20191225

口笛が鳴らない


私が今住んでいる団地に引っ越してから3年が経った。
何かと気を遣う。毎月ある定例清掃も厄介だが、日常的に、出来るだけ音を立てないように暮らすのも、ストレスフルだ。

高校の時の話だが、私はそれなりにギターが巧かったと思う。普通に弾くだけでは物足りなくなり、ブルースギターに手を出し、ピアノ曲をギターに移植して弾いていたりもしていたので、かなりのものだったのではないかと自負している。

けれど高3になり、大学入試が立ち塞がった。
毎日のように弾いていたギターを中断し、大学に合格するまで弾かなかった。

案の定、ギターの腕前は目を蔽うばかりに落ちてしまっていた。

弾き始めの頃は、基本的な練習も真面目にこなすものだ。だが、一旦弾けるようになっていた私は、下手になっていたにもかかわらず、基礎に戻ることをしなかった。

高校の頃のレベルに戻ることは、二度となかった。

先日、前から気になっていた、曲名の分からない曲を、鼻歌検索で見付けようと思い立った。

口笛で、その曲を吹こうとして、驚いた。口笛が鳴らないのだ。掠れた音は何とか出る。けれどきちんとした音にならない。

考えてみると、大学時代、下宿生活をし始めた頃から、私は周囲に気を遣って、口笛を吹くことを止めていた。

口笛なんぞ、小学生でも吹ける。それが鳴らないのだ。

何事も、練習していないと技量は瞬く間に落ちてしまう。

かなりショックだった。

団地に引っ越してから、一回もギターを弾いていない。
大学入試で弾かなかったのは、3年もなかった。
丸3年、ギターを弾いていないのだ。

これはちょっとした恐怖だ。

恐らく確実に、ギターは下手になっているだろう。

アルペジオは弾けるのだろうか?

20191223

『永遠の門』

現代美術家でもあるジュリアン・シュナーベル監督が、画家を主人公とする映画を発表するのは、デビュー作である『バスキア』以来これで2作目となる。『バスキア』はニューヨークアート界の商業化に揉まれ、疲弊して行くバスキアの無垢な魂に光を当てていたが、『永遠の門─ゴッホの見た未来』ではゴッホの目にこの世界がどう映っていたかを観客に体感させる映画となっている。

その狙いは機材にも現れていて、ゴッホが対象物のどの部分に意識を集中させていたかを表現するために、映像の半分が接写、半分がノーマルに映し出されるレンズ=スプリット・ディオプターが多用されている。
その他にもカメラが安定しない手持ちの物だったり、2重写しが用いられていたりで、ゴッホの不安定さがこちらにも伝染してくるのではないかとも思われる演出が、映画全体を支配している。
ゴーギャンのアドバイスに従って、南仏アルルに移住したゴッホが、初めて絵筆を採る場面が印象深い。無造作に脱ぎ捨てられた靴が、ゴッホの脳内で構図を得て絵画のモチーフになる過程が、靴のクローズアップの画角の変化で表現される。ここから先の映像は、風景も静物も人物も、そして色彩やアングルも、ゴッホの感受性というフィルターを通したものであると予告する演出だ。

その演出に決定的な生命力を吹き込んでいるのが、ゴッホを演じたウィレム・デフォーの迫真の演技だ。

ゴッホには絵と弟のテオしかなかった。
唯一才能を認め合ったゴーギャンとの共同生活も、ゴッホの行動によって破綻。ゴーギャンに去って欲しくないゴッホは、自らの耳をカミソリで切り落としてしまったのは有名なエピソード。
その姿を、あの自画像そのままのイメージで、描いている。

何故絵を描くのか。その問いが、映画の中で何度か繰り返される。絵を描く事は、神によって与えられた才能だとゴッホは言う。だが、その思いはなかなか理解されない。絵を描く才能は、ただゴッホを苦しめるだけなのだろうか?

