20261030

洪水はわが魂に及び

決して読み易い小説ではない。

鮮烈な、そして読む者に嫌悪感すら催させる程のグロテスクなイメージが、全編を通して乱舞する。しかし、それらは決して読まれる事を拒否している訳ではない。むしろ私たちは、この小説を読み始めると、それから目を背ける事が出来なくなり、ぐいぐいとその虚構のイメージ群に引き込まれて行く。


73年に発表された小説だ。今回、若干の不安と共に、その扉を開いてみて、その世界が全く古びていない事に、安心と驚愕を覚えた。

時代も、世界情勢も異なっている。だが世界は、かろうじて核兵器の使用を控えており、まだ人類は、極端な危機に瀕してはいない。

世界は、厳粛な綱渡りを強いられているが、存続している。世界はそんな53年間を維持して来た。


主人公達は、核避難所に籠城する。それは、いつ滅びるかも知れない、全人類から、自らを守ろうとする、主人公達の意志の象徴でもある。そして、樹の魂と鯨の魂と交感しようとする。樹と鯨はかろうじて滅んでいない世界を代表している。

主人公大木勇魚と、数少ない侵入者達。

それが、見事なまでにホモソーシャルな人間関係を形造るのは、大江健三郎の意図的な仕掛けなのだろうか?

やがて現れる鯨の木のイメージ。それはデフォルメされた世界の反転像なのだろうか?

物語は、明確な回答を与える事なく、急速に回転してゆく。

最終章に至って、物語のイメージと、題名のイメージが、一気に合体して行く。そこで小説は終わるが、世界はまだ続く。

この小説を読むのは、気をつけた方が良い。読む前と読んだ後では、読者は全く別の存在に生まれ変わってしまうからだ。

20261022

ロルカースペインの魂

高校時代からスペインに入れ上げていたらしい。その著者が、ロルカをスペインの魂と呼んで伝記をものにした。本書はそうした成立過程を経ている。必然だったのだろう。

好きこそ物の上手なれと言うが、この本を読むと、成る程と思わされる。ロルカの長くは無かった人生を、余すところなく謳いあげている。


本書の最大の長所は、ロルカの詩を、スペイン語を含めて多数翻訳してあるところだ。ロルカはその著作集、全詩集など、かなりの翻訳が出回っているが、この本で原詩に触れる事が出来、スペイン語の響きを思う存分味わう事が出来る。

本書でロルカは、家系を辿って描かれている。ロルカがその多才なセンスを発揮したのも、成る可くして成ったのだと納得出来る。

そして、彼を取り巻く人間関係の芳醇さは、改めて振り返る事をあえてしなくても、実に絢爛たるものがあったと分かる。

特にサルバドール・ダリと、深い関係にあった事を知ると、時代の中で、2人の天才がいかに見事に共鳴していたのかを、私たちは知る。

それにしてもスペインは、酷い事をしてしまったものだ。これ程の人物を、何故若くして銃殺してしまったのか?

生きていれば、成したであろう、大仕事を、未完のまま終わらせる政治の非道を改めて感じざるを得ない。

ロルカの詩は、私の人生とも深く関わり合っている。その存在は、常に大きなものだった。本書で、彼の仕事が、どの様な背景の下で行われたのかを知り、ロルカへの想いを、更に深める事が出来た。

この本で知る事が出来たロルカ像に思いを馳せながら、これからもロルカの作品を、深く味わってみたい。

20261016

宮沢賢治のオノマトペ集

楽しい読書をした。

まず、表紙が気に入った。表題のレタリングと漫画が一体になっている。ユニークで楽しい表紙だ。


この本は、数ある宮沢賢治の童話の中から、特に面白いオノマトペを集め、それを纏めたものだ。

それぞれのオノマトペはフリーハンドでレタリングされ、1ページ丸ごと使って表示されている。それだけで、そのオノマトペを音読したい衝動に駆られる。

それが右ページ。

左ページにはそのオノマトペがどのようなシチュエーションで使われているかを、短い引用で示してあり、その解説が、これまた短い文章で付せられている。

宮沢賢治が使ったオノマトペに注目する事で、賢治の童話をより深く、重層的に楽しむ事が出来る仕組みになっているという訳だ。

宮沢賢治が使っているオノマトペは、意表を突くものが多く、独特な味わいをその童話にもたらしている。今までも、それに注目して来たが、それを集めるには数が多過ぎ、諦めていた。

