朝、菅平と横手山に傘雲が掛かっていた。やはり天候は下り坂に入るのかも知れない。
意欲が湧かない事が焦りにつながっているようだ。
机横の本棚からカレル・チャペックを片付け、ゲーテの『イタリア紀行』(岩波版)とラブレーの『ガルガンチュア』『パンタグリエル』を持ってくる。
…これは、焦っているな。と気付き、再び片付ける。
会話ではなく、文学をやりたい。その気持ちは強い。
だが、フランス語もドイツ語も、聞き取れず、言い表す事も出来ていない。
最初は目指すところの指標のつもりで持ってきたのだが、これは以前、『若きパルク』や『ハーフィズ詩集』を購入した時と全く同じ事を繰り返している事に気が付いたのだ。
現在わたしの能力ではフランス語会話とドイツ語会話のテレビ放送の予習・復習、そして少しずつ読んでいる『Werther』だけで手一杯なのだ。そのような状態が4ヶ月ほど続いている。
わたしが天才ならばテレビのフランス語・ドイツ語会話など余裕でこなし、『Werther』も既に読み終わっているだろう。だが、わたしはもっと安心した方が良い。天才ではなかったようだ。現在やっている事だけでも殆ど自分の限界を超えつつある。
わたしの足は一歩ずつしか先に進まない。
かつて、子供だった高校生の頃は思い上がっていた。理科系か文科系かを選択するとき、文科系の勉強ならば自分ひとりでもやってゆけると考えたのだから。
この歳になってフランス文学の奥深さを思うと、目が眩むような遠い道のりを感じる。あの意味の豊かさをどの様に学んでいったら良いのかも良く分からない。ドイツ文学然り。最近も繰り返し読んで来たゲーテの本の有名なシーンで出て来る作家の名前によって示されている作品を教わったばかりだ。そのような事は同時代人か、ゲーテ研究者でなければ知る事は出来ないものと勝手に決めつけていた。今思うと、調べようと思えば何とか辿り着けたかも知れない。調べる術を知らなかったのだ。この情報化の時代に…
だが、理科系を選択した事は幸運だったと思っている。
高校の頃は、文学ばかりに熱中していた。あのまま文学部に進んだらわたしの世界はさぞや主観的なものになっただろう。
理科を学ぶ事で、客観的な観察眼と、論理的な思考を学ぶ事が出来た。
とは言え、そのまま学者にならずに良かったとも思っているのだ。
地質学のそうそうたるメンバーが集まる掲示板を読むとその思いが強くなる。
あれはあれで良い。そうも思っているのだが、現在の科学を専攻して、バランスの取れた世界観を獲得する事は、ゲーテの時代と比べてはるかに至難の技となっている。彼ら学者の世界は極めて狭い。世界を狭くしても尚、学問の行く手は遠い。勿論例外的な人物は結構居るのだが…
ふと思う。現在の学者たちが営んでいる事の殆どはある情報を別の形の情報に翻訳する事と、溢れかえる情報を整理する事なのではないかと。
このような事を思いながら、わたしは理科系でも文科系でもない、どっち付かずのろくでもない人生を終えるのだろうが、わたしはそれでも良いと思っている。
古いタイプなのだろうか?『若きウェルテルの悩み』と『イタリア紀行』には深い思い入れがある。かなり自分の人生と重ね合わせて読んでいると言って良い。
ゲーテとわたしの違いは、脱走の期間の長さに如実に表されてはいるが…
ゲーテはきちんと短期間で脱走を終え、「帰って」来ている。わたしは遂に帰ることが出来なかったような気がするのだ。
「行きっ放し」のファンタジーが何と多い事か。それは科学にも言える事だ。
科学であれ、ファンタジーであれ、その成果は公共性の場に戻る事なしに十分な責任を果たす事は出来はしない。
ところで公共性とは、どのようにして獲得されたものなのだろうか。または歴史の中で何かが変質して来たものなのだろうか?