絵を描く事を始める前、神職に就こうとも思っていたゴッホは、イエスの生涯に自分を重ね合わせる。イエスも、生きていた頃は、全くの無名だったのだと。
彼は言う。未来のために描いている。

永遠の門という題名の意味は、最後まで明らかにされない。けれど、ゴッホの絵は、後の世の人々の心を掴み、確かに永遠のものになっている。

映画の中に、救いはない。只報われることなく、ひたすらに絵を書き続けたゴッホがいるだけだ。けれどその絵を描くという行為は、確かに永遠の門を押し開けたのではないだろうか。

映画の中で、2016年に126年間眠っていたゴッホの素描が発見されたことの顛末が、描かれている。棚に無造作に置かれ、しまい忘れられていたのだ。
このエピソードが語るように、生前のゴッホは、同時代人に全くと言っていいほど理解されていなかったのだ。

20191221

Spotify

'18年の5月19日以来、私はCDを購入していない。
音楽を聴かなくなった訳ではない。この日からSpotifyという音楽ストリーミングサービスを利用し始めたからだ。
基本、iPod touchを利用して、Spotifyを使っている。もう一つ付け加えるならば、iMacからSpotifyのアプリを開いて、それを使ってiPodを操作している(写真参照)。

気になるアーチストがいる場合、すぐにSpotifyのアプリを開いて、検索する。大抵の場合すぐ見付かる。
少し日本のアーチストには弱さを持っているらしく、谷山浩子や中島みゆきなど、何人かのアーチストはSpotifyに配信していないようだ。
だが、欧米のアーチストの場合、殆ど網羅していると言って良い。

基本料金は月に980円。それを払わずにFreeを選択すれば、只で音楽を聴くことが出来る。Freeではコマーシャルが入ったり、月に15時間しか使えないなどの制限はあるが、巧く使いこなしてゆけば、それ程気にならない。

基本的な機能はFreeでも十分に使える。これは嬉しい誤算だった。


今はヒラリー・ハーンに嵌まっている。シャッフル機能を使って、彼女のヴァイオリンばかりをじっくりと堪能している。

私は彼女のCDを一枚も持っていないが、Spotifyを使って、殆ど全てのCD音源を聴くことが出来ている。


PCから操作するのにはもう一つ理由がある。
Facebookと連携して、Spotifyの友人を探すことが出来るのだ。

音楽を聴きながら、友人たちがどんな音楽を今聴いているかが分かる。

この機能を使って、私はどうしても探し出せなかったサザンオールスターズの音源を探し出す事が出来た。

実にいろいろなアーチストが聴かれている。全く知らないアーチストである事も多い。興味を持ったら、その名をクリックすれば、そのアーチストを探し出すことが出来る。

ついさっきも小野リサというミュージシャンを知った。

宣伝臭くなったが、事ほどさように、私はSpotifyに嵌まっている。

20191206

不完全な行為としての読書

アンリ・ベルクソンの『時間観念の歴史』を読んだ。
哲学の諸相に時間観念がどの様に影響してきたかというテーマで行われた、コレージュ・ド・フランスの講義の記録だ。時間という観念を導入することによって、所謂ゼノンの逆理なども、合理的に解決することが出来る。プラトンやアリストテレスを豊富に引用した講義録だった。
余り詳しくないギリシャ哲学からの哲学史を、分かり易く解いていて、興味深く読書を進める事が出来た。面白かった。

ところで、この様な本には当然のように豊富な注釈が付いている。そこに書かれた幾多の本を、私は殆ど読んでいない。
これは『時間観念の歴史』に限らず、あらゆると言って良い読書につきまとう、私の不備だ。
体系的に学んだものと言ったら地質学しかない。
知の体系の基本となる文献を、若い頃読んでいない。知はそれらを当然既知のものとして、書かれている。
慌てて、注釈にある本を読んでみても、今度はそこにある引用文献を読んでいない。
今度はそれを読む。この様にして永遠の遡行を強いられることになる。

今回は、『時間観念の歴史』を読んだ後、アリストテレスの『形而上学』を読んだ。

これを読まずに、哲学書を読んでいたと言う事を、恥ずかしながらも、ボソボソと告白しなければならない。何という無謀な事をしていたのだろうか?!

