またこの日がやって来た。
忘れてはならない日は幾らでもあるが、忘れられない日はそう沢山あるものではない。
1月17日5時46分。この日時をわたしは一生忘れないに違いない。阪神・淡路大震災から、今日で14年になる。
14年前のこの日に何があったか、わたしはそれを繰り返し書いて来たような気がする。もう語る事もなくなってしまっている自分に気が付いた。
わたしの中でも阪神・淡路大震災は「風化」し始めたのだろうか。
ヒロシマ・ナガサキが一年のうち一日だけ考えれば良い問題でないのと同じ様に、自然災害も祈念日に一日だけ考えて済む問題ではない。実際にそれを職業にしている方々も沢山居る。毎日考えているのだろう。
何故だろうか?わたしはあの日を境にして純粋な理科系の仕事に勤しむ事を止めてしまったような所がある。様々な問題が横断的に存在している。
その選択は失敗だったのかも知れない。だが、地質災害に対する姿勢はあれからがらりと変わった。まさに人生を変えた瞬間だったと思う。
あの選択が失敗だったとしても、その失敗がなかったら今のわたし、人間関係を含めた今あるこのわたしは存在しなかっただろう。その意味では悔いはない。
神戸新聞の取り組みは、今年もやはり各新聞社の中で突出している。ここでも高齢被災者の孤独死と同時に、震災の記憶の風化が取り上げられている。
あの震災は何を奪ったのか?
あの震災は何をもたらしたのか?
祈念式典で語られたこの言葉が印象的だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