近いと言っていたらもう梅雨に入った。
雑節では入梅は立春から135日目、大体6月11日頃の事とされており、そこから30日間が梅雨となっているのだが、最近では気象庁が宣言して決定する事になっている。いつからそうなったのか?調べれば分かるかも知れないのだが調べていない。あまりその気になれないからだ。
とにかく本日(2日)近畿から関東甲信に梅雨入り宣言が厳かに宣言された。わたしとしては、ははーっ!と平べったくなってお受けするしかない。
だたお受けするだけと言うのもつまらないので今日のうちに通院する事にした。今日の夜から明日の昼にかけて、雨が予想されている。自転車で通院するとしたら今日のうちに済ませておいた方が気が楽になれそうだ。
ただ、人間と言うものは大体同じような事を考えるだろうから、混雑するかな?その心配はあった。若干調子が悪かったので不安になり、一瞬迷う。
ならば読みでのある本を持ってゆけば良い。
だがこのところ読んでいる本は『Die Leiden des jungen Werther』だ。ちょっと気が引ける。まさか待合室で辞書を引く訳にも行くまい。
漱石にしようと思い付いた。
『三四郎』『それから』『門』の三部作などを手に本を選んでいたのだが、どれも精神科に持ってゆくべき本であるとは思えない。第一これを手に取る事自体、わたしは見栄を張っている。
ふと昨年購入した岩波の全集で『猫』を読んでいない事に気が付いた。旧仮名遣いで読んだらどのように感じるのだろう?そう思っただけでも心がそわそわして来た。
病院に辿り着いてみるとやはり混んでいた。暫くは坐る場所もなかった程だ。辞書を持ってこなかったのは正解だ。
おもむろに懐から(だったら格好良かったのだが)ではなく鞄から『猫』を取り出し読み始める。想像していた以上に面白い。
そもそも最近『猫』を読んだのは何年前の事だろう。途中迄を含めても、もう10年以上は経っている筈だ。
没頭して読んでいたら大学生くらいの年頃の女性に席を勧められた。ありがたい出来事である。
…であるのだが隣に坐る事になったその女性からは強烈と言っていい程の香水の匂いが漂って来る。こちらは下手をすると自転車に乗って来て汗臭くなっているかも知れない。香水の強烈さにも辟易したが、この匂いとわたしの汗臭さが混じったら一体どんな香りとなって辺りに漂うのか?そちらの方が気になって仕方がなかった。漱石ならばどのように表現した事だろう。
その女性はお決まりの如く携帯を手にもって猛烈な勢いで文字盤を押している。実に素早い。感心してしまった。
人間の慣れと言うものは、それでも、恐ろしいものがあり、暫く経つとそれらも気にならなくなって『猫』に没頭してしまった。それ程迄に旧仮名遣いの『猫』は面白かった。
漱石が鬱屈を晴らす為に書いたと言う事をどこかで読んだ事がある。しかし、それだけではあるまい。かなり落語の要素が感じられる。旧仮名遣いで読むと、漱石が江戸の人だったと言う事が伝わって来る。
わたしの義兄は古くからの東京人で、薩長の話になると嫌がる。
団塊の方々の薩長好きにも呆れた所があるが、彼の薩長への偏見も大したものがある。最近流行の『篤姫』も断固として見ようとしない。きっと漱石もそうしたに違いない。
尤も、漱石がTVを見たかどうか?怪しいものだ。
結局2時間程も待たされたのだろうか?
携帯と香水の女性に感心していたり(ところがどのような顔をしていたのか全く覚えていないのだ)『猫』に没頭したり、漱石だったらどうするかを考えているうちに、その2時間はあっという間に去り、全く待ったと言う気がしなかった。
頭の中ではどういう訳かモーツァルトが鳴っていた。
名前を呼ばれた事にも暫く気が付かず、慌てて診察室へ
しまった!最近の調子の悪さをどのように説明するかを考えていない…
診察室に入ると医師が顔を見て仰った。
「今日は随分と調子が良さそうですね」
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