幾多の本の中に使われていた、基本的な用語が、どの様な意味で、どの様な文脈の中で使われるのかが書かれている。

読んで、ようやく理解出来た事は極めて多い。

そこにもプラトンが平気で引用されている。
私が読んでいない文献だ。

そればかりではなく聞いたこともない名前のフィロソファーたちの引用も溢れている。

それらを全て網羅していったら、私の寿命は簡単に終わるだろう。

この様にして、私の読書という行為は、いつ迄経っても不完全なまま放置される。

仕方があるまい。私の知は、永遠の素人芸に過ぎないのだ。

その時の興味の赴くままに、一度に一冊ずつ、友人のWが言う様に、蟻が卵を巣に運ぶようにコツコツと読んで行くしかない。

なんだかんだ言いながら、それでも何とか、今迄本だけは読んできた。これからも読書を続けて行くだろう。
だが、それは永遠に不完全な行為として行われているのだという事を、私はコンプレックスとして抱え込んで行くしかない。

本は、読めば読むほど、読まねばならない文献が増えて行く。
読みたい文献もまた、どんどん増えて行く。

私に残された時間は、果たしてどのくらいあるのだろうか。
それを少し不安に思いながら、私はこの不完全な行為を連綿と続けて行くだろう。

どこ迄行くことが出来るのだろうか?

20191027

ハギビスは生きている

twitterで拾った画像を見て驚いた。
2週間前、広い範囲で被害を出した颱風19号ハギビスが、低気圧となって、まだ移動中らしい。
この颱風は、日本列島に上陸してからも、なかなかその渦の姿を変えず、確かにしぶとかったのだが、未だに生きているとは思ってもいなかった。

颱風は赤道付近に溜まった熱を、高緯度地域に運んで冷やす、ラジエーターのような役割を果たしている。

なので、颱風でなくなった後も温帯低気圧として、生き残ることが多い。

だが、これ程長い間、その姿を保っているとは、驚きである。

これも地球温暖化のなせる業なのだろうか?

20190412

『バハールの涙』

何という映画だろう!

時折、自分が男である事が、溜まらなく許せなくなる事がある。この様な映画を観た後では、その思いがとりわけ強くなる。

映画のラストにテロップが流れる。
「ことばで証言する女性、忘れられた女性、全ての歴史を作る女性に捧ぐ…」
この映画には真実が描かれている。その真実を理解し、感動している私に、このテロップが突き付けられる。

そうなのだ、この映画は私に宛てて届けられた映画ではないのだ。

私は第二級の観客として、映画館の底に取り残される。それだけではない。罪人の眷族として私は存在する。その事をいやが上にも理解させられる。


冒頭からとてつもない緊張感が漂う。

映画は2014年8月3日、IS(イスラミック・ステート)の攻撃部隊がイラク北部のシンジャル山岳地帯に侵攻した出来事から着想を得ている。

弁護士バハールはそのクルド人自治区にある故郷の町で夫と息子と共に幸せに暮らしていた。だがある日町がISの襲撃を受け、夫を始めとする男たちは皆殺しにあい、息子を戦闘員として育成するため連れ去られ、自身も性奴隷として売り飛ばされてしまう。

バハールはTVで見掛けた救援組織との連絡に成功し、「人生で最も大切な30メートル」を、臨月の女性と共に命からがら突破し、自身を解放する。

やがてバハールは息子を取り戻し、同じ被害に遭った女性たちを解放する為、女性だけの戦闘部隊「太陽の女たち」を結成。ISとの戦闘に身を投じてゆく。常に銃を抱いて眠り、戦闘に於いては、最先端での銃撃に出撃するのだ。彼女たちは「女に殺された者は天国へ行けない」と信じるISの戦闘員たち(何と身勝手な信仰だろうか)に恐れられる存在となってゆく。

映画は屈辱と悲しみに満ちた過去と闘いに明け暮れる現在とを交互に映してゆく。

現在を私たちに伝えるのは、夫を地雷で失い、自らも隻眼となったフランス人ジャーナリスト、マルチドだ。彼女も国に娘を残し、単身戦闘地帯に身を置き、カメラとペンで現実を伝えようと奮闘している。

