20090131

Gaza

ひと月に3つ位は何かを書いておかねば。

このひと月余りはガザ虐殺に掛かり切りだった。主にmixi日記でそれを書いていた。その為Blogの方は手薄になってしまった。むしろBlogでそれをやるべきだったのではないか。そうも思う。しかし、最初にガザに触れたのがmixi日記だったので、そのままそちらの方で続ける事にした。

破壊と殺戮の22日間が一段落し、今は欧米を中心として「その後」を検討する段階に入っている。

このひと月余り見て来たものと、全く異なった空間で物事が進行しているような気がする。

あれ程多くの人々が抗議活動を展開したにも拘らず、イスラエルはやり過ぎだったが悪いのはハマス。そうした流れで話し合いが進んでいる。


アメリカ合州国はハマスをテロ組織として指定している。だから国際的な場にハマスを登場させない様に、慎重に物事が進められている。
しかし、ハマスは民主的な選挙によって選ばれたパレスチナの代表組織である事を忘れてはならない。


夥しいと言って構わないサイトを知る事が出来た。幾つかの本もまた。それがわたしにとってのこのひと月余りの収穫だったのかも知れない。今ここでガザ虐殺に付いて何かを論じようとすると、スペースが余りに少なすぎてまとめ切れない。…つまりはまだまだ不勉強ということか?


大寒に入ってからも暫くは、それに気が付かずに居た。
この異様な暖かさがひとつの原因だろう。
今日も雨。この季節の雨と言うのはどこか不自然で、どこか腰が据わらない所がある。その大寒もそろそろ終わろうとしている。積雪はない。ここ迄来れば、もうそれ程大した降雪はあるまい。ありがたいが、やはりどこか居心地が悪い。

20090117

14年

またこの日がやって来た。

忘れてはならない日は幾らでもあるが、忘れられない日はそう沢山あるものではない。

1月17日5時46分。この日時をわたしは一生忘れないに違いない。阪神・淡路大震災から、今日で14年になる。

14年前のこの日に何があったか、わたしはそれを繰り返し書いて来たような気がする。もう語る事もなくなってしまっている自分に気が付いた。

わたしの中でも阪神・淡路大震災は「風化」し始めたのだろうか。

ヒロシマ・ナガサキが一年のうち一日だけ考えれば良い問題でないのと同じ様に、自然災害も祈念日に一日だけ考えて済む問題ではない。実際にそれを職業にしている方々も沢山居る。毎日考えているのだろう。

何故だろうか?わたしはあの日を境にして純粋な理科系の仕事に勤しむ事を止めてしまったような所がある。様々な問題が横断的に存在している。

その選択は失敗だったのかも知れない。だが、地質災害に対する姿勢はあれからがらりと変わった。まさに人生を変えた瞬間だったと思う。

あの選択が失敗だったとしても、その失敗がなかったら今のわたし、人間関係を含めた今あるこのわたしは存在しなかっただろう。その意味では悔いはない。


神戸新聞の取り組みは、今年もやはり各新聞社の中で突出している。ここでも高齢被災者の孤独死と同時に、震災の記憶の風化が取り上げられている。

あの震災は何を奪ったのか?
あの震災は何をもたらしたのか?

祈念式典で語られたこの言葉が印象的だった。

20090114

積雪

昨年最後のエントリで書いた事は殆ど外れた。

雪はさほどのものとならず、ドイツ語の基礎も固める事は出来なかった。これと言うのも全く正月気分と言うものを経験せずに2009年を迎えてしまったからなのだ。全てイスラエルが起こしたガザの大虐殺のせいだとわたしは思っているのだが、雪の責任迄イスラエルに負わせるのは、ちと無理があるか?

雑誌『オルタ』のバックナンバーを注文した。それが何故か年間購読として登録されていたらしく、昨日、その旨のメールが届いた。これでは金が掛かるだけでなく目的の記事を読む事が出来ない。急いで年間購読ではなく、バックナンバーの注文であると言うメールを送り返した。

本当は1冊しか注文していなかったのだが、その次の号も欲しくなっていたので、2册注文していた事にしてしまった。この嘘はばればれだろうが向こうも損する事ではないのでとりあえず2冊注文した事になり(なったのか?本当に。やや疑問の残る返信メールだったぞ)前金として金を振り込め。と書かれた更なる返信メールが届いたのが14時45分頃。
雪が降っていたが、このような時のわたしの行動は早い。15時には郵便局を出ていた。ちらちらと雪が身体に降り掛かる。

この程度の雪ならば今年に入ってしばしばあった。いずれもさほどの積雪とはならなかった。むしろ風情がある。だが帰って来た直後から、雪が急に本降りになって来た。30分くらいの間に3cm程積もった。

