年にノーベル文学賞を受賞している。
すぐに詩集を注文したが、待ちきれず、引用されている詩をWebで探した。
あった!
これだ。
景色との別れ
また再び訪れた春への
悲しみはない
毎年のようにそのつとめを果たす
春を責めるつもりはない
私の悲しみが もえいずる緑を
おしとどめることなどないとわかっている
草木が揺らぐとしても
それは風にのみ
水辺の浮島に佇む
ハンノキのざわめきが
私の心を疼かすのではない
あの湖のほとりが
あなたが生きていた時と同じように
美しいという報せをうけた
入り江に眩く輝く
太陽への
恨みとてない
今この瞬間も
私たちではないだれかが
倒れた白樺の切り株に座っているのだと
想像するに難くはない
彼らの囁き 微笑み
そして 幸せな沈黙の
権利を尊ぶ
彼らの愛によって結ばれ
あたたかいその腕に
恋人を抱いているとさえ
瞼に浮かべている
茂みの中でなにか生まれたばかりの
鳥のようなものの動きが聞こえる
彼らがその音に耳を傾けるよう
私は心の底から願っている
時にすばやく 時にけだるく
岸辺に打ち寄せる波
私に従順ではないその波に
いかなる変化も求めはしない
ある時はエメラルド色の
ある時はサファイア色の
そしてある時は黒々としている
林のほとりの深淵に
何も私は求めはしない
ただ一つだけ同意することができない
それはそこへ自分が戻っていくということ
そこに自分がいるということの特権
私はそれを放棄する
それくらい私は お前を生きてきたのだ
遠くからこんなにも思いを馳せる
その程度だけ
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『終わりと始まり(1993年)/ヴィスワヴァ・シンボルスカ/つかだみちこ訳』から
池澤夏樹さんが引用している沼野充義訳とは少し異なっている。だから「春を恨んだりしない」という語句は登場しない。
違いを味わえば良い。
この詩には悲しみの淵に佇んでいる者を勇気づけることばたちが並んでいる。
元気付けるのではない。寄り添っている。
50歳に近くになって愛の関係を結んだ最愛の人フィルポヴィッチの死を悼んで書かれたものだという。
私は自分に問う。
私はヴィスワヴァ・シンボルスカさんに、寄り添えるのか?と。
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