それだけに、丁寧に厳選したこの本の登場は、嬉しいものになった。

改めて、宮沢賢治のオノマトペから、童話を読んでみると、慣れ親しんだ賢治の童話が、また独自の味わいで、立ち現れて来るのを感じた。

宮沢賢治にとって、彼が選び用いたオノマトペは、その童話の命とも言える、重要な役割を果たしていた事を、心を新たにして感じ取る事が出来たと思う。

解説の中には、同じオノマトペが、別の童話のどの様な局面で用いられているかを紹介してあるものも多く、それぞれが、独特な表現になっている事を知る事が出来た。これも編者の有り難い配慮だと感じた。

この本は、宮沢賢治のオノマトペを集めたものだが、それだけに留まらず、独自の新しい、宮沢賢治の作品集になっている。

これから先、宮沢賢治の作品を読む時に、この本で味わった読書体験は、貴重な新しい視点を提供してくれるだろう。

楽しみだ。

20261009

須賀敦子全集第1巻

毎年これと言った著者をひとり選んで、その全集を全巻読破する事にしている。

今回選んだのは須賀敦子。名エセーイストである。

かつて、彼女の全集は、文庫版で全巻持っていたのだが、引っ越しの折ブック・オフに売り払ってしまった。図書館に在庫があるのが、その理由だったが、今迄なかなか機会が掴めず、読まずに過ごしてしまった。

意を決して市立図書館から第1巻を借りて来た。

1985年から1996年にかけて発表された作品を収録した巻だと言う。


この巻の、中核を成すのは「コルシア書店の仲間たち」だろう。

須賀敦子さんがイタリアで過ごしていた期間、最も力を入れた活動のひとつ、ミラノのコルシア・デイ・セルヴィ書店を通じて出逢った仲間たちの話題が、愛情の籠った、詩的な文章で描かれている。

イタリアの文化を担う一大拠点であろうと言う志があったのだろう。彼女の筆によって描き出される仲間たちは誰もが個性的で、人間としての魅力に溢れている。

コルシア書店に集まって来る人間達は誰もが、壮大な夢を抱いている。だが、そのコルシア書店の活動も、常に順風満帆と言う訳では無かった。

誰もが葛藤を抱え、時にぶつかり合い、悶着も起こす。だが、そうした負の経験ですら、コルシア書店と言う場を通して眺めると、独特の色合いを帯びて、肯定的に浮かび上がって来る。

それはコルシア書店と言う場を共有する彼らが、何よりも、真実全力で生きているからであり、それを垣間見る私たちは、その姿につい感動を覚えてしまうからだと思う。

この巻の冒頭には、「ミラノ 霧の風景」と題されたエセーが掲げられている。ミラノに住む人々は、ミラノの霧の風景に誇りを抱いている。

ロンドンの霧など、ミラノのに比べたら影が薄くなると、認めていた。

霧の「土手」と言うのか「層」と言うのか「バンコ」と言う表現があって、これは車を運転していると、不意に土手の様な、塀の様な霧の塊が目の前に立ちはだかる。運転手はそれが霧だと先刻承知でも、反射的にブレーキを踏んでしまう。

今住んでいる土地でも、晩秋から冬に掛けて、かなり濃い霧が立ち込めるが、ミラノ程の濃い霧には、今迄立ち会った事がない。視界10m程の霧はしばしばあるが、2mとなると記憶にもない。ヘッセの「霧の中で」をつい思い出す。

そのミラノの霧が、誰もはっきりした理由が分からないまま、姿を消し始めているのだと言う。暖房に重油を使わなくなったからだと言う人もいる。あんな霧、無くなった方がいいですよと、ミラノに住んでいる日本人は言うが、古くからのミラノ人は何となく淋しく思っているのだそうだ。

