20131114

再び映画に嵌まる

再びと言っても一度目は途方も無い昔の話だ。

10代の終わりから東京に出た。
独り暮らしの自由さに歓喜していた。

池袋に住んだこともあって、受験勉強もせずに名画座に入り浸って映画三昧の日々を送ったことがあると言う話だ。

大学に入ってからはむしろ映画を観なくなった。

映画好きの人間のマニアックな口調に耐えきれなくなったのと、地質の勉強が面白くて他の分野への関心が薄らいだせいだ。

以来、私の中での映画の時代は終わったと思っていた。

時々観るもののそれ程夢中になることは無かった。
NHK・BSで古い映画が放映される。
それを録画するくらいが関の山だった。

けれどそこで『風と共に去りぬ』などを観ると、映画はさすがに凄いな…と思わされもしていた。

amazonなどでごくたまにDVDなどを購入していた。


ふと、最近のレンタルビデオ店がどうなっているのかと思った。
さすがにビデオを買うのがかなり負担になってきたからだ。

切っ掛けはtwitterでGlenn Gouldの話になり、音楽好きの方から『グレン・グールド─天才ピアニストの愛と孤独』という映画を薦められたからだ。

amazonで探してみるとかなりの値段がする事が分かった。

GEOに登録し、探してみるとあった。早速借りてみた。

良かった。

最初はグレン・グールドの恋愛に焦点を絞った内容なのだと思い込んでいた。だがそうでは無く、グレン・グールド本人が登場し、かなり貴重な映像と証言が込められた本格的なドキュメンタリーだった。

過去のメールを再確認してみると、 楽天でもDVDをレンタルしていることが分かった。

これも登録してみた。
こちらの方が送料は高いが1本の単価は安い。そして驚くほど値引きセールが多い。

借りると旧作が何本か無料で借りることが出来るクーポンが付いてくる。
吝嗇な私はそれを無駄にするのが惜しなった。

そこから怒濤の映画漬けが始まってしまったというのが真相だ。


知り合いに映画好きは沢山いる。
それに映画と言えば貴重な情報源として「うさこさんと映画」というBlogも以前から読んでいた。

そのBlogの最新記事は『ブラディ・サンデー』という映画についてのものだった。これも借りてみた。
確かに観るべき映画だ。

そのBlogで以前採り上げられていて、いつか観なければと感じた『アレクサンドリア』を次に借りた。

素晴らしい映画だった。


以来、一日に2本くらいのペースで映画を観ている。


昨日は『 アマデウス』を観た。以前から気になり続けていた映画だ。良かった。
モーツァルトを直接採り上げず、サリエリの目から見たモーツァルトにした視座が何と言っても成功の鍵だろう。
役者も皆達者で極めつけで面白かった。

しかし、映画という世界は何と言う完璧主義の世界なのだろう。

モーツァルトに関して余り知識が無くても十分に楽しめる映画だったが、知識があるともっと楽しめる映画になっている。

時代考証が極められている。

そして付けられている音楽が何と本格的である事か。


地質をやっていて、学問というものは娯楽が極まったものだと感じた。

しかし、「娯楽が極まったもの」は他にも沢山あるのだ。

音楽がそうであるし、本の世界も途方も無く深い。

そして映画。


こうした「娯楽が極まったもの」に触れる度に、私は世界の広さに打ちのめされる。


地球は小さな惑星だ。
だがその上で繰り広げられている人間の営みは、人の一生なんぞでは到底極められないほど広い。

20131107

音楽史たん

遂に朝6:00からの『古楽の楽しみ』を聴き始めてしまった。

Twitterを始めとして、SNSには、どこか上手くいっていないという感覚が付きまとっていた。

だが、余り気にしなくなった。
そもそもそれ程有益なことを沢山発信している方では無かった。人気が出る訳が無い。

フォローされることをそれ程気にしなくなったら、何となく物事が巧く行き始めたような気もし始めた。

いや、気のせいだけではあるまい。

twitterやFacebookがそれなりに面白く感じ始めたのだ。

そのうちのひとつに最近twitterでフォローした音楽史たんというアカウントがある。

古代から始めて音楽史をYoutubeで実際に音を聴きながら概観してくれる。

面白いのだ!

昨日の夜の段階で、ルネサンス後期・器楽のリュートでDowland(1563-1626)まで進んだ。

音楽の聴き方が丸っきり変わってしまった。

古楽を聴くようになったのは、このアカウントと一緒に音楽史を概観し始めてからだ。

だが、それ以上にクラシック全般、とりわけ現代音楽の聴き方が変わってしまった。

10月の下旬にはByrdの名前が出て来て軽く驚いた。

私の無知が驚かせたに過ぎないのだが。

彼、William Byrd(1543?-1623)の名前を知ったのはつい最近の事だ。YouTubeでGlenn Gouldの演奏を漁っていて、頻繁にこの人の名前が出て来たのだ。
Glenn Gouldは現代音楽も弾いているが、最も関心を寄せ、採り上げたのはBachだった。
けれど伝統芸能をやろうとしていたのでは無い。BachやByrd、Gibbonsなどの古い音楽を現代音楽として弾くことを試みた音楽家だったと私は理解している。

なのでByrdもどこか現代音楽の感覚で聴く姿勢が出来てしまっていた。
この姿勢があながち間違いでは無かったのだと気付かせてくれたのが音楽史たんの講義だった。

古代や中世の音楽の響きはまるで現代音楽だった。

中世のオルガヌムなどの中にはスティーブ・ライヒに影響を与えたり、20世紀にならないと復活しなかった書式で書かれているものもかなりあるのだ。



吉田秀和さんの本『名曲三〇〇選』の中の記述を実際の音で実感と共に振り返ることも出来るようになった。


現代音楽は古い音楽の基礎の上にしっかりと建っているのだ。

音楽史を辿ることは、そのまま音楽の多様性に気付くことでもある。


音楽史たんのtweetは初期のものがまとめられている。

音楽史たんまとめ①【古代】編

音楽史たんまとめ②【中世】編


twitterをやっていなくてもここで古代・中世の音楽を振り返ることが出来る。

まだまだ音楽史たんのtweetは続くのでtwitterをやっている方にはフォローする事をお奨めする。


実にスリリングなのだ!

20131025

Ataokoloinona

すぐ北杜夫好きの友人にメールした。

先月の半ば頃の事だった。

私はWebを始めた時、最初に検索した語を覚えている。

『アタオコロイノナ』

だ。

多分北杜夫最大のベストセラーであろう『どくとるマンボウ航海記』の冒頭にその名は出て来る。

マダガスカル島にはアタオコロイノナという神さまみたいなものがいるが、これは土人の言葉で「何だかへんてこりんなもの」というくらいの意味である。私の友人にはこのアタオコロイノナの息吹きのかかったにちがいない男がかなりいる。

中学生の頃、私は確信した。私も大人になったら、北杜夫の様に、知っていたからと言って何かの役に立つ訳ではない。けれど知っていると無闇矢鱈と愉しいそんな所謂雑学を沢山仕入れる事が出来るに違いない。

どの様な神さまなのであろうか?あれこれ想像した。しかし、高校生辺りでふと、これは「やられた」な?!と感じたのだ。

そもそもアタオコロイノナなどという名前自体が怪しい。これは北杜夫の創作或いは法螺に違いない。

いや、北杜夫自身がそうしたファンレターを沢山貰っていた事は知っていた。

『どくとるマンボウ昆虫記』ではそうした手紙に反論してかなり詳しくアタオコロイノナについて記している。

少し長いがまた引用してみよう。

『どくとるマンボウ航海記』というあまりまっとうでない書物は、マダガスカル島の変ちくりんな神アタオコロイノナの話からはじまっている。人々はこの名前からして信用できぬものを感じた。現に「おそらく暗号と思い、逆さまからよんだりいろいろと文字を組み合わせてみたりしましたが意味がわかりません」という手紙を著者は受け取っている。
しかし、これはマダガスカル島南西部に残る正当な伝説である。
むかしむかし、途方もない昔、天にましますヌドリアナナハリ(神の意)は、息子のアタオコロイノナ(何だか変てこりんなものの意)を地上に遣わし、そこに生きるものを創造することが可能かどうかを調べさせることにした。父の命をうけたアタオコロイノナが地上に降りてくると、どこもかしこも息もつけぬほどの酷熱である。おそらく彼はまだ熔岩が支配していた地上の冷えきらぬ地球にやってきたものらしい。彼はおったまげ、地中にもぐったならいくらかの涼気が得られるものと、慌ててズブズブと地面の底へもぐってしまった。そして、そのまま二度と地上に現れずじまいであった。つまり完全に行方不明になってしまったので、ここのところがアタオコロイノナたる所以である。

さて、北杜夫を信用する気になっただろうか?

