子供すっ飛ばして、いきなり孫。という現実が刻々と近付いてきた。
女房殿の娘さんが結婚なさるという。既に妊娠もされている。
道徳的なことはどうでも良いが、物事の順番というものにはそれなりの意義があると思うのだが、皆様余りその事を考えていないようだ。
もっと言えば自分の価値観をしっかり吟味して、その上で論理的に物事を進めるのではなく、ただ流されて、曖昧なままの自分の結論に論理を合わせてゆくようなやり方が大勢を占めている事も分かってきた。…単なる性格の問題なのだろうか?
女房殿はさすがに自分の子供だけあって、娘さんの論理を優先して考えてしまっているのだが、こちらは一緒になる時さんざ反対されて難儀した記憶が生々しい。
女房殿はそのうちに合いたくなったら伝えておくからと軽く仰って下さったのだが、何でこちらから会うことをお願いする筋合いがあろう。
人と会うこと。そのことはわたしにとって大切にしたい出来事のひとつだ。それなりの必要性や必然性がある方々と会いたい。
はっきり言って、人を未だに蚊帳の外に置いている状態に平然としていられる感性の持ち主とはあまり会いたくないのだ。
人と会うのであれば誰でも良い。そうした気にはやはりなれないなぁ。
2 件のコメント:
ご無沙汰しています。
そのようないきさつがあったんですね。
『人と会うこと。そのことはわたしにとって大切にしたい出来事のひとつだ。それなりの必要性や必然性がある方々と会いたい。
はっきり言って、人を未だに蚊帳の外に置いている状態に平然としていられる感性の持ち主とはあまり会いたくないのだ。
人と会うのであれば誰でも良い。そうした気にはやはりなれないなぁ。』
という気持ち、私もあります。いけださんと同じ状況だったら、私もそう感じたかもしれません。相手が別に望んでおらず、自分にとっても意味がないのに、形として人と会うということは我慢がなりません。
自分の感情に任せて書きなぐったような、文章で…いやぁ、お恥ずかしい…。
望んでこの状態になった訳ではないので、子供がいないことは長い間わたしのコンプレックスでして…今もまだ生物としての敗北者の意識があります。
けれど、それを自分の選択として選び直すと言うのか、運命を受け容れる方向に考え方を修正し始めた頃だったので、激しく動揺しました。
地方都市で生活していると、人の心の中だけにまだ田舎が存在するので、かなり厄介です。
ここは確かにわたしの故郷であるはずなのですが、いやな思い出しかない場所でもあり、妙によそよそしく、わたしの中ではむしろ東京で培われた感性に従おうとする意識の方が強い様です。それを無視しようとする真綿の様な圧力にはどうしても抵抗したくなります。
東京生活を別にしても、元々わたしの中では物事を合理的に考えたいと言う感覚のほうが、人に合わせて動きたいという感覚より強く、軋轢が起こるのは当たり前だったのかも知れません。
それにしても、ここ、人間関係がなかなか育ってゆかないなぁ…
Jasmineさんに共感して頂いて、自分のままでよいのだよな…という気になってきました。
ちょっと負けそうでした。
コメントを投稿