第1巻の最後を飾るのは、「旅のあいまに」と題された、単行本未発表の、様々な知人を巡る思い巡らしだ。

須賀敦子さんは、人生の中で出逢って来た様々な人々を、ひとりひとり大事に扱って来たのだな。としみじみしてしまう。エセーで描かれる人々のひとりひとりを、彼女は実に愛情深く、描き出している。

これは単なるエセーではなく、詩だ。読み終えてその事を、深く納得した。

20261003

詩人茨木のり子の誕生

熊谷誠人『詩人茨木のり子の誕生─西尾の少女の物語』。

よく調べたものだ。そしてよく考え抜かれている。

この本を読んで、今年が茨木のり子の生誕100年に当たる事を知った。それ程昔の人だったのかと、改めてびっくりする。彼女の言語感覚は、現代人と殆ど変わらない。若い。

しかし「わたしが一番きれいだったとき」などの作品を思い浮かべると、その時代に納得が行く。

茨木のり子の伝記としては、後藤正治の『清冽 詩人茨木のり子の肖像』という労作がある。著者もこれには一目置いており、これを越える聞き取りは難しいと認めている。その上で、それと比べて、本書にはどの様な特徴があるのかを、冒頭で解説している。


【本書の特徴1】詩の背後にある原体験を読み解く

【本書の特徴2】詩人茨木のり子が誕生するまでの自己形成の物語

【本書の特徴3】人々を戦争に巻き込んだ昭和の時代を見つめる

本書は、各章の冒頭に茨木のり子の詩を掲げ、それについて、背景、原体験、時代を深く語ってゆく構成を採っている。

本全体が、詩の解説になっていると言って良い。

よほど茨木のり子がお好きなのだろう。その読解は、深く、その視野は広い。

本書を読んで、私は初めて、茨木のり子が若い頃、軍国少女だったと言う事実を教えられた。

幼い頃から成績優秀で人格高潔。常にクラスのトップに君臨して来た彼女が、戦争という時代に巻き込まれた時、それに対しても優等生であったと言う訳だ。

後に現代詩の長女と呼ばれた彼女は、常に時代の長女でもあったのだろう。

その彼女の詩を、細やかな手付きで解き明かす本書の姿勢は、従来の茨木のり子像とは、一味も二味も違う彼女の側面を、鮮明に描き出す事に成功しており、冒頭で解説している本書の特徴は、正に看板に偽り無しと言った所だ。

それらの事を念頭に置いて、彼女の詩を読み返す時、今迄とは全く異なった輝きが、彼女の詩から発している事に気付く。

私は、若い頃から茨木のり子の詩を読んで来たが、本書を読み、その読みが実に浅かった事を認めざるを得ない。

本書を読み、茨木のり子理解は格段に深まった。

著者の熊谷誠人さんには、心から感謝する。

20260930

20周年

このBlogは2006年9月30日に始めたものだ。つまり、今日で丁度20年経つ。

最初は『季節風』という題名だった。大気圏などの名称にその名残りがある。

『夏の扉へ』というサイトは別にあった。掲示板の題名だったのだ。こんな感じだった。


今から見ても、なかなか良いデザインだったと思う。

最盛期には、60人程の常連がいる、結構繁盛した掲示板だった。

掲示板の運営は、結構神経を使うもので、暇な時間は、常に掲示板の事を考えていた記憶がある。けれど時代とは冷酷なもので、その繁盛していた掲示板も、終わり頃にはお客さんも限られ、労多くして益少なしの状態だった。

その頃から世の中はBlog全盛の時代に移り、私も次第にBlogに軸足を移し始めていた。

そうなると『季節風』と言う題名も平凡に思えて来て、掲示板に使っていた題名が、いたく気に入っていた事もあり、『夏の扉へ』を掲示板とBlogの両方で使っていた。

そんな状態が2年くらい続いたろうか?掲示板の方に来るお客様も居なくなり、そこは閉じる事にした。

今感じるのは、Blogの時代も終わりかけているということだ。

読者数は極端に減った。

最盛期には2Kは軽く突破していた読者も、現在は300行けば御の字。ふと周りを見渡せば、gooなどもBlogサーヴィスを辞めており、Bookmarkに登録されているBlogで、今生き残っているのは数える程しかない。