最初に『昆虫記』を読んだ時、私は北杜夫が余りにもアタオコロイノナを信じてもらえない事を地団駄踏んで悔しがりつつ、この部分を書いたのだと思った。

どこ迄も青臭いほどに純真な少年だったのだ。だが、しかし、まてよ…!?私は更に考えた。

どこ迄作家という人種に騙されたら私は悟るのだろうか?彼らは頭が良く、想像力抜群でしかも人が悪く、 何よりも嘘をつくのが商売なのだ。
かなりの時間を図書館で過ごし、何の成果も上げられない高校生活を過ごし、私は段々と確信していった。

アタオコロイノナは北杜夫の創作或いは法螺に違いない。

しかし、ファンというものは仕方のない存在であって、それでも尚私は心のどこかでアタオコロイノナを信じていて、それについて何かを知る日が来るに違いないと思い続けてきた。

そして時代はWebというものを持つ。

始めたのはかなり遅かった。金がなくてなかなかコンピュータを買えなかったのだ。だが、だから始めた時にはかなりWebの環境が整っていた。

Webならば何か引っ掛かってくるに違いない。何しろ世の中は博識に満ちた方々がひしめいているのだ。誰かが調べ何かを突き止めているに違いない。

そう思って私は最初にWebで「アタオコロイノナ」を検索した。

何も引っ掛かって来なかった。


駄目か…。


かなり意気消沈した事を覚えている。

やはり騙されたのか…。

そのうちにWikipedia日本語版に「アタオコロイノナ」の項が立ち

「北杜夫の著作以外の登場が無いこと、多くの研究者のフィールドワークの報告や様々な神話集・伝承集などに一切記述が無いことなどから、実際は北杜夫の創作した神であると考えられる。」

と、書かれるに至っていた。


私はアタオコロイノナについて検索する事を段々と止めていった。…かと言うとそうでは無く、それでも諦めきれずに数年に一遍は検索を繰り返していた。


先月、先述の友人とメールで北杜夫の話をした。

それが切っ掛けとなって、また久し振りに検索してみようと思い立った。けれど「アタオコロイノナ」で検索してもまたWikipediaの項を見るだけだよなぁ…とも思う。

で、何の気なしに適当にスペルを付けてみて「Ataokoloinona」で検索してみたのだ。初めての事では無かったのだが。

すると!何と日本語のサイトを含め、ずらっと検索結果が並ぶでは無いか!!

日本語の検索結果は何あろう、あのWikipediaであったが。

何回も見た結果と、少し違っているように見えたのでそれを開いて見た。

すると!「北杜夫の創作」という言葉が消えているではないか!

更に「研究の進展」という項が立ち

元東邦大学薬学部非常勤講師の長谷川亮一[2]は、Googleブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみたところ、北杜夫が『どくとるマンボウ昆虫記』で紹介したものとほぼ同じ内容の話を南西マダガスカルにつたわる神話として記載した英語の文献を見つけることができたため、アタオコロイノナの伝承は北杜夫の創作ではないだろうと結論付けている[3]。

とあるではないか!

私は小躍りした。同じことをした人がいるのだ。

早速そのBlogを読んでみた。

該当Blog
アタオコロイノナは北杜夫の創作ではない

このリンクを貼れば、実は本日の話題はすべて語った事になる。

2011年6月15日の日付のあるその記事には必要な事柄がすべて書かれている。

「様々な神話集・伝承集などに一切記述が無い」というのは間違い。これは、 Google ブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみれば、すぐにわかることである(→検索結果)。

ブック検索という手があったか!

該当BlogにはFelix Guirand (ed.), Richard Aldington & Delano Ames (transl.), New Larousse Encyclopedia of Mythology, London: Hamlyn Publishing, 1968, pp. 473-474が引用されている。
私もそのままコピペする

A legend of south-west Madagascar deals with the origins of death and rain among the Malagasy, and at the same time explains the appearance of mankind on earth.

‘Once upon a time Ndriananahary (God) sent down to earth his son Ataokoloinona (Water-a-Strange-Thing) to Look into everything and advise on the possibility of creating living beings. At his father's order Ataokoloinona left the sky, and came down to the globe of the world. But, they say, it was so insufferably hot on earth that Ataokoloinona could not live there, and plunged into the depths of the ground to find a little coolness. He never appeared again.

‘Ndriananahary waited a long time for his son to return. Extremely uneasy at not seeing him return at the time agreed, he sent servants to look for Ataokoloinona. They were men, who came down to earth, and each of them went a different way to try to find the missing person. But all their searching was fruitless.

‘Ndriananahary's servants were wretched, for the earth was almost uninhabitable, it was so dry and hot, so arid and bare, and for lack of rain not one plant could grow on this barren soil.

‘Seeing the uselessness of their efforts, men from time to time sent one of their number to inform Ndriananahary of the failure of their search, and to ask for fresh instructions.

‘Numbers of them were thus despatched to the Creator, but unluckily not one returned to earth. They are the Dead. To this day messengers are stiu sent to Heaven since Ataokoloinona has not yet been found, and no reply from Ndriananahary has yet reached the earth, where the first men settled down and have multiplied. They don't know what to do – should they go on looking? Should they give up? Alas, not one of the messengers has returned to give up information on this point. And yet we still keep sending them, and the unsuccessful search continues.

‘For this reason it is said that the dead never return to earth. To reward mankind for their persistence in looking for his son, Ndriananahary sent rain to cool the earth and to allow his servants to cultivate the plants they need for food.

‘Such is the origin of fruitful rain.’

[大略――南西マダガスカルにつたわる神話によれば、神ンドリアナナハリ(ヌドリアナナハリ)は、その息子アタオコロイノナを、地上に生命を生み出すことが可能かどうかを調べさるために、地上に使わした。ところが、そのころの地上はものすごく熱かったので、アタオコロイノナは地下にもぐりこんでしまい、そのまま姿を消してしまった。ンドリアナナハリは、息子が帰ってこないので、それを捜すために使用人を地上につかわせた。すなわち、これが人間の起源である。しかしアタオコロイノナがどうしても見つからないので、人間はンドリアナナハリに使者を寄こして新たなる指示をあおごうとした。これがすなわち「死」の起源である。しかし、ンドリアナナハリのもとに派遣した使者は誰一人として戻ってこなかった。そのため人間はいまだにアタオコロイノナを捜し続けている。また、雨は、ンドリアナナハリが、人間がアタオコロイノナを捜しやすくするよう、地上を冷やし、食べ物をもたらすために降らせているものである。]

何と!『どくとるマンボウ昆虫記』にあるのと殆ど同じでは無いか。


矢鱈と長いエントリになったのは私が興奮したからに他ならない。長い間検索し続けた!
遂にこの日がやってきたのだ。
これに興奮しないで何に喜ぶというのだろうか?

改めて北杜夫のどうでも良い事に関する、果てしない博識に驚嘆するばかりだ。

20131020

断煙350日

方々から初冠雪の報せが舞い込んできている。季節は移り変わっているのだ。

まだ1年経っていない。
しかし、また一区切りを無事迎える事が出来た。

このような季節の中で、私は次第に断煙への決意を固めつつあったのだ。

断煙してから350日が経った。
吸うはずだった煙草の本数は7,000本に上る。凄まじい本数だ。

繰り返しになるがまだ1年経っていないのだ。

得したタバコ代は154,000円。

かつては(もっと本数を吸っていたが)タバコ代は安かった。仮に1年で15万とすると、40年吸っていたので600万円になる。

車が買える。それもかなり良いのをだ。

それだけの金額を私は灰にして来たのだ。あの赤貧洗うがごとき状況の下で。

もう煙草を吸う事は考えられない事だ。あり得ない。

ようやくここ迄来た。

余談では済ます事が出来ない事だが、母の家の隣の家が火事になった。
一時は母の家の中まで煙が入って来て、母は知り合いの家に避難する騒ぎになったが、幸いな事に誰も被害に遭わずに済んだ。

何よりも火元でなく、そして類焼もなかった事は良かったと感じる。

このような事があると煙草を止めておいて良かったとつくづく感じるのだ。火事の原因の、それも件数が多い原因のひとつを予め断つことが出来たと言う事だ。

これは大きな成果だと思う。

もし止めていなければ私はこの1年で583時間もの時を、ベランダに坐って過ごしていたのだ。

それだけでも途方もない数字だと思う。

最初から吸わなければより良かったのだがそれはもはや考えても仕方のない事だ。兎に角、ひとつの大事業を成し遂げたのだと考えた方が良いだろう。

1年経たない今、積み重ねられた数字の大きさに圧倒されている。

確かに大事業だったのだ!

20131019

東洋文庫マイブック

東洋文庫読者倶楽部というものが出来た。

Twitterで知り、早速入会。その後、音沙汰がなく、どうしたのだろうと思っていた。

昼に郵便受けをチェックしに行った。どうせ何も届いているものは無いだろうと高を括っていたのだが、郵便受けからはみ出す本の様な形状を持つ封筒が目に付いた。

何だろう?