六文錢さんは自身のブログで、日本ではこの様な戦場カメラマンを異端者し、攻撃すらする事を激しく非難しているが、私も同感だ。


バハールという人物は実在しないが、その姿・行動は2018年のノーベル平和賞受賞者ナディア・ムラドそのものだという。マルチドは片目を失明しPTSDを患いながら、世界各地の紛争を報道し続けたメリー・コルヴィンと、ヘミングウェイの3番目の妻で、従軍記者として活動したマーサ・ゲルホーンがモデルになっているという。

この映画の底には、事実と真実が蕩々と流れているのだ。

終始緊張感が漲る画面の中で、思わずほっとし、愛おしくなる場面があった。「太陽の女たち」が皆で肩を組んで踊るシーンだ。
彼女たちは皆、地獄のような過去を生き、地獄のような現在を闘っている。その彼女たちが踊る。その境遇を知る私は、加害者の側に生きているが、それを思わず忘れ、深い感動と共感を覚えてしまった。

私を加害者から解放してゆく道筋があるとしたら、そういう共感から、彼女たちに近づいてゆく以外ないように思う。

バハールたちは、誘拐してきた子どもたちを戦闘員に育てる為の学校を、犠牲を伴いながらも奪還し、バハールは息子との再会を果たす。
マルチドも負傷しながらも、従軍記事をモノにする。

これはハッピーエンドなのだろうか?

私はこの映画で、地獄を生きるバハールたちを知った。そしてその地獄は未だに終わっていない事を知った。

幸いな事に、日本では平和な日常を営む事が出来ている。しかしその平和は、ちょっとした間違いで壊れてしまいそうな、危うい存在であることも、この映画から学ぶべきではないのだろうか。現にその平和を脅かす策動が日々進行していることも、私たちは知っているのだ。

繰り返しになるが、私は加害者の側に生きている。そこが出発点だ。それを確認しながら、ナディア・ムラドの『THE LAST GIRL」を読む。

途方に暮れる。どうすれば、何の力になれるのか?

地獄は現在進行形だ。

その地獄でバハールの流す涙は決して弱い涙ではない。強く優しい涙だ。

原題は「Les filles du soleil」どうなのだろう。「太陽の女たち」よりも「太陽の少女たち」と訳した方が正確なのではないだろうか?

戦場で無邪気に歌い踊る彼女たちは、まさに太陽の少女たちだった。

20190227

『この世界の片隅に』

映画を観てから、もう3週間経つ。うかうかしていると、ひと月が過ぎてしまいそうだ。

感想はこうの史代さんの原作を読んでからにしようと思っていた。映画との違いを確認したかったからだ。『罪と罰』やその周辺の本を読んでいる内に月日が経った。ようやく読む事が出来た。

読んでみて、殆ど映画そのものなのに驚いている。映画を観てようやく原作を「読む」事が出来たようにも思う。今迄一体何を読んできたのだろうか?

改めて映画というものの力を感じさせられたようにも思う。

2月5日、アニメ映画『この世界の片隅に』を観てきた。

あらすじなどの紹介はもういいだろう。映画が公開されてからもう2年も経つのだ。

映画の終わり、エンドクレジットに、無数と言っていい程の多くの人々の名前が並ぶ。映画を作る資金を得る為に用いられたクラウドファンディングに参加した人々の名前だ。

それは、この映画が多くの人々の思いが詰まった映画である事を、如実に物語っている。

原作者がいて、アニメーターがいればアニメ映画は出来る。そうした単純な物語をこのエンドクレジットはそっと、しかし断固として拒絶する。

恐らく、全ての映画にはその制作過程に於いて、波乱に満ちた物語が存在する。

この『この世界の片隅に』はその物語に於いても、傑出したものがあったのだと、分かる。

片渕須直監督の熱意は周囲を巻き込み、様々な人生を乗せて膨らんでいった筈だ。


パンフレットによると、すず役にのんが決定したのは、映画の公開まで4ヶ月を切った、2016年7月の事だという。驚いた。その短い期間に、のんは北条すずを徹底的に研究し、見事に演じ切った。

その年の9月、完成披露試写会挨拶でのんが発した言葉は、この作品の本質をたったひと言で言い表していた。

「生きてるっていうことだけで涙がぽろぽろあふれてくる、素敵な作品です」

のんの思いも、この映画は乗せている。


アニメーションには生命を吹き込むという意味があるという。
映画を観始めた時、こうの史代さんのあの絵が、動いている。それだけで私は感動してしまった。

自分の描いた絵が、動く。それは一体どの様な感覚なのだろうか?