神話になぞらえて言えば、イピゲーニエ以来連綿と続けられて来た復讐劇が、オレステスで途絶えたのは何故なのだろうか?恐らく、オレステスは公共性の名の下に生きながらえる事が出来た。わたしにはその様に思えて仕方がない。
会話のレッスンに飽きると、途端にわたしはそのような事を考え始める。
語学のテキストの内容は、わたしの現実とは殆ど関わりがなく、機械的に予習をしていると、思考はどんどんそこから逃げようとする。
けれど、日本語とは明らかに異なる言い回しや慣用句に出会う事は多い。
その中に、わたしたちとは異なる思考形態を見いだす事は容易い事だ。
語学を学ぶ事の魅力のひとつは、日本語の思考形態とは異なる、別の思考形態に出会い、それを理解してゆく悦楽なのかも知れないと、最近になって思うようになった。
多分その理解を欠いたところで、公共性という概念のひとつも充分に理解する事は出来ないのではないだろうか?
神話は復讐劇に満ちている。
肉親を殺された者は復讐して良いし、復讐すべきである。そうした法に則って、社会が動いていた時代が確かにあったのだろう。
現在、復讐の連鎖を如何に断ち切るかという視点から、様々な議論が行われている。
だが、それとは異なる思考形態が明らかにあったのだ。
そして、世界の異なる地域では、異なる歴史の産物として、公共性という概念が支配的になった。
異なる思考形態には異なる歴史がある。恐らくそれは言語の中に刻み込まれていると、わたしには思える。
それを読み取りたい。
…やはり文学志向が強いのだろうか?言語を単なるコミュニケーションツールとしてだけ扱う気にはどうしてもならない。
具体的なレッスンに戻ろう。
20080617
20080615
不調
空振りは続くものなのだろうか?
東北地方で大きな地震があった。長野も揺れたらしい。わたしはそれを知らない。
土曜日の朝はフランス語の再放送がある。予習なのか復習なのか、とりあえず準備をして立ち向かったのだが、好調に思えたフランス語もかなり穴がある。そのことだけは良く分かった。
この頃ひどく意欲が減退している。生活の習慣を是正する事、それに挑んだのだが精神状態は不安定になった。是正すべき事は是正した方が良いので、続けてみるつもりだが、あまりの意識の混迷に呆れ果て、少しペースを落とす事にした。いきなりではなく、少しずつ変えてゆく方向に転換してみた。だが、一度落ちた精神状態はなかなか元に戻らない。
語学の勉強の中で「付いてゆけない」状態に陥る事はむしろ当たり前と言って良い。これで良いのだ!と開き直ってみるが、以前程楽しくはない。
自転車で坂を登っているような感覚で勉強して、放送に出来るだけ集中するとそれだけで限界を感じてしまう。本当の限界はもっと先にあるのだろうけれど…。
だが、高揚した気分は、これまたなかなか収まりが付かない。本来は朝飲むものではないだろうとは思うのだが、休みたい一心で睡眠導入剤に手を出した。これが失敗の元…。
ようやく眠りを捕まえた頃、女房殿が声を掛けて下さった。「地震があったらしい。相当大きかったようだ」。あれもしなければ、これもしなければと夢の中で足掻くように思いながら、結局ジタバタするだけで立ち上がれず、何も出来ずに終わる。
わたしにとって、これはかなりダメージが大きい出来事なのだ。
いつもならば急いで地震の情報を掻き集めている。
全く出来ないまま、一日が終わった。
地震は「岩手・宮城内陸地震」と命名され、幾つもの被害を出した。亡くなった方もいらっしゃる。その方々のご冥福を祈らずに居れない。
その後、ある程度情報を集める事が出来、地震のイメージも出来てきた。だが、それを何かにまとめて発信する気力がどうしても出てこない。
その精神を掻き乱す出来事は多い。
意欲が減退していると言う事は、感情を抑える意欲も減退すると言う事であり、時折、自分でも抑え切れない感情に心が支配されてしまう。
あまりジタバタしても精神状態は、そう簡単に上がっては来ないだろう。むしろ逆効果の連続となる可能性のほうが高い。
仕方がない。