封筒には平凡社と書かれていた。

この段階では分からずにいた。開けてみて、「あ!」と声を出した。

根強い人気がある文庫だ。私が入会したのもかなり後だろうと半ば諦めていたのだが、先着300人に滑り込む事が出来たようだ。

縦書きの罫線だけが入っている、何も書かれていない東洋文庫を手に入れる事が出来た。

何に使おうか?それを思い巡らすだけでも愉しい。


東洋文庫は1963年に創刊され、今年10月で50周年を迎えるのだそうだ。

創刊時は
『楼蘭─流砂に埋もれた王都』『唐代伝奇集1』『鸚鵡七十話─インド風流譚』『日本史1─キリシタン伝来のころ』『アラビアのロレンス』の5点。偶然だがすべて所有している。
かなり渋いラインナップだ。
グラフィック誌「太陽」も同年63年6月の創刊。
「どちらも当時は実に売れなかった」とは荒俣宏さんの証言。

今も爆発的なベストセラーがここから出るとは思えない。

だが、確実にファンは存在する。

かく言う私がそのうちのひとりだ。実にお世話になった。

装幀は原弘(はら・ひろむ)氏によるもの。いつ迄も触っていたくなる飽きの来ない装幀だ。

なので私だけのものになるのであろうこのマイブックが当たった事は結構嬉しい。

難点を挙げれば東洋文庫は高い。
買う時はやはり身構えてしまう。

そしてかなり難しい。
やはり身構えてしまう。

けれどいつ迄もファンでありたいと思う。

地味だが、マイブックと一緒に付いて来た東洋文庫の解説目録も結構嬉しい。これと年2回送られてくると言う「東洋文庫通信」でほぼ完璧なチェックが出来る。

「日本も含めた「基層アジア」「民族アジア」「周辺アジア」「交流するアジア」を描き続ける「アジアのエスノグラフィ(ethnography)」への─完結しない「未完のプロジェクト」」(「東洋文庫通信」)をこのまま見守りたいと願うのだ。

音楽もそうだが、エスノグラフィもまた途方もない大海だと感じる。

しかし大海に漂う一艘の小舟であり続ける事は、幸福のひとつの形態だと私は思う。

20131004

湯沸かし器取り替え

先月末、キッチンの湯沸かし器が故障した。

最初湯の出にディレイが掛かり始め、おかしいな?と思っている内に全く点火しなくなった。
電池がなくなったのかとも考え取り替えてみたが改善しない。

ガステーブルは点くし、ガスメーターの警報器も点灯していないのでガスの不具合ではなく、湯沸かし器が壊れたのだと判断した。

思い切って大家さんと相談して湯沸かし器を取り替える事にした。

それ程大した故障ではないと思うのだが、湯沸かし器の部品がもうないと言う。この借家に入居してから10年経つ。方々が傷み始めても全くおかしく無い。


今日ようやくガス屋さんが来た。
真新しい湯沸かし器が入った。

新しい湯沸かし器もPalomaだった。この会社しかないのだろうか?

取り立てて画期的に新しくなった所は見られなかったので、技術の進歩もここには及んでいないのかと思ったのだが、今度の湯沸かし器は安全装置が敏感なので必ず換気をしながら使うようにとのお達しだった。

酸素が欠乏した状態で使っていると火が消え、電池のある辺りのインジケータが点灯する。そうなると有料でメーカーさんの手を煩わせる事になるようだ。

ちょっと面倒だが気を付けるに超した事はないだろう。

本体にも「お知らせサイン」と書かれていて、問題が起きたら点滅するとある。音声でも報せるとあるので、そう神経質になる必要はないだろう。

…。すこしその「音声」とやらも聴いてみたい気もする。


数日、湯が出ない生活をした。
瞬間湯沸かし器がある生活はどれ程便利かが身に染みた。

それでもそれ程寒くない季節だったので助かった。これで厳寒の季節だったらいちいち湯を沸かさなくてはならなかったところだ。

ちょっとした油物を洗うときなど、やはりお湯が欲しくなる。

余りにも便利に慣れすぎたかな?とも、やはり、思う。

20130922

ギター修理完了!

先月の終わりに美鈴楽器に修理に出していたヤイリのギターが戻ってきた。
予想より遙かに安く上がってくれた。ほぼ半額だった。それは有り難いが、それでもかなりの出費になった。来月から本格的に切り詰めなければ!

ほぼ完璧な良い仕事をして下さった。

ギターの傷は2箇所あった。
胴体下辺の付近(大きく割れていた)と
ネック。ここはほぼ折れていた。

私は割れを知っているので、修理跡の傷跡を確認できるが、そうで無ければ写真で示し、キャプションを付けてもすぐには分からないと思う。

2003年に高田馬場の島村楽器で購入したものだ。
当時は薄給でも何とか手が届いたが、これだけの楽器は今では購入するのが難しくなっている。

ローンを組んだ事を覚えている。

試しに今この楽器を購入したら幾らくらい掛かるかを訊いたところ、当時の値段の3倍になっている事が判明した。

ギターを使おうとして慌てて自宅の階段で転びかけたのが傷の原因だ。

これからは大切に扱おうと思う。

何よりもかなり気に入っている、良い楽器なのだから。

20130908

雨漏り

朝から雨が降っていた。

掃除をしていてふと書庫部屋の床を見た。
何と!水たまりが出来ているではないか。

本棚の下の床にうっすらと水が溜まっている。

雨漏りだ!と直感したものの、どこから漏っているのかよく分からない。本棚の上の天井が僅かだが膨らんでいる。

取り敢えず本棚を動かす為に本を移動しよう。そう判断して段ボールに本を詰め込み始めたのだがこれが一大事業。ひとつの本棚を空にする為だけに10箱段ボールが必要だった。

空にして本棚を動かすと、やはり!

本棚のあった辺りの天井が濡れており、そこから雨水がしたたり落ちている。
いやはやである。
本棚の裏もそこからの水で濡れている。

もしこのまま放置していたら本棚そのものが腐ってしまうところだった。

ところが今日は日曜日。
大家さんに連絡して手配してもらったが、大工さんは捕まらなかった。

平日に改めて手配してもらって、修繕するしかないだろう。

今の所、他には漏れは見付かっていない。

しかし、本棚をひとつ動かすだけでも大事だった。

これで引っ越しとなったらどうなることか。

少し様子を見ていたのだが、時間と共に、天井の膨らみは大きくなり、漏出量も多くなってきた。

20130829

ドタキャン

あと1週間で商品が届くはずだったのだが、Vladimir Horowitz live at Carnegie HallとCentenary Edition 1913-13 Berliner PhirharmonikerのBox setを土壇場でキャンセルした。

都合2.5万円程の節約になる。

BrendelのHaydnの演奏を聴いていて思ったのだ。私は音楽をきちんと理解して聴いているのだろうか?
Haydnはリサイタルなどで積極的に採り上げられる作曲家ではない。
聴くとしたら、習っているピアノの演奏の参考にするといった聴き方が殆どなのではないだろうか?

NHK・FMの放送をUSBメモリに録音しようとして失敗した。失敗したお蔭で予約録音を含め、やり方は身に染みて良く理解出来た。

Horowitzの放送は再放送を予約録音することでカヴァー出来る。

だが、吉田秀和さんの放送は残念ながら再放送がない。

特にGouldとBrendelのHaydnは良い演奏であった。またCDを買う予定もなかったので録音を逃したことが大変無念に思えた。

無念の余りかっ!とした。
頭に血が登ってそのCDを買おうとしたのだ。

だが、そこ迄つぎ込む資金は私にはない。少しは将来のことをぼちぼち考えて行かねばならない。

煙草も止めてしまったので長生きする可能性すら出て来てしまっている。それにもう早死にする計画は頓挫してしまっている。

それより何より、そこ迄して買う程私に音楽を理解する能力があるのだろうか?

BrendelのHaydnは良い演奏だと思う。だが、私には十分理解出来ないという事も、はっきりと分かってしまう演奏だった。

画期的なペダルの使い方をしているのかも知れない。聴く人が聴けばそれが分かるのかも知れない。
ピアノを演奏する人は、それを参考にして自分の演奏に活かして行く事も出来るのかも知れない。

だが、私はピアノのレッスンをした事もない。
理解出来る訳がないではないか。


この所聞き込んで、以前よりクラシック音楽への理解は以前より深まったと思う。だが、所詮は音楽素人の余技に過ぎない。

ならばFMやネットラジオで愉しむ程度でも十分なのではないか?それに、今ならばYouTubeもある。


Boxセットは確かに1枚当たりの値段を考えたら得なのかも知れない。けれど問題は総額だ。

消費税が上がる前に高額な買い物をしてしまおうと思ったのだが、買い物そのものを控えるという手もある。

勢い込んで数十枚のCDを購入しても、1回だけ聴いてそれでお仕舞いでは余りに無駄というものだ。

CDを購入して満足するのはもしかしたら物欲という魔物だけなのではないだろうか?


計画していたBoxセットのCDの枚数は150枚余りに上る。1日1枚聴いたとして3ヶ月掛かる。

商品の到着が遅れるというメールがamazonからあった。
本来ならばもう届いている頃だ。
これは何のお達しだ?

今なら未だ間に合う。

止めよう!

