また、一区切りの日がやってきた。
吸いたいという気持ちが湧いてくることは殆どない。たまに何もすることがなくなって、待ち状態になった時などに、手持ち無沙汰が影響して、煙草があったらな…と思う程度だ。
iPhoneアプリ「禁煙ノート」がなければ、この区切りにも気付かなかっただろう。
それだけ煙草を吸わない事が常態になっている。もはや当たり前の話だ。
残念なのはこのアプリでも浮いたお金で自分にご褒美でもと薦めてくれるのだが、絶対的にお金がなく、それが出来ない事だ。
浮いたお金は主に本と甘いものに既に消えてしまったのかも知れない。
その代替物だった甘いものももうさほど必要としなくなっている。
それでも88,000円という金額を単に煙にしなかっただけ良かったとも思える。それ以前に、35年間ひたすらに吸い続けた。その金額はいかほどになるのだろう?
若い頃の方が吸っていた本数も多かった。
途方もない金額になっている筈だ。500万は突破するだろう。車が買える。
私は基本的にいつも貧乏だった筈だ。
それでも、吸っていた時代、ひと箱が800円を超えない限り吸い続けようと思っていたことを覚えている。
今思うととんでもない話だ。
BSでやっているドキュメンタリーなどを見ると、世界のたばこ産業はアジアをターゲットにしているようだ。もはや欧米では産業として成り立たなくなってきているのだろう。
アジアは欧米に比べ貧しい。そのアジアを煙草が狙う。
妙な矛盾だと思う。
だが、貧乏人ほど煙草を吸っているのも事実だ。
この妙な矛盾はなぜ発生するのだろうか?
私も貧乏人だった。そして煙草を吸っていた。貧乏の度合いが更に進み、もはや煙草を吸っていられる状態でなくなってから、薬に頼ってようやく煙草を止めた。
決して健康のためとか、周りへの迷惑とかの比較的合理的な理由からではなかった。
いずれにせよ微々たる成果だが、私は4,000本の煙草を吸わずに済ますことが出来た。
この成果はきちんと自覚しようと思う。
煙草なしでこれだけの日数を過ごすことなど、全く考えられない事だったのだ。
自分でも、良く止められたと思う。
そして、何の迷いもなく、止めて良かったと思える。
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