今は身体から力を抜いて、淡々と日々の勤めをこなしてゆくしかないだろう。
今日(15日)は天気も良く、紫外線たっぷりの日光が一日中降り注いだ。その割には気温は低く少し助かった。
深夜になって散歩する。少しは頭が冷えただろうか?だが、これでは散歩と言うより、他の方の言い回しの真似なのだが、殆ど徘徊だなぁ。
しかし、妙な天候が続く…
東北地方で大きな地震があった。長野も揺れたらしい。わたしはそれを知らない。
土曜日の朝はフランス語の再放送がある。予習なのか復習なのか、とりあえず準備をして立ち向かったのだが、好調に思えたフランス語もかなり穴がある。そのことだけは良く分かった。
この頃ひどく意欲が減退している。生活の習慣を是正する事、それに挑んだのだが精神状態は不安定になった。是正すべき事は是正した方が良いので、続けてみるつもりだが、あまりの意識の混迷に呆れ果て、少しペースを落とす事にした。いきなりではなく、少しずつ変えてゆく方向に転換してみた。だが、一度落ちた精神状態はなかなか元に戻らない。
語学の勉強の中で「付いてゆけない」状態に陥る事はむしろ当たり前と言って良い。これで良いのだ!と開き直ってみるが、以前程楽しくはない。
自転車で坂を登っているような感覚で勉強して、放送に出来るだけ集中するとそれだけで限界を感じてしまう。本当の限界はもっと先にあるのだろうけれど…。
だが、高揚した気分は、これまたなかなか収まりが付かない。本来は朝飲むものではないだろうとは思うのだが、休みたい一心で睡眠導入剤に手を出した。これが失敗の元…。
ようやく眠りを捕まえた頃、女房殿が声を掛けて下さった。「地震があったらしい。相当大きかったようだ」。あれもしなければ、これもしなければと夢の中で足掻くように思いながら、結局ジタバタするだけで立ち上がれず、何も出来ずに終わる。
わたしにとって、これはかなりダメージが大きい出来事なのだ。
いつもならば急いで地震の情報を掻き集めている。
全く出来ないまま、一日が終わった。
地震は「岩手・宮城内陸地震」と命名され、幾つもの被害を出した。亡くなった方もいらっしゃる。その方々のご冥福を祈らずに居れない。
その後、ある程度情報を集める事が出来、地震のイメージも出来てきた。だが、それを何かにまとめて発信する気力がどうしても出てこない。
その精神を掻き乱す出来事は多い。
意欲が減退していると言う事は、感情を抑える意欲も減退すると言う事であり、時折、自分でも抑え切れない感情に心が支配されてしまう。
あまりジタバタしても精神状態は、そう簡単に上がっては来ないだろう。むしろ逆効果の連続となる可能性のほうが高い。
仕方がない。
今は身体から力を抜いて、淡々と日々の勤めをこなしてゆくしかないだろう。
今日(15日)は天気も良く、紫外線たっぷりの日光が一日中降り注いだ。その割には気温は低く少し助かった。
深夜になって散歩する。少しは頭が冷えただろうか?だが、これでは散歩と言うより、他の方の言い回しの真似なのだが、殆ど徘徊だなぁ。
しかし、妙な天候が続く…
20080613
週間天気予報
最近、週間天気予報が当たったのを見た事がない。
今週は木曜日が一日中雨で、その後梅雨前線が急速に南下し、梅雨の中休みに入ると言う話だった。だが、芒種以来、長野市内では雨を見た事がない。
すっきりと晴れる事はなかったが、雨でもない。そうした中途半端な形で天候が推移した。
その間も、何度か雨の予報は出されていたのだが、軒並み外れた。この時期の天気予報は難しい。前線が少し北に上がったか南に下がったかでがらりと天候が変わる。
難しいにしても前日には何とか正確な予報が出されていたのだ。今迄は…。今日(13日)に関しては全くの外れ、それも直前に出された予報すらも完全に空振りした。
確かに、わたしは午前6時、某サイトの天気予報を確かめた。梅雨明けのような天気で、気温は29℃に達すると書かれていた。そして、確かに、夜、星空は久し振りに美しく、朝の日差しは眩しいものだったのだ。
