久し振りのことだ。
だが、盛り沢山過ぎて、とても1回では伝えきれない。
目的は、1年以上前から観たいと思い続けてきた映画『カンタ!ティモール』
チベットや福島に精力的に通っている渡辺一枝さんと、この映画を撮った広田奈津子監督のトークショーも上映後にあると言う。
それも楽しみだった。
映画はとても重い主題を、丁寧に、そして骨太な作りで訴えかける内容の濃いものだった。
以前から観たいと思っていたので、それなりに予備知識を仕入れてから観た。
だが、それが必要だったかどうかは分からない。
むしろ、東ティモールという国に対して、何の知識もないままに観て、衝撃を受けた方が良かったのかも知れない。
周囲の島々がオランダの植民地になったのに対し、東ティモールはポルトガルに占領されていた。この事が東ティモールという国に微妙な陰影を与えている。
けれど、南の海底に石油が出なかったら、これ程迄に苦しい過去を、この国は抱え込まずに済んだのではないだろうか?
1975年インドネシアは東ティモールに武力で介入した。
これに対し、国連は反対決議を提案したのだが、日本はそこでその決議に対してNoを投票した。インドネシアを支持したのだ。
映画の中で語られる東ティモール独立までの苦難。それに対し、単純に私たちは同情を抱くことは許されない。日本は、加害者なのだ。
しかし、東ティモールの人々は復讐史観に立っていない。あれは過去の事なのだと語る。
赦している。この寛大さは地に足を付けて生きている者の持つ広い心なのだろうか?
印象的だったのは『カンタ!(歌え!)』と謳われているだけあって、映画に採り上げられる音楽が豊富だったことだ。
監督によると、映画の為に歌われた音楽は全く無いとのことだった。演奏が始まって、それを記録しようとカメラを回したのだそうだ。
音楽は生活に余裕があって、演奏されるものではなかった。1週間も森の中を逃げ回っていて、ようやく辺りに兵士がいなくなった時、彼らはまず踊ったのだという。
映画の後、トークショーがあった。
幅広い活動をしている渡辺一枝さんと広田奈津子監督。
何よりも渡辺さんのしっかりした記憶力に驚いた。映画の隅々まで覚えていらっしゃる。途中、何度かマイクの調子が悪くなり、音を拾わなくなったり、子どもが下駄で歩き回ったりしたが、その都度渡辺さんは余裕のユーモアで切り抜けておられた。なかなか出来ることではない。
広田監督も結構多弁な方で、充実したトークショーになった。
監督の思いは、
「笑い合い、許しあうこの星の生き証人」
にも綴られている。
帰ってから検索すれば出て来るだろうと高を括って忘れてしまった言葉がどこにも見付からずしょぼくれている。
もっと真面目に覚えておくべきだった。
ゆっくりしかし確実に。
そんな意味の言葉だ。東ティモールの人々からのメッセージだ。
--5月31日加筆--
Facebookで『カンタ!ティモール』のファンページを紹介してもらった。大勢の方がこの映画を観て、大切なものに気付いていることを知り、嬉しくなった。
そのページに忘れてしまった言葉を訊ねる書き込みをした。
すぐに小向定と言う方から返信があった。
広田さんの言っていた言葉はテトゥン語の「ネイネイ マイベ ベイベイ」だと思います。
ネイネイ(ゆっくり) マイベ(だけど) ベイベイ(いつも)
少しずつでもいい。でも続けていく。っといった感じだとおもいます。
これだ!
ほぼ諦めていた言葉を、もう一度取り戻すことが出来た。これはとても嬉しい事だ。
もうひとつ東ティモールの人々からのメッセージを加えておこうと思う。
広田監督が再び『星降る島』を歌っていた青年アレックスと再会した時、アレックスが広田監督に伝えた言葉。
広田奈津子監督のトークの最後に語られた言葉だ。
自分たちの仲間が10人しか見えなくて、対する物が巨大で、1,000人にも見えても、命に沿った仕事というのは亡くなった人の魂がついていてくれるから、絶対 に大丈夫。恐れずに進んで下さい。仕事の途中で命を落とす事があるかも知れないけど、それでも大丈夫だから恐れないで。でもどうしても自分たちが10人 にしか見えなくなって不安になったら、僕たちのことを思い出して。僕たちは小さかった。巨大な軍を撤退させるのは奇跡だって笑われた。でも最後には軍隊は 撤退しました。それは夢でも幻想でもなく、現実に起きたこと。目に見えない力は僕らを支えてくれたから、どうか信じて下さい」
3.11を体験した私たちを勇気づけてくれる言葉だと思う。
東ティモールは実際に独立を勝ち取ったのだ。
夢ではない。
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