そう思ったのだ。

私の脳はまだ暴走を起こすが、この所それを土壇場で引き留める事が出来るようになってきた。

20130825

"世界のピアニスト"

NHK・FMがやってくれるもうひとつの企画はこれ

吉田秀和が語った“世界のピアニスト”

これは月曜日から金曜日にかけて5日連続で放送される。

吉田秀和さんの『名曲のたのしみ』 はかなりの確率で聴いていた。けれど、私はそれを十分活かしてきたとは思っていない。

クラシック音楽、それもピアニストにのめり込んだのはつい最近の事だ。

その吉田秀和さんもピアニストには格段の関心を寄せていた。むしろそれ故に余りにレベルが高く、吉田さんの助言を活かすことが出来なかったのだと思う。


この所、私の部屋には昼間、間断なく音楽が鳴り響いている。

ホロヴィッツを聴き直したのが切っ掛けだった。だから最初はYouTubeでこれと思う演奏者の動画を拾い集めていた。

そのうちにそれだけでは満足できなくなっていった。

まだ始まったばかりだが、そしてすぐ資金が尽きるだろうがクラシック音楽のCD、それもBoxセットを1万位で買い求め、それを中心に聴くようになった。


ピアニストが多い。

なので往年の吉田秀和さんの放送、それもピアニストを語っている吉田秀和さんの声を聞くことが出来るのは大変有り難い。

今ならば、吉田さんにもう少し寄り添ってお話を伺うことが出来そうな気がしている。

放送予定は次の通り。

26日(月)「巨匠たちのベートーベン ~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」
27日(火)「グールド、ブレンデルのハイドン」
28日(水)「シフのシューマン、ピレシュのシューベルト」
29日(木)「ガヴリロフとヒューイットのラヴェル」
30日(金)「リパッティ、ツィマーマンのショパン」

どれも斬新な切り口だ。

しかも吉田秀和さんでなければ出来ないような選曲もされている。

例えば26日の「巨匠たちのベートーベン ~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」では、選ばれている曲はベートーヴェンのピアノソナタの中で決して人気曲とは言えない第32番ハ短調のみなのだ。

このような番組編成は吉田さんでなければ許されないだろう。

いやが上にも期待感が盛り上がる。

これら放送には再放送が予定されていない。

20130824

ホロヴィッツ変奏曲

来週はNHK・FMが来ている。長い間、エアチェックという言葉も死語になっていたが、これは録音しておこうと思っている企画がふたつほど続く。

その内のひとつ。

ホロヴィッツ変奏曲 ~名盤を通して知る大芸術家~

神と崇めるピアニストのひとりだ。

だが、苦い思い出もある。

80年代も半ばのことだったと思う。
私にも付き合っていた女の子がいた。

私は椎名町の下宿で、その彼女にキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聴かせた。

好きな曲だし、今でも良いと思っている。

その女の子はこんな感想を述べた。
「あのお爺ちゃんよりずっと上手!」
あのお爺ちゃんとは誰あろうウラジミール・ホロヴィッツその人のことだった。

かなり愕然とした事を覚えている。

キース・ジャレットは下手なピアニストでは決してない。むしろ巧い。だが、あのホロヴィッツと比べようというその発想そのものが私にはなかった。

ホロヴィッツは神様だった。


その頃TVは持っていなかった。だからNEWSを観たのではない。
どうやって知ったのかよく分からない。

だがホロヴィッツが来日し、かなり残念なリサイタルを開いたと言う話は知っていた。
愕然としたのはその女の子が熱心な音楽ファンではなく、むしろ純然たる音楽素人だったことに起因する。

その女の子が聴いてもはっきり分かるほど駄目だったのか!

私は思わず黙り込んでしまった。

以後、長い間ホロヴィッツを聴かなかった。

ホロヴィッツを聴かなくなったのは私にとっては吉田秀和のせいではない。この女の子のこのひと言が大きかった。

中村紘子の『ピアニストという蛮族がいる』にはこんな描写もある。

私は1965年にニューヨークのカーネギーホールで行われた、ホロヴィッツの12年ぶりのカムバック・リサイタルを聴いている。その時彼は60歳をわずかに過ぎたばかりで、日本で「ヒビの入った骨董品」などといわれる20年も前のことだったが、私は最初の1音を聴くなり「ああ、我らがホロヴィッツも老いたり」と思ったものだった。

老いたホロヴィッツ。その存在を私は認めたくなかった。

自分の神だった存在を神のままにしておきたかったのかも知れない。私はあからさまにホロヴィッツを聴くのを恐れ、封印した。


つい最近、恐る恐るYouTubeでホロヴィッツの演奏を聴いてみた。それも来日したときより老いている年代の録音のものをだ。

良い!

はっきりとそう思った。

ホロヴィッツは老いて駄目になってしまったのではなかったのだと理解した。あの1983年という年が偶々駄目だったのだ(来日の直前のニューヨークでの演奏もあまり良くなかった)。


そして悟ったのだ。
あの中村紘子の文章は、ホロヴィッツが駄目になってしまったと言いたかったのではなかったのだ。
若き日のホロヴィッツが如何に想像を絶して凄かったかと、そう言いたかったのだ。


その凄いホロヴィッツは、私は体験したことがない。今度のNHK・FMの放送で、古い録音は放送されるのだろうか?

愉しみだ。

放送の予定は次の通り。

26日(月)第1変奏
「奇跡のピアニスト、ホロヴィッツ ~その魔性のピアニズムに迫る~」
27日(火)第2変奏
「ガラスのハート ~繰り返される引退、そしてカムバック~」
28日(水)第3変奏
「ロシア郷愁 ~晩年の録音とロシアへの思い~」
29日(木)第4変奏
「ホロヴィッツの愛した名曲たち ~唯一無二のレパートリーを聴く~」

実はホロヴィッツのカーネギーホールのリサイタルを網羅したらしいBoxセットをもう注文してしまっている。少し到着が遅れるという報せがあった。

それを楽しみにして、来週の放送も愉しもうと思っている。

20130715

Gould Bach Edition

2ヶ月ひとつの商品をチェックし続けた。その結果、かなり良い買い物が出来たと思っている。

円安という現象が実際に進行しているのだと言うことも肌で感じることが出来た。正規の値段が高くなってしまったのだ。

だが、ひと月に使える金額を超えてしまっていた。じっとセコハンで安い商品が出るのを待ち続けていた。

出た!すぐ注文した。すぐ届いた。

何か不都合があって、相手が焦っているのかと思う程だった。なので再生可能かどうかをすべてチェックしてみた。大丈夫だった。完動美品だ。

Glenn Gouldが演奏してる全てのBachが手に入る訳ではないようだ。だが38枚のCDと6枚のDVDで1万。かなり安いと思える。

これで当分何も買えない。

だが、当分楽しみは続く。

箱が布張りなのは商品の説明で知っていた。だが例の椅子がプリントされているとは思わなかった。

Glenn Gouldを象徴するものは彼がこだわった椅子なのか!

一緒に付いて来た分厚い解説書(英語!)の表紙も椅子だった。

20130703

グールドをめぐる32章

7月はGlenn Gouldで始めたい。

本が揃ってきた。

いずれも古書サイトで見付けたものだが状態は良い。
あちこち覗いてみて、拾い読みをしている段階だがどれも面白い。これ程Gouldに文才があるとは知らなかった。

依然としてYouTubeでピアノ曲を中心に聴いているのだが、以前ほど自分の好みだけで聴かなくなってきたように思う。
どちらかと言えば、「誰でも良く」なってきた。

一定の水準を満たしていればどの演奏にもすばらしさを見いだすことが出来る。

だが、やはり特別なピアニストは特別なのだ。

そして、Glenn Gouldは、やはり今でも私にとって特別なピアニストであり、音楽家であり、そして書き手だ。最後が最近加わった要素だ。

私の生活にGlenn Gouldの言葉を読む喜びが加わった。これは彼の音楽を聴くのと同じ位スリリングな体験だ。


今日はそのGouldを描いたYouTube動画のもうひとつを紹介したい。

『グレン・グールドをめぐる32章』というドキュメンタリー映画。と言うより純粋に映画だ。

原題は『Thirty Two Short Films about Glenn Gould. 』
1993年にカナダで作られた。
監督はFrancois Girard。製作はNiv Fichman。脚本はFrancois GirardとDon McKellar。撮影はAlain Dostie。編集はGaetan Huotとなっている。

不可思議に満ちた音楽家Glenn Gouldを描いた、不思議なドラマになっている。私は魅了された。

10分程度の10つの動画に分けられている。ご覧頂きたい。

グレン・グールドをめぐる32章_1


グレン・グールドをめぐる32章_2


グレン・グールドをめぐる32章_3


グレン・グールドをめぐる32章_4


グレン・グールドをめぐる32章_5


グレン・グールドをめぐる32章_6


グレン・グールドをめぐる32章_7


グレン・グールドをめぐる32章_8


グレン・グールドをめぐる32章_9


グレン・グールドをめぐる32章_10

20130625

おふざけベートーヴェン

このところピアノ曲を中心に、クラシック音楽ばかりを聴いている。お金が無いのでYouTubeが多くなるが、関連リンクに時折何じゃこりゃ?!というものが引っ掛かってくる。