しかし、10時頃まで上昇し続けた気温はそこから横ばい状態。恐れていた暑さに悩まされなかった事は幸運だが、ここまで外れると大きく空振りしたような感覚に陥り、むしろ疲れる。
一日中降り注ぐはずだった日光は雲に隠れ、いつの間にか通り雨すら予想されている。
歯医者に行った。
診療時間は非常に短かったのだが、帰りには雨粒が落ちてきていた。洗濯物がベランダに出してあるのが気に掛かり、殆ど小走りで帰る。
洗濯物を取り込むと雨は上がった。
まさしく通り雨。直前の予報だけあって、これだけは見事に当たった。
今週は木曜日が一日中雨で、その後梅雨前線が急速に南下し、梅雨の中休みに入ると言う話だった。だが、芒種以来、長野市内では雨を見た事がない。
すっきりと晴れる事はなかったが、雨でもない。そうした中途半端な形で天候が推移した。
その間も、何度か雨の予報は出されていたのだが、軒並み外れた。この時期の天気予報は難しい。前線が少し北に上がったか南に下がったかでがらりと天候が変わる。
難しいにしても前日には何とか正確な予報が出されていたのだ。今迄は…。今日(13日)に関しては全くの外れ、それも直前に出された予報すらも完全に空振りした。
確かに、わたしは午前6時、某サイトの天気予報を確かめた。梅雨明けのような天気で、気温は29℃に達すると書かれていた。そして、確かに、夜、星空は久し振りに美しく、朝の日差しは眩しいものだったのだ。
しかし、10時頃まで上昇し続けた気温はそこから横ばい状態。恐れていた暑さに悩まされなかった事は幸運だが、ここまで外れると大きく空振りしたような感覚に陥り、むしろ疲れる。
一日中降り注ぐはずだった日光は雲に隠れ、いつの間にか通り雨すら予想されている。
歯医者に行った。
診療時間は非常に短かったのだが、帰りには雨粒が落ちてきていた。洗濯物がベランダに出してあるのが気に掛かり、殆ど小走りで帰る。
洗濯物を取り込むと雨は上がった。
まさしく通り雨。直前の予報だけあって、これだけは見事に当たった。
20080605
芒種
梅雨に入ってから芒種、と言うのも変な話だ。
宣言が出された途端、からっと晴れ渡る。そうしたパターンではない梅雨入りというのも最近では珍しいのではないだろうか?
今日(5日)は予報通り夕刻に雨が降る。
降る雨を見ながら、木曜日恒例となって来ている語学懺悔に身を沈める。
今回はドイツ語がダメだった。それなりに予習していたのだが、やはり数字や時計が絡んでくると苦手意識が露骨に表に出てくる。要するに放送はそういった内容だったのだ。言い方は大体分かった。が、数詞を素早く言えない、また、聞き取る事が出来ない。数詞に意識が取られると、他の内容が聞き取れない。
聞き取れなかった内容をメモして、調べているうちに朝になってしまった。勿論調べきれるものではなく、結局今日一日は辞書との格闘となってしまった。
そして、にもかかわらず覚えては、勿論、いないのだ。
極めて低レベルの話として、フランス語はそれなりに理解できたのではないだろうか?
夜になり、いきなり寝室が暗くなったような気がした。今日はダイニングルームと寝室の間の襖を開け放して仕事をしていた。こちらの方が解放感があって過ごし易いのだが、ここに来て初めての事だ。今迄は何と無く集中力が薄れるような気がして、出来る限り空間を狭くして仕事をしていた。やってみると、それ程集中力に影響する訳ではない事が分かった。
結構快適だ。
その環境にも慣れた頃、ふっと寝室が暗くなったような気がしたのだ。
部屋の蛍光灯と枕元のスタンドをチェックしてみる。不備なし。他に灯りは無い。
暫くして気が付いた。駐車場の灯りが点いたのだ。ダイニングの外がそれに照らされ、相対的に寝室が暗くなったように見えた。
フランス語が好調だったように思えたのも、ドイツ語の余りの不調に因るものかも知れない。
芒種。わたしに畑は無いが、何の種も蒔かれていない。
山の緑が次第に黒々としてきた。夏山の風情だ。
宣言が出された途端、からっと晴れ渡る。そうしたパターンではない梅雨入りというのも最近では珍しいのではないだろうか?