素早い行動は得意ではないのだが、あの時迷わずに出掛けて良かったと胸を撫で下ろした。本降りと言うより凄い降り方だ。

暫く経つと雪は勢いをいよいよ増して、間断なく降り続いた。

結局20cm程も積もっただろうか(公式記録は15cmだった)。湿った重そうな雪で、しっかりと樹木や電線にも付着していた。

15cmや20cmほどの雪でおどおどしているのだから、やはり今年は雪が少ないのだと思う。天気予報を信用するならば明日は久し振りに気温も上昇し、零下の世界から抜け出すことが出来そうだ。

パチンコ屋の駐車場に車が停まり、ドアをばたんと閉めた途端、その電線の雪がどさっと落ち、丁度真下を歩いていた人の頭に当たったのか、悲鳴が聞こえて来た。その時はベランダに居ながら思わず笑ってしまった。悪い事をした。済まん!
しかし、ドアを閉めた車はかなり遠い所にあったのだ。あの振動で電線の雪が一気に落ちるとは…!

現在は丁度日付が変わった時間。雪はまだ、かなり降っているが一時の勢いはなく、雪の向こう側に月が見える。山は越えたと考えて良さそうだ。

20081231

大晦日の雪

昨夜降り始めた雨は日付が変わる頃雪に変わった。最初はちらほらと、そして2時頃からは本降りの雪。
これで2年連続の積雪の中の正月となるかも知れない。

自分で正月と書いておきながら…なのだが、世の中はクリスマスに次いで、今度は新年に向かって一斉に動いている。この一斉に…と言う奴にわたしはどうも乗り遅れるようだ。付いて行けない。

独り暮らしの時代はとうの昔に終わっており、次第に慣れて行くものと鷹揚に構えていたのだが、年を取るという感覚はむしろ歳とともに薄れて行く。

独り暮らしならばある程度すんなりと、そのまま過ごせていたのだろうが、この事が至る所で様々な形での摩擦を引き起こす原因になっている。鷹揚には構えていられなくなって来た。世の中なかなか面倒なものだ。

面倒だから面白いのだと、開き直って、この未曾有の不況の中で面白く生きて行く手立てを考えねばならないのだろう。


大陸から、季節風の吹き出しによる筋状の雲が押し寄せて来た。
西から回り込む様にやって来ている。この雪はその為西日本を含む広い範囲で積雪をもたらす可能性が高いと言う。

確かに、最初の筋状の雲が到達する頃雪に変わり、その雲が細い筋になったものが到達するや否や雪は本降りとなった。この当然過ぎるシンクロに、少しだけわたしの心は踊る。

この正月はドイツ語の基礎を固めるつもりでいる。
文法書と古典を読むつもり。


中東ではイスラエルによるガザ侵攻が本格的な戦争状態へと変わりつつある。少なくともイスラエルはそのつもりらしい。

このような状況に対し、語学の勉強、それもドイツ語やフランス語の勉強や、古典の読書は、古くて新しい問いかけの通りあまりに無力で無能だ。

どうせわたしと言う人間そのものが無力で無能なのだと、ここでも開き直って腰を据えてみるが、据えた筈の腰はすぐにそわそわし始め、これまたこの時期何やってんの?と思いたくなるような日本の報道にじりじりとした思いを抱く。

結局(様々な問題はあるにしても)有効な情報はまた、Webに頼らざるを得ない事となった。
メーリングリストやBlogなどを通してガザから伝えられて来る声は細いが、如何なる報道より力を持っている。

21世紀のピカソはガザで『ゲルニカ』を描かないのか?


雪が一旦消えた頃、ベランダの手すりに付いた汚れにびっくりした。

このところ、雪は最初から汚れて降って来るものになってしまったようだ。


新年への流れに乗り遅れつつ、わたしは雪を見て、語学を勉強しながらガザから送られて来る。そしてすぐに断ち消えてしまいがちな声に耳を澄ませる。

20081226

終日の雪

このところ、いつ雪が降り始めてもおかしくない天候だった。

昨夜降り始めた雨は23時頃から雪に変わり、気温も下がり続けた。今日の日付になってから、気温は零下を保ったままだ15時の気温は-1.4℃。これをピークにしてまた気温が下がり始めたので今日は一日中零下のまま終わるのだろうと判断出来る。0時に観測された0.3℃が本日の最高気温と言う事になるのだろう。

当然の様に今朝は雪掻きの音で目が醒めた。

4、5cmは積もっただろうか。

吹雪だった22日のような結晶がはっきりと見える程大きな雪ではなく、小さな結晶が集まった乾いた雪だった。こうした雪はすぐに積もる。
日中、薄日が射す時があったが、雪は相変わらず舞い続け、夜を迎えようとしている。

ここは東京のような交通網が発達した大都会ではない。交通機関に、そう大きな混乱はないだろう。大雪注意報が出ていたが、それ程の大雪とは思えない。ただ感覚がこちらの天候に慣れて来ただけなのかも知れないが、時々見えた山々の雪も思いのほか深くはなさそうだった。やはり雪は少ないと感じる。