ベートーヴェンにこんな曲があるとは知らなかった。


ベートーヴェン:「なくした小銭への怒り」

いや、知らないはずだった。

だが、この曲、子供の頃確実に聴いたことがある。

多分、ピアノを習っていた友人経由で聴いたのだと思う。
だが、小学生が弾いていたのだろうか?聴いた限りではこの曲、結構難しい。


調べてみると、どうやらベートーヴェン自身が付けた題名ではないようだ。
正式な題名は『Rondo a capriccio Op.129』-「ロンド・ア・カプリッチョ ト長調」と言う。

有名な表題《奇想曲の中へぶちまけた、なくした小銭への怒り》は、第三者が自筆譜に書き込んだもので、ベートーヴェンの命名ではない。
との事。 

しかし、これでようやくNAXOSが延々と連載している漫画の意味が分かった。

WEB4コマ劇場「運命と呼ばないで」~Op.3「失われた小銭のゆくえ」~

今迄単なるギャグだと思っていた。この曲が背景にあったのだ。

この漫画マイナーだと思うのだが、それでは勿体ないほどベートーヴェンに詳しい。
逆に詳しくないと分からない部分が多い。

WEB4コマ劇場「運命と呼ばないで」特設ページに最新作と今迄の作品へのリンクがあるので是非読んでもらいたい。


この曲をFacobookやtwitterで広めていたらhugujoという方からこんな曲を紹介された。


Ludwig van Beethoven - Der Kuß Op. 128

ベートーヴェンってときどき「これモーツァルトの役目じゃないの?」みたいなおふざけ(?)をしますね
とあった。

このtweetがなかったら、例え偶然にこの曲に辿り着いても詩の意味を探ろうともしなかったろう。

Christian Felix Weisse (1726-1804)という詩人が作った詩に晩年のベートーヴェンが曲を付けたものだ。

Ich war bei Chloen ganz allein,
Und küssen wollt ich sie:
Jedoch sie sprach,
Sie würde schrein,
Es sei vergebne Müh.

Ich wagt es doch und küßte sie,
Trotz ihrer Gegenwehr.
Und schrie sie nicht?
Jawohl,sie schrie,
Doch lange hinterher.

ぼくはクロエのそばで全くのふたりきり
それで彼女にキスしようとした。
だけど彼女は言った
キャーって叫ぶから
しようとしても無理よって
それでもぼくは思い切ってキスしたんだ、
彼女の抵抗をものともせず
で、彼女は叫ばなかったのかって?
もちろん、彼女は叫んだよ
でもずっと後でね。

確かにまるでモーツァルトだ。

20130622

グレン・グールドの肖像

私には、私にとってとても重要なピアニストという存在がある。

Vladimir Horowitz、Arturo Benedetti Michelangeli、そしてGlenn Gouldがそれだ。冷静でいられなくなる。
演奏だけでなく、その人となりも知りたくなってくる。
彼の著作も読んでみたいが、噂に聞く彼の独自の言い回しを理解出来るほど英語に堪能ではない。残念だ。


この所、クラシック音楽ばかりを聴いている。当然この3人の演奏が多くなる。

今迄買ったCDも多いがYouTube動画でかなりのものが視聴できるようになった。これは有り難いことだ。以前ならCDを買わない限り聴くことが出来なかったものも手軽に視聴できる。

いや、それどころかTVやラジオ向けに制作されたものは、殆ど視聴することが不可能だった。
それらのうちの幾つかを、今は観ることが出来る。

これは幸運なことだと感じる。

そのYouTube動画で、Glenn Gouldに関する興味深いドキュメントをふたつ見付けた。

それを紹介したいと思う。

両方ともかなり長い。だが小分けにされているので、少しずつ観る事も出来る。

今日は1985年に制作された『グレン・グールドの肖像』を採り上げる。
父親や従姉妹を始めとする関係者の証言もふんだんにある。貴重な映像だと思う。

全部で12本あるが、いずれも10分以内の長さなので全部観ても2時間は掛からないだろう。


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)1の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)2の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)3の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)4の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)5の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)6の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)7の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)8の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)9の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)10の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)11の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)12の12

20130619

ベートーヴェン研究

偶然だろうか?この頃古本が入手しやすくなったように感じるのだ。

先月は串田孫一の『愛を語る壺』が手に入った。

欲しいと思い続けてきたが、これ程美しい本だとは思っていなかった。
内容も実に良い。

そして今日、待っていた本が届いた。

どちらもかなり前に黒姫のよしはらさんに教えて頂いた本だ。

それ程ぐずぐずしていた訳では無い。
教えて頂いてすぐ方々を探し回った。

どこにもなかった。

それが立て続けに見付かった。

現在、マイブームはベートーヴェンだ。
あれこれ聴いている。

主にピアノ曲が中心だが、蒙を啓かれることが多い。

既に持っていたロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』を読んでいた。
これもかなり良い。これを読んでいて、そう言えば!と思い出して古本屋サイトを探してみた。amazonには出ていなかったのだ。

あった!

ロマン・ロランの『ベートーヴェン研究』だ。

思ったほど高くなかった。

表紙裏に元の持ち主の名前が書かれているとあった。

気にしなければ良い。そう決断して注文した。

届いて驚いた。
確かに古い本だが、痛みが殆どない。

そればかりか全集の月報や腰巻きまで中に揃えられていた。

こうなるとかつての持ち主の名前すら愛おしく感じられる。

早速読んでいる。
良い。

『…生涯』がロマン・ロランによってデフォルメされたベートーヴェン像であるとしたら、この本はロマン・ロランが正面切ってベートーヴェンに挑んだ大仕事だ。

私としては『ベートーヴェン研究』の方が圧倒的に好きだ。

しかし、『…生涯』は今でも簡単に入手出来るが、『…研究』は絶版になっている。

これは何とも勿体ない話だ。

だが、致し方あるまいとも思う。
『…生涯』を読んでいて感じたのだが、ロマン・ロランは決して現代の日本向けの作家ではない。重厚すぎるのだ。

ロマン・ロランにある英雄願望も現代の日本には少し毛嫌いされそうな気がする。

ロマン・ロランは英雄的な人物にとことん惚れ抜いて、それを描く。

それなら司馬遼太郎の『龍馬が行く』も同じではないかとも思う。

だが、現代日本人には『龍馬が行く』は受け容れられても『魅せられたる魂』や『ジャン・クリストフ』は無理だと思う。

何故私はそう思うのだろうか?

もう少し言うと現代日本人の中の若者には『龍馬が行く』も無理だと思う。

20130615

印象派の巨匠たち

印象派と言えば私にとって不倶戴天の敵である。

彼らのように描く事が出来なかった。なので、小学生の頃図画工作の成績はとんでもなく悪かった。私には絵を描く才能がなかったのだと諦めるしかないと思い込んでいた。

大きく印象を掴んで、大胆に筆に乗せること。それが出来なかったのだ。

美術の教師は何が何でも印象派だった。


中学生になった途端、私は取り憑かれたように絵を描き始めた。印象派の様に描くだけが絵ではないと美術の先生が言ってくれたからだ。

描いていればそのうち巧くもなってくる。高校の終わり頃には、美術系の大学に行くことを薦められるまでになっていた。

けれど一旦染み込んだ苦手意識というものはなかなか抜けないものだ。根本的に美術の才能が無いと信じ込んでいた私はそちらの方には進まなかった。

大学で地質を専攻し、初めて私は絵が巧い方だと人から教えられた。露頭のスケッチをしなければならなくなってからだ。

もう遅かった。私は地質に専念した。


今日、長野県信濃美術館に行ってきた。『ひろしま美術館コレクション─印象派の巨匠たちとピカソ』と題する展覧会があったからだ。

実を言うとそれ程期待していなかった。

たかが日本の地方都市のコレクションだ。大したことはあるまい。そう思っていた。

目玉はマネの「灰色の羽根帽子の夫人」とロートレックの「アリスティド・ブリュアン」らしかった。
それだけ見ることが出来れば良い。そう自分に言い聞かせて出掛けた。


意外に(失礼!)コレクションが充実していたのには正直驚かされた。

ピカソは青の時代のものとキュービズムの頃の作品がそれぞれ1点ずつと少なかったが、印象派の作品はかなり質が高かった。

「印象派」のムンクやルドンを見ることが出来たことも大きな収穫だった。


敵視していたが、余裕を持って鑑賞してみれば印象派も悪くない。

学校の美術教師が印象派を持ち上げすぎるのは害があると今でも思っているが、作品を追求してゆく態度には学ぶべき点が多くある。


だが、やはりこのようには描けないと思わされた。

印象派の描き方は、一種の技術だと思うのだ。筆遣いのテクニックと言っても良い。それを身に付けないとあのようには描けない。


だが、良いものはやはり良い。

そう思えただけでも美術館に行って良かったと思う。


やはり絵はいいな…。そう思いつつ帰ってきた。

私はやはり美しいものが好きだ。


もう一度行っても良いと思える展覧会だった。

20130614

ピエロのトランペット

また、題名の分からなかった音楽の事だ。

正直言ってもう少し簡単に分かると思っていた。多くのサイトが採り上げていると思えたからだ。

幼い頃、NHKのみんなの歌で繰り返し流れていた。誰もが懐かしく思っている曲の筈だ。
ペ ペレペという繰り返しと
♪始まり、始まり、大サーカスだ
という部分しか記憶になかった。