今日(5日)は予報通り夕刻に雨が降る。
降る雨を見ながら、木曜日恒例となって来ている語学懺悔に身を沈める。
今回はドイツ語がダメだった。それなりに予習していたのだが、やはり数字や時計が絡んでくると苦手意識が露骨に表に出てくる。要するに放送はそういった内容だったのだ。言い方は大体分かった。が、数詞を素早く言えない、また、聞き取る事が出来ない。数詞に意識が取られると、他の内容が聞き取れない。
聞き取れなかった内容をメモして、調べているうちに朝になってしまった。勿論調べきれるものではなく、結局今日一日は辞書との格闘となってしまった。
そして、にもかかわらず覚えては、勿論、いないのだ。
極めて低レベルの話として、フランス語はそれなりに理解できたのではないだろうか?
夜になり、いきなり寝室が暗くなったような気がした。今日はダイニングルームと寝室の間の襖を開け放して仕事をしていた。こちらの方が解放感があって過ごし易いのだが、ここに来て初めての事だ。今迄は何と無く集中力が薄れるような気がして、出来る限り空間を狭くして仕事をしていた。やってみると、それ程集中力に影響する訳ではない事が分かった。
結構快適だ。
その環境にも慣れた頃、ふっと寝室が暗くなったような気がしたのだ。
部屋の蛍光灯と枕元のスタンドをチェックしてみる。不備なし。他に灯りは無い。
暫くして気が付いた。駐車場の灯りが点いたのだ。ダイニングの外がそれに照らされ、相対的に寝室が暗くなったように見えた。
フランス語が好調だったように思えたのも、ドイツ語の余りの不調に因るものかも知れない。
芒種。わたしに畑は無いが、何の種も蒔かれていない。
山の緑が次第に黒々としてきた。夏山の風情だ。
20080602
入梅
近いと言っていたらもう梅雨に入った。
雑節では入梅は立春から135日目、大体6月11日頃の事とされており、そこから30日間が梅雨となっているのだが、最近では気象庁が宣言して決定する事になっている。いつからそうなったのか?調べれば分かるかも知れないのだが調べていない。あまりその気になれないからだ。
とにかく本日(2日)近畿から関東甲信に梅雨入り宣言が厳かに宣言された。わたしとしては、ははーっ!と平べったくなってお受けするしかない。
だたお受けするだけと言うのもつまらないので今日のうちに通院する事にした。今日の夜から明日の昼にかけて、雨が予想されている。自転車で通院するとしたら今日のうちに済ませておいた方が気が楽になれそうだ。
ただ、人間と言うものは大体同じような事を考えるだろうから、混雑するかな?その心配はあった。若干調子が悪かったので不安になり、一瞬迷う。
ならば読みでのある本を持ってゆけば良い。
だがこのところ読んでいる本は『Die Leiden des jungen Werther』だ。ちょっと気が引ける。まさか待合室で辞書を引く訳にも行くまい。
漱石にしようと思い付いた。
『三四郎』『それから』『門』の三部作などを手に本を選んでいたのだが、どれも精神科に持ってゆくべき本であるとは思えない。第一これを手に取る事自体、わたしは見栄を張っている。
ふと昨年購入した岩波の全集で『猫』を読んでいない事に気が付いた。旧仮名遣いで読んだらどのように感じるのだろう?そう思っただけでも心がそわそわして来た。
病院に辿り着いてみるとやはり混んでいた。暫くは坐る場所もなかった程だ。辞書を持ってこなかったのは正解だ。
おもむろに懐から(だったら格好良かったのだが)ではなく鞄から『猫』を取り出し読み始める。想像していた以上に面白い。