映画になった自分の絵を観て、初めて見え始めたものも多かっただろう。

いろいろな人たちの思いを乗せて動き始めた自分の絵。それは確かに生き生きとした生命が吹き込まれた、掛け替えのない絵として、存在したに違いない。


今回、原作を読んで、調べてみて驚いた。気が付かなかった。

すずが右手を失ってからの背景の絵は、全て左手で描かれていたらしい。

創造を行う人という存在は、実に驚くべき存在だ。
こうの史代さんはすずに思いを託すために、そこ迄追体験をしていたのだ。

映画も凄いが、原作も凄い。それぞれにそれぞれの良さがある。


大音量が可能な、そして何より大画面で観る事が出来る劇場で、『この世界の片隅に』を観る事が出来、その後原作を読み返す事が出来てとても良かったと感じている。多くの発見があり、感動があった。そうなのだ、この映画は原作を読み、かつ映画館で観るべき映画なのだ。

またひとつ私にとって大切な物語が出来た。

20190220

ドストエフスキー生活

中学校の隣のクラスの担任だった松岡という教師は、なぜか私をいたく気に入って下さって、あれこれ気を遣って、特別な指導もして下さったように思う。中学を卒業する時、その松岡先生も異動となり、今生の別れとなった。
新しい赴任先に出掛ける寸前、その松岡先生は、わざわざ私の家まで出向いて下さり、一冊の本を私に手渡した。それは米川正夫訳のドストエフスキー『罪と罰』だった。
「いや、持っているとは思うのだけれど、それでもこの本で読んでもらいたくて…」
松岡先生は首にタオルを巻いた、引っ越し用の姿で、そう仰って下さった。
正直に言おう。私は少し残念だった。『罪と罰』は世界文学全集の中の一冊に含まれており、その米川正夫訳の本は、やはり既に持っていたからだ。

しかしその時から『罪と罰』は、私にとって特別な本となった。

けれど恩知らずな私は、その本を気にはしていたものの、読む事は無かった。

長い間、私にとってドストエフスキーを読んだ事がない事は、深いコンプレックスとなっていた。『罪と罰』ばかりではなく、それこそ一冊もドストエフスキーの作品を読んだ事は無かったのだ。だが高校生の頃は、当然読んだ事がある振りをしていた。
どこぞからか知識だけは仕入れていて、あの大地へのキスが良いなどと一丁前に論じたりしていた。

昨年の夏、本棚を眺めていて気が付いた事があった。

今住んでいる団地に引っ越す前、私は本の大整理を敢行していた。図書館にある本を中心に、持っていた本の2/3を売り払った。
中には良い本が多く、読んでいないものもかなりあった。断腸の思いでブックオフに持っていっては、売った。かなりの額になった。

もとの1/3ほどになったとは言え、それでも残った本もかなりの冊数があった。

ふと、気が付いた。現在の私の本棚には、1冊もドストエフスキーがない!

そう言えば図書館にはドストエフスキー全集なるものがある。

夢中で本を売り払っているうちに、『罪と罰』を含め、あった筈の『白夜』も『地下室の手記』もその姿を消していた。

頭を殴られたような思いだった。

折からハンナ・アーレントの『全体主義の起原』を読破していた。半年以上掛かったが、何とか読み切ったのだ。

大著と呼ばれる本もなんだかんだ言って、読めるではないかと調子に乗った。

暫く前から、光文社古典新訳文庫で亀山郁夫がドストエフスキーの新訳を出している事には気が付いていた。
調べてみると県立長野図書館に『カラマーゾフの兄弟』がある事が分かった。早速借りてみた。昨年の9月1日の事だ。

畏れていたドストエフスキーも、『全体主義の起原』に比べれば、遙かに読みやすい。加えて光文社古典新訳文庫には栞に登場人物が整理されていて、これが段違いに読書をしやすくしてくれていた。