検索するにはこれで十分だと思っていたのだ。

だが、検索は意外と困難だった。

ひとつしかヒットしなかったのだ。
それも掲示板だった。

うたとピアノの教室:りべっらGuest Book

隠れた名曲だと思う。
それだけにここしか歌詞が残っていなかったことは意外だった。

けれど歌詞と題名はここで分かった。
これだけでも十分だった。

作者も分かった。
イタリアの曲らしい。
記録のため、歌詞をここに記しておこう。

ピエロのトランペット
 詞・S. Tuminelli
 訳詞・中山 知子
 曲・Famauri

町外れで ボクは拾った くずれた幌馬車の下で
見かけは デコボコだけれど それは とても不思議なトランペット
ぺ ペレぺ ぺレぺ ペレペ 愉快な音に胸は躍るよ
ぺ ペレぺ ぺレぺ ペレペ 始まり 始まり 大サーカスだ
 
金と銀の飾りをつけた真っ白な小馬が ぐるぐる走る
虎だの象だのライオンが ぞろぞろ 猛獣使いのムチがうなる
ぺ ペレぺ ぺレぺ ペレペ ブランコ乗りの離れ業だよ
ぺ ペレぺ ぺレぺ ペレペ 思わず手に汗を握る

トランペット抱えて 一座の花形 ピエロが奏でる陽気な音楽
その時だ、手品師のハンカチがひらめく
ぺ ペレぺ ぺレぺ ペレペ たちまち消えるピエロのトランペット
ぺ ペレぺ ぺレぺ ペレペ ピエロはしょげる サーカスも消える

哀れピエロは 町から町へ 失くしたトランペットさがして歩く
もしも どこかで ピエロに会ったら 
返してあげるよ ステキなトランペット
ぺ ペレぺ ぺレぺ ペレペ 
返してあげるよ ステキなトランペット
ぺ ペレぺ ぺレぺ ペレペ 
ボクが 持ってる ピエロのトランペット


このYouTube動画から原題も分かり、原曲も検索することが出来た。


La tromba del pagliaccio

In un vecchio carrozzone abbandonato,
in un prato verso la periferia,
una tromba un pò ammaccata ho ritrovato.
Una tromba che racchiude una magia.

Pee perepè perepèe perepè.
La tromba d’incanto si mette a suonare,
Pee perepè perepèe perepè
la pista d’un circo si vede apparire,

e bianchi i cavalli bardati d’argento
galoppano lievi sulle ali del vento,
E c’è il domatore con cento elefanti
e tigri e leoni, ma tanti, ma tanti.

Pee perepè perepèe perepè
l’acrobata vola con salto mortale.
Pee perepè perepèe perepè.
Aiuto! E’ caduto! Ma non si fa male.

Un pagliaccio colla tromba
ora appare sulla pista
nel silenzio stupefatto
sta suonando un grande artista
Ma un prestigiatore appare
e la tromba ahimè scompare

Pee perepè perepèe perepè
la tromba il pagliaccio non può più suonare
Pee perepè perepèe perepè
va via dalla pista e il circo scompare.


日本語訳は中山知子さんの訳詞で十分だろう。
しかし、原曲では「返して上げるよ」とは歌われていない。


懐かしい歌を取り戻すことが出来た。
そればかりか、原曲まで知る事が出来た。

やはりWebの奥深さには連日驚かされる。

20130613

Yahoo!知恵袋

NHKのニュースで小澤征爾氏が紹介される時必ずと言っていいほど流される曲がある。曲はすっかり覚えてしまったのだが曲名、作曲者など肝心な情報が全く分からず途方に暮れていた。

いつものもやもやがまた残っていたのだ。

通常大抵の疑問は既に誰かが誰かに訊いているのだが、意外なことに検索してもこれは引っ掛かってこなかった。

これはもはや自分で訊いてみるしかない。

業を煮やしてYahoo!知恵袋に投稿してみた。ものの20分としないうちに答えが返ってきた。

Tchaikovskyだった。

意外だった。曲調からもっと古い人かと思っていたからだ。

Yahoo!知恵袋を意識したのは、件の京都大学のカンニング事件だった。

そんなものがあるのかとびっくりした。

その後、ちょっとした疑問を検索すると、このYahoo!知恵袋がヒットして、疑問点の解決に役立ててきた。

世の中、ものを良く知っている方と言う存在がごろごろしているのだ。それがつながりを持ったWebは利用した方が良いというものだ。

ものを知っている方が多いだけではない。世の中「教えたがり」という存在もごろごろしているのだ。

教えて貰った曲はTchaikovskyの弦楽セレナーデ、Serenade for Stringsだ。
本当はこの動画そのものを教えて頂いた訳では無いのだが、丁度小澤征爾指揮の動画がヒットしたのでそれを上げておく。

噂には聞いていたが、これ程使えるサイトだとは思ってもいなかった。


だが、最初の回答で一発ヒットし感動しただけで、その後に続いた回答はどれも当て外れの色が濃く、実際はそれ程抜群に便利なサイトではない可能性もある。

今度私が知っていることがこのサイトに上がったら答えようと、待ち構えているのだが、そうそう都合良く、事が運ぶとは思えない。


より良い答えを望むならば、こちらの表現力をもっと高めておく必要もあるだろう。

いずれにせよ、便利なものを便利に使うかどうかは「使いよう」次第だ。


それにしても、良い曲を教えて貰った。

20130607

Wind from the sea

題名を何にしようかで悩んだ。

「a little boy, walking on the sand」にもしたかったのだ。

前のエントリで採り上げた玉井夕海さんのCD「ales」の最後を飾る曲の題名だ。

この曲を聴く度に浮かんでくる絵画があった。

それが誰の絵であって、何と言う題名なのか分からず、ずっともやもやした気分を抱えていたのだ。
今日、保存してあったかつての掲示板『夏の扉へ』(この題名は最初は今はない掲示板に付けられた題名だった)の膨大なデータを探し回り、画像検索してようやく誰の絵かが分かった。

Andrew Wyethだ。

絵の題名は「Wind from the sea」


a little boy, walking on the sand

2013.1.31/16:14
まるも喫茶

白い部屋に吹く風よ
祈る者を護れ
目を覚ました蝉が鳴き
命終えるその日さえ

白い部屋に吹く風よ
恋するものにそよげ
赤らむ頬隠すように
束ねた髪を揺らして

海は遠くない
海は遠くない

小さな足音に導かれるままに

白い部屋に吹く風よ
戸惑う者を赦せ
静かに波打ち寄せる島の浜辺を濡らして

白い部屋に吹く風よ
抗う者を労れ
黄金に染まる稲穂が身を寄せ合い
倒れるように

海は遠くない
海は遠くない

小さな足音に導かれるままに


この詩には賛美歌のような曲が付けられている。

松本にある温石の白い部屋で、玉井夕海さんの唄を聴けたことは幸運だった。その部屋は、私にはこの歌に歌われている白い部屋のように思えるからだ。

そして、そこに吹く風は、紛うことなくAndrew Wyethの絵の中に吹く風そのもののように私には思えるのだ。

Andrew Wyethはこの風を、他の作品でも吹かせている。
Day dreams

白い部屋は、そしてそこに吹く風はこの絵の風であっても良い。


この絵を見ると、私はどうしても別の絵を連想してしまう。
仮収容所

まるでDay dreamを逆側から見ているような絵だ。しかし、この絵には風は吹いていない。

Andrew Wyethの絵は、歳を取るにつれて暗い画風に傾いていった。
仮収容所のためのデッサン

全く関係はない事は分かっているのだが、この絵に私はどうしても玉井さんの詩のなかにある「目を覚ました蝉」を連想してしまうのだ。

目を覚ます前の蝉と言った方が正確だろう。

そこには敬虔な祈りがある。

絵画や歌は祈りに捧げられている。


玉井夕海さんの歌は、私にAndrew Wyethの絵画を連想させる。

20130605

White Elephant 6.4

昨日(6月4日)玉井夕海さんのライブがまつもと市民芸術館であった。

玉井夕海さんはこの1年長野の松本に住み。拠点として活動することによって自身の音楽を見つめ直してきた。
今回のライブは、その集大成として、今迄個人で活動することが多かった彼女が、チェロの坂本弘通さん、人形使いの北井あけみさん、人類学者で今回は映像を担当した分藤大翼さん等の仲間達と繰り広げるものだった。
彼女のライブはいつも、入り口が地味なので驚かされる。
会場のまつもと市民芸術館はいつ来ても立派な施設だと感心させられる。
階段部分には動く歩道まで設置されている。

ライブが行われたのは、
ここ、小ホール。

撮影禁止だったので本番中の写真はない。
残念だ。とても美しかったのだ。

ランプが灯されているだけの、殆ど真っ暗な中でのライブだった。

観ている私には、とても純粋なものを目撃しているのだという意識だけがあった。
アクアマリンの結晶のようなライブだった。深さと透明感がそこにあった。

その中に、玉井夕海さんの真っ直ぐな歌声が響いていた。

始まりと終わり付近で、ちょっとした文章が読み上げられたが、あれは何が原典だったのだろうか?とても良い文章だった。

途中、幾つかのアクシデントがあったが、玉井夕海さんはそれを逆にお芝居に転化させて対応していた。
この辺りに舞台人としての彼女の凄みを感じた。


ライブが終わった後(ライブの最後でないと信じたい。あの結晶のようなライブを傷付けたくない)皆で玉井さんの唄『葡萄畑の真ん中で』を歌った。
撮影はいしまるあきこさん。
舞台に上がったお客さんも当然そうなのだが、上がらなかった皆様もとても良く練習してこられたようだ。皆、自信たっぷりに歌い上げておられた。


玉井夕海さんが松本を去る日も近い。
彼女はここで何を掴んだのだろうか?そして、それは今後の彼女の活動に、どの様なさざ波を立ててゆくのだろうか?