普段は山々に見られる雪線が次第に降りて来て、里に雪が積もる。それが今年はかなり高い所に雪線が現れ、すぐ里に雪が付いた。

北信濃の盆地部ではホワイトクリスマスはまず見られない。だが、クリスマス明けには積雪が見られる事が多い。全く困った場所だ。今年は暖かく、雪も殆ど見られなかったので普段の年より積雪が遅くなると思っていたのだが、やっつけ仕事でもしているのだろう。積雪の時期だけ普段通りになった。見事な日程調節だ。

この程度の雪ならば、むしろ風情を感じる。

だが、駐車場や道路の各所に、掻き集められた雪の山が出来た。この山はここ暫くは解けそうにない。この山から寒さがほとばしり出ている。

こうした雪の山が、夏にあったらどれだけ涼しくなるだろうといつも思うのだが、世の中そう思い通りに出来ていない。やはり雪の山は冬にしか出来ない。

17時、遂に気温は-3.5℃となる。もうダメだ。

20081220

穏やかな土曜日

ひと月もBlogの更新をしなかった。

12月も下旬に差し掛かろうとしている。
ひと月前のエントリは初雪について触れている。だが、盆地部はもちろん全く雪がなく、山々の峰にも薄らと雪が付いているだけだ。大抵12月にもなれば真っ白になっている飯縄山も今年は殆ど雪がない。

この間、一度霙が降っただけで、概ね良好な天候が続いている。

市街地の本日の最高気温は12℃。まあこれは順当だろう。とは言え平年並みと言うのがそれ程当たり前な事とは限らない。気温は平年値を中心に、大抵大変高いか、大変低いかのどちらかである事が多い。平年並みの気温が続いている今年の冬は、むしろ異常気象なのかも知れない。

だが、この穏やかな日々ももうすぐ終わろうとはしている。この後北信濃はゆっくりと下り坂に差し掛かる。経済がではない。天候がだ。
経済の方は殆ど破綻していると言って構わないと思う。地方都市にいるとその危機感は差し迫ったものに感じない。けれど東京にいた頃の感覚を思い出してみると、この地に移住して来た頃より一層厳しいものになっている。

この頃ようやく、わたしは貧困層に属しているのではないか?と思い始めた。維持費が払えず、車を手放した辺りからその自覚は芽生え始めたのかも知れない。

ないか?なのだから、まだその自覚は浅いものと言える。まだ迷いがあるのだ。やはり貧困層とはもっと切実なものなのではないか?だが、貧困問題などを取り扱っている本などを読むと、わたしの年収は立派な貧困層のものだ。

このような年収の人間がコンピュータを持っていたり、本を増殖させているのは奇跡と言うより矛盾だ。…とは言え本を買う事も最近は随分控える様になった。もうこれ以上必要ないのではないか?と時々思いながらやはり購入してしまったりしている。

西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を買う。実体験だけに迫力がある。それにこの本は高度成長期にも貧困層はあったのだという立派な証拠になる。
日本やアメリカでは貧困問題は長い間忘れられていた。

貧困問題は格差の問題でなければ最近の話題でもなく、それ自体がひとつの国の失敗を示す、独立した問題だ。

だが、貧困層に属する事を自覚し始めた人間が、貧困の本を買ってどうする?

火曜日には雪が、いよいよ、予想されている。貧困問題をとりあえず放り出して布団を干す。

穏やかな状態は、そう長くは続かない。

20081120

初雪

日中にも少し降ったらしい。全く気が付かなかった。

今日は下弦の月が出る。その事だけが頭にあり、語学の番組を見た後、それを見ようと窓越しに空を見た。おぼろげながら雲の向こう側にその光があった。だが、部屋の明かりに照らし出されて白く光るものが落ちて来るのが見えた。

これは!と思わずベランダに出てしまった。

月がおぼろげに出ているのだから、雲はそれ程厚いものではないと思う。けれど、雪がしっかりと降っていた。暫く見ていたのだが寒さは厳しいものがあり、また部屋の中へ…

残り少なくなっている子供心が騒ぐのだろうか?これから先の事を考えるとうんざりもして来る。とりわけ今年からは車がない。外に出るにしてもよく滑る歩道を寒さに凍えながら歩かなければならない。にも拘らず初雪には未だに心浮き立つものがある。

よく見ると路上は単に濡れているだけだが、植え込みや家々の屋根の上には薄らと積雪も認められる。

朝迄にはどれ程積もるのだろう?と、これもかなり弾む思いで期待しながら部屋に戻り、すぐにストーブを点けた。

30分程経って様子を見に行った所、雪は雨に代わっており、更には結構はっきりと下弦の月が見えた。

なかなかにして気候と言うものは気紛れで、期待や予想を十分に満たしてはくれない。

東京とは違って、明らかな冬と言う季節がある信州の、その冬が始まった。