そもそも最近『猫』を読んだのは何年前の事だろう。途中迄を含めても、もう10年以上は経っている筈だ。
没頭して読んでいたら大学生くらいの年頃の女性に席を勧められた。ありがたい出来事である。
…であるのだが隣に坐る事になったその女性からは強烈と言っていい程の香水の匂いが漂って来る。こちらは下手をすると自転車に乗って来て汗臭くなっているかも知れない。香水の強烈さにも辟易したが、この匂いとわたしの汗臭さが混じったら一体どんな香りとなって辺りに漂うのか?そちらの方が気になって仕方がなかった。漱石ならばどのように表現した事だろう。
その女性はお決まりの如く携帯を手にもって猛烈な勢いで文字盤を押している。実に素早い。感心してしまった。
人間の慣れと言うものは、それでも、恐ろしいものがあり、暫く経つとそれらも気にならなくなって『猫』に没頭してしまった。それ程迄に旧仮名遣いの『猫』は面白かった。
漱石が鬱屈を晴らす為に書いたと言う事をどこかで読んだ事がある。しかし、それだけではあるまい。かなり落語の要素が感じられる。旧仮名遣いで読むと、漱石が江戸の人だったと言う事が伝わって来る。
わたしの義兄は古くからの東京人で、薩長の話になると嫌がる。
団塊の方々の薩長好きにも呆れた所があるが、彼の薩長への偏見も大したものがある。最近流行の『篤姫』も断固として見ようとしない。きっと漱石もそうしたに違いない。
尤も、漱石がTVを見たかどうか?怪しいものだ。
結局2時間程も待たされたのだろうか?
携帯と香水の女性に感心していたり(ところがどのような顔をしていたのか全く覚えていないのだ)『猫』に没頭したり、漱石だったらどうするかを考えているうちに、その2時間はあっという間に去り、全く待ったと言う気がしなかった。
頭の中ではどういう訳かモーツァルトが鳴っていた。
名前を呼ばれた事にも暫く気が付かず、慌てて診察室へ
しまった!最近の調子の悪さをどのように説明するかを考えていない…
診察室に入ると医師が顔を見て仰った。
「今日は随分と調子が良さそうですね」
雑節では入梅は立春から135日目、大体6月11日頃の事とされており、そこから30日間が梅雨となっているのだが、最近では気象庁が宣言して決定する事になっている。いつからそうなったのか?調べれば分かるかも知れないのだが調べていない。あまりその気になれないからだ。
とにかく本日(2日)近畿から関東甲信に梅雨入り宣言が厳かに宣言された。わたしとしては、ははーっ!と平べったくなってお受けするしかない。
だたお受けするだけと言うのもつまらないので今日のうちに通院する事にした。今日の夜から明日の昼にかけて、雨が予想されている。自転車で通院するとしたら今日のうちに済ませておいた方が気が楽になれそうだ。
ただ、人間と言うものは大体同じような事を考えるだろうから、混雑するかな?その心配はあった。若干調子が悪かったので不安になり、一瞬迷う。
ならば読みでのある本を持ってゆけば良い。
だがこのところ読んでいる本は『Die Leiden des jungen Werther』だ。ちょっと気が引ける。まさか待合室で辞書を引く訳にも行くまい。
漱石にしようと思い付いた。
『三四郎』『それから』『門』の三部作などを手に本を選んでいたのだが、どれも精神科に持ってゆくべき本であるとは思えない。第一これを手に取る事自体、わたしは見栄を張っている。
ふと昨年購入した岩波の全集で『猫』を読んでいない事に気が付いた。旧仮名遣いで読んだらどのように感じるのだろう?そう思っただけでも心がそわそわして来た。