彼女が長野に残して行くものを、私はそっと引き出しの中に入れて、大切にしていたいと感じさせられた。
美しいものを、彼女は残して下さった。

長野から去った後も、私の部屋では、その美しいものが何度も奏でられ、唄い続けられるだろう。


良いライブだった。

20130528

近畿、東海入梅

昨日の九州・四国・中国地方に引き続き、今日近畿・東海地方の入梅が発表された。

フェスが行われていた一昨日の赤外線画像は
確かに北海道から九州まではっきりと日本列島が見えている。

水蒸気画像はこうだった。
かなり湿っている感じはあるが、まだまだそれ程でも無いと思える。

それが昨日になると
水蒸気画像は
日本列島全体が低気圧に伴う雲で覆われ始め、この時点で九州・四国・中国地方の入梅が発表された。
この雲の移動と伴に入梅が発表されるのだな…と思った。

そして思った通り、
今日の赤外線画像。
水蒸気画像。
昨日と殆ど変わりはない。ここで近畿・東海地方まで入梅となった。

これなら中部地方も入梅していて構わないと思う。
だが、雨雲の及んでいる範囲が異なっているのだ。
確かに雨雲は、近畿・東海地方まで及んでいる。

恐らく、この雨雲の移動と伴に入梅が宣言されるのだろう。


気象学の教科書的には、南から梅雨前線が上がってきて、それに覆われると入梅となるとされている。
だが、現実の「気象業務」ではなかなか物事は教科書通りには進まない。

実際にその地方で、今、雨が降っているかどうかが結構決め手となる。


今年は梅雨入りが早いようだ。
5月中の入梅は2011年以来だという。以来という言葉を使うには最近過ぎるような気がするが、梅雨入り宣言が出されたのが早いという傾向はあるのだろう。

だが、その年ごとに同じ基準で宣言が出されている訳ではない。

それを比較すること自体にそれ程意味はない。


今年は梅雨入り以前に真夏日になる日が多かった。

と言うより、積雪から真夏日までの日数が異常に短かったと感じている。
4月21日に積雪があり、長野駅前の温度計が30℃を越えたのが5月10日だった。ひと月も経っていない。

気候に異常さを感じることのない日々は、もう戻ってこないのだろうか?いつも異常気象を気にしている昨今だ。

20130526

いの・くら・フェス

勝手に略してしまった。
正式には「いのちとくらしのフェスティバル」という。3月ころから企画していた催し物だ。今日やっと開催に漕ぎ着けた。
結果的に20余りの団体・個人が集まった。
会場の南千歳公園にはいつもの黄色い旗がなびき、午前中から舞台や各ブースで発表が始まった。

やはり昨年の12月16日が響いているのだ。

予想された事とは言え自民党が地滑り的に勝利し、それまで培ってきた脱原発への思いや行動が、一遍に押し流された。
3.11以後あったもうひとつの津波だったと思っている。

そのなかで、現状を打開したいという気分が高まってきたのだ。

現状を打開したい気分とは、地道に活動してきた団体や、個人が、今のようなばらばらの状態で取り残されるような感覚を抱いているのではなく、それぞれが繋がりを持ち、もう一度元気を取り戻したいという思いだった。

ステージでは
 ハワイアンあり
合唱あり。
意外と言っては失礼だがヨーガが大人気だった。
やはり皆、自分の身体に何らかの不安を抱えているようだ。

私も歌った
と言うか、歌わされた。

何かとバタバタしており、風邪をひいたこともあって、殆どぶっつけ本番。練習は全く無しで迎えてしまった。

案の定失敗の連続。しかし、笑う余裕があったのには自分で驚いた。照れ笑いか?

写真は松下まぐさんに撮ってもらったものだ。
巧く撮してもらえた。
取り敢えず催し物の一部になることは出来たと思う。それで良しとしよう。

ラストはDazzkokuという松本から来たバンド。
雰囲気のあるバンドだったが、歌のメロディーは殆どRootだったのではないか?

…それで良いか。バンドと言うよりはサウンドデモの方々だった。

この後、デモがあったが、今回は疲れてしまい心が折れてしまったのでリタイアした。

帰ってきて足が攣った。やはり疲れていたのだ。

20130525

カンタ!ティモール

長野松竹相生座・ロキシー1・2に、映画を観に行った。
久し振りのことだ。

だが、盛り沢山過ぎて、とても1回では伝えきれない。

目的は、1年以上前から観たいと思い続けてきた映画『カンタ!ティモール

チベットや福島に精力的に通っている渡辺一枝さんと、この映画を撮った広田奈津子監督のトークショーも上映後にあると言う。

それも楽しみだった。

映画はとても重い主題を、丁寧に、そして骨太な作りで訴えかける内容の濃いものだった。

以前から観たいと思っていたので、それなりに予備知識を仕入れてから観た。

だが、それが必要だったかどうかは分からない。

むしろ、東ティモールという国に対して、何の知識もないままに観て、衝撃を受けた方が良かったのかも知れない。

周囲の島々がオランダの植民地になったのに対し、東ティモールはポルトガルに占領されていた。この事が東ティモールという国に微妙な陰影を与えている。

けれど、南の海底に石油が出なかったら、これ程迄に苦しい過去を、この国は抱え込まずに済んだのではないだろうか?

1975年インドネシアは東ティモールに武力で介入した。

これに対し、国連は反対決議を提案したのだが、日本はそこでその決議に対してNoを投票した。インドネシアを支持したのだ。
映画の中で語られる東ティモール独立までの苦難。それに対し、単純に私たちは同情を抱くことは許されない。日本は、加害者なのだ。

しかし、東ティモールの人々は復讐史観に立っていない。あれは過去の事なのだと語る。

赦している。この寛大さは地に足を付けて生きている者の持つ広い心なのだろうか?


印象的だったのは『カンタ!(歌え!)』と謳われているだけあって、映画に採り上げられる音楽が豊富だったことだ。

監督によると、映画の為に歌われた音楽は全く無いとのことだった。演奏が始まって、それを記録しようとカメラを回したのだそうだ。


音楽は生活に余裕があって、演奏されるものではなかった。1週間も森の中を逃げ回っていて、ようやく辺りに兵士がいなくなった時、彼らはまず踊ったのだという。


映画の後、トークショーがあった。
幅広い活動をしている渡辺一枝さんと広田奈津子監督。
何よりも渡辺さんのしっかりした記憶力に驚いた。映画の隅々まで覚えていらっしゃる。途中、何度かマイクの調子が悪くなり、音を拾わなくなったり、子どもが下駄で歩き回ったりしたが、その都度渡辺さんは余裕のユーモアで切り抜けておられた。なかなか出来ることではない。

広田監督も結構多弁な方で、充実したトークショーになった。

監督の思いは、
「笑い合い、許しあうこの星の生き証人」
にも綴られている。


帰ってから検索すれば出て来るだろうと高を括って忘れてしまった言葉がどこにも見付からずしょぼくれている。
もっと真面目に覚えておくべきだった。

ゆっくりしかし確実に。

そんな意味の言葉だ。東ティモールの人々からのメッセージだ。


--5月31日加筆--

Facebookで『カンタ!ティモール』のファンページを紹介してもらった。大勢の方がこの映画を観て、大切なものに気付いていることを知り、嬉しくなった。

そのページに忘れてしまった言葉を訊ねる書き込みをした。

すぐに小向定と言う方から返信があった。

広田さんの言っていた言葉はテトゥン語の「ネイネイ マイベ ベイベイ」だと思います。
ネイネイ(ゆっくり) マイベ(だけど) ベイベイ(いつも)
少しずつでもいい。でも続けていく。っといった感じだとおもいます。

これだ!