世の中は、SNSなどの短文文化が幅を利かせているのだろう。

だが、今回振り返って過去記事を読んでみると、読者が減ったのは、時代だけの理由ではないと感じる。

昔書いたものは、結構面白いのだ。

考えてみると、当時は文章も結構気を使い、推敲も入念に行なっていた。

かつては、読書感想文専用のBlogも別にあり(今も存在する)、私の興味の対象も、多岐に渡っていた。

これでは読者数が激減するのも当然と言える。

そこで、一念発起する事にした。今回、20周年を迎えるに当たって、Blogのデザインを一新する事にしたのだ。

現在使っているBlogも、相当前に新デザインを採用する様促されてもいたのだが、今迄のデザインに愛着があり、変えずに使って来たのだ。

かつてはデザインの変更を行うと、ガラリと変更された記憶があるが、今回探してみると、現行デザインを踏襲するものが殆どで、使って来たパーツもそのまま残り、大幅な変更には至らなかった。

だが、このデザイン変更には、初心に戻ろうという意図を込めた心算だ。

大気圏などのパーツは、編集したいと昔から思っていたのだが、今回の変更でも編集出来ず、かつてのものをそのまま使うしか無かった。

だが、本文中に埋め込んだリンクなども、かつてより分かり易くなっており、有意義なデザイン変更になったと自負している。

時代の流れに抗して、これからもこのBlog『夏の扉へ』を続けて行こうと決意を込めた心算だ。

どうぞ皆様、宜しくお願い致します。

20260913

植物時代

ディーン・フォーク『植物時代─人類進化の種が蒔かれたとき』

副題がなければ、何の事か分からないだろう。

大抵の人類史の教科書は石器時代から始まっている。だが石器時代が始まったのはおよそ350万年前の事であり、チンパンジーとヒト族の分岐が始まったのはおよそ650万年前の事とされている。石器時代の前に途方もなく長い歴史があったのだ。


筆者は石器時代(The stone age)の前に植物由来の道具を使用していた植物時代(The botanic age)があったと主張し、その呼称を提唱している。

本書はその植物時代とはどの様な時代であったかを推測し、直立歩行、言語の使用が何故、どの様に始まったのかをまとめている。

しかし気を付けねばならないのは、筆者が本書の冒頭で断っている様に、本書には多くの推測が含まれている。それはこの長い時代区分には、道具に関する考古学的記録が殆どなく、ヒト族の化石記録もまばらである事に起因する。

仮説と呼ぶのも怪しい。作業仮説と言ったところだろう。

だが筆者はその限りある証拠を可能な限り掻き集め、大胆に憶測する事で、魅力的な作業仮説を構築する事に成功している。

一昔前とは違い、現在は多くの動物が、道具を使うことが認められている。恐らくヒト族が使用した最初の道具も、チンパンジーが用いる釣り枝の様なものだったのだろう。だが、非ヒト族の類人猿が用いる道具と、ヒト族が用いる道具との間には、決定的な違いがある。ヒト族の道具は「意図的に」作成されたものなのだ。

その作成された道具の起源を、著者は巣に求める。

簡単な巣であれば、熊だって作る。

ヒト族の巣は最初は樹上に枝、葉、蔓、小枝を使って編んでいたものと推測出来る。その習性は、優れた編み込み技術だけでなく、寝床が落下を防ぐという無意識の感覚(直感的な素朴物理学)によっても支えられていた。樹上の巣はヒト族のお650万年の歴史の前半に生まれた。それはベビースリングなどの他の植物学的発明の基礎になった。その後ヒト族の性別による体格差が決定的な時代を作る。恐らく雌や子どもとは体格が大きかった雄のヒト族は樹を降り、地上に巣を作って眠る様になった。完全な直立二足歩行の完成である。

ヒト族の女性の体毛は、非ヒト族の類人猿と比較して体毛が少なく、赤ちゃんの握力も小さい。その事から赤ちゃんの落下、もしくは赤ちゃんを地上に「置く」機会が増えた。

著者はそこに言語の発生の契機があったと考える。

本書の特徴の一つに、人類史の発展の契機に関わるジェンダー差が少なかったと考える姿勢がある。これは特筆すべき特徴だと私は考える。恐らく、従来の見方より、本書の姿勢の方が事実を精確に反映している。