病院に辿り着いてみるとやはり混んでいた。暫くは坐る場所もなかった程だ。辞書を持ってこなかったのは正解だ。
おもむろに懐から(だったら格好良かったのだが)ではなく鞄から『猫』を取り出し読み始める。想像していた以上に面白い。
そもそも最近『猫』を読んだのは何年前の事だろう。途中迄を含めても、もう10年以上は経っている筈だ。
没頭して読んでいたら大学生くらいの年頃の女性に席を勧められた。ありがたい出来事である。
…であるのだが隣に坐る事になったその女性からは強烈と言っていい程の香水の匂いが漂って来る。こちらは下手をすると自転車に乗って来て汗臭くなっているかも知れない。香水の強烈さにも辟易したが、この匂いとわたしの汗臭さが混じったら一体どんな香りとなって辺りに漂うのか?そちらの方が気になって仕方がなかった。漱石ならばどのように表現した事だろう。
その女性はお決まりの如く携帯を手にもって猛烈な勢いで文字盤を押している。実に素早い。感心してしまった。
人間の慣れと言うものは、それでも、恐ろしいものがあり、暫く経つとそれらも気にならなくなって『猫』に没頭してしまった。それ程迄に旧仮名遣いの『猫』は面白かった。
漱石が鬱屈を晴らす為に書いたと言う事をどこかで読んだ事がある。しかし、それだけではあるまい。かなり落語の要素が感じられる。旧仮名遣いで読むと、漱石が江戸の人だったと言う事が伝わって来る。
わたしの義兄は古くからの東京人で、薩長の話になると嫌がる。
団塊の方々の薩長好きにも呆れた所があるが、彼の薩長への偏見も大したものがある。最近流行の『篤姫』も断固として見ようとしない。きっと漱石もそうしたに違いない。
尤も、漱石がTVを見たかどうか?怪しいものだ。
結局2時間程も待たされたのだろうか?
携帯と香水の女性に感心していたり(ところがどのような顔をしていたのか全く覚えていないのだ)『猫』に没頭したり、漱石だったらどうするかを考えているうちに、その2時間はあっという間に去り、全く待ったと言う気がしなかった。
頭の中ではどういう訳かモーツァルトが鳴っていた。
名前を呼ばれた事にも暫く気が付かず、慌てて診察室へ
しまった!最近の調子の悪さをどのように説明するかを考えていない…
診察室に入ると医師が顔を見て仰った。
「今日は随分と調子が良さそうですね」
荒れているなぁ…
Blogを読み返し、思わず削除をしたくなった。とりあえず6月。ここからまた「再建」を始める事にして残す事にした。
荒れている。
内容も荒れているが、日本語が荒れ放題だ。
考えてみると最近推敲と言うものをあまりせず、下書きをしてそれをそのままUpする様な事を繰り返して来た。文章が荒れるもの当たり前と言うものだ。荒れた文章で愚痴に近い事を書き綴って、…それが何になると言うのか?第一、自分で読んでいて恥ずかしいものを他の人が楽しんで読む可能性はない。
にもかかわらず、書きなぐりたくなるような事を溜め込んでいるのも精神衛生上あまり芳しいものではあるまい。どうする?何十年振りかで個人的な日記を書き始めようか?
梅雨が近い。
普通の人ですら鬱陶しくなる季節。
語学の勉強とヨーガで何とかここ迄鬱状態に陥らずにやって来れた(と、本人は信じている)。この調子だけは崩したくない。語学の勉強はふた月しか経っていないが、見方を変えれば1/3を消化した事になる。やや緊張感が薄れて来ているが、ここで鬱状態に陥ってしまっては何もかも「終わり」になってしまうだろう。
鬱陶しい梅雨の後には夏と言う難敵が控えている。この一年間を何とか乗り切る為には何が必要なのだろう?