ほぼ諦めていた言葉を、もう一度取り戻すことが出来た。これはとても嬉しい事だ。


もうひとつ東ティモールの人々からのメッセージを加えておこうと思う。

広田監督が再び『星降る島』を歌っていた青年アレックスと再会した時、アレックスが広田監督に伝えた言葉。

広田奈津子監督のトークの最後に語られた言葉だ。

自分たちの仲間が10人しか見えなくて、対する物が巨大で、1,000人にも見えても、命に沿った仕事というのは亡くなった人の魂がついていてくれるから、絶対 に大丈夫。恐れずに進んで下さい。仕事の途中で命を落とす事があるかも知れないけど、それでも大丈夫だから恐れないで。でもどうしても自分たちが10人 にしか見えなくなって不安になったら、僕たちのことを思い出して。僕たちは小さかった。巨大な軍を撤退させるのは奇跡だって笑われた。でも最後には軍隊は 撤退しました。それは夢でも幻想でもなく、現実に起きたこと。目に見えない力は僕らを支えてくれたから、どうか信じて下さい」

3.11を体験した私たちを勇気づけてくれる言葉だと思う。

東ティモールは実際に独立を勝ち取ったのだ。

夢ではない。

20130523

断煙200日

また、一区切りの日がやってきた。

吸いたいという気持ちが湧いてくることは殆どない。たまに何もすることがなくなって、待ち状態になった時などに、手持ち無沙汰が影響して、煙草があったらな…と思う程度だ。

iPhoneアプリ「禁煙ノート」がなければ、この区切りにも気付かなかっただろう。

それだけ煙草を吸わない事が常態になっている。もはや当たり前の話だ。

残念なのはこのアプリでも浮いたお金で自分にご褒美でもと薦めてくれるのだが、絶対的にお金がなく、それが出来ない事だ。

浮いたお金は主に本と甘いものに既に消えてしまったのかも知れない。

その代替物だった甘いものももうさほど必要としなくなっている。

それでも88,000円という金額を単に煙にしなかっただけ良かったとも思える。それ以前に、35年間ひたすらに吸い続けた。その金額はいかほどになるのだろう?
若い頃の方が吸っていた本数も多かった。
途方もない金額になっている筈だ。500万は突破するだろう。車が買える。

私は基本的にいつも貧乏だった筈だ。

それでも、吸っていた時代、ひと箱が800円を超えない限り吸い続けようと思っていたことを覚えている。
今思うととんでもない話だ。


BSでやっているドキュメンタリーなどを見ると、世界のたばこ産業はアジアをターゲットにしているようだ。もはや欧米では産業として成り立たなくなってきているのだろう。

アジアは欧米に比べ貧しい。そのアジアを煙草が狙う。

妙な矛盾だと思う。

だが、貧乏人ほど煙草を吸っているのも事実だ。

この妙な矛盾はなぜ発生するのだろうか?

私も貧乏人だった。そして煙草を吸っていた。貧乏の度合いが更に進み、もはや煙草を吸っていられる状態でなくなってから、薬に頼ってようやく煙草を止めた。

決して健康のためとか、周りへの迷惑とかの比較的合理的な理由からではなかった。


いずれにせよ微々たる成果だが、私は4,000本の煙草を吸わずに済ますことが出来た。

この成果はきちんと自覚しようと思う。

煙草なしでこれだけの日数を過ごすことなど、全く考えられない事だったのだ。

自分でも、良く止められたと思う。

そして、何の迷いもなく、止めて良かったと思える。

20130521

Flickrを始める

以前始めたつもりだったのだが、何度やってもログイン出来ず、リンクも保存していなかった。大幅なリニューアルがあったようなので、再びFlickrを始めてみることにした。

私はここにいる
表示のされ方も変わったようだ。
画面をキャプチャしてみた。

写真がタイル状に並べられるようになった。

無料のスペースが1Tbになった。

これだけあれば当分は凌げるだろう。

twitterやFacebookとの連携も強化されたようだ。

いくつも写真をupする場所が増えてしまってその分だけ煩雑になったが、写真がなくならないのは嬉しい事だ。

しかし、このような画像共有サイトの機能を、私は殆ど使いこなせないのだ。

20130520

不可解への耐性

FacebookでIさんから問い合わせがあった。

カフカの言葉なのだが、出典は分からないか?

よくぞ私を指名して下さったものだと感激すらした。うっすらと知っている。

「真理をおびて始まるものは、結局は不可解なものとして終わらなければならないのだ」

それは狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡 [新刊]と題して記されたBlogのエントリの中にあった。

自分を過大評価する訳ではないが、私以外の人をターゲットにしていたら、おそらく不明のままだったと思う。

私はこの言葉をドイツ語で知っていた。

” Erzählungen Und Kurzprosa Von Franz Kafka "という冊子が家にある。その中で読んだ記憶があった。

" Prometheus "という一文だ。

試しに「カフカ プロメテウス」で検索してみたが、案の定何も引っ掛かってこなかった。

全文を書き出して、拙訳と共に答えとした。


Prometheus

Von Prometheus berichten vier Sagen: Nach der ersten wurde er, Weil er die Göttr and die Menschen verraten hatte, am Kaukasas fest geschmiedet, und die Götter schickten Adler, die von seiner immer wachsenden Leber fraßen.
Nach der zweiten drückte sich Prometheus im Schmerz vor den zuhackenden Schnäbeln immer tiefer in den Felsen, bis er mit ihm eins wurde.
Nach der dritten wurde in den Jahrtausenden sein Verrat vergessen, die Götter vergaßen, die Adler, er selbst.
Nach der vierten wurde man des grundlos Gewordenen müde. Die Götter wurden müde, die Adler wurden müde, die Wunde schloß sich müde.
Blieb das unerklärliche Felsgebirge. - Die Sage versucht das Unerklärliche zu erklären. Da sie aus einem Wahrheitsgrund kommt, muß sie wieder im Unerklärlichen enden.



プロメテウス

プロメテウスについて四つの言い伝えがある。
第一の言い伝えによれば、彼は神々の秘密を人間に洩らしたのでコーカサスの岩に繋がれた。神々は鷲を使わし、その鷲はプロメテウスの肝臓をついばんだ。しかしついばまれても、ついばまれても、そのつどプロメテウスの肝臓はふたたび生え出てきたという。
第二の言い伝えによれば、プロメテウスは鋭いくちばしでついばまれ、苦痛にたえかね、深く深く岩に張り付いた。その結果、ついには岩と一体になってしまったという。
第三の言い伝えによれば、何千年もたつうちに彼の裏切りなど忘れられた。神々も忘れられ、鷲も忘れられ、プロメテウスその人も忘れられた。
第四の言い伝えによれば、誰もがこんな無意味なことがらには飽きてきた。神々も飽きた。鷲も飽きた。腹の傷口さえも、あきあきしてふさがってしまった。
あとには不可解な岩がのこった。言い伝えは不可解なものを解きあかそうとつとめるだろう。だが、真理を帯びて始まるものは、所詮は不可解なものとして終わらなくてはならないのだ。



絶望名人カフカは、言い伝えの放つメッセージを掴みかねて、この最後の言葉を書き記したのかも知れない。

しかし、その言葉の持つメッセージは、言い伝えの放つメッセージと呼応して、深く胸に刻まれる。


アインシュタインは「宇宙に関する最も不可解なことは、それが理解可能であるということである」という言葉を残している。

これは、分かるという事がいかに不思議な現象であるかを指し示している。

私たち現代人は、そして(多分)日本人は分からないことを恥のように感じて、早急に分かることを求めたがる。
だが、分かるとはそれ程迄に浅い行為なのだろうか?

私たちには決定的に不条理や不可解、わからないということへの耐性を欠いていると感じる。分からないの中に佇む時間が、余りにも短すぎるのだ。


恐らく(この本は読んでいないのだが)神子柴遺跡の発掘物をまとめた研究者は、それが持つメッセージの豊穣さに比して、自分が辿り着くことが出来たメッセージの(相対的な)少なさに圧倒されたのではないだろうか?

カフカの短文を手がかりにその思いに思いを馳せてみる。

言い伝えと遺跡が持つコスモロジー。

そしてやはり辿り着く分からないという状態。

恐らく、分からないという事への耐性を育まねば、表現すると言うことに必然的に付いてくる猥雑さを振り払うことは出来ないのだ。

分からないという海に潜り込むことによって、意味の海女たる私たちは、一つかみの真理を深い海底から拾い上げることが出来る。 

圧倒的な海の豊穣さから比べると、そのつかみ取った真理は本当に僅かなものなのかも知れない。

だが、豊穣な海に潜ったという行為が、獲得した真理の有意義さを保証しているように思うのだ。

海に潜るとは、分からないという事に耐性を持つと言うことなのではないか?


ニュートンもこんな言葉を残している。

Newton’s Great Ocean of Truth

I do not know what I may appear to the world, but to myself, I seem to have been only like a boy playing on the seashore, and diverting myself in now and then finding a smother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.


Sir Isaac Newton


私は、世間からはどう思われているか知らないが、私自身はといえば、目の前に未だ知られざる大いなる真実の海が横たわっているというのに、海辺ですべすべした小石や美しい貝殻を見つける砂遊びに夢中になっている頑是無い子供のようなものにすぎないと思っている。