他にも本書には、魅力的な作業仮説が数多く提唱されている。確実でないにしろ、それらは人類史を構築する上で、貴重な提言になると、私は確信する。

20260905

本棚の記憶

 三中信宏『本棚の記憶─みなか先生の読書人生と〈みなか食堂〉の自炊爛漫』

著者三中信宏さんには、類書を見ないと評したくなる本が多い。本作もまた独自の境地を切り開いている。本についての本は多い。また、料理の本も数限りなくある。だが、ひとりの人物が読書と食について、交互に語り、それが妙なバランスを保っている本には初めて出逢った。

著者には2003年から続く日記サイト『日録』がある。私はこのWebサイトの大ファンで、ここで知った本を読んだり、紹介されている料理を自分で作ったりしている。本と食が内容の殆どを占めるのは、本書と似ている。

だが、このWebサイトと本書が、連続したものであるとは、何故か私には思えないのだ。


本書は、著者の最初の記憶から始まる。何と!1歳半の伊勢湾台風の記憶があると言う。そこから、筆者は自分史をぽつりぽつりと語り始める。

著者が自分の思い出を語るのは、これが初めてでは無いだろうか?

それによると著者は1958年生まれと言う事なので、私とは2歳違いである事になる。

生まれは近いが、育った地域は京都と長野では随分違う。当然、環境はかなり異なる。だが、その時代の空気は似ており、共感するところが多かった。

加えて、独り遊びが多く、幼少の頃、友人が少なく、しかもそれを余り気にしなかった所も似ている。

独り遊びと言えば本であり、昆虫であり、つまり図鑑である。

私は子どもの頃病弱で、足に炎症を抱えており、元気な子どもでは無かったが、それでもこの三種の神器は抱え込んで育っており、それが後の人生に深く影響を与えている。

三中信宏さんにとって、読書と食へのこだわりは、その子どもの頃の独り遊びの延長にあるのでは無いかと想像した。

大学での一人暮らしが厨房生活の始まりであった点も、多くの人と共通する経歴だろう。生まれたのが戦後10年を過ぎる程度の年代。外食に頼るお金は、私には無かった。

違うのは厨房で使う食器の贅沢さで、三中信宏さんは最初からかなり良い品を揃えている。これは食へのこだわりの違いによるものだろう。私は厨房生活には、それ程固着しなかった。

若い頃口下手であったと言う告白も、意外だった。著者は授業をお座敷と呼び、喋りにかなりこだわりを持っている。人生の早い時期から、この傾向があったものと思い込んでいた。

この様に、本書は三中信宏さんが、人生の中で何を何故こだわって生きて来たかが書かれている。著者は自分のためにのみ本を書いてきたきわめて利己的な著者であると仰る。そこで私は勝手に空想するのだ。

著者はこの本で、自分が耽溺してきた読書と食を語る事で、人生いかに生くべきかを語っているのではなかと。

本書はいつも通り図書館で借りた。なので、本書に紹介されている様々なレシピを、実際に試みる時間が持てなかった。この点が返す返すも残念で仕方がない。

20260902

三くだり半

 私は我が家で世帯主という事になっている。私はこれがどうにも居心地が悪い。

我が家の実権は、客観的に見れば女房殿が握っている事は明らかだ。だが男であるという理由だけで、名目上の世帯主は私に押し付けられる。役所からの手紙などは私宛に届く。開けてみると女房殿宛であった事がいくらでもある。実権と名目の擦れ違いはこの他にも各所に露呈している。

本書、高木侃『三くだり半─江戸の離婚と女性たち』を読んで、最初に頭をよぎったのはその事だった。


江戸の女と言えば「女大学」であり、江戸の離婚と言えば夫の縦に「三くだり半」を女に投げつけての専権離婚、「女三界に家無し」の忍従の生活を強いられていたという思い込みが、確かに私にもあった。