よく言われる言葉だが、初心に返るべき時なのだと思う。
強いか弱いかはあまり大した問題ではないが、強ければ、少なくとも弱いより面白い。強い心でこの面白くもない世の中を少しでも面白く生きたいものだ。
最近遅く啼き始める様になっていた鳥が、今日は定刻に啼き始めている。見習おう。
荒れている。
内容も荒れているが、日本語が荒れ放題だ。
考えてみると最近推敲と言うものをあまりせず、下書きをしてそれをそのままUpする様な事を繰り返して来た。文章が荒れるもの当たり前と言うものだ。荒れた文章で愚痴に近い事を書き綴って、…それが何になると言うのか?第一、自分で読んでいて恥ずかしいものを他の人が楽しんで読む可能性はない。
にもかかわらず、書きなぐりたくなるような事を溜め込んでいるのも精神衛生上あまり芳しいものではあるまい。どうする?何十年振りかで個人的な日記を書き始めようか?
梅雨が近い。
普通の人ですら鬱陶しくなる季節。
語学の勉強とヨーガで何とかここ迄鬱状態に陥らずにやって来れた(と、本人は信じている)。この調子だけは崩したくない。語学の勉強はふた月しか経っていないが、見方を変えれば1/3を消化した事になる。やや緊張感が薄れて来ているが、ここで鬱状態に陥ってしまっては何もかも「終わり」になってしまうだろう。
鬱陶しい梅雨の後には夏と言う難敵が控えている。この一年間を何とか乗り切る為には何が必要なのだろう?
よく言われる言葉だが、初心に返るべき時なのだと思う。
強いか弱いかはあまり大した問題ではないが、強ければ、少なくとも弱いより面白い。強い心でこの面白くもない世の中を少しでも面白く生きたいものだ。
最近遅く啼き始める様になっていた鳥が、今日は定刻に啼き始めている。見習おう。
20080530
人と会う事に積極的になれないなぁ
子供すっ飛ばして、いきなり孫。という現実が刻々と近付いてきた。
女房殿の娘さんが結婚なさるという。既に妊娠もされている。
道徳的なことはどうでも良いが、物事の順番というものにはそれなりの意義があると思うのだが、皆様余りその事を考えていないようだ。
もっと言えば自分の価値観をしっかり吟味して、その上で論理的に物事を進めるのではなく、ただ流されて、曖昧なままの自分の結論に論理を合わせてゆくようなやり方が大勢を占めている事も分かってきた。…単なる性格の問題なのだろうか?
女房殿はさすがに自分の子供だけあって、娘さんの論理を優先して考えてしまっているのだが、こちらは一緒になる時さんざ反対されて難儀した記憶が生々しい。
女房殿はそのうちに合いたくなったら伝えておくからと軽く仰って下さったのだが、何でこちらから会うことをお願いする筋合いがあろう。
人と会うこと。そのことはわたしにとって大切にしたい出来事のひとつだ。それなりの必要性や必然性がある方々と会いたい。
はっきり言って、人を未だに蚊帳の外に置いている状態に平然としていられる感性の持ち主とはあまり会いたくないのだ。
人と会うのであれば誰でも良い。そうした気にはやはりなれないなぁ。
女房殿の娘さんが結婚なさるという。既に妊娠もされている。
道徳的なことはどうでも良いが、物事の順番というものにはそれなりの意義があると思うのだが、皆様余りその事を考えていないようだ。
もっと言えば自分の価値観をしっかり吟味して、その上で論理的に物事を進めるのではなく、ただ流されて、曖昧なままの自分の結論に論理を合わせてゆくようなやり方が大勢を占めている事も分かってきた。…単なる性格の問題なのだろうか?
女房殿はさすがに自分の子供だけあって、娘さんの論理を優先して考えてしまっているのだが、こちらは一緒になる時さんざ反対されて難儀した記憶が生々しい。
女房殿はそのうちに合いたくなったら伝えておくからと軽く仰って下さったのだが、何でこちらから会うことをお願いする筋合いがあろう。
人と会うこと。そのことはわたしにとって大切にしたい出来事のひとつだ。それなりの必要性や必然性がある方々と会いたい。
はっきり言って、人を未だに蚊帳の外に置いている状態に平然としていられる感性の持ち主とはあまり会いたくないのだ。
人と会うのであれば誰でも良い。そうした気にはやはりなれないなぁ。
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