その内のひとつ。
『ホロヴィッツ変奏曲 ~名盤を通して知る大芸術家~』
神と崇めるピアニストのひとりだ。
だが、苦い思い出もある。
80年代も半ばのことだったと思う。
私にも付き合っていた女の子がいた。
私は椎名町の下宿で、その彼女にキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聴かせた。
好きな曲だし、今でも良いと思っている。
その女の子はこんな感想を述べた。
「あのお爺ちゃんよりずっと上手!」
あのお爺ちゃんとは誰あろうウラジミール・ホロヴィッツその人のことだった。
かなり愕然とした事を覚えている。
キース・ジャレットは下手なピアニストでは決してない。むしろ巧い。だが、あのホロヴィッツと比べようというその発想そのものが私にはなかった。
ホロヴィッツは神様だった。
その頃TVは持っていなかった。だからNEWSを観たのではない。
どうやって知ったのかよく分からない。
だがホロヴィッツが来日し、かなり残念なリサイタルを開いたと言う話は知っていた。
愕然としたのはその女の子が熱心な音楽ファンではなく、むしろ純然たる音楽素人だったことに起因する。
その女の子が聴いてもはっきり分かるほど駄目だったのか!
私は思わず黙り込んでしまった。
以後、長い間ホロヴィッツを聴かなかった。
ホロヴィッツを聴かなくなったのは私にとっては吉田秀和のせいではない。この女の子のこのひと言が大きかった。
中村紘子の『ピアニストという蛮族がいる』にはこんな描写もある。
私は1965年にニューヨークのカーネギーホールで行われた、ホロヴィッツの12年ぶりのカムバック・リサイタルを聴いている。その時彼は60歳をわずかに過ぎたばかりで、日本で「ヒビの入った骨董品」などといわれる20年も前のことだったが、私は最初の1音を聴くなり「ああ、我らがホロヴィッツも老いたり」と思ったものだった。
老いたホロヴィッツ。その存在を私は認めたくなかった。
自分の神だった存在を神のままにしておきたかったのかも知れない。私はあからさまにホロヴィッツを聴くのを恐れ、封印した。
つい最近、恐る恐るYouTubeでホロヴィッツの演奏を聴いてみた。それも来日したときより老いている年代の録音のものをだ。
良い!
はっきりとそう思った。
ホロヴィッツは老いて駄目になってしまったのではなかったのだと理解した。あの1983年という年が偶々駄目だったのだ(来日の直前のニューヨークでの演奏もあまり良くなかった)。
そして悟ったのだ。
あの中村紘子の文章は、ホロヴィッツが駄目になってしまったと言いたかったのではなかったのだ。
若き日のホロヴィッツが如何に想像を絶して凄かったかと、そう言いたかったのだ。
その凄いホロヴィッツは、私は体験したことがない。今度のNHK・FMの放送で、古い録音は放送されるのだろうか?
愉しみだ。
放送の予定は次の通り。
26日(月)第1変奏
「奇跡のピアニスト、ホロヴィッツ ~その魔性のピアニズムに迫る~」
27日(火)第2変奏
「ガラスのハート ~繰り返される引退、そしてカムバック~」
28日(水)第3変奏
「ロシア郷愁 ~晩年の録音とロシアへの思い~」
29日(木)第4変奏
「ホロヴィッツの愛した名曲たち ~唯一無二のレパートリーを聴く~」
実はホロヴィッツのカーネギーホールのリサイタルを網羅したらしいBoxセットをもう注文してしまっている。少し到着が遅れるという報せがあった。
それを楽しみにして、来週の放送も愉しもうと思っている。
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