そうではなかったと著者は言う。

まず女が離縁情なくして再婚したときは、髪を剃られて親もとに帰されたので、女が再婚するためには必ず離縁状を夫からもらわなければならなかったことが強調され過ぎる。その反面、男の方でも離縁状を渡さないで再婚すれば、所払いの刑罰が科されたことは、ややもすれば看過されがちである。この点に着目するとき、夫には離縁状を交付する権利があったというより、むしろその義務があったというべきである。

三くだり半の専権的なイメージは、音を立てて崩れてゆく。

そして、私がびっくりしたのは、三くだり半のヴァリエーションの豊富さだった。

筆文字で書いて三行半。そのイメージから、私はかなり書式が定まった、定型的な書面を想像していた。

この本の優れたところは、実際の三くだり半の書面の実例を、実に豊富に示している所だ。

離縁状には、仮に妻に責任があって離縁になる場合ですら、抽象的な文言しか記載せず、多くは全く離婚事由を書かなかった。

にも拘らず、その書面の実に個性的な事!

二行で済んでしまう様な内容でも、崩字を縦に伸ばし、無理矢理三行半にしたものもあれば、とことん詰めて書いて、どうにかこうにか三行半に纏めたものもあり、その文面は百花繚乱とすら言いたくなる物であった様だ。

そして驚いた事に、女から男に対して書かれた三くだり半もあり、そこから見えてくるのは忍従しなかった江戸の女性たちの姿だ。

私はそんな江戸の女たちに喝采を叫びたくなる。

20260824

きけわだつみのこえ

1969年の事だから小学5年生だったと思う。思春期の嵐が始まろうとしていた。ひとつのNWESが私の心を捉えた。

立命館大学広小路キャンパスで、学生運動のグループが「わだつみの像」を破壊した。当時の私はわだつみの意味も知らず、その像がどの様な経緯で建てられたのかも、そして何故破壊されたのかも知らなかったし、分からなかった。だが、当時幾つもあった学生運動のNEWSの中でもその出来事は妙に記憶に残るものになった。


戦没学生の手記、『きけわだつみのこえ』の存在を知ったのは、その数年後の事だった。

そして戦後50周年を記念する年、私は当然のようにこの『新版・きけわだつみのこえ』と『新版・第二集きけわだつみのこえ』を買い求めた。


私にはその2冊の本が、どこか重要な文献であるかの様に感じられ、いつか読まねばと思いつつ、30年が過ぎた。

この程纏まった時間が取れたので、その2冊を本棚から取り出し、神妙な気分を抱きながら読み始めた。

最初、その精神性の高さに驚かされた。

どの手記も大学に入ってすぐか、大学院在学中。夥しい数の学徒が、志半ばで軍隊に徴兵され、戦死している。その事実が書かれている。

夢中になって読んだ。

だが、期待が大き過ぎたのだろうか?途中から、延々と続く学徒たちの手記に、中弛みの様なものを感じ始めてしまった。

ロマンチックと言えばそれ迄の事になるが、それ以前に先走る観念的な思念に、どうにも我慢が出来なくなって来てしまったのだ。

いずれも東大や早稲田。将来を嘱望もされていたのだろう、エリート学生達の高邁さに、最初好意を持っていた精神性の高さも鼻に付く様になって行った。

それでも何故かそれが自分に課せられた義務でもある様に、何とかこの『きけわだつみのこえ』を読破もした。

1949年の刊行以来、無数の読者の心をとらえ続けて来た戦没学生たちの手記とある。多くの人々がこの本を読み、平和の尊さと戦争の非道さを感じても来たのだろう。その事が、何故か信じられない事でもあるかの様に、今の私には虚しさに似たものとして感じられるのだ。

戦後の所謂平和運動と称するものについても、私は再検討する必要があるのではないかと感じてしまっている。

20260821

日本中世の畠作と雑穀

木村茂光『日本中世の畠作と雑穀─「水田中心史観」批判』。

緻密な論考である。

さして強い動機も論拠もなく、私は「水田中心史観」を信じて来た。本書はその「誤った思い込み」を一刀の下に両断してくれた。まさに目から鱗の本である。


筆者によれば、日本の農業が本格的に稲作一辺倒になったのは列島改造以後の現象であり、それ迄は地域によって差こそあれ、水田と畠はほぼ等しい面積で、農業が営まれていたらしい。

