まず姿勢。
頭のてっぺんから糸が出ていて、それに体全体がぶら下がっているイメージで、立つ。そうすることで脱力する事と、真っ直ぐ立つ事が両立出来る。
次にその姿勢を維持したまま、臍から糸が出ていて、それに引っ張られるイメージで歩く。
そうすることで、無駄な力を掛けずに、速く歩く事が出来る。
後は手を勢い良く、大きく振って、投げ出された脚を、踵から地面に着く事を意識して歩を進める。
これが、私が毎日歩く時、意識している内容の全てだ。
簡単なようでいて、なかなかに難しい。
意識してすぐは出来ていても、5分もすると乱れてきて、いつの間にか、背は丸まり、脚を引き摺るように歩いている。
これではいけない!とまた姿勢からイメージを作り上げ、手を大きく振って歩き出す。
その繰り返しだ。
毎日、家の近くの公園を、2、3周する。
感心してしまうのは、その公園の歩道が、落ち葉などで蔽われておらず、雪が降った翌日などは、きちんと雪掻きが施されていることだ。
どなたかが、毎日手入れをされているのだろう。
頭が下がる。
その好意に甘えたまま、歩行のレッスンをしている。
普通の人ならば幼児の時に、このレッスンは修了しているのだろう。だが、私は小学生2年の時、脚の手術をした時から、意識的な歩く練習を繰り返している。
大学は地質学を専攻したが、その時も、痛切に意識させられたのが、自分から歩く事の重要性だった。
私は人生の中で、歩行のレッスンを繰り返して来たような気がする。
2019年が明けた。
今年の目標として、美しく歩く事を上げてみたらどうだろうかと考えている。
毎日のリハビリに、ひとつ目標を加えてみるのだ。
久し振りに出会った人が、歩き方がかわったなと思ったら大成功。
歩くという、基本的な動作に、これ程拘らなければならなかった人生に、今度は積極的に挑んでみるのだ。
今年は、私にとっては珍しく、新年の誓いが出来た。
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