20260902

三くだり半

 私は我が家で世帯主という事になっている。私はこれがどうにも居心地が悪い。

我が家の実権は、客観的に見れば女房殿が握っている事は明らかだ。だが男であるという理由だけで、名目上の世帯主は私に押し付けられる。役所からの手紙などは私宛に届く。開けてみると女房殿宛であった事がいくらでもある。実権と名目の擦れ違いはこの他にも各所に露呈している。

本書、高木侃『三くだり半─江戸の離婚と女性たち』を読んで、最初に頭をよぎったのはその事だった。


江戸の女と言えば「女大学」であり、江戸の離婚と言えば夫の縦に「三くだり半」を女に投げつけての専権離婚、「女三界に家無し」の忍従の生活を強いられていたという思い込みが、確かに私にもあった。

そうではなかったと著者は言う。

まず女が離縁情なくして再婚したときは、髪を剃られて親もとに帰されたので、女が再婚するためには必ず離縁状を夫からもらわなければならなかったことが強調され過ぎる。その反面、男の方でも離縁状を渡さないで再婚すれば、所払いの刑罰が科されたことは、ややもすれば看過されがちである。この点に着目するとき、夫には離縁状を交付する権利があったというより、むしろその義務があったというべきである。

三くだり半の専権的なイメージは、音を立てて崩れてゆく。

そして、私がびっくりしたのは、三くだり半のヴァリエーションの豊富さだった。

筆文字で書いて三行半。そのイメージから、私はかなり書式が定まった、定型的な書面を想像していた。

この本の優れたところは、実際の三くだり半の書面の実例を、実に豊富に示している所だ。

離縁状には、仮に妻に責任があって離縁になる場合ですら、抽象的な文言しか記載せず、多くは全く離婚事由を書かなかった。

にも拘らず、その書面の実に個性的な事!

二行で済んでしまう様な内容でも、崩字を縦に伸ばし、無理矢理三行半にしたものもあれば、とことん詰めて書いて、どうにかこうにか三行半に纏めたものもあり、その文面は百花繚乱とすら言いたくなる物であった様だ。

そして驚いた事に、女から男に対して書かれた三くだり半もあり、そこから見えてくるのは忍従しなかった江戸の女性たちの姿だ。

私はそんな江戸の女たちに喝采を叫びたくなる。