だが、それでなくても中世の日本の農業は水田を中心に語られることが多かった。その理由として、筆者は稲以外の農産物に関する、歴史的資料が少なかった事を挙げている。税収が稲を中心に計算されていたからだと言う。

だが、その気になって探せば、稲に遜色ない面積で畠地が拡がり、そこでは多くの作物が実り、人々の生活を支えていた事実が浮かび上がる。

筆者は何故「その気に」なったのか?

筆者は網野善彦氏の「水田中心史観」批判に影響された事を明確に認めている。しかし網野氏の「水田中心史観」批判は、農民以外の人々、「職人」や「職能民」に光を当てるものであり、稲以外の農産物を作っていた農民の姿は相変わらず描かれなかった。筆者の「水田中心史観」批判は、この「網野氏の「水田中心史観」批判」の批判でもある。

本書で筆者は、具体的な史料を挙げる事によって、日本の歴史の中で営まれていた、多様な諸稼ぎを描き出す。

それと同時に、同様な問題意識を共有する諸研究者の成果を紹介する事で、「水田中心史観」批判が、歴史学の流れの中で、大きな潮流になっている事も描き出す。

歴史学者の間では、「水田中心史観」批判は常識になっている様だ。

そこで思い出すのだ。最近の「令和の米騒動」は、まさに「水田中心史観」そのものの姿では無かったろうかと。

稲作一辺倒を列島改造以来推し進めて来た官僚が、異様に米の大暴落を恐れるのは、その自らの政策を批判されたくないと言う、その一心なのではないかと。

しかし、高校以来理科系を志向して来た私は、日本史を選択しておらず、本書を読むのも一苦労な有様だった。

本書は、参考文献を豊富に紹介しており、その殆どは図書館にある事を知った。これを機会に、もう少し歴史学を学んでみようと決心した。

20260817

歴史学者、ガザに潜入する

後4か月以上あるが、この本は今年読んだ中で、ピカイチのルポということになるだろう。

著者ジャン=ピエール・フィリユは中東現代史を専攻する歴史学者である。このアイデンティティが自らをガザの地に身を置こうと誘(いざな)ったのだろうが、それを実際にやるのとやらないのとでは、天と地の差がある。彼は身を置いた。


その第一印象は冒頭のルポ「何一つ」に端的に表現されている。

私がガザで目撃し経験したものにとって、まえもって心の準備に役立つものは何一つとしてなかった。

その後、筆者は畳み掛けるように何一つを繰り返す。

筆者は歴史学者である。現場を訪れる前に、心の準備をし、事態を予想する想像力は並の人以上に鍛えられている筈である。

だがガザという地は、その想像力を簡単に跳ね除けてしまう過酷な地であった。

前以て想像していた心の準備は、ガザという現実の前では、余りにも無力だった。

彼がガザに身を置いたのは34日間。それは一瞬一瞬がまさに死と隣り合わせの34日だった。実際、ガザに身を置いて殺された医者・ジャーナリストは何人に上るのだろうか?

彼が命懸けで目撃したのは、同じく命懸けで、しかし1か月というような短いスパンではなく暮らすガザの人々の生活であり、生き様だった。

彼らパレスチナ人は生きる場も生存する環境も根こそぎ奪われ、一瞬も気を緩める事すら許されずに生きている。そして毎日子どもが、大人が殺されて行く。

うんざりだ!

その声を、世界中の人たちはもっと大きく張り上げた方がいい。

本を読んでいて、この箇所は引用したいと、思う事は多々あるが、この本に関しては、引用するのであれば、そして許されるのであれば、全文を引用したいという欲求に駆られた。

ジャン=ピエール・フィリユの著したルポは、ひと月余りという限られた期間のルポだが、それだけに、極めて密度の高いルポであり、重要な証言であると言えるだろう。

著者に感謝したい。良くぞ生きて帰って来て下さった。そして、良くぞ書いて下さったと。