「大審問官」まで1週間。全体は3週間ほどで読み切った。

感動した。

次に『悪霊』にチャレンジした。

市立長野図書館に光文社古典新訳文庫版がある筈だった。だが、行ってみると、それは分館の南部図書館にあり、すぐには借りられない事が分かった。仕方が無い。河出書房新社版の全集。米川正夫訳を借りてきた。

ところがこれが字が細かい。老眼鏡を掛けなければ読めないレベル。そして人生の転機ともなった日赤入院が重なる。

何とか字を追ってはいたが、日赤のベッドは薄暗く、読書には必ずしも適した環境ではなかった。

挫折。

退院して『悪霊』は光文社古典新訳文庫を買う事に決めた。

それが届くまでの間、少し時間が出来た。

県立長野図書館で『白痴』を借りていた。それを読む事にした。

今思うと、この頃から少しずつ躁状態が始まっていたのだと思う。
『白痴』は2週間で読破した。後半は物語が白熱し、夢中で読んだ。

躁状態のなせる業なのか、本当にそうなのか分からないが、段々と本が読め始めた実感を得たのもこの頃の事だ。

年末年始を『永遠の夫』で小休止し、正月からいよいよ光文社古典新訳文庫で『悪霊』に再チャレンジした。
今度は波に乗れた。

『悪霊』も2週間で読破。

凄まじい衝撃を感じた。

その後、『地下室の手記』、『白夜/おかしな人間の夢』、『死の家の記録』と読み継ぎ、2月に入っていよいよ、青春の忘れ物『罪と罰』を読み始めた。

これは正味5日間で読み切った。

異様とも言える読後感がその後ずっと続いた。
やはり『罪と罰』は特別な小説だった。

半年付き合ってみて、つくづく思う。やはりドストエフスキーは凄い。

トーマス・マン等を読むと、時に少し古びていると感じる瞬間があるが、ドストエフスキーにはそれがない。
19世紀に書かれたとはとても思えない程、物語は鮮度が高く、そして何より、どれを読んでも完成度が途方も無く高い。面白いのだ。

半年にわたってドストエフスキーばかり読んできた。全く手付かずの状態から、ふと気が付くと4大小説を読破していた。

今は小休止を置いている。それでも江川卓の『謎とき『罪と罰』』を読んだり、亀山郁夫の『『罪と罰』ノート』を読んだり、ドストエフスキーの周辺を漂ってはいる。

これらを読んでいると、必ずと言って良い程ミハイル・バフチンの名前が出て来る。どうやらそれを読まねば話にならないようだ。かなり前『ドストエフスキーの詩学』は購入した。県立長野図書館に『ドストエフスキー創作の問題』があるのも確認してある。

小林秀雄『ドストエフスキイの生活』を読み終えたら、いよいよミハイル・バフチンに挑んでみようと思っている。

ドストエフスキー生活はここ当分止みそうにない。

20190110

『海街diary』完結

動揺した。

郵便が届いたのは昨日(9日)の夕刻のこと。折からドストエフスキーの『悪霊』に浸りきっており、丁度佳境を迎えつつあったので、そのままそれを読み続け、章の切れ目あたりで『海街diary』を読もうと決めていた。
しかし、梱包を開け、中の本を取り出した時、目に飛び込んで来た文字に釘付けになった。

「完結!!」

写真を見れば分かる通り、『海街diary9─行ってくる』の帯には、確かにそう書いてあった。
その文字に意味を見いだすのに、少し時間が掛かった。

遂にこの日を迎えてしまったのだ。意味を理解しても、実感が伴うには、更に時間が必要だった。
終わるのなら前の巻でも良かったのではないか?
そんな思いが胸をよぎった。

