煙草を吸っていた頃は、この日を迎えることがなかなか想像出来ずにいた。半年も煙草を吸わないなんて!
もはや煙草を吸わないことが日常になっている。
左は「禁煙ノート」というiPhoneアプリの今日の画面だ。
キッパリとした数字が並んでいる。
凄いものだ。
この半年で、もし煙草を吸っていたら8万円近い金額が煙に消えていたのだ。
そして、煙を吐き出しながら過ごしていた時間は300時間!
本数は3600本!
大変な数字だ。
もはや吸いたいという気持ちは全くないが、先日酒屋で煙草を吸う友人と過ごした時は、これが「酒の席は禁煙の敵」という奴か!と実感した。
彼が吐き出す煙はかなりの誘惑だった。あれで酒を呑んで感覚が麻痺したら、真剣に危ないところだった。
煙草を止めて、心の底から良かったと思えている。
けれど、喫煙者の友達に断煙を決意させるには至っていない。
しょうがないと思う。
私も喫煙していた頃は、確信を持って煙草を吸っていた。
止めるに至った直接の契機も、健康などではなく、主に経済的理由だった。
余り偉そうなことは言えない。
けれど、止めてみて、断煙が「自由」に繋がったのは、自分でも意外だった。
煙草から自由になった。
今では当たり前のように思うが、この感覚は喫煙者に分かって貰うのが難しい。
外に出て、煙草を吸うことにも価値があるように思っていたし、長生きや健康を軽蔑すらしていた。
あの心理状態は何だったのだろう?
断煙して、気持ちが真っ直ぐになった。そんな気がする。
止めるといいことが沢山あるよ。そのように歯医者さんには言われていたが、止めてみて良かった事と言うものは具体的にはそれ程多くない。
止めたこと、そのものが良かった事なのだ。
ただ残念なのは、沢山のお金を節約できたことは確かだと思うのだが、余りにも激しく散財してしまったので、iPhoneアプリが言ってくれるようには、自分にご褒美をあげることが出来ない事だ。
煙草で散財することはなかったが、本で散財してしまった。
私の本に対する欲求は、これも依存なのだろうか?
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