吉田秋生さんはいつも、安定したストーリーテラーだった。けれど、万が一と言う事がある。引き摺って、蛇足を描いてしまうのではないか。その事が怖かった。

慌てて『悪霊』を机の上に放り出し、『海街diary9』を手に取った。
夢中で読んだ。

杞憂だった。

吉田秋生さんはこの作品を、きちんと終わらせていた。

見事だ。


連載開始から12年が経つと言う。
長い時間だ。

けれど、私は初めて『海街diary』を目にした時の感動を、昨日の事のように覚えている。

衝撃的だった。

物語は巻を重ねるにつれ深みを増していった。

本棚の一番上、天井に届くばかりの場所に、全ての巻が置かれている。
そのひとつひとつに深い思い出がある。

背表紙だけで内容を思い浮かべる事が出来る。

12年。私の傍らにはいつも『海街diary』があった。

新しい巻が出版され、それを買い、読み終える頃、いつも、次はどうなるかが気に掛かった。

その「次」がもうない。

一抹の寂しさは隠せない。けれどそれを補う清々しさが心を占めている。

登場人物は皆、驚く程成長し、それぞれの道に旅立ったのだ。

物語の終わりに、私は精一杯の言祝ぎを贈りたい思いだ。

おめでとう。ありがとう。


『海街diary9─行ってくる』を読んでいる最中。
Twitterに兼高かおるさんが逝去されたという報せが流れた。
90歳だったという。

確実に、ひとつの時代が終わったのだ。
その事を胸に刻んだ。

天井に近い本棚の一番上に、『海街diary9─行ってくる』を、そっとしまい込んだ。

20190102

歩行のレッスン

まず姿勢。
頭のてっぺんから糸が出ていて、それに体全体がぶら下がっているイメージで、立つ。そうすることで脱力する事と、真っ直ぐ立つ事が両立出来る。

次にその姿勢を維持したまま、臍から糸が出ていて、それに引っ張られるイメージで歩く。

そうすることで、無駄な力を掛けずに、速く歩く事が出来る。

後は手を勢い良く、大きく振って、投げ出された脚を、踵から地面に着く事を意識して歩を進める。

これが、私が毎日歩く時、意識している内容の全てだ。

簡単なようでいて、なかなかに難しい。
意識してすぐは出来ていても、5分もすると乱れてきて、いつの間にか、背は丸まり、脚を引き摺るように歩いている。

これではいけない!とまた姿勢からイメージを作り上げ、手を大きく振って歩き出す。

その繰り返しだ。


毎日、家の近くの公園を、2、3周する。

感心してしまうのは、その公園の歩道が、落ち葉などで蔽われておらず、雪が降った翌日などは、きちんと雪掻きが施されていることだ。

どなたかが、毎日手入れをされているのだろう。

頭が下がる。

その好意に甘えたまま、歩行のレッスンをしている。


普通の人ならば幼児の時に、このレッスンは修了しているのだろう。だが、私は小学生2年の時、脚の手術をした時から、意識的な歩く練習を繰り返している。

大学は地質学を専攻したが、その時も、痛切に意識させられたのが、自分から歩く事の重要性だった。

私は人生の中で、歩行のレッスンを繰り返して来たような気がする。

2019年が明けた。

今年の目標として、美しく歩く事を上げてみたらどうだろうかと考えている。

毎日のリハビリに、ひとつ目標を加えてみるのだ。

久し振りに出会った人が、歩き方がかわったなと思ったら大成功。

歩くという、基本的な動作に、これ程拘らなければならなかった人生に、今度は積極的に挑んでみるのだ。

今年は、私にとっては珍しく、新年の誓いが出来た。

20190101

ブッダの教え

実は2年前から、この本『ブッダの教え 一日一話』を読んでいた。
一日半ページの教えを、読んで思惟する。これが基本だ。

最初の年は、この一日半ページというペースがなかなか掴めず、つい読み忘れて、1週間分を纏めて読むような読み方になってしまった。

それが悔しくて、昨年ペースを守る事を主眼に置いて、再び読むようにしていた。

これはなかなか強い意志が必要な読み方であって、纏め読みしそうな日が何度かあった。

特に、脚の手術で入院した時は、危なかった。

だがどうにかこうにか、昨年は一日半ページをきちんと守って読み切る事が出来た。

内容は、ブッダの教えを、日常生活に生かせる形で、順不同で教えるというもの。

簡単な言葉で書かれているので、肩肘張らずに読んで行ける。

だが、それを実践するのはそう容易い事では無い。なかなか深い内容の教えが説かれている。

仏教は実践的である。その事をよく理解することが出来た。

面白い読書体験が出来た。